契約の終始

第30話 来訪者 1


 おや、と皓子が違和感を持ったのは、佐藤原の騒ぎからしばらくしてだった。

 一学期の終わりも見えてきた頃のことである。


 それは、アリヤと鉢合わせすることが増えたことだ。

 まず、ゴミ出しでタイミング良く会うことが多くなった。

 つづけて、休日も吉祥に頼まれて出かけたり庭先の水やりをしていたりすると、ひょっこり現われて手伝ってくれるようになった。たまたまだとアリヤは言うが、さすがに何度か続けば、いくら皓子でも偶然にしては多いと思ってしまう。


「皓子ちゃん、おはよう」

「あ、おはよう。アリヤくん」


 本日もまた、朝に鞄とゴミ袋を両手にゴミ出しをしていると、後ろからやってきたアリヤに声をかけられた。


「制服ってことは、今日は休みなのに学校?」

「うん。来月末に文化祭と体育祭あるから、その話し合いをしに行くところ」

「へえ、こっちの学校は暑いときにやるんだ」

「そうそう。めちゃくちゃ汗かいてふらふらになるんだよねえ。アリヤくんの学校は?」

「秋だよ。皓子ちゃん、それなら体調気をつけてね」


 皓子の勘違いでなければ、いつの間にかさらに気安く話しかけてきてくれるようになった。

 距離だってなんだか近くて、相変わらずハッとするほどの美貌を惜しげも無く皓子へ向けられると、そわそわと気持ちがくすぐったくなる。


「アリヤくんも、熱中症には気をつけて。今日は暑いらしいから」

「そっか、残念だな。暇ならって思ったけど、また今度にするね」

「なにかあったの? 困りごとなら、ばばちゃんとか……」

「なにもないよ。困ったことは、皓子ちゃんと出かけられないことかな」


 アリヤは残念そうに言ったあとで、ひらひらと手を振った。


「いってらっしゃい。早く帰ってきてね」

「いってきます……?」


 そのまま何故か見送られて、皓子は自転車を走らせたのだった。



 さらには、その翌日。

 天気は大雨となり、万屋荘で育てている作物を守るべく庭先の区画にかり出されたときのこと。

 雨合羽を着て豪雨に打たれながら吉祥と飛鳥と手分けして点検をしていると、自主的に手伝いを買ってくれた。これには大助かりで、畑区画とガーデニング区画を素早く回ることが出来た。洗い流されるとか弱るとかは、保護や呪いがかかる万屋荘の敷地内には起こりえないが、変異が起きたら大変なのだ。

 一仕事終えてお礼にと家に招こうとすると、変に固まってから「他意がないんだよねえ」ときらきらしい微笑みを浮かべ、手を握り礼を言われた。こちらがお礼を言う立場なのに首を傾げたものだった。


(やっぱり、なんだか……距離が近い、ような?)


 勘違いをするなと戒めていたが、ここ最近のアリヤの行動を鑑みるとやはり近しくなってきているような気がしてならない。

 皓子だけでなく、その変化は万屋荘の面々も気づいているようだ。水茂にいたっては、最近は女の匂いがマシになったと喜んでいた。

 そして極めつけは、幼馴染である諏訪の報告であった。


『こっこ。俺、アリヤと仲良くなったから、よろ~』


 なんとも緩いメッセージが皓子宛に送られてきた。

 皓子の知らない間に接触して、諏訪のコミュニケーション力の成せる業か相性が元々良かったのか、不定期に連絡を取り合う友人関係になったらしい。

 アリヤにそれとなく聞いてみたが、アリヤも木立と呼んで親しくしているとわかった。


(こだくん、本当にいつの間に)


 諏訪は、周囲に埋没する修行だとか目立たない修行だとかで特定の親友だとか友人関係を作らず、広く浅く交流して人脈を作っている。クラスで仲の悪い相手はとくにいないが、特別仲良しはいない。

 例外は忍原と皓子だけだ。

 忍原はともかく、皓子のことは力もあって周囲から変に見られないためだが、ともかく。

 そんな諏訪がアリヤと面識を持ち、連絡をしあっているという。

 なお、よくする話題は皓子たち幼馴染エピソードだとか男同士の雑談らしいので内緒だと言われた。

 諏訪からアリヤへ情状酌量の余地ありだとか気持ちは汲んでやりたい、なんて、謎の言い回しのメッセージが時折くるようになった。

 おそらくアリヤは、万屋荘だけでなくこの地域にもすこしずつ馴染みはじめているのだろう。そう皓子は思うことにした。

 なにせ、最近学校でもこの辺りのコンビニに見たことないイケメンが出没すると話題に上がるほどだ。忍原所属の美術部がモデルにしたいと息巻いている姿をクラスでも目にした。

