第11話 千年の再生

 ルビーラが消失すると同時に、トルマーレへ溢れ出ていた毒瘴は消えていった。瞬時に元の姿に戻った様は、異変が夢だったのではないかと疑うほどだった。



 避難所となっていた王宮の地下。

 毒瘴に臥せっていたトルマーレの民たちも次々と生気を取り戻した。


「エスピリカ様、うちのおばあちゃんを助けてくれてありがとう! 感謝してもしきれないよ」

「うちのお父さんも助けてくれてありがとう! 死んじゃうかと思った……!」

「地下に怪物がいるなんて間違いだったよ。ここには綺麗で不思議な力を持ってる人しかいないよ!」


 トルマーレの民は、懸命な看病を行ってくれたエスピリカたちへ、涙とともに絶えず謝辞や賛美の言葉を送っていた。

 雨を降らせ、噴火による溶岩流入を沈めた者。念動力で降り注ぐ岩から民を護った者。千里眼で怪我人の居場所を突き止めた者。毒瘴に犯された民をひたすら解毒し続けた者―――。 

 トルマーレは、エスピリカへ感謝してもしきれないほど恩を受けた。素直な気質の民らは、素直に彼らの力を認めていた。



 トルマーレが日常へと戻った頃。大勢の民が、王宮前の大広場へと集っていた。


「国王陛下からのお達しなんて久しぶりだな」

「トルマン様が即位された、戴冠式依頼じゃないかしら?」


 集った誰もが王の御成を待ちわびていた。

 幾日か前、王の御触れがあると民への周知があった。エスピリカについてのお達しに違いないことは民の誰もが理解していた。


「おれ、かあちゃんから聞いたー! えすぴりかにはキバや翼なんて生えてなかったってー!」

「それ、ほんとうよ! わたしなんて見たんだから! 煙のせいで具合悪くなったお母さんを治してくれたの! かっこよかったわあ!」

「いいなあ、おれも見たかった! あの煙が怖くてずっと頭から毛布被ってたからよく見えなかったよ」

「えー! なによ! 弱虫じゃない!」

「なんだとー!」



 子どもたちも集って駄弁っていた。近日の話題は、大人も子どもも専らエスピリカについてだった。


*****


「ガーネット兵士長、もうお怪我は大丈夫ですか」


 お達しが始まる前、午前中の王宮内。タンザは命運をともにした上官へ寄り添っていた。

 火山の調査で負傷したガーネットは、千里眼を有するエスピリカ・エメラルにより救出されていた。爆風を全身で受けた彼は、当初自力で立ち上がれぬほどダメージを受けていた。


「ああ。エメラルたちがいち早く助けに来てくれたのと、サフィヤのお陰でもうこんなにピンピンしてるよ。こいつももうじき取れるってさ」


 腕を首から吊った三角巾を指しながら、ガーネットは力強く微笑んだ。爆風でぼろぼろになった兵士長の鎧は、真新しいものに新調されていた。そして彼もまた、調査班での功績を認められ、階級が一つ上がった証が、きらめく鎧に刻まれていた。


「エスピリカ様々だ。調査班揃って帰還できなかったのは残念だが、命があっただけで十分だ。お前にも、エスピリカにも感謝してもしきれない」

「俺はなにもしていませんよ。本当に、エスピリカがいなかったら俺も今生きていませんよ」 


 二人でエスピリカを讃え合ったのち、ガーネットはタンザの新しい衣装に手を触れた。


「まったく、俺を飛び越してこんなに偉くなっちまうとは。恐れ入ったぞ、タンザ近衛兵」

「……なんか、その呼び方、こそばゆいっすね」


 近衛兵服に身を包んだタンザはぎこちなくはにかんだ。

 火山調査及び、毒瘴から王を救ったとして功績が認められ、此度、彼は正式に近衛兵と任命された。


「まだまだ板につかぬ近衛兵ですが、陛下のため、王国のため、誠心誠意尽くします」

「心底頼もしいよ。オニキス前兵士長も大層お喜びだろう」

「ええ、とても。こっちが恥ずかしくなるくらい喜んでくれました」


 タンザは父に近衛兵となったことを報告した時を思い出した。幸いタンザの両親は毒瘴に当たる前に避難していた。子どもたちを率先してかき集め、誘導班へ引き継いだオニキス。父の熱い思いは、しっかり息子にも引き継がれていた。


