第6話 第一部 6・足跡
「お前達はまだまっすぐ歩けないだろう」
最近、沼田先生の話が多くなった。
「この前の記録会からわかったことは、お前達は運動選手としての基礎が全くできていないということだ」
こうやって、練習が始まる前に話をするなんてことは、去年まではあまりなかったことなのだという。
「お前たちには、走ることより、まずは歩くことの練習が必要だな」
「先生、競歩じゃないんっすから」
坪内さんが冗談でその場の雰囲気を和らげようとしたが、失敗してしまった。沼田先生は全くそれに反応しないでグラウンドに引かれた白線を指さして言った。
「ノダ、タクの方だ。おまえこの上歩いてみな」
「はいっ?」
「この線の上をまっすぐ歩いてみろっての」
野田琢磨は沼田先生の言葉の強さが今までと違うことに気づき、50メートルラインまで一本だけ引かれた白線の上に立った。スタートの練習や50メートルのタイムトライアルに使うために、普段は5本のラインが引かれる。そして、白線を踏まないように走るのが陸上の練習なのだが、今は一本だけの白線がいつも以上にまっすぐに引かれている。
ラインカーを使って直線をまっすぐ引くことは意外と難しい。それは野球部だった頃たくさん経験した。長くなればなるほど蛇行したり、線の太さが変わったり、なかなかきれいに引けないのだ。でも、この直線は実にきれいに、太さも均一に50メートルラインまで続いていた。
歩き終わったタクの足跡が、白線上に残っていた。つま先が開き、斜めに線を引きづった跡がはっきりと見えている。
「お前はな、タク。歩くとき膝曲がったまま歩いてるぞ。踵から着地してないしな。これだとせっかく背が高くてもな、重心の低い走り方になってしまって力うまく使えないだろう」。
みんなが白線に近づいてタクの残した「歩いた跡」を検分していた。
「次。坪内、行け!」
「俺もっすか?」
一年生だけかと思っていた坪内さんは不満そうだったが。ずいぶんと慎重にゆっくりと白線に沿って歩いていた。
「さあ、よく見ろよ。踵から爪先までの角度は?」
坪内さんの足跡は、タクのものよりもっと爪先が外側に開いていた。
「お前、足の大きさは?」
「25.5ですけど?」
「ちっちぇー!」
何人かの先輩達が言った。
「タクは?」
「27.5です」
「オー」という声が上がったが、タクの身長から考えて当然だろうなという意味の響きだった。
沼田先生がメジャーで二人の足跡を測り始めた。
「いいか、タクの踵から爪先までをな、進行方向に真っ直ぐに測るぞ。20と、4㎝だな」
靴の大きさより3センチ以上短い。
「さあ、この3センチの差! お前は100m走るのに何歩で走る?」
誰も自分の100mの歩数なんて考えたことはなかった。
「たぶん、55歩とかだろうから、3㎝かける55は……」
「165㎝です!」
野田タクが素早く反応した。
「ということは、お前の場合は165㎝分だけ損してる。タイムにしたら、0.1とか0.2とかそんなとこかな。お前は足遅いからな」
「どういうことですか?」
こんどは坪内さんが、素早く反応した。
「まっすぐ爪先出していたらどうだってことよ」
「爪先がまっすぐだったらってことですか?」
「165㎝前に進む?」
「計算上はそうなるだろ!」
「今と同じ力でも速くゴールできるってことですね!」
「そう思わないか?」
「なるほど。一応そうなりますね」
「坪内はもっとすごいぞ」
沼田先生がメジャーを見ている。
「20.5㎝だ」
「お前、がに股なんだ!」
2年生達が喜んでいる。日頃の毒舌に対する仕返しのようだ。
「うっせーな!」
「坪内は、ピッチ走法なんだから、60歩近くだろ。そうするとさ」
「2m50くらいですね」
野田タクが喜びを隠さずに言った。
「すげーな、おい」
「足、まっすぐ付くだけで2m50㎝速くゴールできるんですか!?」
ただでさえ大きな坪内さんの声が最大級になった。
「だから、いいか。陸上というのはそういうことまで考えて取り組むもんなんだ。漫然と日頃のスプリントトレーニングやってるだけじゃなくって、歩き方とか、動き方そのものから自分を鍛えなきゃならんと言うことさ」
沼田先生がこんなに細かな話をするのは初めてだった。
「例えばな、学校の廊下にタイルの継ぎ目があって、線がつながって見えるだろ。それを利用したってな、自分がまっすぐ歩こうとしたらいつでも練習できる。練習はグラウンドだけでやるもんじゃないってことよ」