 そのうちもっとウワサが増えそうだと皓子は踏んでいる。

 そして、予想は正しく当たった。







「皓子ちゃん、買い物? 偶然だね。俺も行くとこだから、一緒に行かない?」


 週末。

 皓子が買い出しに行ってこいと吉祥に言いつけられて、万屋荘から出て裏庭の駐車場へ行くと、ベランダからアリヤが顔を出した。駐輪場は裏庭側にあるので、音で気づいたのだろう。

 とくに断る理由もない。

 荷物も持つからとアリヤに押し切られて、皓子は自転車ではなく、二人して少しの距離を歩いてスーパーへ向かうこととなった。

 案の定、スーパーに居てもアリヤは目立った。

 輝く美青年のアリヤが微笑んだり表情を動かすだけで、視線が追ってくる。今度からスーパーに出没するとんでもイケメンのウワサが地元に出ることだろう。

 当のアリヤは気にせずに皓子の分までスーパーのカゴを持って、これが美味しかっただとかあれが安いだとか庶民的な会話を振ってくるばかり。

 皓子にばかり愛想良くして他を一切をシャットダウンしている。そんなアリヤの様子に、思わず皓子がたじたじとしてしまったほどだ。

 アリヤは皓子が戸惑った風に反応するのが面白いのか、そういう態度を見つけては殊更楽しそうなくすぐったいような表情で見てくる。


 会計も終わり、皓子の分の買い物袋まで持ったアリヤは機嫌が良さそうだ。


「楽しそうだね、アリヤくん」

「皓子ちゃんと一緒だからね」

「そんなに面白いことしてないと思うけど……?」

「そういうわけじゃないんだよなあ……」


 へにゃりと気の抜けた笑みで笑うと、アリヤは「帰ろ」と皓子を促した。

 長い足の歩幅は、アリヤよりも幾分も低い背の皓子に合わせて小さい。

 歩く度に買い物袋がゆらりと揺れる。皓子が頼まれた分よりもアリヤの買い物は少なかった。だというのに持ってもらうことに申し訳なくなっていると、優しく声が降りてきた。


「皓子ちゃん」

「うん? なあに」

「今日暑いからさ、アイス買ったんだよね」

「おっ、奇遇だねえ。私も買ったよ」

「帰るまでに食べない?」

「おおー、いいねえ」


 同意すると、じゃあ、とアリヤの分の袋が目の前に出された。ぴたりと足が止まる。


「ここから出して、適当に取ってくれない? ほら、俺、手が塞がっているから」


 まあ、それならばとうなずいて、袋に手を入れて棒付きのアイスを一つ取る。

 ついで「破ってもらっていい?」と要求されてパッケージをとる。そうすると、次には上体をかがませてアリヤの顔が近寄った。


「ん。ちょうだい」

「ひえっ」


 軽く開けられた口が手にしていたアイスを持っていく。横着だなと思うより前に、突然のことに驚いた声が出てしまった。

 ばくばくと心臓が動く。

 遅れて気恥ずかしさが襲ってきて、指先が震える。手に残ったパッケージを皺にして握っていれば、それを横目にアリヤが何食わぬ顔でアイスバーを頬張っていた。


「……い、意地悪はよくないと思う」


 落ちそうになるアイスバーの棒をつまんで取ったアリヤは、唇の端を上げた。


「意地悪じゃないよ」


 目を細めたアリヤは皓子を見つめたあとで、今度は皓子の買い物袋を差し出した。


「はい、皓子ちゃんも取りなよ。あ、ゴミは俺の袋に入れて」

「う、うん。ありがとう」


 動揺を抑えて礼を言い、空きパッケージを入れてから自分の袋にあるアイスを探す。丸いボール状の果物アイスは冷たく、暑い気温だけでなく体温までも下げてくれるのを手伝ってくれた。一つ二つつまんで食べて、やがてゆっくり歩き出したアリヤに並んで歩く。