「さあ、もうじき始まる。近衛兵の位置に付けよ。間違って一般兵士に交じるなよ?」

「はい、もちろんです!」


 兵士長の混じり気のない賞賛に見送られながら、タンザは近衛兵の位置へと歩みだした。


*****


 午後の始まりを告げる鐘が鳴る。と同時に、大きな鈴の音が大広場へこだました。

 王の、光臨である。


 大広場を臨む王宮のバルコニーへ、神の子孫――トルマーレの王が姿を現した。  

 民はそれを認めると歓声を上げた。


「トルマン様ぁー!!」

「よくぞ、スピネル様のお怒りを鎮めてくださいました!」

「貴方様はやはり神の御子孫です!」


 トルマンが片手を上げると、民はその意図を察し口を閉じた。

 風の鳴き声しか聞こえなくなったところで、トルマンは息を吸い、口を開いた。


「トルマーレの民よ、よくぞ集った。これより、此度のスピネル山の異変と、トルマーレの今後、そしてトルマーレの真の歴史について布告する」


 その場を清めるような声が響く。民の誰もが、彼に視線を向けていた。

 先輩近衛兵の後に控え、王の後ろ姿をタンザは見守っていた。光をまとったかのようなその姿は、やはり神の子孫と言い表すには十分だった。


 トルマンは語り始めた。

 千年前の真実を。地下に怪物などいないことを。

 予言にあった「王国の罪」は「王の罪」であると強調した。民の安寧を護れず、トルマーレ発展に惜しみなく貢献をしたエスピリカに理不尽を強いたこと。

 そして、この異変にいかにエスピリカが貢献したかを民へ説いた。

 雨を降らせ、噴火による溶岩流入を沈めた者。念動力で降り注ぐ岩から民を護った者。千里眼で怪我人の居場所を突き止めた者。毒瘴に犯された民をひたすら解毒し続けた者、治癒能力で兵士の傷を癒した者―――。


「エスピリカはトルマーレの友であり、トルマーレの重要な一部である。どうかトルマーレに友として、地上へ彼らを迎え入れてほしい」


 大広間に整列するエスピリカたちへ、歓迎の拍手が巻き起こっていた。民は口々に感謝とねぎらいの言葉を発した。


 王はエスピリカの地上への開放を宣言し、民は王へ彼らとの共存を誓った。

 盛大な歓声に包まれたまま、久方ぶりの王のお達しは幕を閉じた。


*****


 王のお達しがお開きになった日の夕刻。

 新米近衛兵タンザは、トルマーレ王宮・王の執務室に召喚されていた。王族の部屋にしては質素な部屋で、トルマンの意向により装飾や金箔は最小限になされていた。


「改めて、きみへは感謝してもしきれない。命の危険を顧みず、よくぞトルマーレを救ってくれた。本当にありがとう」


 西日が後光のように照らし、神の子孫は微笑んだ。


「エスピリカを地上へ迎え入れてくださいましたこと、素晴らしいご勇断にございました。そしてこれからは近衛兵として、陛下のお傍にお仕え申しあげます」

 

 真新しい近衛兵服が初々しい近衛兵は、親愛なる君主――神の子孫へ敬礼した。

 お達しが行われる数日前。避難所として解除された地下ではトルマーレとエスピリカの和平交渉が行われた。「交渉」とは名ばかりで、トルマンはエスピリカを地上へ開放すると固く決意していた。火山の件でトルマーレの民とエスピリカの距離はすでに急接近しており、滞りなく交渉は妥結された。

 

「今頃、地下は引っ越しの準備で大忙しだろうね」

「ええ。陛下がエスピリカへ家と仕事を斡旋してくださっ他お陰で、皆地上での生活を楽しみにしているようです。サフィヤもトルマーレの民の力になろうと意気込んでおりました。次期族長は彼が務めるようです」


 サフィヤは次の族長、そして王宮直属のエスピリカとなっていた。医者にかかっても回復しない患者があれば、大きな病や怪我の完治は難しいが、その治癒能力で痛みや苦しみを緩和させていた。

 多くのエスピリカは王宮直属となったほか、民の隣でともに過ごすことを選んだものもいた。トルマーレの民からは、ぜひうちの近所に! という声が多く挙げられたそうだ。

 そして現族長トパスは地下へ残ることを選んだ。と言っても、地下と地上を隔てる門は解放されているため、いつでも王宮へ来るようにとトルマンから申し付けられていた。


「スピネルの御加護があるとはいえ、やはり有事の際の避難所が必要だと痛感した。トパスは地下街の管理役を買ってでてくれてありがたい限りだよ。これからは地下の補修、補強に力を入れるつもりだったからね」

「トパス族長も性に合った役を正式にいただけたと喜んでおりました。もうあまり長くはない命を王国のために使うことができると。エスピリカは地上に戻ることができたため、もう思い遺すことはないと」

「……そうか。エスピリカは死を哀しいものというより、生まれ変わってまた力を得るための通過儀礼と捉えているのだったね」


 トルマンは窓から差す西日を見つめていた。その瞳は、自身の中の思い出に語り掛けているようだった。


「タンザ。私は幼いころより、なぜかあるはずのない記憶が、頭の片隅にいつもあったんだ。まるで他人の人生が流れ込んでくるようだったよ。ばかげたことを言っていると思うだろう」