「先生、現役時代やってたんですか?」
坪内さんの反論が始まった。
「あのな、南部忠平さん。知ってるだろ。幅跳びの」
「円山競技場の南部ポールのですか?」
川相智子はいつもそのポールの前でアップしていた。
「そう。あの人はもう今から70年も80年も前の人だけど、北海道の大先輩だろ。あの人達なんかさ、ジャンプ力つけるのにな、自分のアキレス腱を短くしようと頑張ってたくらいでさ、電車に乗ってもずっとつま先立ちしてたらしいし、坂道ダッシュとか砂浜ランニングとか、いろんなアイディア組み合わせて強くなったってよ。なんたって、オリンピックで金メダル取ったり、世界記録作ったりしたんだからな」
「世界記録出したんですか?」
「幅跳びの7m98㎝ですよね」
また川相智子が答えた。
「そう、田島直人さんだって三段跳びで16mの世界記録作ったんだからな」
「日本人が、道産子が世界記録作ったんですか?!」
僕らにとっては、陸上の世界で日本人が、しかも北海道の先輩たちがそんなに活躍してたなんて思いもしないことだった。
「お前達な、もっと記録に対しての知識とか歴史とか勉強しな。勉強じゃ他の学校に負けてないんだろ」
本当に一流になった人たちの独自の練習方法とか、練習に対する意識の違いは野球をやっていた頃にたくさん聞いたことがあった。王貞治さんの日本刀を使った素振りはその代表的なものだったし、長島さんが箱根の山ごもりで体を鍛えたことや、鉄腕と呼ばれた稲尾和久さんは小さい頃から父親と一緒に乗っていた小舟をこいだことでバランス感覚や体の力を培ったことなどたくさんの実例があった。
沼田先生は直線をまっすぐに歩くことで、一歩につき1センチの利と力説した。このわずかなプラスの積み重ねを得ようとするのが陸上なのだ。いや、陸上だけじゃなく、他のスポーツだって多かれ少なかれ似たことはあるはずで、毎日の積み重ねの中に、こんなふうにわずかなプラスが存在しているはずなのだ。まして、走ることはすべての競技の基本なのだ。
「だから、いいか、これからお前達は、どんなに小さなことでも自分を鍛えられることをいつでも意識してやって行きなさい」
沼田先生が強制的に生徒に言うことはほとんどなかったのだが、春季記録会が終わってからはそうではなかった。
沼田先生の練習方法が変わった。
1年生に対して新しいやり方をしているのだという。3年生は残り三ヶ月を自分のやり方で通すのに対して、1、2年生は体力的な弱さを改善させたいのだという。南が丘の生徒は中学まで勉強にかけてきた時間が非常に長い。他のスポーツが盛んな私立高校に比べると二倍も三倍もの時間になるという。とすれば、いきおい体を動かしてきた時間、運動に費やしてきた時間は短い。
陸上という競技の特殊性から、初期のころだと一つの競技に特化してしまうと、他の動きはできなくとも記録を伸ばすことができる。
例えば、走り高跳びなどは自分の持っているジャンプ力と体重の軽さだけで勝負できていた。ただしそれは、中学の段階までで、それ以上の段階になってからはトレーニングを積み重ねるしかない。学校の運動会で足の速いやつや、より高く跳べるやつがそのまま試合に出て、持っていた能力だけで成功した人たちが多いのだ。もちろん、山野紗希のように全国大会まで進んだ運動のエリートもいる。だが、中学の陸上はどちらかといえば練習しなくても結果を出せるスポーツだったと言えなくもない。
高校になると積み上げた練習の成果は大きな差となって現れ、その最も大きな差は一人一人の体力の差となって現れる。南ヶ丘高校陸上部では、本格的な部活動のためにまずは体力づくり、そして動きの基本を徹底させて、自分の体に正しい動きを身に着けさせることが必要なのだ。沼田先生はそう考えているのだと、マネージャーの山口さんがいつものように丁寧に教えてくれた。
次の日はそのことを自分の口ではっきりと伝えていた。
「ちょっとな、おまえ達の基礎体力のなさが気になる」
「なんのことっすか」
坪内さんの反応がやたらと速い。頭の回転が僕らより速いのか、考える前に口に出てしまうのか。多分その両方に違いない。
「おまえたちさ、縄跳び何回できる?」
「なんっすか、いきなり」
「いいから、何回できる?」
「先生、そんなのみんな数えたことないですよ普通」
1、2年生とは別メニューで、ハードルを並べていた三年の山野憲輔さんが少しあきれたような言い方をした。
