第37話 穏やかな、かどわかし 4


 怒っているのだと示すために、部屋に閉じこもるのはどうだろうか。

 皓子はドアに鍵を掛けて息をつく。腹の底でまだ慣れない怒りの渦はあるが、じわじわと落ち着いてきた。

 もともと皓子にとって恨みや怒りは縁遠い。

 怒りが持続せずにしょうがないと受け入れてしまう。自身が負の感情をほとんど受け付けないからでもあるが、生来の性格なのだとも思う。おかげでカッとなって行動しないのは幸いだ。

 あちこち部屋の中を探ってみてわかったことは、食事以外の事情はこの部屋一つでことたりそう、ということだった。

 大門が言っていた通り、部屋の中の木製衣装箪笥には、爽やかな白のワンピースをはじめ女の子らしい可愛い衣服が詰められている。

 下着は矢間が選んだのだろうか。シンプルで可愛らしいものから上品で大人っぽいものまで揃えている。大門は見ていないのか、紐があったときは思わず奥深くにしまいなおしてしまった。

 ユニットバスには高級志向なアメニティグッズが取りそろえられ、ふかふかのタオルが壁付き戸棚に入っていた。

 外と繋がる排気口だとか穴とかないかと思ったが、皓子の手のひら程度しかない換気扇の僅かな隙間では無理がある。


(どうしようかなあ……)


 皓子が考えあぐねていると、意外にも助けはその僅かな隙間からやってきた。


 声がした。

 微かな、泣き声のような。

 きゅんきゅんと動物が鳴いているのかと思えば、それは換気扇の隙間からする。

 皓子は思わず辺りを見回した。洗面台の天井近くに位置している換気扇を、背伸びして見上げる。

 徐々にすすり泣くような声と共に言葉も聞こえてくる。

 近づいてきている。

 やがて、隙間から茶色の布が見えた。


「狭いきゅん、暗いきゅん……でも負けないきゅん」


 隙間からしわしわになった布、もといフェルト生地のマスコットが出てきた。

 ぶち模様の犬の顔だけのキャラクターマスコットは、ふらふらと空中から落ちてきて中空で留まる。


「田ノ嶋さんのマスコットくん」

「はっ!? 管理人きゅん。会えてよかったきゅん」


 全身を震わせてよれた生地を直したマスコットは、刺繍された顔をどういう理屈か不明だが感情豊かに変化させた。

 愛嬌たっぷりにウインクをしたマスコットが皓子の差し出した手に着地する。


「もう安心きゅんよ」

「来てくれたの?」

「本当は飛鳥が来るはずだったきゅんが、留守だったきゅん。それに、万屋荘も迎撃中でたてこんでるきゅん」

「えっ? それってどういうこと? 攻撃されてるの?」

「大丈夫っきゅん! なにせマホマホが代わりに来たきゅん!」


 そうマスコットが言うやいなや、大声で叫びながら何か硝子が割れるような音がした。

 慌ててユニットバスから出るが、皓子の部屋には誰も居ない。となると、リビングの方だろうか。

 皓子が耳を澄ませば、やけくそじみた「華麗に参上! あなたにときめき! 魔法少女マホマホ!」という声がした。


(麻穂さん!)


 駆けだしそうになったが、部屋の入り口前で止まる。


「管理人きゅん、どうしたきゅん?」

「……無理に連れてこられた代金として、拝借していこうと思って」

「管理人きゅん、御祖母様似きゅんねえ」

「わあ、褒められて嬉しい」

「そっくりきゅん……」


 そう。皓子はまだ怒ってはいるのだ。

 慰謝料代わりと衣装棚の好みのワンピースを数着手に取って、下着が入っていた袋の中身と交換して詰め込む。

 自分で買うには高そうで、それに皓子なら選択しなさそうなデザインは新鮮だ。いざとなったら吉祥への手土産にだってなるかもしれない。

 そうこうしている間にも、リビングでは何やら取り込みの音がしている。

 手元をふよふよ浮いているマスコットが心強い。ドアの鍵を開けて捕捉開けてリビングをうかがう。


(居た。麻穂さん……じゃなかった、マホマホ)


