第44話 迎え盆 2


 外は薄暗くなりはじめ、湿度をもった熱気が肌を這う。

 すこし運動をすれば汗を掻いてべたつきそうなくらいのなか、二人を追いかけて万屋荘の裏庭へ出る。

 駐車場や畑、ガーデニング区画となっている裏庭だが、今日はずいぶんと様変わりしている。

 地面には白い粉で魔法陣が描かれ、陣を囲うように四隅に神社で見るような紙垂つきのしめ縄が張り巡らされていた。

 正面口だろう箇所は開かれており、地面には鳥居らしきマークが白く描かれていた。光源の確保なのか、それとも儀式的に必要なのか、盆灯籠が等間隔で周囲を囲むように置かれているのも気になる。

 パッと見ただけでも怪しい儀式だ。

 皓子が到着したときには他の住民はすでに集合していたようで、田ノ嶋と飛鳥に笑顔で迎えられた。

 先に向かっていた吉祥たちはというと、その怪しい儀式の中心地あたりへと向かっている。鳥居マークの傍には世流一家と水茂、佐藤原がいて、何やら話を交わしている。


「ああして見るとヤバい儀式にしか見えないわあ。佐藤原がいるから特に」

「麻穂さん……佐藤原さんを信用しているんですね」

「マイナス方面で限りなく信用してるわ。駄目なほうの信頼よね」


 真顔でうなずく田ノ嶋に、飛鳥は切ない顔をしているが、ひとまず置いておこうと皓子は目を逸らす。

 変につっこんで誤解を受けても困るし、片恋あれこれの場面を見ると、あれ以来どうしても頭の中にひょこっとアリヤが現われて困るのだ。

 田ノ嶋に辛辣に言われている佐藤原は、本日もスーツケースを持参している。それを地面に置くと腕を突っ込んであれこれ道具を出しては吉祥に見せていた。


「ちょっと、向こうも見てきますね」

「いってらっしゃい、織本ちゃん。気をつけてね」

「こっこちゃん、いってらっしゃい」


 二人に声をかけて近づいてみる。一番始めに皓子に気づいたのは、ノルハーンに抱きついてたスーリだった。

 一歳半にもなる可愛らしい女の子は、最近歩くことにご執心のようだ。知った顔である皓子を見つけると、スーリは両手を広げておぼつかなく寄ってくる。

 慌てて皓子が近寄って目線を合わせてしゃがみ込めば、膝にぎゅっと抱きつかれた。

 ノルハーン譲りの銀糸が美しい髪に世流似の細目が可愛らしい。にこにこと笑っている姿を見れば、こちらまで笑顔になってしまう。


「こんばんは、スーリちゃん」

「ねちゃ、きた」

「うん。きたよぉ。スーリちゃんも来たんだねえ」

「あい! きた!」


 この子は賢いのだと自慢するノルハーンの気持ちもわかる。

 人怖じしないで言葉もちゃんと話せるのだ。皓子の名前はまだ難しいのか、お姉ちゃんを略してよく「ねちゃ」と呼んでくれる。

 なお、他の住民の呼称はノルハーンの真似をしていることが多く、その呼び方を聞くに、一番好かれているのでは、と皓子はすこしだけ自惚れてしまう。


「スーリは今日、お手伝いをするんですの」

「お手伝いですか? だからおめかししてるんですね」

「ええ! もう、わたくしの娘、とっても可愛いと思いませんこと!?」


 小さな手を握って手遊びをしていれば、スーリがまたころころと笑う。

 その様子を微笑ましく見ていたノルハーンが嬉しそうに言ってきた。

 手にはいつもの唇人形と、それから端末が握られ、興奮しながら撮影していたのだなとわかる。

 言われて服装をよく見れば、本日も美しい着流し姿なのはノルハーンだけで、スーリは巫女のような意匠の幼児服を着ている。

