第42話 202号室、片恋応援 3


 確かにアリヤは皓子の言葉に肯定した。

 からかうことばかりで考えてないのではと皓子はいぶかしんでいたが、当のアリヤは「皓子ちゃんが見てくれるってのは、嬉しいな」と楽しそうに言う。そして隙あらば二人でいることで自然と向こうも二人になると寄ってくる。


 事実、それは効果があった。

 飛鳥の舞い上がる様子を眺めながら、皓子は生け贄に捧げられた気分であった。

 とてつもないイケメンによるVIP待遇なみのご奉仕は、ひどく羞恥心を刺激する。この旅で学んだことである。

 周囲の観光客から羨ましそうに見られていたり、哀れまれていたりするなか、それに注意を払うよりもアリヤのことで皓子はいっぱいいっぱいであった。


(どっと疲れた……)


 楽しい時間だったのは間違いない。

 晴天下のバーベキューもバードウォッチングも満喫した。


(……これに慣れちゃったら戻れないかも)


 甘やかされ、それが当たり前になったとき。皓子は果たして前のままでいられるのかわからない。

 アリヤに飽きられる可能性はゼロではないはずだ。

 興味をもって皓子に近づいたのが始まりなのだから、その逆も起こりうる。そう思えてしまう。

 皓子の敵意や害意を退けて緊張を和らげる力をもってすれば、いつか心からぽろりと漏れ出た「飽きた」の一言がくるのかもしれない。

 確定はできない未来に、胸が苦しくなって息が詰まりそうな感覚を覚えた。

 そんな皓子のモヤモヤを知ってか知らずか、アリヤはいたって優しく誘惑を続けている。

 見透すことが難しいくらい完璧で美しい表情で、笑いかけてくれる。態度も恥じることなく皓子を好きだと、言ってくれる。

 なにも考えずに、その胸元へ飛び込んでいけたら楽なのに。

 とびきりの笑みのアリヤを見返して、皓子は緩く自分の手を握り混んだ。




 夜も更けた頃。

 リビングでくつろぐ自称保護者組に向かって、あっけらかんとアリヤは言い放った。


「ここ、出るってウワサがあるそうで」


 言った瞬間の、田ノ嶋の反応はひどかった。

 楽しみだった保養地が地獄に変化したと言わんばかりの表情。

 にこにこと備え付けの冷蔵庫で酎ハイを飲んでいた田ノ嶋の顔は強張り、信じがたいと書いてあるかのようだった。


「出るって?」

「事故に遭った幽霊だとか、明らかに人じゃない化け物だとか。曰く付きってやつだから気をつけろと言われました」

「あっ、御束くんがバーベキューの受付で捕まってたと思ったら、それのせいか」

「聞いてもないこと親切に教えてくれるのは良かったんですけどね。安心してね皓子ちゃん。ちゃんと俺の好きな子はきみだって答えておいたから」


 飛鳥はとくに動じていない。なにしろ見えないし聞こえないし感じない。さらには大体どんな状況でも生きていける能力があるのだから気にしないのだろう。

 浮気はしないとでも言外に含めているアリヤは嬉しいが、皓子は微動だにしない田ノ嶋が気がかりだ。恐る恐る声をかける。


「田ノ嶋さん、大丈夫ですよ。うわさはうわさで」

「……あ、そうだ。実は世流さんから連絡が来ていて」


 びくりと、明らかに田ノ嶋の肩が跳ねた。

 田ノ嶋へ寄って励まそうとする皓子を、手を引いて抑えてアリヤはにこやかに続けた。


「飛鳥さんに預けたやつ、この山に関連するものみたいで。ここの起きてる騒ぎを抑えるためにも早めにこの山の祠に備えた方が良いそうです。万が一があったらいけないから、注意を……特に皓子ちゃんは好かれやすいから、傍に居た方が良いって」

