第33話 ジェイコブ・シフ御一行の来日
1906年(明治39年)1月
ついに俺は二十歳になった。
精神的には80を超えたお爺ちゃんだが、身体が軽いので、つい忘れそうになる。
成人となったので挨拶の為、父と共に宮中に参内し陛下に拝謁した。
そしてその場で陛下より従五位の位階をたまわった。
陛下からは「近衛からいろいろ聞いておるぞ」と意味ありげな笑顔で言われたがちょっと怖い。
実は父を動かしているのは俺であることは既にご存じらしい。
同年 3月末
史実通りジェイコブ・シフをはじめとする一行が来日した。
シフは陛下から招待され、戦勝記念祝賀会に出席する。
ここで日本の最高位勲章である「勲一等旭日大綬章」を授与された。
史実よりも功績が大きい事と、今後の関係に期待しての叙勲であり、この当時にしては外国人への叙勲自体が珍しいものであったため、彼ら一行は国賓待遇を受けることになった。
俺はシフが逗留するホテルまで出向いて旧交を温めたが、彼はロシアに完全勝利したことを我が事のように喜んでおり「やはり日本は神の杖だった」と言っていた。
神の杖とは大げさな。あれはモーゼが神から授かった別名「アロンの杖」とも言われる奇跡を起こしたことで有名な杖だ。
ロシア軍の上に雷(いかづち)を落としたとでも思っているのかな?
それはともかく俺たちは都内を散策しつつそんな話をしている。
季節的にも桜が満開だ。シフ達はその美しさと儚さに何か感じるものがあったようだ。
今回シフには同行者が3名いたが、その内2名は予想外の人物だった。
それはイギリスの銀行家で、シフとおなじユダヤ人であるレオポルド・ド・ロスチャイルドとその息子のアンソニー・グスタフ・ド・ロスチャイルドの親子。
父親レオポルドはこの時61歳、息子アンソニーは19歳だ。
ロスチャイルド家は有名だが、系統は複数あってボルドーワインの醸造家であるロートシルトは読み方がドイツ風なだけでここもロスチャイルドだ。
フランス読みだとロチルドか。
他にもパリの水道会社やアゼルバイジャンのバクー油田に関わった家など、基本的な五つの系統から様々な事業を展開している。
そして今から30年後にドイツやオーストリアの系統はヒトラーによって弾圧される。「ユダヤ陰謀論」のプロパガンダの対象とされたのだ。
イギリスのロスチャイルド家はナチスによる直接的な迫害には遭わなかったが、ロンドン空襲では生きた心地ではなかっただろう。
この家はナポレオン最後の戦いであるワーテルロー会戦時の情報操作で大儲けした人物の系統で、既にヨーロッパ金融界において確固たる地位を占めている。
うーん?この人たちって史実で交流あったっけ?モルガン商会がシフにとっての商売仇っていうのは知っていたが。
シフの思惑としては日本との、いや俺とのつながりを重視して世代交代しつつ、将来のユダヤ人の幸福のための布石を打つつもりだろう。
あの時の会談の続きになるかな?
最後の一人は予想した通りエドワード・ヘンリー・ハリマン。
一般的にはアメリカの鉄道王として知られる人物だ。
史実によれば南満州における鉄道買収をめぐり、桂首相とハリマンが交わした覚書、桂=ハリマン協定をポーツマス講和会議を終えて帰国した小村外務大臣が反対して白紙撤回させた。
これに対してアメリカは、日本が協定を無効にしたのは、日本が中国大陸からアメリカを締め出すためだと理解した。
これと時を同じくして、カリフォルニアで日本人の排斥運動が議会や教育委員会で決定されたのは、その報復だと日本は受け止めた。
アメリカはこれ以後オレンジ計画に着手して、対日戦略に取り組み、太平洋に大艦隊をつくっていく。
つまり日米がギクシャクし始め、その後の関係悪化の原因になったのだと指摘する学者もいる。
この件について小村寿太郎の事を最終的な国益を損なった大馬鹿物と評価する学者と、いやいや日本の国益を守った偉人であると評価する学者の両極端に別れている。
・・・ふーーん。
俺はもう南満州鉄道には興味がない。
日本には遼東半島にも南満州にも勿論朝鮮半島にも権益なんて無いからだ。
お好きにどうぞとしか言えないし、話があるんだったらイギリスとしてくれって感じだ。
だから今回の訪日は彼にとってメインでは無く、本当の興味は朝鮮半島に行ってイギリスと交渉する事だろう。
イギリスは朝鮮半島と共に軍事力の空白地帯となったあの辺りにも進出しているからな。
アメリカからイギリスに直接交渉に行った方が良いような気もするが、一度現地は見ておきたいのだろう。
まあハリマンも日本の戦時外債を買ってくれた一人だから今回は邪険には出来ない。
しかし日本の代わりにイギリスがアメリカとギクシャクしそうな予感がするな。
俺としては最初からそれが狙いなんだが。イギリスはなんと回答するだろうか?まあ断ると思うが。
このハリマンという人は少し偏執的だというのが彼の行動を資料で見た俺の学者としての評価だ。
