第17話 第二部~野分の朝(あした)~ 1・野田謙蔵

<第一部のあらすじ>

 野球少年だった野田賢治は家庭での居場所を見つけられずに祖父母と一緒に暮らしていたが、札幌の南ヶ丘高校に「まぐれ」で合格してしまう。そして、それまで夢中になっていた野球をやめ「自分だけの時間」を求めて陸上部に入部することにした。札幌の高校で埋没してしまうことなく生きていこうとする野田賢治は、制服のないこの学校に「学生服」を着て登校する。陸上部の沼田先生とその妻である清嶺高校の上野先生の指導を受けて混成競技に挑戦することになった彼は、次第に周りも驚くような力を発揮し始めた。優秀な周りの生徒から刺激を受けながら、そして異質な存在である彼の方も周りに大きな影響を及ぼしながら互いを深める時間を送っていた。

 そして……野田賢治の知られていなかった部分が、次第に明らかになっていく……。


 第二部 1・野田謙蔵


 中川健太郎と二人で山鼻整形外科医院に行くことになった。受診するわけではない。昼食に招かれたのだ。全市大会の会場となった厚別競技場まで一緒に行ったことをきっかけに、健太郎と一緒に行動することが多くなっていた。

今日は、全道大会前の一段落の頃を見計らって、ということで山野兄姉の父親である山鼻外科医院院長が招待してくれたのだ。


入院施設を併設し、年中病院から離れることのできない院長は、職員の家族や子供たちのために庭でバーベキューをするのを恒例行事にした。中川健太郎は小学校の頃から何度も招待されているらしく、丹野のばあさんは中川内科胃腸科医院と山鼻整形外科医院とが昔から仲の良い間柄にあることを何度も何度も話してくれた。

「内科と外科でうまくいっているのですよぉ。そのうちぃ総合病院になるかもしれないわよねぇ」という話までを何時もの様にたっぷりと時間をかけて丁寧に話して聞かせてくれた。


山野院長は小柄だがガッチリとした体躯を持ち、太くまっすぐな眉に子供たちと同じ切れ長の目をしていた。

「外科医は判断力と度胸が大切ですぅ。山野さんの院長にはそれがあるからぁ外科として成功してるんですよぉ」

というのが丹野のばあさんの評価だ。

「院長は九州の人だからぁ、肝が据わってるんですよぉ」

という発言も、彼女の天孫降臨以来の日本人論に近い判断のようだ。

「所詮、北海道は蝦夷の国なのだからぁ……」

そんな言葉がいつか彼女の口から出てくるんじゃないだろうかと思っている。


「おおっ、健太郎、まーた背伸びたな。80超えたか?」

近づいてきた山野院長は中川健太郎の肉親のような言い方をした。

「……うん……」

健太郎がちょっとだけ頭を下げた。

「君が、野田くん?」

「はい、お邪魔してます。今日はごちそうになります」

「ほー、行儀良いね。丹野さんにしっかりと躾けられてるのかな」

「はい、もー、たっぷりと」

「ふふふ、そうだろうね。孫ができたみたいで丹野さんも嬉しいだろうね。で……君は『ノダケン』と呼ばれてると聞いたけど?」

「なんか、そうみたいです」

「岩内だって?」

「はい」

「岩内で『ノダケン』と言ったら、野田謙蔵さんのことじゃないのかい?」

「それは僕の祖父のことです」

「そう、やっぱり! そうかい!」

「知ってるんですか?」


「うちの祖父がお世話になったことがあるらしい。もうずいぶん前に死んだけどね」

「船ですか?」

「いや、炭鉱さ」

「炭鉱?」

「正確に言えば、野田謙蔵さんのお父さん。君にとっては曾祖父に当たる人なんだろうけど、野田謙輔さんに命を助けてもらったらしい。」

「ひい爺さんですか。ひい爺さんは岩内の網元だったはずです」

「そう! その網元の野田謙輔さんと君のお祖父さんの野田謙蔵さんが、うちの祖父の命を救ってくれたんだよ!」  


「丹野さんから、山野さんの家は九州の出身だと聞いてたんですけど」

「そう。そうなんだ。筑豊でね、炭鉱にいたんだ。聞いたことあるだろ、筑豊炭田。そこからね、いろいろまずいことがあって、北炭夕張に流れてきた。当時の炭鉱にはいろんな手を使って金を巻き上げるやつらが入り込んでいたんだな。」