 世流も、いつか水茂がアリヤに着せていた狩衣姿に近い神官服だった。


「スーリぃ、こっち、目線こっちですわよ。ああん、可愛い! きまってますわぁ!」


 至近距離で激写する親馬鹿をノルハーンが発揮しているが、スーリは満更でもなさそうに胸を張って皓子の膝を背にピースをしている。出来た幼児である。

 じり、と視線を感じて頭を上げれば大門がこちらを見ている。

 薄暗い中だが何か言いたげにも見える。すこしだけ見返して、皓子はスーリの手を借りて手を振った。

 ぎょっとした大門は背を向け、またおずおずと見てきて軽く手を振った。


「しようもない方ですわねえ。甘えが抜けないのですわ」


 そんな大門を見て評したノルハーンに、皓子は笑ってしまった。的確だ。


「やはりダーリンほど心広く頼れる殿方はいませんわね。はあん、素敵……」


 うっとりと頬に手を当てて恍惚の吐息をもらしている。視線を追えば、大門と一言二言話している姿が見えた。何かを交渉しているのだろう。

 世流は大門に対して怒りを露わにしなかった。自身の妻が害されたというのにだ。

 いや、怒っていないわけではないが、それを表に出さず冷静に対応している姿は、自身の父と比べると確かによほど出来ている。

 皓子が謝りに行ったときも、連れ出されて助けてくれたお礼を言って回ったときも、自分が大門のように妻に先立たれたらと思うとあまり強く言えないのだと言われた。

 ただ実行することは悪いことなので、今後態度をしっかりと改め謝意を示して欲しいとは伝えたそうだが、それでも優しすぎる対応だった。

 大門もそんな世流には頭が上がらなくなったのかもしれない。

 ここに来て見たなかでも、一際丁寧に接している。取引の上役相手にするかのような対応にも見える。

 ふいに、その傍を居た水茂がこちらに飛ぶように駆けてきた。


「こっこ~! こんばんは、なのじゃ。スーリも、今日も健やかじゃの、こんばんは!」

「こんばんは、水茂」

「みもしゃ、こん!」

「こんじゃぞ~」


 幼児は守るべきもの、可愛らしいものと認識しているという水茂は、皓子と同じくらいスーリには甘い。

 おどけるようにしてスーリをあやすと皓子たちに向けて言った。


「そろそろ始めるのじゃ。こっこの父のためとなると業腹じゃが、吉祥の依頼とこっこの祖父に母に会うのも楽しみでもあるからに。さ、スーリ参るぞ。水茂様についてくるのじゃ」

「みもしゃ、いく!」

「そうじゃぞ~」


 きゃらきゃらと抱えて歩いて行く姿を、身もだえながらノルハーンがすかさず端末で記録に残している。

 皓子としても今回のような形は初めてだ。

 吉祥は母と祖父を呼ぶとあったが、どう呼ぶのかもわからない。だが、悪いようにはならないのだろう。傍から見た状況は、限りなく怪しく感じる物だが。


(アリヤくん見てたら、冷静に突っ込んでくれたのかなあ)


 最近ではすっかり万屋荘に馴染んだアリヤではあるが、異様な光景には冷静に突っ込んでくれる貴重な人材である。

 田ノ嶋もここ数年ですっかり麻痺しておりオーバーリアクションが控えめになってきたため、常識的な反応をするアリヤは世間一般の普通の尺度を測るには得難かった。

 なにせ皓子の周りは大体に濃い面子なのだ。優しく諭して言い含めるアリヤの姿が浮かんで、意図せず頬が熱くなる。


(そうだ)