「ほあっ!? あああああ! ガチじゃん!! 世流パパさんが言うなら、マジモンじゃん!? えっ、なに、飛鳥くん何預かったの!?」


 瞬間、田ノ嶋が叫んだ。

 動揺に手元の酎ハイ缶が揺れて床にこぼれている。田ノ嶋が乱暴に机上へ缶を置いて向かいに腰掛けていた飛鳥に詰め寄る。飛鳥は慌てて部屋に戻って鞄を取ってきた。


「これのこと? だと思う……?」


 そして例の幾重にも紙で巻かれた物体を取り出すと、田ノ嶋は振動した。


「それじゃんんん!」

「麻穂さん?」


 神よと言いながら、頭を抱えて机にうつぶせて呻いている。田ノ嶋のそんな様子に飛鳥はおろおろとしてみせ、皓子たちに助けを求めてきた。

 無言で皓子は首を振った。

 アリヤは証拠とばかりに、自身の携帯端末を取り出すと二人に見えるように画面にメッセージを写した。


「俺は皓子ちゃんについていようと思うので、二人でお願いします」

「じ、慈悲はそこにありますか御束くん……」

「そこになければないですね。俺の慈悲は皓子ちゃんへ最優先で与えていきたいので」

「織本ちゃん……!」

「え、ええと。みんなで行くとかは」


 その提案は、アリヤに手を引かれて首を振られた。


「駄目。悪意からじゃなくて、好意で何かするってこともあるだろうし、この二人なら力業でどうにでも出来るはずだよ。皓子ちゃんに何かあるほうがよほどまずいし、俺が嫌だ。ね、飛鳥さん」


 矛先を向けられて、飛鳥もはっとしてうなずいた。


「麻穂さん、道中なにかあっても俺もいますし! その、頼りにはならないかもだけど、早く行って早く終わってしまいましょう! なんなら、えっと、ええと、そう! 俺が麻穂さんを運んで走りますから!」

「ううう……織本ちゃんに何かあったらいけないのはわかるわよ。それに、飛鳥くんが一人で明らかやばいソレを置きにいくのも心配だし……わ、わかったわよぅ。超、超、急いで行って帰ってくるわよ! 行くわよ、飛鳥くん!」

「はいっ!」


 それでも怖いものは怖いのだろう。涙目で机に置いた缶酎ハイを一気に呷り、田ノ嶋は乱暴に腕で拭うと高らかに告げた。


「やってやろうじゃないのよ、飛鳥くん! でも怖いから足になってください!」

「喜んで! いってきます、二人とも!」


 飛鳥はいそいそと背中を明け渡しておんぶをすると、ぺっかぺかの笑顔を浮かべて思いっきり浮かれている。

 背中の上の田ノ嶋は吹っ切れた泣き顔であった。そのまま二人は夜の森に騒がしく駆けていった。

 常人の膂力とは思えないほどの速さは、異世界を渡り歩いた実力と経験からなのだろう。

 いくつか世界を巡っているうちにちょっと脱一般人したとは飛鳥の言だがそれどころではないレベルだ。アリヤが力業でどうにかなるという理由もうなずける。

 目的地らしい祠のことも聞かずに出て行ったほろ酔いの田ノ嶋と浮かれた飛鳥であったが、大丈夫なのだろうか。皓子が声をかけようにもその姿はもうない。


 しん、となったリビングで皓子はそろりとアリヤに聞いた。


「……アリヤくん、心当たりないって言ってなかった?」

「俺は協力するって言った覚えはあるけど? これは協力だよ、皓子ちゃん。でもまあ、俺の運の良さも大概だなって思った」

「そりゃ、優待券が当たったのも、ちょうどよく空いたコテージに泊まれたのもすごいけど」

「あはは、そうだね。ひとまず座ろっか」


 なにやらほかにもありそうな含み笑いだ。

 まるでこの事態もアリヤが望んだからとでも言いたげである。

 手を引かれてソファに案内された。アリヤが腰を下ろして、隣に座るように促される。ソファは、座り込むと沈んでしまうくらい柔らかい。


「ところで皓子ちゃん」


 アウトドアに適した格好をとパンツスタイルなものの、足を開いて座るにはさすがにできない。膝頭を合わせて、遠慮がちに座りなおしていると、アリヤがなんでもないように言った。


「幽霊はともかく、化け物の話は嫁入りに関する伝説があるんだって」

「そうなんだ」

「年頃の女性が、一人きりでいると浚われる。だからここの山は嫁取山という異名がついていて、これまでの神隠しや不審死事件も、起きたのはそのせいだって地元の人たちはうわさをしているみたいで……もちろん、回避方法という名前のおまじないもある。知りたい?」


 なるほど。皓子の体質ではまずいタイプなのだ。

 皓子はアリヤの話を聞いて、理解した。

 うなずいてアリヤの続きを待つ。すると、手先でちょいちょいと招かれた。

 わずかににじり寄れば、足りないとばかりに腕が回されて囲われた。

 腰元に這った、皓子より大きな手のひらが力を入れると、たちまち体はアリヤの方へと傾く。腰抱きの姿勢で皓子の頭が胸元に寄ったのをみて、満足そうにアリヤは頭をすり寄せた。