「夕張ですか?」

「そう、うちの祖父はそんなのに引っかかって、筑豊から逃げてきたんだけど、やっぱりこっちでも同じで、生きるの死ぬのって場面になっちまったんだとさ。そして、その時、ノダケンさんとその父親、つまり君のお祖父さんとひい祖父さんに助けられたんだそうだ。」

「でも、夕張じゃ……」

「そう、そうなんだよ。そんなこんなでさ夕張からね、岩内まで逃げたらしいんだ。当時は岩内まで汽車走ってたからね。当時の網元って言ったら、やくざものより力が強かったそうだから、何等かの手を打ってくれたんだな。だから、きっと全道的にも顔が売れてたんだろうね。それでも、相手だってただで済ませるわけはないから、それなりの出費もあったんだろう。そうして、うちの祖父は命を拾ってもらった。だから命の恩人と言うことになるし、私自身もそういう助けがあったからこそ生まれてきたわけだ。すごいことだよね。でね、うちの「憲輔」は君のひい祖父さんの名前と同じだろう。祖父がどうしてもって、つけさせてもらったんだ」

「……そうなんですか」


山野院長の話は面白がらせようとか、場を盛り上げようとか、そんな感じの話し方ではなかった。

「謙蔵さんは、今は?」

「……祖父さんはもうあんまり長くは生きられないようです。」

「検査したのかい?」

「2年前から、何度か手術を繰り返しています」

「癌か?」

「去年は腎臓を摘出してます。」

「胃は?」

「膀胱らしいです」

「そうか?」

山野院長は何かを計算するような目をした。


「君のお父さんは同居してるのかな?」

「いや、親父は別のところで」

「一緒にいるのはおばあさんだけ?」

「週に何回か家政婦の人が来るみたいですけど」

「どこの病院で手術したかわかる?」

「小樽病院でした」

「第1病院?」

「はい」

「そうか。……でも、元々が強い人だと聞いているから、そう簡単に病気には負けないはずだな。そのうちちょっと挨拶に行ってみるよ」

「……」


厚別競技場での全市大会が終わった日に継母からもらった連絡のあと、祖母に電話を掛けた。祖母はいつもと変わらないのんびりとしたしゃべり方だった。


「なーんもー、心配することなんかねえって。じいちゃんなんかよ、いっつも通り。三食ともぺろっとご飯食べきってるし、顔も自分で洗って、病院の中をさ暇そうにぶらぶら歩きまわってるから、まだそんなに急いで逝くわけねえからな……。病院の中にいたってさ、入院してんのはみんな昔の仲間ばっかしだからさ、なんも寂しいことねえしよ……」

いつもと変わらないのんびりとした祖母の話し方が、何かかえって不自然に感じられた。それでも、今自分が見舞いに行くなんてことを祖父も祖母も望んでいない、と暗に言っていることは伝わってきた。競技の結果を聞いて喜んでいた祖母は、祖父にそのことを何度も話して聞かせるに違いなかった。

顔を見せに行くよりも、自分が頑張っていることをこうやって間接的に聞くことの方を祖父も望んでいるはずだ。そう自分自身に言い聞かせて電話を切ったのだった。


山野医院での昼食会は職員も家族も一緒になって楽しい雰囲気のまま終わった。僕の中では、自分の知らないことばかりを知らされる日となった。「ノダケン」という名前は岩内だけでなくいろいろなところでその力を発揮していたことを知った。祖父だけでなく曾祖父もが「ノダケン」として、他人の生き死にまで関わる力を持っていたことを知った。自分の家の持つ力が、実は今も自分の生活に大きな影響を与え、自分の生活を作ってくれていることを知った。

自分は、実は何もできずに誰かの手の中で走り回っていたのだ。1人でアパート暮らしをするつもりだなど、思い上がりも甚だしく、自分の知らないところでちゃんと大人たちが準備してくれていることを知らないまま生きていただけなのだ。

陸上の大会でどんなにすばらしい結果を出したとしても、それは生活を支えてくれていた祖父やその他の自分を取り巻く大人たちのおかげでしかないのだ。自分の力なんてまだほんのちっぽけなものでしかなく、彼らが作ってきた歴史や人脈に比べられるものではなかった。結局、今、自分がこの場所で楽しくしていられるのも祖父や曾祖父の築いてきた信用の上に成り立っていたのだ。自分自身の手で勝ち取ったものなど何一つ存在しないのだった。


「野田」

ハーフパンツにポロシャツ姿の憲輔さんが現れた。さっきまでとは違う格好に着替えていた。ちょっと大人っぽく見える。

「親父の話なんか半分は作り話だからな、本気にしてもだめだぞ」

鼻の下に少し髭を生やした憲輔さんは学校の先輩というより、親戚のおじさんのような話しっぷりだった。


「うちの祖父の話は本当のようです」

「いやいや、それはな、親父の祖父さんの伝説みたいなものなんだ」

「伝説ですか」

「そう、筑豊からやってきたなんてのも、本当かどうかわからないらしい。それに、何の理由で生き死にの場面になったのかも、あとから脚色したことが多いみたいだぞ。親父が言っていることと、おじさんたちが言ってることはだいぶ食い違ってるみたいだし……。あんまり信じすぎないことだ」


「うちの祖父と曽祖父がノダケンと呼ばれていたのは確かなことです」

「『ノダケン』さんは確かに関わっているらしいけど、勝手に良いように名前を使わせてもらってるだけじゃないのかなあ。あの親父を見てたらわかるけど、ひい爺さんだってそんなに劇的な人生送ってるようには思えないんだ。結構良いとこのせがれでさ、山野の家に婿として入ってきたらしいからな」

「うちの祖父や曾祖父が関係していることは間違いないみたいです」

「あー、そうだよなー。おまえんとことうちとが古くから縁があったってことは確かだからな。なんかよ、不思議な縁があるもんだな……、古い言い方だとさ『世間は狭い』って言う人もいるんだろうけどよ、なんか、ちょっと予想できねえよな。不思議なもんだよな……」


「野田君の家、網元だったんだって?」

沙希がやって来てそう聞いた。

「いやー、それはもう昔々の話で、祖父の時代に水産加工の会社に変わったようです。」

「網元っていったら、地主みたいなもんでしょ。かなり有名な家だったんだ」

「いやー、岩内の網元はあまり大きくなくって、かえって、岩内以外の今じゃ小さな町になってしまったところにあった網元の方が大きくて有名だったらしいです。もちろん小樽とかの大名のような網元とは比べられないし、余市の福原さんや、そのほか積丹半島にあった網元たちや寿都や歌棄の網元たちはソーラン節なんかにも歌われるくらいの力があったらしいです。」

「福原さんって聞いたことあるな。寿都とか歌棄ってのも有名だよな」

憲輔さんの言葉にすかさず紗季が付け加えた。


「おかあさんがいた頃、余市に見学に行ったことあったよ。ニシン漁の写真いっぱい飾ってあったんじゃないかなあ。ほら、あの木でできたリュック? 背負子って言ったっけ? ん、ああっ、『モッコ』って言ってたよ、確か」

「ああ、そうだそうだ。紗季はよく覚えてんなそんなことまで。そう言えば白黒の写真がいっぱいあってさ、女の人たちがそれにニシン入れて運んでたよな」


「余市の方がニシン漁は岩内よりもっと大々的にやっていたみたいですから。そっちの家は本物の実力者だけど、うちは網元って言っても岩内の中だけ。岩内はどっちかって言うと、もともと漁よりも加工の方が中心だったそうだから、うちの場合はニシン漁で大々的に力を発揮してたっていうより町の有力者だったということらしいです。ただ、岩内って町は港も大きかったし、鉄道もあったから、お祭りだとか興業なんかが結構多くて、そっちの面では顔役だったみたいです。だから、漁業以外の力関係の調整役としてはずいぶん大きな力を持ってたみたいですよ。もしかすると、やくざとは言わないけど、それに近い組織だったかもしれないです。そっちの方にはずいぶん顔が利いたみたいだから。」


「どうりで、おまえはその血をしっかり引いてるわけだ」

「いや! やくざじゃないですよ!」

「そうじゃなくて、度胸があるってことさ」

ペットボトルをぶら下げた中川健太郎を「健太郎」と呼び留めたのは沙希だった。

「健太郎、全市の決勝で負けた理由考えた」


中川健太郎は全市大会の決勝で目の前の三人グループを抜けば3位入賞というところまでいったのだが、結局1メートル前の三人が抜けなくて、表彰台を逃していた。

「どうしてあんな目の前にいる相手を抜こうとしないかな! 何とでもなったでしょう!」

「いや、あそこまで、めいっぱい」

「うそだよ。気持ち次第であんなの1メートルもなかったでしょう」

「無理」

「そこが健太郎のだめなとこだよね!きっと計算してたって言いたいんでしょうけど、計算じゃ解決できないことだってあるでしょ。99パーセントの力使い尽くしたって、残り1パーセントは気持ち次第でなんとでもなるでしょう」

