万屋荘は、にぎやか

わやこな

ようこそ

第1話 101号室、ご新規様



 部屋の窓から見える景色は、すっかり陽気な春模様だ。

 青空にぽかりぽかりと白い雲が浮き、長閑な山々に続く道には青く繁った草葉が風に揺れている。

 朝日もまぶしい外を見て、こちらまでなんだかわくわくするような心地になるな、と織本皓子おもとこうこは伸びをした。

 あくびを噛んで、換気のために窓を目一杯開いたところで部屋の外から皓子を呼ぶ声がした。

 祖母の吉祥きっしょうだ。

 本日は来客があるからと、昨夜散々言い含められていた。どうせそのことだろうと当たりを付けて、皓子は返事をする。

 せっかちな吉祥は、すぐに返事をしなければ部屋まで突撃してくるとわかっていたからだ。

 新年度に入る頃の春休み。

 高校生にとっては貴重な休日だが致し方ない。吉祥に育てられている皓子に拒否権はないも同然だ。


 万屋荘よろずやそう


 皓子が小学四年のころに吉祥が土地を買いとって始めた僻地のアパート営業だが、これまたなかなかに上手くやっている。それもこれも、とびきり訳ありで癖の強い面々がいるおかげである。

 そんな万屋荘に、新たな入居者がやってくる。

 正確には部屋の契約譲渡であるが、詳しい契約内容の詰めは吉祥の領分なため、皓子が把握しているのは単純なことだった。


 一人の入居者が退去する代わりに、身内を一人入居してくること。

 その立ち会いと契約を依頼されたこと。

 今日は新規の客が来る、ということだ。


 学生だから、礼服や仕事着なんて制服で十分。

 そう言った吉祥の言葉によって、皓子の万屋荘での業務手伝いのときは、もっぱら制服で行っている。

 膝丈のプリーツスカートに皺がないかを確認してから、軽く叩いて埃を払い、皓子は吉祥の待つ居間へと進んだ。


「おはよう、ばばちゃん。お客さん、もう来るの?」

「おはよう。あの男なら、いつも通りの時間五分前ぴったりに連れて来るだろうさ」


 吉祥は来客に差し出す書類を念入りに確認している。

 服は必要経費と念じるように言いながら買ったお高いシックなワンピースで、髪型も化粧もばっちりと整えている。それを見れば、皓子はちょっとだけ嬉しくなった。格好良くて綺麗な祖母が皓子は好きなのだ。

 にこにこしていると、「なんだい、にやけた顔をして」と呆れたように言われたが、それは照れ隠しだと知っている。

 損得勘定で動きがちのケチな吉祥だが、意外と情に厚い。皓子の父が育児放棄しそうになったところを、叱咤して引き取って、皓子を守り育ててくれた。

 きつい言葉や態度でも、その裏に優しさが見え隠れしているのを、皓子は理解している。


「お茶用意しよっか」

「ああ、茶はそれほど高い奴を出さなくていい。それから茶請けは出すんじゃないよ。勿体ない」

「もー、ばばちゃん、マロスさんなら知っている顔だから、別にいいでしょ」

「知った顔だからだよ。アンタはアタシの横に座って、適当に愛想振りまいてりゃいいんだよ。お前のはこういうときに役立つ能力なんだからね。使わにゃ損だ」

「はあい」

「まったく。アタシの孫だっていうのに、アンタはどうしてこうぽやっとしてるのかねえ。悪魔の孫らしくもない」

「ばばちゃん、今は人間でしょ。何回も聞いた」

「おだまり」


 他愛ない会話をこなして、準備をする。何度かこなしているので、動作に迷いはない。

 それに、吉祥のぼやきはいつものことだ。

 吉祥曰く、前世は「元悪魔の軍団長」だったらしい。

 なんでも、昔々天使と悪魔で戦争をしていたところ、卑怯な騙し討ちと味方からの下克上により死んでしまった吉祥は、何の因果か時を経て人間に生まれ落ちた。

 そこから祖父と出会い、皓子の父を産んだ。

 幼心を慰める寝物語の一つかと思っていたが、本当のことであると今は信じている。でなければ、吉祥が度々使う不思議な力だとか、皓子が持つ奇妙な体質とやらに説明がつかなかった。


