風が蠢く家

八月朔日

第1話

『どもどもー! ホラーチャレンジャー★アッキーです! 今日はね、某県某市の中心部からちょっとだけ離れた町に来ています。歩きながら話しますね。ここはね、昔は門前町として栄えたらしいんだけど、今はもう、お寺は廃寺になっちゃって、寂れちゃったそうなんですよ。なんかねー、曰くありそうな気がするでしょ? でね、なんでアッキーがここにいるかというと……。じゃじゃーん! なんとアッキー、家を買っちゃいました! イエーイ、なんちゃって!』


 一時停止をタップして、わたしはスマホから顔を上げた。画面では、YouTuberアッキーのトレードマークである魔女の帽子をかぶった亜紀が、中古住宅の前で笑顔でポーズを決めたまま静止している。

 わたしは亜紀が配信を始めた商店街の端に立ち、彼女が動画の中で歩いていた、商店街とは反対方向への道を辿る。動画に映り込むのはガードレールと青々とした木々ばかり。家の場所の特定を避けるため、商店街や住宅が一切映らないよう細心の注意を払っていたようだ。

「なんつーか、ちょっと寂れただけの普通の町に見えますけどね」

 隣を歩く編集者の木田くんは照りつける太陽を片手で遮り、辺りを見回しながら言った。

「山間の町だって言うから涼しいと思ったのに、あんまり東京と変わらないっすね、これじゃ」

「本当にね。まだ6月に入ったばかりなのに」

 そう言って、わたしはバッグからペットボトルを取り出して水を飲んだ。

 ゆるやかな坂道を5分ほど下ると、空気が明らかに変わったのがわかった。急に涼しくなったというよりは、淀んだ不快な冷気が肌にまとわりつくようだ。そんなに坂を下ったわけではないのに、太陽は木々に遮られ、辺りは薄暗い。

 陰鬱な林に押しつぶされるようにして、あの動画で見た2階建ての家が現れた。家の周りには、かろうじて1周できるほどの狭い庭があったが、背後の木々はその庭をも侵食しようと、貪欲に長い枝を伸ばしていた。

 通りには数軒の家がまばらに建っていたが、どれも朽ちかけており、長い間誰も住んでいないようだ。

 まるで私たちが家の前に立ったことを察知したかのように、風が低く唸り始める。

「……ここですか」

 木田くんが気味悪そうに家を見上げる。突然、冷たい風が背後から吹きつけ、彼は一瞬、肩を震わせた。

「なんか、本当に出そうっすね」

 わたしは頷いた。辺りは静かすぎて、時折吹く風の音しか聞こえてこない。

 木田くんにも見えるようにスマホを持って、動画の続きを再生した。


『はーい、コメントありがとう! 【ミルキー】さん、アッキーが家を買うなんて、安定志向になったの? 【Woofie】さん、ホラーチャレンジャー辞めちゃうの? そんなコメントが流れてきていますが、どうぞご安心ください! アッキーがこの家を買ったのには理由があるのです!』

 彼女の顔がアップになって、亜紀は笑いながら指折り数え始める。

『1つ目は、東京で家賃払ってるのバカらしいから! いくらかは内緒だけど、この家めちゃくちゃ安かったんです。2つ目は、アッキーこう見えて、実は町の人と交流するの大好きなの。都会だとさ、八百屋さんで立ち話とかないじゃん。簡単に言うと、田舎の人付き合いを楽しもうと思って。そして3つ目は』

 亜紀の顔から一瞬で笑顔が消えた。人形のような無表情を装ってカメラを見つめ、彼女は冷たい声で言った。


『……この家ね、出るらしいんですよ』


◆ ◆ ◆


 『週刊レビスタ』の担当編集である木田悠太郎から電話がかかってきたのは、徹夜での原稿書きを終えて、ベッドの中で惰眠を貪っていたときだった。スマホを見ると、午前10時だ。

「あ、三恵さんですか? 原稿ありがとうございます、拝受しました! さすが三恵さん、ちょっと無理なスケジュールでも前倒しで出してくれるなんて、いやもうあなたは神ですね」

 スマホからは、いつ何どき話してもご機嫌な木田くんの声が響いてくる。普段は編集部や取材先でのムードメーカーとして重宝されている木田くんだが、寝不足の頭には、その明るい声はむしろ毒だ。

「……木田くん、わたしさ、木田くんに原稿送ったの午前5時だよね……。なんで、『早瀬はやせさんは原稿を一生懸命仕上げた直後で、まだ寝てるかも』とか思わないわけ……?」

「あー、本当だ! スミマセンでした。ところで、お願いしたい取材があるんですが、来週のスケジュールってどんな感じですか?」

 こ、こいつ……。

 わたしは諦めてのっそり起き上がった。ベッドの上であぐらをかいて、首をコキコキ鳴らす。来週の予定? スケジュール帳を見るまでもない。わたしは答えた。

「来週も再来週も、何も入ってないですよ。言ったでしょ? メインで書いてた情報誌が休刊になったって」

「ああ、そうでした。ラッキー」

 木田くんのことは嫌いではないが、たまに、本気で張り倒してやろうかと思う。

「三恵さん、たしか『ホラーチャレンジャー★アッキー』の知り合いでしたよね?」

 急に、意外な人の名前が出てきて、わたしは驚いた。

 アッキーは以前、「目指せ青田買い! ブレイク寸前インフルエンサー」特集で取材したことがあるYouTuberだ。その企画では、取材はすべてオンラインで行う予定だったが、アッキーにダイレクトメールを送ると「取材、喜んでお受けします。日時と場所をご指定ください。わたしが編集部まで行きましょうか?」と、会うことが前提の返事が来た。

