第59話 夜と霧

 俺はエウロパに飛ぶと、少し先に明らかに魔法でつくられたと分かる巨大な雨雲が見えた。あそこが戦場で間違いない。俺が現場に着くと巨大なクレーターが大量に地面をえぐり、水が溜まり始めている。中央にある巨大な穴の底に2人の人影が見えた。背丈はほぼ同じくらいで、髪の色も同じ……片方が神々しく煌めく槍を突きつけている。


「カンナ!と……ツクヨミ、か?」


 俺は声を荒らげ2人のもとに走る。カンナは少しもこちらを見ないまま、その槍をツクヨミの胸に突き刺した。ツクヨミはこちらを見て何かを口にする。ゆっくりと声には出さず、口を動かしたと言った方が正確だろう。「む、す、め、を、た、の、む」。ルナン語ではっきりと……。最後には軽い笑みまで見えた気がする。なぜだ。俺はいきなりの出来事で立ち止まってしまった。あのツクヨミが……カンナは母親を殺した……止められなかった……。俺の思考はいつもこうやって漂うばかりだ。


 舞っている。ツクヨミを構成していた魔素たちは、燃えるように赤く、天へと舞っている。まるで旅立つ蝶の群れのように。


「どうして……。カンナはまた、これが運命だって言うのか?そんな運命だったら、捻じ曲げてやる。一緒に考えよう。俺は……」


「うるさい。うるさいうるさいうるさいうるさい……」


 その目を向けられたとき背筋を怖気が走った。そこに俺の知っている彼女の面影はなかった。正気ではない。そして、殺意をむき出しにして俺に向かってくる。俺は魔力を一気に解放した。黙って殺されるわけにはいかない。言いたいことは山ほどあるんだ。


業深きカインの剣カルマグラディウス


 重たい槍の連撃を受け止める。だけど、動きがあまりに杜撰だ。技術も何もない。守りも考えない無謀な突撃。こんなの……これなら学生時代の方がよほど強かった。何が彼女をこんな風にした?俺の好きだったカンナはどこにいったんだ。彼女が苦しんでいることは表情と魔素の揺らぎを見れば分かる。俺だって苦しい。こんな君を見るのは。


「死にたいんだろ?それが君の……”夢”だったんだろ?」


 お互いの魔力干渉が絡み合い、彼女のちょっとした揺らぎが分かる。聞かないようにしているのかもしれないけど、俺は辞めない。諦めたりしない。


「カンナは……何か特別な役割を与えられた。それは最初からプログラムされていて、君を苦しめている。それを運命だなんて呼んでいるんじゃないのか?」


 彼女の揺らぎが大きくなる。


「ずっといろんな世界をさまよってきた。このリインバースで転生し続けてきた。君は自分の意志で死ねない。そうだろ?」


 じゃなきゃこんな無防備に突っこんでくるはずがない。ツクヨミにだって勝てるわけがない。このゲームの仕様、転生。それはプレイヤーにだけ与えられた特権。記憶をもっていろんな世界に行ける。その例外が彼女。きっとそうだ。だとしたらその役割はなんだ?でもどんな役割出あったとしても……。


「リインバースをしているプレイヤーなんてもういない。コードを書き換える存在だっていない。だったら!そんな役割や運命なんてもう何の意味もない。そうだろ?」


 残酷だろうか。でも、きっとそこに気づいているからこそ彼女は苦しんでいる。自分の存在意義を探している。


 彼女の攻撃はさらに大振りで酷いものになる。躱すのも容易だ。俺は神器を手元から消した。もうこんなもの必要ない。


「やめよう。もう、いいんだよ」


「何なのよ。何もわかっていないくせに。何も知らないくせに!私の苦しみなんてだれもわからない。死んで。死んでよ。そうしたらこの苦しみだって少しは楽になるんだから!消えてよ!消えて……!」


 その涙はなんだ。その苦しそうな顔は……それが答えだろ。本当は嫌で嫌で仕方ないのに、自分を捻じ曲げて運命とやらに従っているだけ。そんなの苦しいに決まっている。


「いやだ。俺は君と一緒に生きたいんだよ。カンナが好きなんだ。どうしようもなくな。カンナは、頭が良くて、感情豊かで、いつもキラキラしてて、人を助けて、責任感が強くて、力もあって、すっげえ可愛い。俺は……いつも君のことばっかり考えてた。君がどう思ってたかは知らない。知るもんか!生きる意味なんて誰にだってないんだ。だから自分で勝手に決めるもんだろ!コードだとか運命だとかどうでもいい!君が、君自身がどうしたいかだ。死ねないなら、を考えるしかないだろ!」


「無理だよ。君はすぐに死ぬんだから。一緒に生きるなんて不可能なの。それに私は君の事なんて……わからない。私の気持ちがなんなのか、私がなんなのか……もうわからないの。分かるのはこの苦しみだけ。そして苦しみを消せるのは、この世界からバグを消すことだけ。だから早く死んでよ。私を好きなんだったら……!」


 バグを消す。それが彼女の役割。でも、そんなのはどう足掻いたって不可能だ。彼女だって心の底ではわかってるはずなのに。でもだとしたら……。


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