 王は西日に染まったまま、思い出を掘り起こすようにゆっくりとまばたいた。


「その記憶の中では、エスピリカとトルマーレの民が平和に共存していた。そして記憶の中の私には、"親友"と呼べる存在がいた。彼は皆からこう呼ばれていた。"ルビーラ"とね。」


 もう会えない友の名を呼び、彼は少しの間沈黙した。

 神聖な静寂が空間を包み、タンザは王が言葉を紡ぐのを待った。


「幼いころは戸惑ったが、物心つくにつれて確信したよ。これは、私がトルマンとして生を受ける前―――前世の記憶だとね」


 やはりか―――。

 火山の化け物と化したルビーラへ王が語り掛けた際、王が口から出まかせ、その場しのぎの演技をしているようには見えなかった。

 そしてまた、ルビーラが元の姿に戻った時、そのまなざしには特別な感情が込められているのを、タンザは確かに見ていた。


「私は記憶の中で"ダイモンド"と呼ばれていた。その名には聞き覚えがあったよ。王の家系図は幼いころから叩き込まれるからな。あれから千年も経っていたなんて驚いた。そして無力すぎた前世の自分を恨めしく思ったよ」

「………陛下」


 タンザは君主へどんな言葉をかければよいか心の中の引き出しを漁ったが、出てくるのは羽根のように軽くて薄いものばかりであった。

 トルマンは家臣に気を遣わせたことを察したのか、再び強い笑顔を見せた。


「だからこそ、なんとしても私の代でエスピリカを地上へ呼び戻そうと誓った。ダイモンドの父はあまりエスピリカが好きではなかったようだが、もう彼はいないからね」


 ダイモンド王の歴史は、トルマーレの民なら誰もが義務教育のように履修していた。父であるアレキサンドライト王の急死により、最年少にして即位した千年前の王。そして、悪魔の子孫を封じ込めたとされた王。苦渋の決断が、不本意な形で神話として掲げられる様に、生まれ変わったトルマンは耐えられなかったのだろう。


「……小生は、あの時よりもさらに陛下を尊敬しております。長年の確執を解き、トルマーレの新たな歴史を開いたのは間違いなく陛下です。まるで物語の、新章の幕開けに立ち会ったようでした。これからもトルマーレの物語を、陛下のお傍で紡いでいきたい所存です」


 王の瞳がまっすぐにタンザをとらえる。普段物静かな家臣が情緒豊かな表現をして敬意を伝えたことに少し驚いていた。


「……物語か。そうだな。これからもトルマーレが紡がれていくと思うと楽しみでならないな。何度でも、私はまたこの地へ生まれ変わたい」


 西日に染まり続ける君主に、エスピリカに感じた時と同じような美しさを感じた。

 自分はどうも綺麗なもの、清らかなものに心打たれやすいことを、タンザは初めて自覚した。



******


 満月とスピネル火山が見つめ合う刻。

 王宮の離れに、二つの影が月明りに照らされていた。


「ここからはよく月が見えるね。こんなにはっきり見たのは初めてかもしれない」


 サフィヤの蒼い瞳が夜空を見上げていた。

 月明りを反射するその瞳は蒼い宝石だった。


「これからはいつでも見られる。こうして、きみと」

「ああ。井戸にこそこそ隠れなくていいんだ」


 タンザは服に仕舞っていた紙を取り出した。

 いつか渡された、あの本の1ページだった。


「ほらよ。また返しに来た」

「あっ、これは……! こんなにきれいなまま、ずっと持っててくれたの……?」

「ああ。サフィヤの大事なものだろ。いろいろあって返しにくるのが遅れたが」


 火山の化け物につかみあげられた時も、ずっと大事に身に着けていた。そんなことがあったのに、よく汚れひとつ付かず無事だったものだ。


「もう貸し借りなしで、タンザと会って良いんだね」

「ああ」

「物陰に隠れたりせず、きみと会えるんだ」

「ああ。毎日だって会いに行く」


 満月に見守られながら、二人は微笑みを交わした。

 満月だけが、彼らの唇がふれ合ったのを見ていた。


「あのね……先日、エスピリカに子どもが生まれたんだ。宝石みたいな紅い瞳の」

「ルビー……みたいだな」


 タンザは確信した。その子はルビーラの生まれ変わりに違いないと。


「エスピリカは、前世の記憶も受け継ぐのか?」

「記憶はまず失くしてるみたい。ごくまれに、うっすら記憶がある人もいるみたいだけど」

「……サフィヤは、俺のことちゃんと覚えててくれよ?」

「……もちろんだよ。何度でも生まれ変わってきみに会いに行くし、きみを好きになるから。だから――――」


 僕を忘れちゃだめだよ―――。



 月明りをはらんだ、己だけを見つめる蒼い宝石。

 この光景を来世も忘れられるわけがない、とタンザは強く思った。


 





 

 ―――千年の祈り、あるいは想い(うらみ)前編 END―――

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