「意識しちゃった?」

「えっ、あ、うん。相変わらず綺麗だなって思ったよ」

「……まだだな」


 聞かれたので素直に応えれば、期待外れの返答だったらしい。む、とアリヤの表情が変わる。

 どういうことだろう。そう思ったところで、皓子は前方から視線を感じた。

 あぜ道に続く前の、まだ人通りのある町外れ。徐々に民家も減り、草木が代わりに生え並ぶあたり。

 電柱の影に、誰かが立っていた。

 仮面を付けた、スーツの男だ。

 それも仮面は祭りの屋台にあるようなポップな白い犬の顔で、あからさまに不審者丸出しであった。


「アリヤくん、知り合い?」

「まさか」


 なんだかこちらを伺っているような気がして、こそりと聞けば同じく男に気づいたアリヤが短く返した。


「皓子ちゃん、俺から離れないでね」

「うん。大丈夫、任せて。アリヤくんは私の傍にいれば安心だからね」

「……頼もしいなあ」


 何故か棒読みで言われた。

 緩やかに歩く速度を落として、アリヤは荷物をまとめて一つに持つと、空いた手で皓子の手を取った。


「買うの忘れたものがあるから、戻らせて。こっち」


 自然な口調で言ったアリヤが、皓子を引っ張って来た道を引き返す。

 背を向け、人の居るほうへと向かって足を速める。

 息が弾む。

 後ろを見るが付いてきているかわからない。気のせいだったのだろうか。

 だがアリヤは、速度を緩めずに民家の裏道へと入り込んだ。誰もいないことを確認すると、繋いだ手を離してポケットからキーリングを取り出した。

 鍵と羽を模したキーホルダーが二つずつ付いている。暗いオレンジ色の羽をぷつんと千切ったアリヤは、地面に向かって躊躇せず投げた。

 羽のキーホルダーは地面とぶつかる前に、とぷんと波紋を立てて沈み込む。

 波紋はやがて、皓子の見知らぬ言語が羅列した帯となって紋様を形作った。


(これ、アリヤくんの部屋にあるやつと似てる)


 思ったことが顔にでも出たのかもしれない。アリヤが簡単に説明をしてくれた。


「緊急用の帰還門。俺がよく使うやつで、大丈夫だから。皓子ちゃん、おいで」


 差し出された手が、また皓子の手を取る。包み込むように握り込まれて体を寄せられた。

 軽い音を立てて体がぶつかる。花のような柔らかい匂いに混じって汗の臭いがした。頭のすぐ上から潜められたアリヤの声が降りてくる。


「離れると危ないから。ね」


 驚いて皓子が声を上げるより先に、アリヤは皓子に片腕を回したまま淡く光る紋様へと飛び込んだ。


 瞬間。


 周囲の景色が溶けて消え、めまぐるしく変化する。

 凄まじい勢いで落下していくような、奇妙な感覚が体を通り抜けると足が地面に着いた。

 辺りを見回してみれば、御束家の敷地にあるガレージ倉庫だった。

 ここ最近来たことがあったため、すぐに見当がついた。なぜなら壁に、マロスの未発表作品たちが掛けられているからだ。その中には万屋荘の住人たちが生活している姿を生き生きと描いた絵もあった。

 薄暗いガレージ倉庫の高い窓から差す陽の光は明るく、こちらの天気も快晴なのだとわかる。


「うるさいのに見つかる前に、行こう」


(うるさいの、とは?)


 皓子が疑問を出す前に、アリヤが体に回してきた腕に力を入れて皓子の足を進めさせる。

 壁の一カ所に進むと、手慣れた様子でアリヤの指先が空をなぞると、また新たな紋様が浮かび出た。


「あ、靴は脱いでね。俺の部屋に出るから」

「わかった。ちょっと待ってね」

「脱がしてあげよっか?」

「えっ? 大丈夫、自分でできるよ」


 気恥ずかしいのと同時にほっとする。わざと安心させるように軽く言ってくれたのだろう。

 皓子はアリヤの腕から離れて、スニーカーを脱いで手に持つ。その間にアリヤは靴と自分の荷物だけ先に投げ込んでいく。

 それから、また自然な仕草で皓子の手を取った。


(くぐるのには、手を繋ぐ必要があるってことなのかな)


 こうして転移をするのは初めてで、勝手が分からない。

 アリヤに優しく握り込まれて笑いかけられると、なんともむずがゆくこそばゆい。気持ちを落ち着けるために、皓子は話題を探して口にした。


「あの、仮面の人、なんだったんだろうねえ」

「あれ、皓子ちゃん見てたよ」

「アリヤくんの間違いじゃなくて?」

「俺も見られてはいたけど、本命は皓子ちゃんのほうだと思うな」

「ええ……なんだろ」


 皓子の力をもってすれば、悪意や害意はまず抱かれない。神様たちや宇宙人にさえも発揮する異能に抗える人材が果たしているのだろうか。

 頭を捻らせて考えるなかで、アリヤは「あ」と声を出した。ついで、繋いだ手を引かれた。


「うるさいのが来そう。皓子ちゃん、早く」


 くん、と引かれて紋様へと飛び込んだ。

 視界が白く染まる中で、背後からマロスらしき声がする。


(うるさいのってもしや……)


 素知らぬ顔のアリヤは、皓子の視線を受け取ると、にこりとした微笑みで黙殺した。

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