 視線の合いにくいオンライン取材に少し疲れていたわたしは、アッキーの提案に乗っかり、取材場所として彼女の最寄り駅にある静かな喫茶店を指定した。

 アッキーこと野口亜紀はわたしより5歳年下で、2年前の当時で26歳。わたしたちは最初の10分で意気投合して、そのまま取材と称して3時間もおしゃべりし、その後は居酒屋になだれ込んで深夜まで一緒に飲んだ。それをきっかけに、たまにご飯に行くようになったのだ。

「友達だけど、亜紀がどうかした?」

「その様子だと、三恵さん、アッキーのYouTube見てないですね」

 そのとおりだ。わたしはあまりネット動画というものに興味がなく、それは亜紀の動画でも同じだった。亜紀のことは好きだし尊敬もしているが、動画配信に対して言うならば、自撮り棒を持って夜の「いわくつきスポット」――亜紀は「心霊スポット」よりも、この表現を好んだ――に行き、騒いでいるだけの若者のようにしか見えない。

 わたしがそう答えると、木田くんは「今メールで送りました」と言った。まったく、木田くんはわたしが24時間パソコンを開いたままだと思っているのだろうか。開いているけど。

 スマホは繋がったまま、わたしはメールに記載されたURLをクリックする。すると、アッキーのYouTube動画が開かれた。日付は半月ほど前のものだ。

 動画が自動再生されて……わたしは目を疑った。


 最初は、暗すぎて何が写っているのかわからなかった。画面は時折り不自然に揺れ、音声には不快なノイズが混じる。黒い画面からは、抑えたような小さな声だけが聞こえてくる。

 月明かりだろうか、横から青白い光が差し込み、画面中央の暗闇の中にいる人物の輪郭を縁取った。それでわたしは……亜紀が膝を抱えて泣いているのがわかった。

 次の瞬間、亜紀が顔を上げ、その表情があらわになった。彼女の頬は痩せこけ、眼球の周りは落ちくぼみ、瞼だけが何日も泣き続けたかのように腫れていた。充血した両目の縁が、裂けるほど限界まで見開かれている。

 骸骨……。

 ゾワッと全身に鳥肌が立った。わたしは口を手で覆う。

『……こえる……きこえる……よばれ……』

 亜紀の口から漏れる声は途切れ途切れで、何か別の音が混じっているようにも聞こえた。カメラが突然ぼやけたかと思うと、黒っぽいものが映り込み、すぐに消える。そして突然、カメラが微妙に揺れ始め……風の音が聞こえたような気がした。

 彼女はガチガチと歯を鳴らして震えながら、小さな声で何かを繰り返す。見開かれた両目は、カメラに写っていない場所をじっと見つめたままだ。

 動画の横で、コメント欄が流れていくのが見えた。


【ポポ】この演出もう飽きたんだけど

【XYZ】アッキー逃げて、横に影が見えるwww

【エコ子】これ、ガチでヤバいやつ?さっきなんか写ってなかった?

【びすた】↑アッキーに騙されてるやつw

【めかぶママ】お願い、もうこの家やめて…すごく嫌な感じがする…


 YouTuberとして、「最高に明るいホラーチャレンジャー」というキャラ設定をしている亜紀が、こんなに怯えているなんて……。動画配信のことはよくわからないが、コメントにあるように、演出なのだろうか?

 いや、亜紀はそんな過剰な演出をする子じゃない。そう思っていると、耳に当てたままのスマホから木田くんの声が聞こえた。

「三恵さん、見ました? アッキー、最後の方の動画は全部こんな感じで、いろんな意味で怖いんですよね」


――いろいろなことやって、たまたま当たったのがホラー配信だったんです。わたしには霊感がないし、そもそも霊を信じていないからこそできるっていうのもあって。あ、これはオフレコで――

 取材したときの、笑いを含んだ亜紀の声が思い出された。

――怖さを追求するというよりも、みんなでワイワイ楽しみたいんです。みんな別々の場所で配信を見ているのに、コメントで繋がりながら、一緒にいわくつきスポット探訪できるってすごくないですか?――


 そこまで亜紀の言葉を反芻して、わたしはさっきから、木田くんの言葉に引っかかっていることに気づいた。

「木田くん、さっき……」

 違っていてほしい。そう願いながらも、嫌な予感が静かに広がり、じわりと心にまとわりついて離れない。

「……最後の方の動画は全部って、言った?」

「そうなんです」

 木田くんは、一瞬言葉を飲み込んだ。そして短い沈黙の後、静かに続けた。

「アッキー、この動画を最後に、荷物をすべて残して姿を消してしまったんです」

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