「二重跳びは? できるか?」
「そのくらいできますよ。小学校の時毎日やらされてましたから」
妹の山野紗紀が兄以上にとんがった言い方をした。
「ほら」
沼田先生が後ろに置いてあったスポーツ店のロゴが入った大きなビニール袋を開けると、カウンター付き縄跳び用の縄が幾つか出てきた。
「じゃあ、みんなでやってみようか」
沼田先生はからかうような言い方をしている。
この日は練習開始と共に縄跳び大会になった。
「二重跳び、片足跳び、ランニング縄跳び、そして両足跳び……ツーステップなんかダメだぞ。ほらボクサーがやるような片足二回ずつのリズム跳びとか、とにかくいろんな跳び方で一人2000回は跳べ。途中で止まんないでだぞ」
縄跳びは単調な今までの練習と違って楽しくできるが、2000回は半端な数ではない。
高跳び一本にかけているはずのタクがはじめにギブアップした。女の子より先にダウンしてしまったのだ。五カ所に分かれてやっても全員が跳び終わるのには一時間もかかってしまった。明日からこれをウオーミングアップに組み込んでやることになった。ちょっと面白くなってきたと僕は感じていた。
次の日は縄跳びの後、1、2年生だけを集めた。3年生には自分の競技の練習をさせている。
「逆上がりがまだ出来ないやつはどのくらいいるんだ?」
沼田先生は幅跳び用の砂場の近くにある鉄棒のところまで来るとそう聞いた。
「小学校の体育の時間にやらされたよな」
「あの、なんか変な湾曲した板みたいの使わなかった」
「公園でみんな練習してたよな」
「私たちは、できない子だけ朝練させられたよ」
みんな遠い昔のことのように話し始めた。何人かの手が上がった。その中には野田タクも入っていた。
「なんだよタク、逆上がりできねえのかよ」
坪内さんの口撃が開始された。
「いや、そんなの出来たって、なんもいいことないじゃないすか」
「それは出来ないやつのいいわけでしかありませんよ。タクちゃん」
「じゃあ坪内さんは出来んでしょうね」
「当然でしょ。逆上がりぐらい出来ないで、陸上部っていえますかって」
坪内さんは自慢げにそう言って、左端の低い鉄棒に向かった。
「いや、いやちょっと待ちな」
沼田先生が坪内さんを止め、右端にある一番高い鉄棒の下に行った。
「ここで逆上がりが出来るようになれ」
沼田先生は軽くジャンプして鉄棒にぶら下がると、そのまま両足を上げていき少し出てきたおなかをバーに引き寄せて、腕の力で自分の体をグイと持ち上げるようにして回った。そして、鉄棒の上から言った。
「こんなふうにな、ぶら下がった状態から逆上がりするんだ」
「ムリ!」
「できねー」
「体育の先生じゃないんだから」
「できっこないよ」
「ムリムリ」
誰もがそんな逆上がりをしようと思ったことはないと強く拒否した。まして、自分の背丈より高い鉄棒に触ったこともないという。
「野田。ケンのほうな。やってみろ。出来るだろう。お前は」
鉄棒は得意だった。小学校の頃は、休み時間にはいつも校庭の鉄棒で遊んでいた。みんなで競っていろんな技に挑戦した。自分が出来ない技があると悔しくてしょうがなかった。だから、家に帰る前には何度も何度も練習した。手の皮がめくれて血がにじんでも、自分が出来ないことが悔しくてしょうがなかった。だんだん握力がなくなってきて振り跳びの最中に落下して地面にたたきつけられたことも何度かあった。
「えー、やっぱお前は出来んのか」
みんなの注目の中、僕は鉄棒にぶら下がり、沼田先生がやったように静止した状態から両足を鉄棒にくっつく位置まで上げてから腕の力で体を持ち上げ、鉄棒の上からみんなを見下ろした。
「すげー」
「やっぱな」
拍手が湧いた。こんなことぐらいで拍手されるとは思っていなかった。
「さあ、出来ることがわかったんだから、お前達も練習、練習。まあ、すぐには出来ないやつが多いだろうから、ちょっと低いのでやってみな。それも難しいものは、い・ち・ば・ん低いので助走をつけてやってみようか」
沼田先生はそうやって挑発しながら楽しんでいるようだった。
それから何日かの間、陸上部員たちは砂場のあたりで小学生の頃のように鉄棒に苦しめられることになった。ほかの部活の生徒達は不思議なものを見るように遠くからそれを眺め、そして、隠すことなく笑っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます