第37話 第四部 2 新たな仲間?
徳島インターハイに向かう南ヶ丘高校陸上部の五人はサブグラウンドにやって来ていた。そこは熱心に練習に取り組む選手たちであふれていた。全国各地からやって来た出場者の中に八種競技ランキング一位の外崎選手を見つけた野田賢治と野田タク、そして千歳体育のマンナンこと喜多満男は、しばらくの間彼の動きに目が吸い付けられていた。
「なあ、野田……、うん? ああそっか、こっちも野田だったか?」
外崎を見ながら話しかけた喜多満男は隣にいる野田タクに向けて言った。
「あのさー、うちらはさ、俺のこと野田タクって言うし、こいつのことはノダケンって言うことにしてるけど」
「ノダケン?」
「お前もそうすれば。フルネームで呼び分けるの嫌だろ? 俺たちもお前のことマンナンって言うからさ」
「……中川か! 中川から中学ん時の話聞いてるな?」
「うん、山野もいるしさ、ほら健太郎はあそこでジョグしてる」
サブトラックの外周を走る続ける中川健太郎はすぐ近くで注目を浴びている外崎のことも、野田兄弟(琢磨と賢治)と一緒にいる喜多満男のことも全く目に入らないように自分の走りの時間を楽しんでいる。彼は初めて訪れる場所を走ることが大好きだった。いやもしかすると、大嫌いなマンナンに気づいて敢えて離れているのかもしれない。
「じゃあ、ノダケンの方の野田よ。あのさ、俺ら二人して外崎をさ、やっつけてやるべや!」
「なに? やっつける?」
「おお、アイツだってよドンパなんだし、全国初めてみたいだし、いっつも記録出せるってわけじゃねえべや……」
外崎の方を見たままマンナンが続けた。
「なんかよ、去年もそうだったんだけどよ、俺たちが北海道から来てるってわかると皆よ、ちょっと見下したような態度すんだわ、あいつら」
マンナンの言うあいつらとは本州のやつらという意味のようだ。確かに北海道という存在は日本の中でも特別な位置づけになっているところがある。
日本全体の食料自給率が39パーセントしかない中で、北海道のそれは200パーセントを超えると知る人は少ない。同じように北海道のスポーツ選手の「本来の力」が認められている場面が多いとは言えない。もちろん冬のスポーツに関していえば北海道がダントツの一番であることは誰しもが認めるだろう。でもそのことまでが、北海道を日本の特別な存在にしてしまっているに違いない。
マンナンの言おうとしていることもよくわかる。夏の甲子園大会で駒大苫小牧が二年連続全国優勝した時に、道民みんなが頭の上を押さえつけられていた大きな蓋を取り払えたと感じたように、自分達も北海道人の力を見せつけてやりたいということだろう。昨年の全国大会で力の差を強く感じてきたマンナンは、少なくとも、北海道という言葉の響きが特別な存在と感じられなくなるように堂々と戦いたいということを言いたいのかもしれない。
昨日、早朝にもかかわらず、札幌駅構内まで見送りに来てくれた山野憲輔さんの言葉もそういうことだったに違いない。
まして、彼ら本州の選手たちや僕たちが感じている以上に、北海道の陸上選手は今までもずいぶんと活躍してきているのだ。男女ともにインターハイのスプリント競技ではトップ争いを続けてきている。そして日本記録や高校記録や中学記録でも北海道選手の名前がしっかりと残っている。
「俺はよ、去年も全国に来たけど、そん時はとんでもなく力の差があったのわかった。でも今年はよ、ちょっとだけ近づけたように思うんだ。いや、お前には叶わねえのはわかってる。でもよ、なんか目の前に高校記録出した同じ二年生がいるとなったらよ、自分の力ぶつけてみたいと思わねえか」
「そう、お前の言う通りだ。マンナン、お前かっこいいわ」
そう言って興奮気味のタクの方は向かずに、喜多満男は自分の決意を宣言するように言った。
