第13話 外出とお食事
翌日。
本日も見事な五月晴れの空の下、皓子はアリヤと町中にいた。
忍原におすすめされた店がある場所を目指して、携帯端末の地図アプリを頼りに進む。なんでも、この地域でも珍しい初進出のふわしゅわなパンケーキらしい。
もちろん佐藤原がくれたクーポンが使える店だということも、おすすめの味や食レポといった下調べも完璧だった。持つべき者は情報通の友である。
アリヤにここが良いと聞いたとき何か言われるかと思ったが、あっさりと二つ返事で了承された。今もなにも思った様子もない感じで皓子の横を歩いている。
しかしながら。
(うーん……目立つ)
そう。
アリヤは目立った。とても、とても目立った。
見目が大変に良いスラリとした青少年。
それも田舎じゃ見ないような垢抜けたタイプ。さりげない仕草で皓子を気遣う様も絵になるのだ。注目されないわけがなかった。
今日ほど皓子は、自分が人から敵意や害意を受けない能力を持っていることに喜ばしく思ったことはない。
視線が刺さる量が尋常ではない。初めてと言ってもいいくらいだ。皓子にというより、アリヤへの視線がほとんどなのだが、それでも見られているというのは良い気分がしないのだな、と客観的に理解できた。
さぞやアリヤも居心地が悪かろうと思ったのだが、平然としている。慣れたものなのだろう。
それを見て、皓子も一息ついた。
(まあ、いっか)
ならば横でやきもきしても仕方ないことだ。皓子が気にしてばかりいれば、アリヤを困らせてしまうかもと思えた。
折角の好意で誘ってもらえたのだから、できるなら良い気持ちで終わりたい。
「御束くん、この先にあるって」
「そっか。この辺りは初めて来るけど、色々あるね」
「うん、近くに大学があるから賑やかなほうかも。ほら、そこに見える大学。たまに翔くんが聴講生で行ってるんだって」
「へえ、飛鳥さん、いろいろしてるんだ」
気持ちを切り替えて、軽い調子で話しながら移動する。
忍原の指定した店がじき見えてきた。明るい様々なパステルカラーを屋根板に塗った、ポップな雰囲気の建物だ。周りの生け垣も雰囲気に合わせて剪定されており、丸く可愛らしいものだった。店の窓から見える中は、そこそこ賑わっている。
入り口へと回れば、アンティーク調の羽を模したドアノブをアリヤが回して開けてくれた。見上げると、にこりと微笑まれる。
(なるほど……こういうところがよりモテるのか)
「ありがとう」
「どういたしまして」
そのまま、店員に席へと通してもらいメニューを受け取る。あらかじめ食べたいものは決めていたのでスムーズだ。
店の居心地は、なかなかに良かった。
背の高い椅子も丸テーブルも店の雰囲気に合わせてポップ調で、面にはイラストがあしらわれているのがおしゃれだ。可愛らしすぎないところが皓子の好みにも合っている。
さらには回転率も良い。皓子たちが頼んだメニューもながく待つことなく運ばれてきた。
ふわふわと膨らんだ黄金色の焼き加減のパンケーキ。そっと指で高さを測ってみる。
皓子の指よりも高く積まれたケーキには、シュガーコーティングされた果物と生クリーム、アイスがつけられて湯気を立てている。甘い匂いは絶妙に食欲をくすぐり、皓子は早速とばかりに両手を合わせた。
アリヤの分も到着したのだから、もう食べても良いはずだ。
「いっただっきまーす」
ごきげんで言う皓子につられて、アリヤは小さく「いただきます」と言うのが聞こえた。
家ではまず食べられない贅沢なパンケーキは、ナイフを入れると柔らかいクリームを刺したみたいに切れる。
味はというと、言うまでもなく美味しい。
事前に得た情報の通り、舌先でしゅわしゅわ溶けていく。
本当に食べたのかしら、なんて思ってしまうほどあっというまに口の中から消えてなくなる。甘酸っぱいベリーも、食感を楽しませるナッツも文句なし。バスに乗ってまで来て良かったと感慨にふけってしまう。
惜しむらくは、美味しくて手が止まらず、皿の上のパンケーキが瞬く間に胃の中へと送られてしまったことだろう。満足感が七割、物足りなさと口惜しさが三割。ほう、と息を吐いてナイフとフォークを皿に置く。
ごちそうさま、と手を合わせて呟いたところで、楽しそうにこちらを見ていたアリヤと目が合った。
見れば、アリヤのほうにあるパンケーキはまだまだ残っている。
「あれ、御束くんは甘いものが得意じゃなかった?」
「普通だけど。すごい楽しそうに食べてるから、つい見ちゃってた」
「ええー、そんな顔出てたかあ」
「うん、すごく」
それからアリヤはゆっくりとフォークを動かして食べては、ぽつりぽつりと話した。
「なんというか、織本さんはこっちを気にしないっていうか」
「えっ、失礼してた?」
「いや、その逆。だから、俺も気にしないでいられて、楽だなって」
「そうなんだ」
「うん」
綺麗な所作でパンケーキを口に運ぶアリヤはリラックスしているように見える。意外と一口一口が大きく、文字に表すならペロリと平らげてコップの水を飲み干す。
「……こんなに静かなのも、ひさびさ」
「うちの人たち、色々濃いからねえ」
「はは、うん、まあ、そうだね。それだけじゃないよ。歩いてても変に声かけられないし」
そっちか。皓子は声に出さず、言葉を飲み込む。
(いや、十分注目浴びてたけどなあ?)