「誰かと二人で過ごすこと。俺が聞いたのは以上かな。それはもう丁寧に教えてくれたよ。よければご一緒しませんかってね。どう思う?」


 皓子にたずねる声はいかにも不満そうだ。

 しかしそれよりも、甘えられるような姿勢に驚いて、皓子は反応がうまくできなかった。


「あーあ。姿勢は良い感じなのにな。やっぱ腰はだめか。それに皓子ちゃんの重さも感じないじゃん。つまんない」

「あ。そう、なんだ?」


 言われて、皓子は契約の縛りとやらが機能しているのを目の当たりにした。

 確かに、頭がアリヤの体とくっついていない。腰元のアリヤの手からくる、じわじわとした体熱も感じなかった。

 効果をまざまざと実感すると、なんだか気持ちも少しだけ落ち着いてきた。


「まあ。その、アリヤくんは格好良いからねえ。あの、アリヤくん。でも、二人で過ごすのはくっついていないと駄目ってわけじゃないよね?」

「……そこまでは聞いていないから、万全を期してこの状態でいいんじゃない?」

「そうなのかな、でも」

「それより、皓子ちゃんもっと言って。皓子ちゃんに褒められるの、俺は好き。あ、もちろん皓子ちゃんも好きだよ。だぁいすき」

「アリヤくん、私をからかって楽しんでるでしょ」

「楽しんではいるけど、からかってないよ。はー、悲しい、めちゃくちゃ好きだって言ってるのに……身をもってわかってもらわないと伝わらないのは悲しいなあ」


 落ち着きがまた飛んでいってしまった。

 不穏な気配を感じて、思わず皓子は唾を飲み込んでたずねた。


「で、出来ないよね?」

「ものは試しという言葉があるよ」


 視界ががらりと変わる。

 いとも簡単に、ソファに背中を預けて上体を倒された。


「非常時には、皓子ちゃんに触ることだって許可される。今は、曰く付きの山近くでもしかしたら皓子ちゃんを狙う相手がいるかもしれない状況。安全を得るためには、誰かといなければならない」


 冷静に一つ一つ上げながら、アリヤは皓子の頬から顎のラインをなぞり、首へと指先を下げていく。

 触れてはいない。

 いないのにそこから火が灯りそうだった。


「何度も言うようだけど、俺は皓子ちゃんが好き。普通に欲情するし滅茶苦茶キスもしたいしそれ以上もしたい。でも、我慢して待つよ。俺のことを、意識して、気にして、無視できなくなって、好きになってくれるまで。皓子ちゃんが遠慮して戸惑っているのもわかっているけどさ。ねえ、いつになったら信じてくれる?」

「それは……」

「俺のことは嫌い、じゃないよね」


 嫌いではない。咄嗟に首を縦に振れば、ほっとした風にアリヤは笑った。


「よかった。じゃあ不安?」


 じいとのぞき込まれる。

 アースアイが静かにまっすぐ皓子の目を見ている。

 アリヤには、皓子みたいに緊張を和らげて本音を言いやすくするなんて力はない。そのはずなのに、操られるようにうなずいてしまった。


「ふうん。不安か。俺に出来ることある?」


 気遣う言葉に、皓子は面食らってしまった。そこまで皓子のことを考えてくれると思わなかったのだ。

 マメで優しいと知っていたが、それほど皓子を第一に見てくれるとは知らなかった。アリヤが皓子に好きと伝えてくれてから、どんどんと良い面を見つけていく。

 動悸がする。息が苦しい。

 体勢や迫られることに対する気恥ずかしさだけではなくて、もっと心から湧き上がるような何か。熱くて、胸がいっぱいになるくらいの。


(ああ、そう……好きになったんだ)


 変なことを口走らないように引き結んで、首を横に振る。ばくばくと五月蠅い心臓を抑えて、変な顔になっていないことを祈りながら口を開いた。


「……ううん。アリヤくんが、そうして笑って、好きって言ってくれたら、平気」

「……ちょっとタイム」


 アリヤの顔が、徐々に赤くなった。


「ちょっと、あまり見ないで。泣きそう」

「泣きそう!? えっ、なんで」

「いや、無理。えぐいキスされたくなかったら黙って目閉じてて。あ、まって閉じたらだめ。間違いなく襲う。契約で守られててよかっ……いやよくないんだけど。くそ、皓子ちゃんは、ずるい。俺ばっかり本音言わせてさ」

