第47話 シーメンス事件

1914年(大正3年)


国内の開発状況と産業活動は想定以上に活発だ。

1905年(明治38年)に本土・新領土の開発に着手してから9年が経過し、その成果も誰の目から見ても明らかになって来ている。

精密な統計を取り始めたばかりなので断言は出来ないが、1905年と比較すると経済規模はおよそ2倍には達しているだろう。

平均年率8%前後の成長を9年続けている計算になり、これは史実において1950年代から始まる高度経済成長期に近いと言っていいだろう。

すさまじい規模で成長しているのだが、ロシアから分捕った最初の資金があってこその好循環だ。


■新領土 北海道・樺太開発庁管轄

北部のオハ油田の採掘は順調で、主な工業地帯への輸送も滞りなく進んでいるが、この油田だけではそろそろ国内の需要を賄いきれない恐れが出てきたため、本格的な油田開発に着手していて、オハから南に試掘を始め、複数個所で原油を掘り当てている。

稼働まではもう少し時間が掛かりそうだが、何とか現在の国内需要は賄えそうとのことだ。

ただし、これ以上に発展すると樺太だけでは賄いきれなくなるのは明らかで、他の調達先を確保する必要があるらしい。


南部の豊原市を中心とする開拓や、港湾整備と炭鉱開発、製紙工場建設も終わり、本格的な稼働が数年前から始まっている。現在の豊原市の人口は3万人程度まで増えていて、これからまだ増えそうだ。

この町は札幌と同じく東西南北の道路がきれいに並ぶ「碁盤の目」状の都市計画によって建設され、住居表示は東西が「条」、南北が「丁目」となっている。

まだまだ大きな街になりそうだ。


北海道の発展も目覚ましい。

既に人口は250万人を超えており、函館、小樽、札幌、帯広、釧路、旭川といった主要都市間では鉄道の敷設が完了しており、青函連絡船も営業を開始している。

これらは旅客以外でも石炭や農産物の輸送といった用途で活用されて、この地の発展に寄与している。

また夕張をはじめとした炭鉱も活発な採掘を行っている。

石炭の需要はこれから30年以上は安定して増加していくだろうから更に発展しそうだ。

将来的には土木技術が発達したら青函トンネルも早期に欲しいところだが。


■新領土 沖縄・台湾開発庁管轄

こちらも順調に発展してきている。

台湾の人口は350万人を超え、既にダムや堤防といった基本的なインフラも整備は終了し、現在は上下水道、道路の舗装、鉄道の敷設といった社会インフラの整備を進めている。

学校教育も活発に行われており、識字率の向上が目覚ましい。

ただし、気が付けばやっぱり植民地に資本を大量投入している。

樺太にはもともとそんなに多くの人間が住んでいたわけじゃないから問題はないだろうが、台湾はそうはいかない。これは与えられた課題を解決せねばならないという境地に至る日本人独特の病気だな。

日本人が納得してやっているなら、もう好きにしてくれとしか言えない。


■日本本土

第一次産業

米・麦その他生産物の収穫は順調だが、やはり地方の小作農が減ってきており、地主側は大きな譲歩を迫られているケースが各地で顕在化している。また、地主の規模によっては小作人へ安く土地を売るケースも出てきた。

中途半端な規模の地主ほど手放すケースが多いようだ。

このままでは生産が落ちることが懸念されるため、政府も補助金を投入して地方の小作人の待遇を上げる方向で調整が進んでいる。

また、都市部での住宅需要の高まりとともに林業も活発な動きを見せており、木材運搬のための道路の拡充や整備も全国で同時に進んでいる。

漁業についても都市部における生活の向上に合せて需要が高まり、活況を呈するようになってきている。


第二次産業

史実と違って最も変化したのがこの分野だろう。

既に京浜、中京、阪神、北九州の各工場地帯は本格稼働を開始しており、旺盛な内需に対応するとともに欧米諸国との交易も活発に行われている。

繊維以外では鉄鋼、造船・機械といった重工業を中心に、初歩的な化学・薬品・ゴム・非鉄金属・ガラスといった製品が生産を始めている。

また僅かながらではあるが自動車の生産も開始された。

これらの重・軽工業の発展は目覚ましく、この調子でいけば第一次世界大戦で発生する消費財や軍需関連の仕事も受注することが可能なレベルだろう。


第三次産業

こちらは銀行業を中心に活発な取引が行われ、日本経済を支える重要な役目を果たしている。

またジェイコブ・シフのクーン・ローブ商会の日本支店やロスチャイルド銀行の日本支店を通じた融資も活発であり、第二次産業の発展に欠かせない存在となりつつある。

証券取引も史実以上に活発であり、財閥系のみならず多くの企業が上場しつつある状況だ。


社会インフラでは発電所の建設・増設、都市圏内での鉄道の高架化、複線化、複々線化が進んでいる。

更には煙害対策として電化の動きも本格的に出てきた。

また主要都市間の複線化、難所におけるトンネル開削、橋梁の強化が急ピッチで進み、貨物列車や急行列車の本数も増加中だ。


しかし"好事魔多し″とはよく言ったもので、好調の影にスキャンダルが勃発した。

例のシーメンス事件だ。

一般にはドイツの軍事会社シーメンス社から日本海軍関係者への賄賂事件だが、事はそう単純ではない。

以前も触れたが日本海軍がこれ以上勢力を伸ばすと、アジア方面の自国艦隊が不利になると考えたドイツ皇帝ウィルヘルム2世が仕掛けた日本に対する嫌がらせの一環だという説があるのだ。