「俺ちょっとよ、アイツに挨拶してくるわ」
「挨拶、アイツって、外崎のことか?」
「おお!」
頷いたと思う間もなく、喜多満男はスプリントドリルを繰り返している外崎の方へ向かって歩き出した。着ていたジャージの上着を脱ぎ棄てて、今まで以上に胸を張った彼の歩き方は肩と腕の筋肉が異常なほどに目立っている。二人の野田には見えていなかったが、その時少し顎を上げ気味にしたマンナンの唇は固く結ばれていた。
「ありゃー、すんげー強引だな、あいつー」
マンナンと初めて会った野田タクは彼の行動の早さに驚いている。一方ノダケンは岩内にいた頃によく似た仲間がいたことを思い出していた。
野田タクが同じ高校へ行っている仲間から聞いた話だと言って、喜多満男のことを話し始めた。
「あいつさドケンヤの息子なんだと」
「ドケンヤ?」
「土木建築会社っていうのかな。中川たちと同じ中学なんだからあの近くにあるんだろ?」
「ちょっとだけ健太郎に聞いたことある。PTAの役員してたらしい」
「祝日とかさ、祭日の日に日の丸上げる家だって評判だったらしいぞ」
そんな家は田舎ではたくさんあった。珍しいことでもない。
「なんか右側の人らしくてさ、土建屋の社長で、怖そうな父さんらしい。んで、あいつも親分的って言うか、兄貴分的なんだとよ」
「日の丸上げる家なんか田舎に行けばいっぱいあるから。うちの爺さんとこも上げてたし、普通でない」
「そっかー? 家の周りじゃあんまり見ないけど……」
そんな話をしているうちに、マンナンは外崎に近づいて行っていきなり右手を差し出した。ちょっと戸惑うようにして外崎は握手に応じて何かを言った。マンナンより10センチほども背の高い外崎は彼の肩幅の広さや腕の太さと胸の厚みに驚いたような反応をした。外崎は身長こそ高いが肩幅や腕の太さ、足の筋肉などはマンナンに比べるほどもない。右手を握ったまま左手で外崎の肩を軽くたたきながらマンナンは初対面とは思えないような態度で話し続けている。
「おいー! ホントにあいつ……ウワサ本当だなー! あれじゃどっちがランキング一位かわからんべや!」
タクはちょっとばかり尊敬したような眼をしている。こんな強引なやつなんか見たことないに違いない。
「ほら!健太郎……、あーっ、避けてる避けてる……」
外崎と話すマンナンのすぐ横をジョギングしていた中川健太郎は、そこにいるのがマンナンだと気づくや否やレーンを大きく外れて内側を走り出したのだ。
「大嫌いなマンナンだからな」
健太郎に気づいたマンナンが何かを話しかけたが、気づかないふりの健太郎はそのままちょっとスピードを上げ加減に走り続けた。
「いやいやー野田……ああ、ノダケンよ。あいつ大したことねえかもよー……」
戻ってきたマンナンは芝生の上に置いてあったジャージを拾い上げて肩にはおった。細く揃えてカットした眉毛がツーブロックの短く刈り上げた髪とマッチしている。ちょっとやばそうなヤツにしか見えない。全く知らないヤツなのに、ゴツイ上半身を見せびらかすようにしたこいつに馴れ馴れしく話しかけられたら、誰だって普通の気持ちではいられないはずだ。
「なんちゅうかよ、上品なボクちゃんって感じでよ、ビビった言葉しか返ってこないんだわ。だから、ちょっとよ強めにアッピールしてきたから」
「アッピールってお前、アピールだろ」
「どっちでもいいって、伝わりゃいいべや。大事なのはよ、試合やる前にあいつに必要以上に意識させることよ」
野田タクはますますマンナンの強引さに惹きつけられていった。
「で、何をアピールしたって?」
それまでより落ち着いたような、低く冷静な言い方になったノダケンの変化にマンナンは敏感に反応した。
「うん、うん、まずよ握手したらさ、手が弱いんだ」
「手が弱い?」
「おお、握手のなグリップが弱い!」