思い返しても、視線がちらちらと刺さっていた気がしたのだが。今だって、アリヤに向けて注目されているというのに。それ以上があるのかと、同情心が湧いた。
しかし、アリヤはおかしそうに続けた。
「なにより、織本さんにもやっかみこないし」
「えーっと……それは、とんでもイケメンの隣に並んだ普通女子が睨まれるとかそういう?」
「っ、は、はは。身も蓋もないね」
だが否定はされない。くつくつと押し殺した笑い声をあげるアリヤは楽しそうだ。腹立ちはしないが、つい、恨めしく見てしまう。
「でも、織本さんは普通女子じゃないでしょ」
「まあ、そうなんだけども」
「普通に可愛いよ」
今、なにを言われた。
皓子はぱちりと目を瞬かせる。机に肘をついたアリヤが、首を傾けてにこりと微笑んでいる。
「ど、どうも……?」
なにか企んでいるのだろうか。アリヤのような男に言われて、嬉しいよりも戸惑いが勝る。
皓子がおずおずと応えると、顔を背けて笑われた。忍んだ笑い声に、なんだ、と思った。からかわれただけだった。そのことにほっとする。
直後。電子音がした。
初期設定そのままのアプリの通知音。それからバイブレーションの振動音。皓子の携帯端末からだ。
万屋荘関連の連絡が来ることもあるため、外出時には音量を大きめにしてバイブレーションも設定しているのだった。アリヤに一言ことわって画面を覗く。
誰から来たかだけを確認して、皓子は脱力した。
『こっこ、いま、あなたの近くにいるわ』
(福ちゃん……)
もしかしなくても、昨日の会話で心配してついてきたのだろうか。
きょろ、と見渡せば、カップルや女子会をする客たちに紛れた忍原と諏訪の姿を発見した。絶妙に見えるか見えないかの位置にいて、確信はしづらいが、あの姿はきっとそうだろう。
そして、皓子の視線の先を見て、アリヤが声をかけてくる。
「知り合いでもいた?」
「えっと、たぶん、友だち」
返しながら、ちらっと視線を送っていれば、さらに通知が来た。
『外面はいいけど、性格に難ありそう』
(福ちゃん!!)