これに山縣有朋が海軍を叩くために便乗して、火に油を注いだという説まである。

まったくあのヒゲ親父達は……などと言っている場合ではないので、事件が発覚する前に父と相談の上でかねてからの計画を実行する。


それは西園寺総理との協議の結果、実行した陸軍への餌付けというか利権のバラマキだ。

対象は二つで、それはこれから優先されるべき兵器である戦車と飛行機に関する研究人員の配置と、予算の大幅拡充だ。

いやこれ自分で言うのもなんだが一石二鳥だ。

勢力を拡大し損ねた陸軍への慰撫という意味もあるし、何よりこれからは戦車と飛行機の時代だ。

日本は史実において飛行機部門では何とか世界水準に達した。これは海軍との切磋琢磨というか縄張り争いの結果オーライ的な現象もあるだろう。

ライト兄弟に先んじて飛行機を飛ばしたという話もあるから、もともと空を飛ぶのが好きだったという背景も有るかもしれない。

しかし陸軍の専任事項である戦車に関しては、欧米列強、特にドイツのタイガー戦車やソ連のT34といった猛獣たちと互角に渡り合えるような性能を持つ事は、第二次世界大戦を通じて最後まで出来なかった。

けれどもこの段階で大きな予算を付け、早期の開発が出来ればかなり状況は変わるかもしれない。

そこに期待したわけだ。


史実においてはシーメンス事件は拡大した挙句にヴィッカース事件にまで至る。

この辺りは山縣有朋が積極的に裏で動いた結果だろうから、予算をつけて取り敢えず延焼を防ぎ、大人しくしておいてもらおうとの計画だ。


結果としてこの世界におけるシーメンス事件は、よくある贈収賄事件の一つとして決着する。

山縣をはじめとする陸軍は新兵器の開発に夢中になってくれた。悪い表現をするなら餌を与えられてとりあえずは満足したという事だ。

これで何とか第一次世界大戦に新兵器投入が間に合ってくれれば完璧なのだが。


また国民も事件に対してそれほど大きな反応を示さなかった。

生活の向上を実感できている段階にまで発展できている為に、不満が少なかったことも要因だろう。

そもそも当時の不満の原因となった増税なんかしていないし当然だろう。


とにかくドイツ皇帝が日本に対して実行してきたであろう、三国干渉から始まる様々な嫌がらせもこれで終了だ。

しかし、これまでと比べてやり方がセコいし、レベルも低い。

相当追い詰められているのだろうと容易に想像できてしまう。

もちろん気の毒に思うようなことは一切ないが。


それから軍事関連では記念すべき出来事があった。

遂に世界最大最強を誇る超ド級巡洋戦艦「金剛型」が全艦就役したのだ。


1番艦 金剛 ヴィッカース社 竣工日1913年8月15日

2番艦 比叡 横須賀海軍工廠 同1914年5月18日

3番艦 榛名 神戸川崎造船所 同1914年5月28日

4番艦 霧島 三菱長崎造船所 同1914年5月28日

5番艦 赤城 呉海軍工廠 同1914年6月15日

6番艦 天城 長崎海軍工廠 同1914年7月7日

7番艦 高雄 ヴィッカース社 同1914年8月1日

8番艦 畝傍 ヴィッカース社 同1914年8月15日 外国で製造された最後の艦


巡洋戦艦に「超弩級」と付けるのは厳密には違うのかも知れないが、それはともかく艦名は全艦、山岳名からの命名で、比叡山、榛名山、赤城山、天城山は有名だから説明の必要は無いだろう。

金剛山は奈良と大阪の境界にある山で、高雄山は京都だ。また霧島は鹿児島県と宮崎県にまたがる霧島連山からの命名だ。最後の畝傍山は奈良だが、これいいのか?ちょっとアレな名前だが。

ともかく全て3万トンに迫る巨艦で、当時世界最強の36センチ主砲を連装4基8門装備、速力も約28ノット以上の高速を誇っており、ほぼ同時期に就役したイギリスの最新鋭巡洋戦艦ライオン級やタイガーを凌ぐ性能だった。

この事は世界に対して日本が一流の海軍国になったことを強くアピールするものであり、日本海海戦の記憶も新しい中での画期的な出来事だった。

また、8隻中3隻はイギリス製とはいえ、5隻は国産であり、しかも民間の造船所で建造された艦も存在する事実は、日本の造船業に対するイメージアップに大きく貢献する事となった。


そして俺は3番艦「榛名」の主計中尉として乗り組みを命じられた。

遂に来たか。頑張ろう。

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