「グリップ?」
「どら、お前はどうだ……」
マンナンは野田タクの手を握ると力いっぱい握りしめた。
「イテー!! イテーよお前! なんちゅう力なのよ!」
「お前も弱い。握手の時はよ、もっと強く握れよ」
「ノダ…ノダケン、お前は?」
マンナンの手は大きくてゴツかった。指の関節が堅い木の節のように思えた。
「おうっ!さすがにいいグリップだ!」
「で、外崎になんて言った?」
ノダケンがさらに強く握り返すと、マンナンはニヤリと笑って目を下に向けた。そして、顔を上げると彼の方もさらに強く手を握ってからようやっと手を離した。
「まずよ、俺は去年も全国大会に出て優勝した島本と握手したんだ、と言ってやった」
「ほー、それはなかなかの『アッピール』だな」
静かにそう言ったノダケンの低い声に、マンナンは試合の時に見せる野田賢治の冷静な様子を思い出していた。
「そしてよ、高校記録出した時の天気と風について聞いた。それから、オレとお前の北海道大会の時の様子をな、ちょっと盛って話してやった」
「盛る必要なんかあったのか。なんて言ったのよ?」
「函館に比べたらよ、ここは気温も高いしグランドも新しいから記録出そうだなって。そしたらよ、あいつもお前のこと聞いて来たから、いつもの調子じゃなかったみたいだ。しかも天気も良くなくて、俺もお前も向かい風で苦労したって」
「全然違うじゃんか。ちょっと盛ったって言うより脅してきたって感じだな!」
マンナンは野田タクのその言葉に再びニヤリと笑い、顔の前で親指を立てて見せた。
「やっぱりよー、ランキング三位ってことでお前の名前は知ってたわ。だからこれでよ、ますます意識し始めたんでねえか」
「ふんっ」と鼻を鳴らしたマンナンは上機嫌だった。
「ああ、それからな、俺は砲丸が得意だし、お前のスプリントと幅跳びはスゲエゾって……最後に付け加えてきたわ」
「へっ、余計なことを」
「まあそう言うな。きっとあいつはよ、試合の時に目いっぱいお前のことを意識するはずだ。チャンスはあるぜ!」
「……そうか。で、お前はどうするんだ?」
「当然、お前らが意識しあって自滅する間にスルスルって抜け出してよ……『リョウフノリ』ってのを狙うにきまってるべさ!」
「『漁夫の利(ギョフノリ)』だろう!」
タクが楽しそうだ。笑ってる。もうほとんど目がなくなりそうだ。
「うんっ!『リョウフ』って読むんじゃねえのか?」
「そっか、ありがたいね。そこまで期待してもらったらコッチもやりやすい。まあ、二年連続全国出場のお前に勝てるように全力出すからな。外崎をやっつけようぜ」
「おおっ、そうよ。そう言ってくれないと面白くねえぜ! 大会初日からスタートだからな。やってやろうぜ!」
マンナンは上機嫌で千歳体育の仲間のところへ戻っていった。その後ろ姿の背中にもやっぱり見事な筋肉を背負っていた。
「いやー、あんなヤツがいるんだー! すげーよなー。良いか悪いかわかんねえけど、あそこまでやれるんだもの! いやー、なー……」
タクは本心から感心している様子だ。今まで彼の周りにはマンナンのような奴は存在しなかったはずだから、タクが惹かれるのもわかる気がした。
「あいつがさ、健太郎とか山野なんかと同じ学校だったとは思えないよなー。南ヶ丘であんなの見たことない」
「いや逆にさ、南ヶ丘の方が普通じゃないのかもよ」
「うん?」
「マンナンみたいなやつもいて当たり前だと思わないとさ……、南ヶ丘ってさ、恵まれすぎてるから。そういう人たちばっかり集まって来ているみたいに思うけど」
「そうか?いろんな変な奴もいると思うけど」
「でもさ、みんな目がちゃんと前に向いてるだろ。現実わかってる人たちばっかりだろ。みんな頭いいからいろんな知識とか情報とか、誰よりも持ってるだろ。そしてそういう人達が集まって競ってる学校だから……マンナンみたいに力づくで突破しようってヤツなんか見ないだろ。アイツみたいなやつが一緒にいるのが普通、だと思うぞ」