アリヤに見えないように、「大丈夫だから!」とメッセージを返して端末を伏せて置いた。なおもピロン、と鳴る端末に皓子は眉を寄せた。
「織本さんが友だちと合流するなら、俺は帰ったほうがいいかな」
その様子に、アリヤがそっと提案してくる。
そういうところが気遣い上手だと皓子は思った。自分は気にしていないというようなニュアンスの声音で、言い方は優しい。皓子は首を横に振る。
「今日は御束くんとの約束だから。中途半端は駄目」
「そう?」
「うちの家訓でもあるから、約束は守らなきゃ。御束くんが気にすることじゃないよ」
「あー……なるほど?」
吉祥が元悪魔でといったことを浮かべたのだろう。なんとなく理解した、という様子のアリヤに「そういうことだから」と続けて言葉を重ねた。
「美味しいものを今日は食べに来ただけです。あとは、ばばちゃんからのお使いをして帰ります」
片手をちょっとだけ上げて宣誓でもするように言う。するとアリヤはそれなら、と同じように軽く手を上げた。
「では、お手伝いをいたします」
畏まった口調に、ふふ、と笑いが漏れる。
「そのつもりで来てたから、助かるなあ」
「あはは、ちゃっかりしてる。いいよ、そのくらい。任せて」
目を緩めたアリヤは伝票を取ると椅子を引いて立ち上がった。
「あ、そうだ御束くん。夜は202号室集合で鍋パするって」
「何鍋?」
皓子も荷物を取って立ち上がる。ついでに、SNSチャットで流れてきた情報をアリヤへと伝えた。横に並んで、飛鳥から来ていたメッセージをアリヤへと見せる。
「古今東西ありとあらゆる鍋」
「俺の知ってる鍋じゃないやつだ、それ」
そう言いつつも、楽しそうにアリヤは「行く」と言った。
皓子はぽちぽちと返信をして鞄に端末をしまう。レジへと歩いて行く途中で、忍原たちの方を見れば、後ろを向いたままひらひらと手が動いている。見えているだろうとふんで、小さく振り返して先を進んでいたアリヤを追いかけた。
割り勘をするつもりだったが、さっさと会計を済ませたアリヤが来たときと同じように入り口のドアを開けた。財布を出そうとしたが、「後でね」と下げさせられて先を促される。スマートだ。
皓子が先に出れば、アリヤは後方をじっと見ている。
「御束くん?」
「うん。行こっか」
声に返して、アリヤがコンパスの大きな歩幅で皓子の隣に並ぶ。
「奥の席に居たのが友だち?」
歩きながら聞いてきたので、皓子はうなずいた。
「あっ、わかったんだ」
「こっこ、とか言ってたから。そういえば、織本さんはどうしてそう呼ばれてるの?」
「こっこ呼びのこと? ああ、それはね、昔からばばちゃんの後ろをちょこちょこ歩いててヒヨコみたいだからって水茂が。あと、呼びやすいってのもあるみたい」
「へえ」
水茂とは小学に入る前くらいからの付き合いだ。
たどたどしい言葉で、自己紹介を終えた後に水茂が「吉祥にコッコとついて回る雛のようじゃ」と言われて以来、愛称として使っている。飛鳥やノルハーンからも呼びやすくていいと言われており、皓子としても好きな呼び名である。
「御束くんはそういうのある?」
「俺? とくには……あ、いや。クロとかはたまに呼ばれるかな」
「くろ?」
うん、とアリヤが皓子をちらりと見下ろした。
「アリヤの他に、日本人名があって。
「そうなんだねえ」
「黒要素ないのにね……って、またか」
そのぼやいたような言葉尻に、皓子は申し訳なく思ってしまった。
立ち止まって、謝ろうとしたところでアリヤに遮られた。一、二歩先で止まったアリヤが振り返って言う。
「謝るのはいいよ。知られて困ることでもないし」
「それなら、いいけれど」
「つい、織本さんなら話しても良いかって思っただけ」
そのつい、で隠し事を暴いて聞いてしまうのが怖いところでもある。
皓子の意思に関わらず勝手にされてしまうことが、いつか取り返しの付かないことを知ってしまいそうで。
なので、控えめに忠告を入れておきたくて、皓子は真面目に言った。
「もし、話したくないことができたなら、あんまり近寄らないほうがいいよ。私に気を遣わなくてもいいからね」
すると、アリヤはわずかに目をみはって、それから表情を緩めた。
「そのときは、そうする」
「ぜひ、そうして」
力強くうなずいて返して、二人して再び歩き進める。ゆっくりと進む途中で、アリヤは「そうだ」と皓子を見て言った。
「アリヤでいいよ」
「う、ん?」
「名前。俺も皓子ちゃんって呼ぶから。いい?」
なぜ急に。
にこにこと返事を待たれて、わけがわからないながらも皓子はうなずいた。
もしかしてこれも、皓子の能力で緊張が緩んだ結果なのだろうか。頭をかしげる皓子を見て、アリヤは満足そうだ。
「気を遣うの、面倒だったんだ」
「織本さんじゃなくて、ちゃんよびすることで楽になるの?」
よくわからない。ますます謎だ。
「それ含めて、いろいろ。で、お使いはどこでするの? 皓子ちゃん」
柔らかな声音でアリヤが聞いてくる。
そうだった。端末にメモをしていたと、画面を呼び起こして確認する。
突発的に決まった鍋パーティーのこともあるので、追加で買う物が出てきたのだ。吉祥からも追加の連絡が来ていて、案の定買う物が増えていた。
「いっぱい増えたようです、アリヤくん」
げんなりして言えば、「それは大変」と他人事のようにアリヤが返事をした。
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