一度狙った獲物は逃がさないというか。
ビジネスマンとしては優秀なのだろうが、自身がロクな教育を受けることが出来なかった反動からか、高学歴の人間に対して負けないために自身の実績を高め、評価に繋げようとする。
そんな傾向が感じられる。
ハリマンは南満州鉄道をシベリア鉄道と繋ぐことによって、バルト海に至る壮大な物流網を完成させるのが夢らしいから簡単に諦めそうにないぞ。まあいいか。
戦勝記念式典を終えたシフ御一行に対して俺は日本国内の案内をするべく同行した。
先方からのご指名だし、政府からも要望されたからだ。しばらく海軍の方はお休みだ。
なにせ国賓待遇だものな。
俺も願ったり叶ったりだ。ハリマンはともかく、ユダヤ人とは今後も強い絆を築きたいから。
日本国内の産業にも投資して貰えるきっかけにもしたいし。
この時代に商売の話をするなら東京より大阪に行かなくてはならない。
そこで横浜港から神戸港まで船で向かう。
新幹線はおろか電車もない時代だ。東京から神戸までは蒸気機関車に引っ張られて17時間かかるらしい。
揺れるし狭いしでとてもじゃ無いが国賓を案内するには現実的ではないので船にしたのだ。
ハリマンに笑われるのも癪だし。
神戸港で下船した後は列車で大阪まで移動する。大阪港に直接行きたいが、あそこはこの時代まだ工事中だ。
俺がシフ達に見せたかったのは堂島の米市場だ。
地租改正で物流網に変化が生じて、この頃は既に最盛期ほどでは無いものの、それでも活気のある市場だ。
令和における場所は梅田の南で中之島の北に位置しており、北浜とも呼ばれているはずだ。
大阪市中心部を流れる堂島川沿いで、令和では立派なホテルが建っている場所だ。
ここで俺は全国から集まるコメの流れと相場の動きを説明する。
シフたちはこの市場が200年以上の歴史を持つことに大変驚き、更には21世紀において世界中で使われている株価などの相場を表すチャート、いわゆるローソク足を考案すると同時に「酒田五法」と呼ばれる活用法を編み出したのが江戸時代の日本人であること。
更にこれも近代経済では常識の先物取引、あれを世界で初めて組織的に活用したのも日本人だという事実。
これらに接して衝撃を受けていた。
俺としては日本は決してビジネス面で欧米諸国に遅れているわけではない事を理解してもらいたかったのだ。
俺はユダヤ人資本家達の一方的な慈悲にすがろうなんて気持ちは毛頭ない。
対等なビジネス相手として先ずはこちらの能力を理解してもらいたいのだ。
日本人の能力を深く理解した彼らは今後は積極的に日本の産業に対して投資してくれる気持ちになったようなので、より強い繋がりが持てるだろう。
あくまでもビジネス上ではあるがパートナーとしての未来に期待だ。貿易立国の力強い援軍となりそうで一安心だな。
その後は彼らを京都に案内する。彼らユダヤ人の反応を見ておきたい場所があったからだ。
俺たちが向かったのは太秦うずまさにある「大酒神社」だ。
この神社は一部の人々から日本人とユダヤ人のつながりを指摘されている場所の一つだ。
俺は何も言わず、ただ彼らに実際に神社を見せて感じ取ってもらう事にした。
反応が無ければそれまでだ。
しかしシフたちユダヤ人3人はどうも何かを感じたようだ。
詳しい事はこれから彼らがいろいろ調べるだろうから、今はこれで十分だ。
ハリマンは興味なさそうであったが。
それからついでに京都と奈良を案内して回ること3日、更にいろいろと話が出来た。
シフからは以前に俺が提示した「パレスチナの代替地」についても当然聞かれたのだが、まだ具体的な地名を出せる段階ではないから勘弁してもらった。
俺が現時点で想定している土地は、まだ日本が口出しをできる場所ではないからだ。
ただ以前に比べて可能性が高まったのは間違いないだろう。
第一段階である日露戦争を最高の形で終えることが出来たのだから。
シフはユダヤ人ネットワークを通じてこの件を話し合っているのだと言った。
まだ賛同者は少ないものの、パレスチナ以外でも安息の地があるならそこに行きたいという意見も出始めたとのことだった。
まあ無理をして強引に進める話じゃないし、タイミングもまだ先の話だ。
国造りの初動はともかく、本格的な大量移住はこれから30年は先の話だから、俺とアンソニーが中心となるだろう。
1905年5月
シフ御一行は神戸から朝鮮半島へ渡るとのことだったので、俺は神戸港で別れた。
また会う事はあるだろうし、見た目年齢の近いアンソニーとも仲良くなれた。
それに赤軍の危険性と凶暴性についても理解して貰ったから、おそらく史実のような莫大な資金協力には至らないだろう。
ロスチャイルド家を含めこれからのお付き合いに期待しよう。
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