「そっか、そうかもな……」
「マンナン。帰った?」
近づいて来た中川健太郎の第一声がそれだった。額に少しだけ汗がにじんでいる。
「いい感じの走路。ポカリとここ同じタータンやりやすい。厚別より軟いかも」
「健太郎。もっと言葉繋げようや。なんか、接続語とか接続助詞とか使えよー!テストの時ちゃんとできてるだろ。なんでしゃべるとそうなのさ?おかしいだろ!」
「ねえ!マンナン何してたの?」
マンナンの強さに圧倒されたタクが、健太郎に八つ当たりしたような言い方をしているすぐ後ろから、山野紗季と川合智子が声をかけた。
「もーねー、すっごい馴れ馴れしいしゃべり方してたよ。あの人、うん? マンナン?」
「確かあれだよね、八種で高校記録更新した奈良の外崎って選手だよね。マンナンよりはるかに背高いよ!」
「196センチ。外崎高大(とのさきたかひろ)。名前もおっきい」
「さっすがー、よく覚えてるわ。健太郎は記憶力だけはすごいね。小学校の時から暗記と数字には強いもんね」
山野紗季が健太郎を褒めた。他の四人は初めてそんな場面に居合わせたような気がして互いに顔を見合わせた。
「マンナンもさ、しっかり道産子としてのプライドや意地を持ってここまでやって来たってことをね、伝えたかったみたいだ」
まだ興奮を隠せないでいるタクがノダケンに続いた。
「外崎をさ、ノダケンと二人でやっつける相談してたんだわ。そんでさ、外崎にプレッシャー掛けに行ったんだよアイツ。すんげーヤツだわ!」
「プレッシャー? 外崎さんってランキング一位の高校記録保持者なのに?」
「それ、マンナン。いつものこと」
「あの人ねー、ただでさえ怖い顔してるのに、なんでわざわざ眉毛細くしてツーブロックなんかにするかなー!……なんか、道産子のプライドってより、かえってこっちの方が恥ずかしい気がしちゃう」
山野紗季は本当に嫌な顔をして目をさらに細めた。唇に力が入りとんがって見えるのは怒った時の彼女の表情だ。
「そんなことはないぞ。あいつも、めいっぱい強がって自分を奮い立たせてるんだと思うよ。冷静に記録だけ比べれば敵いっこないのわかってるのに、気持ちで負けないように突っ張って来たんだ。大したもんだよ……」
「オレもそう思う。アイツ見た目はホント嫌だけどよ、本気でやってやろうという気持ちはすごく伝わって来たもの。オレはかっこいいと思ったぜ」
「そうねー、タックンとは全く違うもんねー」
「あー、それって山野、褒めた? いや、馬鹿にしてるんだろ!」
「マンナン。信じられないヤツ」
「中川君、まだ中学の時のこと忘れられないんだよね」
「まーさっ、あいつはあいつの思った通りにやる。オレたちも自分の思った通りにやり切る。それでいいんじゃないですか」
野田タクがなんだか吹っ切れたような言い方をした。グラウンドに入って来た時の緊張が和らいできたような表情をしている。
初めての全国大会をまじかに控え、徳島までやって来た彼ら五人は今新たに自分たちの力を試す場所にいることを実感し始めていた。
「よし、タク走りに行こうぜ!」
野田兄弟と呼ばれることもあるこの二人が走り出すと、山野紗季と川合智子もそれに続いた。もう十分に走っていた中川健太郎は両手両足を大きく広げて芝生に寝転がった。そして、真っ白な雲が所々に浮かぶ空を見上げ、真夏の強烈な太陽光を飲み込んでやろうと大きく口を開けた。
8月1日。全国大会を二日後に控えた南ヶ丘高校陸上部の五人には、真夏の四国をしっかりと記憶に残してくれそうな強い陽光が容赦なく降り注いでいた。
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