「そうは言われても」


 怒濤の混乱したアリヤの言葉に、こちらまで戸惑ってしまう。

 頬だけでなく耳や目元まで紅潮したアリヤは、いっそ暴力的な色っぽさを伴って熱い息を吐いている。首元にかかれば、こちらまで熱が伝わってくる。


「皓子ちゃん、俺のこと好き?」

「……たぶん?」

「だって、好きって顔が言ってた」

「そう、なのかな」


 顔に出さないようにがんばったのだが、無駄な努力だったのだろうか。頬に手を当てると、アリヤが落ち尽きなく視線を彷徨わせてから目を伏せる。


「そうじゃなかったらそれはそれで、もっと好きになるからどっちでもいい……やっぱり、キスしたい。させて」

「えっ!? アリヤくん、落ち着こう? 冷静じゃないよ」

「好きな子とこうしてて冷静になれるわけないじゃん」


 吹っ切れたのか、会話をしながらアリヤが皓子の首元に顔を寄せた。相変わらず接触まではいかないが、吐息はかかる。

 心臓が口から出るかと思うくらい五月蠅く響く。あ、とか、や、とか戸惑った声も妙な迫力に呑まれてかき消える。

 ほう、とうっとりした声音でアリヤが言う。声が視覚化されたなら、蜂蜜みたいにどろどろと溶け出してしまうほど甘い。


「皓子ちゃん、好き」


「よっ、お邪魔するぜい」


 しかし、唇が至近距離に近づいた瞬間に風が吹いた。

 窓もドアも、出入り口が閉め切っているのに吹き抜けた風が話しかけた。慌ててアリヤの口元に手を当てて押して離す。

 そのままソファを這い出ようとして失敗して、床に落ちて尻餅をついた。だが、逆にそれで動揺は多少なりともマシになった。


「おや、こりゃ本当に邪魔しちまったなァ。悪い悪い!」


 軽妙な口調は聞いた覚えがある。

 やがて何もない空中から、びゅうびゅうとうなる風を巻いて一匹の大イタチが浮かびあがった。


「又三郎さん?」

「おう、お嬢ちゃん。ついでに坊ちゃんも久しぶりだぁな。めでたく水茂様の婿になった颪又三郎、遣いで来たぜ」


 そう言うと、又三郎はぐるりと宙返りをすると一枚の札を皓子に向けて投げて寄越した。

 札は奇妙に輝くインクで読めない記号や漢字が描かれていた。


「これは」

「世流の旦那お手製の護符でい。水茂様が安全のためにってお前さんたち用に渡してこいって言われてなあ。ここの神さんは女ひでりの怪上がりというのは、有名も有名。まっ、わたしに言わせりゃ、相手がいるやつには手を出さない分、まだマシな部類だと思いますがね。万が一があっちゃあ困るってことで」


 ぺらぺらとまくし立てるように又三郎は話す。だというのに、するりするりと聞き取りやすい。


「ああ、そうそう。わたしゃ、世流の旦那の担当編集ってやつにもつきましたんで、また顔を見せることになりますよっ、というわけで、用は以上。あと老婆心のお節介だが、おまえさんたち、そろそろ他のヤツが戻ってくる頃合いだから、身なりは整えておきな。じゃ、またなァ!」


 言いたいことだけ言うと、また音を立てて風が巻く。ぽかんと見送るうちに、又三郎はいなくなってしまった。


 そして又三郎の言った通り、間もなくして田ノ嶋を背負った飛鳥が意気揚々と戻ってきた。

 続きを迫られることもなく、言われるがままに身なりを整えておいてよかった。ほっと息をつく皓子の傍らで、不機嫌そうにアリヤは皓子にしなだれかかってむくれるのだった。

 幼い子どもみたいな拗ねかたに、ちょっとだけ、きゅんとしてしまった。



 帰ってきて早々に、田ノ嶋は皓子にくっつき、もう寝よう早く帰ろうと主張をした。

 飛鳥も皓子も強く言えず、唯一アリヤは不満そうであったが田ノ嶋に軍配があがった。

 途中でどたばたはしたものの、無事にコテージでの旅は終わり帰宅することとなった。

 帰路の中でこっそりと仲の進展はあったのかと皓子が聞けば、ハッと我に返った飛鳥が微妙な顔をしたので、あんまりだったのかもしれない。

 ただ、田ノ嶋のいろんな顔が見れて満喫したとの感想はあったので、完全なる収穫なしではなかったようだ。

 役に立てたのかどうなのか。

 それよりもアリヤと皓子のほうが進展してしまったような気がする。というよりも、皓子が自覚をしてしまった。

 皓子はなんだか居たたまれない気持ちになりながら、車窓からのぞく見慣れた故郷の道を眺めるのであった。

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