「自分の力、自分が1番わかる。限界」

「たまには限界以上にチャレンジしてみれば。いつもいつも、安全圏ばかりにいたら相変わらずのひ弱なお坊ちゃまにしかなれないでしょ。」

「健太郎の生き方ってのもあるんだから良いじゃないか。沙希とは違うんだから」

「違うから気になるんじゃない!」

山野沙希が僕の方を見て言った。

「そうでしょ、野田君だったら、後先考えたりしないで絶対抜いてしまうよね」

山野兄弟と健太郎とはずいぶんと前から親戚づきあいのような関係にあるらしい。小学校も中学校も同じで、義務教育9年間のうち5回も同級生だったのだという。だから、こんな会話はいつものことなのだ。


「僕は、あんまり考えてないから。その時の感覚次第で、あんまりわかってないんです」

「野田、おまえ逆立ち得意だったよな。」

「いや得意ってわけじゃないですけど、人以上にはできるはずです」

「健太郎は? 逆立ちしたことあるか?」

「ない」

「1度も?」

「うん」

「やってみようと思ったことは?」

「ない」

「できないことが悔しいと思ったことない?」

「できない、ものは、しょうがない」

「やってみなきゃわかんないでしょ」


「野田、おまえ健太郎に逆立ちの仕方教えてやってくれ」

「やり方も何もないですよ。練習すればできるようになるもんです。教えるようなことじゃないですよ」

「いや、それはねおまえ、それこそできるやつの言葉でな、できない俺たちにはよ、とっても馬鹿にされた気持ちになるんだって」

「いや、そういう意味じゃないんですけど……」

「うまくできるようになるためのポイントってあるだろうやっぱり」

「あるかなあ。それより、腕立て何回できる?」

「……10回くらい」

「まさか。20や30くらいいくだろう!」

「いかない」

「やろうとしなきゃいかないよ。私だって30くらいはできるよ」


「そーだなー、壁の前でさ、そのー、壁に足つけて、手のひらをべったり地面に吸い付けるようにして倒立するんだ。そして、だんだん壁に近づいていって、壁と平行くらいになるように倒立できれば、そのうちに足も離せるし、歩けるようになるよ。ポイントは肩を入れるってことかな」

「肩を入れるって?」

彼女は専門的なことや独特な用語にはすぐに反応する。

「うーん、うまく説明できないけど、腕と肩が一直線になるっていうか、体重がしっかり両肩に乗ってしまえばコントロールできる」

「何で、逆立ちなのさ」

健太郎はいやな顔をしどうしだ。

「体全体のバランスさ」

憲輔の言葉に沙希がうなずいた。

「良いよ、そんなの」


「健太郎は自分がやろうと思ったこと以外でも努力し始めたら、なんでも強くなると思う。けどおまえは、自分で考えたこと以外はやろうとしないからな」

「野田は、パワーで。僕は、計算で。それで良い」

「そんなことないって、計算されないことをやってみるから新しいことができるようになるんだし、発見だってあるだろう。おまえのは、実証検分ばっかりじゃないか。挑戦はないのか」

「できることを繰り返してると、そのうち、できないこともできるようになる」

「あと少しで表彰台ってわかってたのに、どうして抜こうとしなかったの?」

沙希がまたその話で健太郎を問い詰めた。


「抜けない、と思った」

「どうして抜けないと思った?」

「計算、できなかった」

「なんの計算? ラップの数字?」

「沙希、もうやめろ。1番悔しいのは健太郎なんだ。」

「そう?」

「そうだ。お前だって悔しかったから、そんなにしつこく言うんだろう? それはみんなわかってるから。お前たちはまだ1年生なんだし、これだけの成績残してることの方が不思議なんだぞ。」


「だって、表彰台に乗れるか乗れないかじゃ、全然価値が違うよ」

「大迫と3年間一緒に陸上やって来て、俺は1度も表彰台には届かなかった。大迫は毎回表彰台のてっぺんに立つし、全国大会にも出場してる。悔しいけどそれだけじゃない。沙希に言わせるときっと、負け惜しみみたいにとってしまうだろうけど、そうでもないんだ」

「……」

「大迫勇也というすごい選手と三年間一緒に練習できた。そして、今年はリレーで全道大会まで出場できる。野田のようなパワフルな後輩が出来た。沙希も高校で戦えるようになってきた。那須川のように天才的なランナーとも一緒に走れたんだ。こんなすばらしい経験なんか、願っても叶わない人がほとんどなんだぞ。幸せだと思わないか?」