 そのままなんとはなしに心が動いた結果。

 謎の儀式感あふれるカオスな様相を写真に撮って収めて、アリヤに送っておいた。

 即座に『皓子ちゃん?』『なにそれ、大丈夫?』『直ぐ帰る』と連投が来た。

 予想以上の反応に、罪悪感をおぼえてしまった。

 困惑させてしまったことに、慌てて『大丈夫だよ。アリヤくんにも見て欲しかったの』と言って送り、画面を閉じた。

 向こうで皓子を呼ぶ声がする。水茂が呼んでいるのだ。ひとつ呼吸をおいてから、「今行く」と返して駆け寄った。







「さ。スーリ、足を踏み踏みじゃぞ。わしの真似をするのじゃ」


 いち、に。いち、に。

 ノルハーンのかけ声と共に、カワウソ姿へ変化した水茂の手を取って、スーリが足をその場で踏む。

 世流が御弊をかざしてゆっくりと振る。正面の魔法陣に向かって、一度、二度。

 じわりじわりと湿気を含んだ空気が胃の中にまで侵入してくるような圧迫感。その中でもきゃらきゃらと楽しそうにスーリが足を踏む。

 やがて魔法陣の上にひずみが出来た。

 スーリの足踏みに合わせて広がっていく。


「佐藤原」

「空間を安定化させます」


 吉祥の声に、佐藤原が無感動に応えてスーツケースから取り出したカラーボールを魔法陣上空のひずみに向かって投げつけた。

 蛍光色のインクが広がったかと思えば、すぐに透明へと変わり、ひずみは黒々とした丸い円を形作る。

 出来上がった円はわずかに収縮している。大きさはおよそ大人二人分が手を広げたほどだろうか。


「媒介を投げる。世流」

「ええ、いつでも」


 吉祥が持っていた花束を魔法陣に投げ入れると、吸い込まれるみたいに花束は黒い穴へと入っていった。

 大きく御弊を振って人差し指と中指でくるりと結び口元へ寄せて息を吐くような仕草を世流がする。すると、何もない空気から、花弁が現われた。

 カーネーションとスターチス。リンドウに百合。

 ばらばらと散って、地面に落ちる前に溶けて消える。

 それに目を奪われた一瞬、半透明に燐光を放った人影が黒穴が消えると同時に現われた。


 一人は、高齢の男性だ。

 いかにも厳格そうな見た目で、背筋がピンと伸びている。皺のなかでじっとこちらを見据える眼差しは強く、こちらまで態度がしゃんとさせるようなものだった。

 もう一人は、穏やかそうな若い女性だ。

 困ったような、柔らかな微笑みを浮かべている。黒目黒髪の、ふんわりとした雰囲気は優しそうな印象を受ける。

 どちらも左前の白い着物に、花の模様をつけていた。あれは大門がもってきた花のものだろう。

 二人は揃って魔法陣の上に立つと、一も二もなく側に寄ろうとした大門に向かって表情を変えた。

 真っ先に怒声を上げたのは、老人のほうだ。


「こんのだらくそ! 貴様、腑抜けるのもほどほどにとわしゃあ言ったが!」

「と、父さん」

「愛想もほとほと尽きるとはこのことだわ。親と子を困らせるヤツに成り下がろうとは、情けない!」


 ものがあれば投げているほどの剣幕である。

 あまりの勢いに、近くのスーリがしゃくりを上げそうになったところで、女性が老人を抑えた。


「お義父さん、小さい子も近くに居ます。落ち着いて」

「うん? ああ、おう、頭に血が上っとった。すまなんだ」


 咳払いをした老人は、ぎろりと大門を睨むにとどめて鼻を鳴らした。吉祥と似た仕草だ。夫婦は似るとはこのことかとぼんやりと眺めて思う。

 女性は眉尻を上げて、いかにも怒っていますというように大門を見る。


「あなた。大門さん。どういうことでしょうか」

「ひかり……ひかり!」


 寄ろうとした大門を世流が止める。

 なぜと食ってかかろうとする大門に、佐藤原が前に出る。手のひらを燐光を放つ二人に向けて、佐藤原は言った。


「記憶と魂の残滓を分析して、召喚の応用と魔術魔法を組み込んだ上、我が星の技術で再現をしています。故人が完璧に戻ってきたわけではありませんので、お忘れ無きよう」


 佐藤原が淡々と説明をする。そのことに、大門は呆然と佐藤原を見て、再び二人を見た。二人の表情は相変わらず険しい。


「アンタらが生きてりゃ、そうやってお優しく喝を入れてやったんだろうねえ」


 懐かしそうに言う吉祥に、皓子はそろりと吉祥の傍に寄った。

 世流は一礼をして、ノルハーンたちの元へと合流した。

 二人してぐずるスーリをあやして、互いに褒め合っている。田ノ嶋たちはと様子を見れば飛鳥を盾にしてこわごわと田ノ嶋が様子をうかがっているのが見えた。


「本人がここに来れないってことは、魂が歪まずにきちんと逝けた証拠だ。アンタらを見送った甲斐があったね」

「お前が散々に待つな、人として逝けと黄泉路まで来て言ったからだ」

「これで道理を歪めてまで本物が来てたら、アタシ自ら魂をとっつかまえて封じ込めてたよ。馬鹿だね、正道まさみち

「はは、違いない」


 祖父、正道は吉祥に向けては気安く話している。

 相変わらず大門には厳しい目を見ているが、皓子を見つけると一際目尻を柔らかく下ろして優しく言った。


「そこに居るのは、皓子だな。大きくなって」

「……はい、あの、はじめまして」

「そうだな。話すのは、はじめましてだ。吉祥はよくお前を守っているな。仲良くしてやってくれ」

「は、はい。ばばちゃんとは、これからも」

「どこまでアタシに面倒見させる気かねえ」


 やれやれと言う吉祥に、小さく笑う。

 それから、その隣を見る。女性、皓子の母であるひかりと目が合う。

 面差しは、確かに皓子と似ている気もする。

 ひかりは皓子を見ると、ハッと表情を変えて、それから泣き笑いでもするかのように不器用に笑顔を作った。笑いかけたいのと泣きたいのと両方なのだろう。


「……はじめまして、その、言っても良いのかしら。ここにいる私は本当の私ではないけれど、あなたのお母さんです」


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