 皓子が自分の奇妙さに気づいたのは、八歳ぐらいの年の頃だった。

 周りの子たちが喧嘩をしたり諍いをすることがあっても、決して、ただの一度も、害意や敵意の矛先を激しく向けられなかったのだ。

 例えば。

 学校で一緒に遊んでいた子たちと叱られることがあった。だというのに、何故か皓子の前に先生がやってきたときには「織本さんは巻き込まれちゃったのよね」と怒りの表情が一変した。挙句、同情されるような目で見られた。

 それが形を変えて何度か続けば、いくら子どもでもおかしいと理解できた。自覚したときには、違和感から恐ろしく思ったあまりに泣いたのをよく覚えている。

 後々、吉祥からそれが自分から引き継いだ能力みたいなものだ、と言われた。


 ――簡単に言うならば、緊張を和らげる力。敵視されない、身を守ることに特化される力。


 皓子の父は、より強い魅了の力がある。

 それで大変な目にあったという父の逸話の数々を、皓子は聞いて育った。それに比べれば、まだ緩いはずである。元悪魔からニ代経って血が薄まっているだろうし、むしろこのくらいで良かったのかもしれない。今では、そう思うようにしている。

 吉祥の教育を経てその結論が出てからは、そこそこ心穏やかに過ごしている。よく吉祥には「危機感が足りない」だとか「そのせいでぽやっとしている」とお小言をくらうが。

 それでもこの特殊極まる力で今の生活に貢献できているのなら、皓子はちょっとした達成感と誇らしさを感じるのである。

 元悪魔とはいえ、吉祥は今は善良でちょっぴりケチでせっかちなだけの皓子の祖母なのだから。




 予定時刻のきっかり五分前。

 インターホンが鳴り、やってきたのは金髪碧眼の大柄な西洋人男性。後ろには背の高い男の子を連れている。

 居間へと皓子が案内して、席に着いたところでおもむろに御束みつかマロスは口を開いた。彫りの深い顔で筋肉質なマロスの喋る仕草は、動く精巧な彫刻像と題しても違和感がない。


「今日からここで世話になる私の息子、アリヤだ!」


 意気揚々と紹介するマロスとその横に、遠慮がちな様子のアリヤがいる。マロスによく似た面差しの美青年だが、その顔はむすりと硬い表情をしていた。

 これはきっと、あんまり納得してないな。そう思って皓子が見ていれば、ぱちりと目が合った。


(あ。ひまわりみたいな瞳)


 テレビで見た芸能人にそんな人がいたな、と感想を頭で呟く。

 ブラウンに緑の光が入った宝石みたいな目は美しい。明るい茶色の無造作に整えられた髪と白い肌の容姿は目を見張るほどの一級品だ。マロスは確か日本人の奥さんのところへ婿入りしているのだったと思い出して、それならばダブルの子かとついつい皓子は観察してしまった。