「……」


「僕は、わかります」

学校や競技場で見る憲輔さんからは想像できない優しさを感じて、思わず口を挟んでしまった。山野沙希は憲輔さんの優しさの中で生きてきたことがわかった。本物の兄妹という存在を知らない僕が本当にうらやましくなるのは、こうやって本気で言い合える存在がいることだった。母の違う弟と妹をかわいがる思いも、血のつながりを大切にする気持も強くあるけれど、一緒に生活すると距離の違いがどうしても大きな壁になってしまっていた。小学校に入学したばかりの弟とまだ四歳の妹になにが話せるだろうか。


山野沙希が、これまで誰よりも強気で負けず嫌いを通してこられたのも、憲輔という兄の存在があるからだろう。なんにでも疑問を感じては自分の思いをぶつけている女の子を創り上げたのは、最後にはちゃんとフォローしてくれる兄、憲輔だったに違いない。自分は、弟や妹に対してこんな素敵な存在になれはしないだろう。


丹野のばあさんが語った長い話はその日の夕食後のことだった。


山野紗季と憲輔兄妹の母は交通事故で亡くなっていたのだ。

兄の憲輔が小学校の修学旅行に出かけ、小学校4年生の妹紗希は授業中の出来事だった。兄弟の祖母に当たる義母を乗せてバラ園に出かけた帰り道だったという。嫁と姑という関係にもかかわらず本当の母娘以上に仲の良かった二人は一緒に出掛けることが多く、病院を空けられない夫に代わって、なんでも一緒に行動するような本当にやさしい嫁だったのだと、丹野のばあさんは涙ぐんでいた。

旅行先の旭山動物園で事故を知らされた憲輔は、札幌へ向かう車の中で付き添いの先生が何とか気を晴らそうといろいろなことを話しかけても一言も言葉を発しなかった。授業中に知らせを受けて病院に向かった紗希は、すでに顔に白い布をかぶせられた母と祖母を見ることもできず、うなだれている父の背中を見つめて泣き続けていたという。


藻岩山の麓を回る環状線を走行中に、緩い右カーブを曲がり切れずに中央車線をはみだしてきたコンテナ車が二人を乗せた乗用車に衝突したのだ。足の悪かった義母が乗り降りしやすいようにと選んだ小型のワンボックスカーは、コンテナ車の重量を受け止められずに原形をとどめないほどの大破だった。

それから6年がたつ。山野兄弟は優しさに満ちた母親と祖母への思いを誰にも話すことなく、自分たちでなんでも解決してきたのだという。父親の山野院長は、事故のあった日と同じく患者への対応と病院経営に没頭していた。二人の兄弟たちは、そんな父の負担にならないことを考えて自分たちだけですべてのことを解決してきたのだ。再婚を勧める人も多かったのだが山野院長は全くそんなことを考えなかった。病院のスタッフの間でも、近所の住民の間でも、二人の兄妹の強さが大きく話題になっていたのだという。


山野憲輔の妹を第一に考える気持ちと、負けないことを自分に命じて生きているような山野紗希の姿が想像できた。そして、二人とも南ヶ丘に進学した。


珍しく食後の片付けをすることもなく話し続ける丹野のばあさんは目に涙をためている。

「あの日にね、私が一緒に行っていればぁ、何もなかったかもしれないんですぅ。それがね、もう残念で残念で、もう、忘れられません……」

あの日仲の良かった山野さんの祖母に誘われ、丹野さんも車に同乗する予定だった。ところが前の日に腰を痛めて動けなくなってしまったのだという。そして、その日山野兄弟の母は丹野さんを病院まで運んだ後にバラ園へと出かけたのだ。もしも病院に寄らずに予定通りの時間に出発していたら、この事故は起こらなかった。事故が起きた時、丹野さんは山鼻整形外科で治療を受けていたのだ。そして事故車の中から丹野さんに買った土産の品が見つかった。丹野さんは今でも、自分が起こしてしまった事故だと思っている。


毎朝ローソクを灯し線香をあげるのを欠かさない丹野家の仏壇には、ご主人の遺影だけでなく、年配の女性とその娘と思われる小さな写真が飾られている。それは山野兄妹の祖母と母のものだったのだ。


大人だろうと子供だろうと、誰もが悲しみを抱えて生きている。ただ、そのことを語ろうとする人は少なく、軽々しく表に出す人はいない。そして、皆その悲しみを忘れることなどなく、悲しみの上にちゃんと立ち上がって今を生きているのだ。

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