 此方を背にして、立っている女性は麻穂だ。ただし、魔法少女に変身しているので常の状態とは異なっている。

 フリルのついた赤いミニ丈のワンピースドレスと黒いスパッツを身に纏い、厚底のロングブーツは頑丈で、しっかり足を守っている。

 格好としては、ちょっと昔の魔女っこのアニメのようだ。変身ヒーロー特有の、変身すると伸びた活発そうなポニーテールはオーロラのように色が移り変わって輝いていた。

 魔法のステッキの代わりに、物理で攻めるタイプである魔法少女マホマホの両手には、拳を覆うカラフルなグローブが付けられていた。

 そしてマホマホは重心を低くして身構えて対峙している。相手は大門たちだった。

 まるで敵対する組織の幹部のように大門を中心に矢間と宇江下が陣取っている。


「おお! 出たな、我が社のライバル、魔法少女マホマホ! お前を倒し、――星の放送覇権は我が社が握ってくれよう!」


 ノリノリで言い放ったのは、宇江下だ。星の名前はノイズが走って聞き取れない。

 続けて矢間も、それは楽しそうに言った。


「ああ、なんて暴力的そうな御方でしょうか。吉祥殿の此度の軍団と相まみえるとは、ええ、僥倖とはこのことでございます! さあ、私を傷つけられるかしら!?」


 昂ぶりを隠さずに身もだえた矢間は、出来るキャリアウーマンの姿はすでにない。自身のシャツを掴むと拭い去る仕草をした。

 すると、服装は黒く光るレザースーツへと変わる。

 ボディラインをくっきりと見せつけたポーズをしてみせ、どこから取り出したのか長いグリップの鞭を振るっている。

 大門は二人の様子を静かに見ていたが、隣の宇江下から顔の上半分を隠す白い仮面を渡され装着した。

 宇江下はサポート要員なのか、佐藤原のようなアタッシュケースを近くにおいてメガホンを手にしている。さらにはカンペらしきタブレットを持って大門へと見せている。


「……契約に基づいて、貴様を阻ませてもらおう」

「メインディッシュまで、もってくださいまし。さあ、木っ端ちゃん、おいでなさいでございます!」


 矢間が鞭を振るえば、部屋のあらゆる隙間から暗闇がしみ出した。

 かと思えば、小さな形を作って姿を現す。

 皓子の半分くらいの大きさの、醜悪な妖精にも見える生き物だ。大門を仰ぎ見て狂乱じみた喝采を上げている。大門の魅了とやらだろうか。ここまで届いていないことにほっとする。

 木っ端とよばれた生き物たちは、やがて口々に「ミー!」と叫び両手を振りかざし、マホマホへと飛び掛かった。


(なんか、急にヒーローショーじみてきた……というか、お父さん、報酬ってこれなの?)


 なんだか急展開すぎて、ついつい見入ってしまいそうになる。

 ついでに言うなら、知らない間に父が悪役デビューを果たしていて気持ちは微妙である。

 手元のマスコットが揺れて皓子に言う。


「今のうちに外に行くきゅん。マホマホはこれくらいの修羅場なれっこきゅん。お任せするきゅん」


 皓子を先導するようにマスコットが動く。同時に、意識を引くためだろう、マホマホは片足を高く上げて床へ振り落とした。

 ドン、と振動が走る。

 床が割れ、巻き添えになった木っ端ちゃんと呼ばれた生き物が霧散する。一瞬だが、皓子の方を見てマホマホは顎で合図をした。

 ドアの隙間を抜けて足を動かす。

 用意されたワンピースでなくて良かったと思いながら、肉弾戦が繰り広げられているリビングをこっそりと抜けた。

 さらに援護か、派手に立ち回るマホマホによって壁が破壊された。

 そして出て行く皓子に気づかせまいと、マホマホは大門たちへと肉薄して行く。魔法少女というより格闘アクションのソレであるが、脱出の助けには違いない。

 騒ぎに乗じて、皓子は駆けだした。奇声を上げる奇妙な生物たちをくぐり抜けて外へと躍り出た。


 辺りは暗い。

 空調が効いていたログハウス内とは違って、外はむわっとした蒸し暑さだ。

 木々が生い茂る暗闇は、ログハウスからの明かりで照らされているが獣道はなさそうだ。あるとすれば、車で来たときに通った道だろう。

 暗さに目が慣れてくれば、木々の遠くに建物の明かりらしきものがぽつぽつとあることが確認出来た。どこかのキャンプ施設だったのかもしれない。

 ただ、ここからは建物が確認出来ないが、他の人だって見つけられそうだとほっとする。


「あっ、誰かいるきゅん」

「えっ」

「あっちだきゅん。寄ってくるきゅん」


 リードがあるなら引っ張られるくらいの勢いでマスコットが飛んでいく。ログハウスから少し歩いた先の、うっすらと影になっている木と木のあいだあたり。確かに誰かが向かって来ているように見える。