 途端、隣りで正座をしていた吉祥に太ももを叩かれた。


「アンタも挨拶しな。ここに住む金づ……身内みたいなもんだからね」


 本音が飛び出している。これだから強欲婆と言われるのだ。

 そう皓子が思えば、また叩かれた。絶対、腿に手形着いてる。じいん、とお尻までしびれた痛みが届いた気がした。

 アリヤはそれを見て、少しばかり困った顔をしていた。普段色濃い面子である万屋荘の面々を思い浮かべると、なんだか新鮮だ。そんな感想がぼんやりと浮かぶ。

 皓子はひとまず軽く頭を下げて挨拶をした。


「はじめまして。織本皓子です。管理人の孫で、補佐もしてます。何かあればお気軽にどうぞ」

「安請け合いしろとは言ってないよ」


 理不尽な言葉が挟まれる。吉祥に睨まれたので、はーいと軽く返しておいた。


「皓子ちゃんはしっかり者なのだぞ、アリヤ。お前も少しは見習って落ち着いてくれると、父さん嬉しい」

「……はは」


 苦笑いで流して、アリヤは口を閉じた。やはり不満があるのだろう。

 さもありなん、と皓子は思う。

 マロスの希望で、彼の息子であるアリヤに部屋の契約を移したいということだったが、アリヤは都会で暮らしたかったに違いない。

 そもそも、マロスは元々ここの地域の住人ではないのだ。実家は確か首都近くの大都会である。間違っても、こんな片田舎の僻地などではない。


「いいかアリヤ。元悪魔といえど……いや、我が宿敵の悪魔であるからこそ、ここの敷地の守りについては確信できる。それに、羽目を外して好き放題できない方が真っ当に生活できるというもの」

「あのさ、自分が元天使だとかそういうことを外で言うの、恥ずかしいからやめてくんない」


 辛辣に返したアリヤに、マロスはたちまちしょげる。

 しかし、マロスの言ったことは嘘ではない。御束マロスは元天使。これには、吉祥も認めている。

 アリヤは信じているかどうかはわからないが、万屋荘の住居暦五年のマロスに関しては皓子も見知っている。絵に見るような翼や輪っかはないものの、福音あれと叫ぶとどこからともなく高らかな鐘の音が鳴り響き、その日の運気が上昇する。割とありがたがられている能力持ちのおじさまなのである。

 また、世間的にはマロスは知る者ぞ知る、名のある芸術家だ。そのため、万屋荘の一室をアトリエ代わりに借りていたのだ。

 そしてさらに付け加えると、かなりの愛妻家でもある。

 元天使の力だとかなんとか、万屋荘の面々と交渉の末に都会の家と万屋荘を繋ぐ術を部屋に備え付けている。

 だからこそ都会の学校に通っているというアリヤに対して、ここから通学しろとマロスは言えるのだ。本人は不服そうだが。

 それはそうだ。ちょっと家から離れた自室が宛がわれたようなものなのだから。

 皓子だって一人暮らしとは違うのではと思ってしまう。


「何を言う。ここの面々はだなあ」

「ごちゃごちゃ抜かしてないで、契約するんだろ。さっさとおし。皓子、アンタは新顔を案内しな」


 長方形の座卓にある書類をマロスの前に突き出して、吉祥が口を挟む。それを受け取ったマロスは、アリヤに向かって促した。


「アリヤ、名義の書き換えは、私が済ませておくよ。部屋のチェックもあるからね。それと、ここの人たちはいい人たちばかりだ。皓子ちゃんと挨拶をしてきた方がいい」

「終わったら101号に来るんだよ。アンタの部屋にするために、アンタのサインが要るからね」

「はあ、わかりました」



 当たり障りのない返事をして、アリヤが立ち上がる。すらりとした体躯で腰の位置も高い。間違いなく、滅多にないイケメンである。

 しかしだからといって、ときめいて心奪われるわけでもない。

 何しろ、同じように輝く美貌持ちであるアリヤの父、マロスを見慣れている。ついでに写真しか見たことはないが美しい父もいる。悪魔由来なのかは知らないが、吉祥も美人であるし、目は肥えている方だと自負がある。

 ただ、生憎にも皓子には遺伝しなかった。祖父と母似らしい。

 そもそも皓子の好みは自分のことを第一に考えてくれるような人だ。

 どこか慣れた様子の女性に困らないだろうアリヤは、目の保養以外で琴線に引っかからないと第一印象を抱いてしまった。

 よそ行きの愛想の良い笑みを作って、皓子も立ち上がる。軽くマロスたちに頭を下げてから、アリヤの先を歩いた。

 玄関の戸を開いて大家の部屋から出ると、皓子は続いて出てくるアリヤに案内をするべく指し示した。


 入居者一名、ご案内である。



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