 目をこらせばスーツを着ているとわかった。大門の関係者かもしれない。

 とんでも対決になりつつあるログハウスに居るには、一般人は辛いだろう。危険だといってあげたほうがいいかもしれない。

 父の関係者とはいえ、無視するのも気が引けて皓子は立ち止まった。もし明らかに普通じゃなかったら逃げられるように警戒して身構えておく。


 やって来たのは、くたびれた中年の男性だ。

 よほど急いで駆けつけたのだろう。皓子の近くまで来たときには体を折り曲げて、肩で息をしている。


「あの、大丈夫ですか?」

「あ、ああ、はい、ええ、なんとか」


 男がのっそりと顔を上げる。無害そうな男性は困惑を浮かべてあたりを見ている。


「なにか大変な物音がして、織本社長は……なにがおきて」


 事情を知らないのかもしれない。

 それならなおさら、あのログハウスに近づけたら危険だ。皓子は知らないふりをしながら聞いてみた。


「私も夜の散歩をしていたら、大きな音がして驚いて。なにか、あそこ、壊れたようにも見えますから、管理者さんに連絡したほうがいいのかなって」

「ええ!?」


 驚いた男は大仰にのけぞってみせると、頭を抱えた。


「うーん、それなら、すみませんお嬢さん」

「はい」

「私も連絡に付き添いますので、事情を説明しにいきましょう。さすがにお嬢さんが居るのに中に入ってしまって何かあってからでは遅いし……」

「あ、大丈夫です。一緒に行きましょう」


 男に隠れるために、皓子の後ろ首あたりにマスコットが潜んでいるせいでくすぐったい。こちらですと先導をしてみせる男についていく。

 ログハウスの光源を離れて暗い夜道を進む。

 男はポケットから携帯端末を出して明かり代わりにしてさらに進んでいく。

 その先は、出たときに見えた明かりのある場所だったのだろう。数分もしないうちに、皓子が居たログハウスよりも一回り小さそうな管理小屋が見えた。

 窓にはカーテンが閉じられて中を見ることはできないが、漏れる明かりは確認出来る。入り口までの数段ある木製階段を上がって男がノックをしてドアを開けた。


「どうぞ、先に」


 自然な仕草ですすめられて、ドアの敷居をまたぐ。


「こちらでお待ちを」


 とん。と押された。

 首元に手を当てられ、隠れていたマスコットが掴まれる。


「織本様のため」

「ぎゃんっ」


 驚いて息を呑み、入り口から小屋の中へと倒れ込んだ皓子の代わりとばかりに、マスコットが悲鳴を上げる。

 持っていた紙袋は、がさりと手から滑り落ち、男に蹴られて外の暗闇に消えた。


「美しく素晴らしいあの御方のためになるのなら。すすんで泥もかぶらなければ。貴女は安全な場所にいなければならない。織本様を悲しませる要因は防がせていただく」

「まっ、まってください!」


 しかしすぐにドアは閉じられ、明らかに施錠をされた。

 慌てて起き上がり内鍵を外して開けようとするが動かない。何か重たいものを置かれているのかぴくりとも動かないのだ。


(それなら窓!)


 カーテンで締め切った窓。

 勢いよくカーテンを開けると、皓子を見張る複数の目と合った。


「ひえっ」


 カーテンをつまんだ手に力が入る。そのまま即座に閉じ直した。

 こちらを凝視する、爛々とした光を放つ目だった。

 青年から中年の男女がじっと此方を真顔で見ているのは不気味の一言だ。口元はぱくぱくと動いているが、声は届かないのは幸いである。


(あれは、お父さんのせい? 矢間さんと宇江下さんも関わってる?)


 矢間は吉祥の関係者で、宇江下はマホマホをライバル扱いしていたからおそらく佐藤原の関係者。どちらも何かすることが可能そうだ。

 もっとありそうなのは、大門の魅了だろう。吉祥から聞いた分には、若い頃はそれはもうひどく能力に振り回される有様であったとのことだが、成長と共に抑えが効くようになったという。

 意図的に使っていたとしたら、このような風になるのかもしれない。

 どれだけ皓子を留めておきたいのだろう。


(もっと、ちゃんと聞いてくれたら。話してくれたらいいのに。こんなことをして、みんなに迷惑もかけて)


 窓からじりじりと離れて、床に座り込む。


「どうしよう……」


 閉じ込められてしまった。

 異常な環境は慣れっこなはずだったのに、敵意はないとはいえ、監視の中に置かれるというのは気が滅入る。

 田ノ嶋は助けに来てくれたが、三対一で今も戦っているのだろうか。

 マスコットは連れて行かれてしまった。無事だろうか。

 そもそも、うかつに皓子が応対したのが過ちだったのかもしれない。下降気味の思考で反省をしても甲斐はない。

 花屋のときに足早に離れていれば。

 たらればを浮かべて、皓子はうつむいた。


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