第24話 邂逅

「使者がお見えになりました」

 

 伝令役が扉をノックする。俺と親父は一瞬だけ顔を見合わせた。そして親父の低い声が響くと、戸が開き、使者が姿を現す。そして、俺たちを一瞥した後にすぐさま声を発した。


「よう。お主ら、時間がないんじゃろ?ワシらの提案はたったのふたつ。まずはシナン軍と同規模の戦力の提供じゃ」


 通された使者は道化師ではなかった。かといって死神でもない。黒いローブは相変わらずだが、狐の面を被っており、身長が低い。見た目だけ見れば幼い印象を受ける。しかし、なんと言ってもその古風で艶のある声音に加え、ローブの間から垣間見える桜色の髪の毛がツインテールになっており、中身が女性であるとわかった。一瞬カンナを連想してしまう。

 

「貴様らの目的は?」


「折角の好意でワシが話を端折ってやっておるというに……まあよい。どうなってもワシには関係ないしの。名はツクヨミじゃ。涅槃ニッヴァーナの一員。ルナンとは長い長い付き合いなんじゃがな……お主らは知らんのか?」


 ルナン最高神の名前を騙るとは、不敬というべきか不遜というべきか……。親父もそのことに思い至っているようで怒りを隠しきれていないが、なんとか堪えている。俺たちが黙って首を横に振るとツクヨミは続けた。


「話にならんの。まあよい。目的じゃったか。単なる興味本位じゃよ。ワシらとしてはこんな片田舎の些細な戦、どちらが敗戦しようと構わん。じゃが、どちらがうまく使いこなすのかには興味がある。それだけのことよ」


 つまり、俺たちは実験台ということか。人の命をなんだと思っているんだ。いや、こいつらはきっとなんとも思っていない。15万人もの命、いやシナンの兵士も含めればそれ以上だ。それを単なる興味本位で……。いったいその興味のせいで何人が死んだと思ってる。俺は怒りが沸々と込み上げてくるのを必死になって抑え、平静を保とうと歯を食いしばり、硬く手を握りしめた。そして黙って2人のやり取りを聞く。


「対価はなんだ。タダでとは言うまい」


「対価か。とりあえず今お主が扱える資金を全て差し出せ。額はたかが知れておるがな。もしお主らが打ち破ったならば、あとで聖主のやつにでもタカれば良いじゃろ。あとの対価はもうひとつの提案に関係しておる」


 聖主陛下にタカると言ったのか?本気で言っているのだろうか。まあ、冗談を言うような連中ではないだろうが……。それにしてもズケズケとなんの配慮もない。本当に傲慢だ。


「分かった……それで、もうひとつの提案というのは?」


「うむ。そこの坊主を涅槃に加える。対価はそれ以上不要じゃ。その分働いてもらうがの」


 俺はいまいち提案が飲み込めず、思わず眉根を寄せて考え込む。俺を涅槃に加える?一体どういうことだ?言葉の意味はわかる。だが全く理解はできない。疑問ばかりが頭を駆け抜けていく。どういう思考を経てもその結論には辿りつかない。


「バカな。トバリがなぜ貴様らなんぞに加わらねばならん?」


「お主が知る必要はないことじゃ。それと、もし断ると言うならこの話は無しじゃの。お主らの同胞に仲良く滅びてもらうのはもちろん、お主らもこの場で殺す」


 その「殺す」という言葉とともにツクヨミの魔力が解き放たれ、親父の顔にも困惑と驚きとが混じったような緊張が走った。確実に殺されると本能が脅威を知らせ、思考が一瞬停止する。それでも習慣的なものからか、俺と親父は魔法武器を手に持ち反射的に身構えていた。


「ほお。反応は悪くないの。取るに足らんがな。それで?答えはどうなんじゃ?お主が来るだけでよいなど、これ以上ない条件じゃと思うがな」


「貴様らに息子は渡せん。殺せると思うならばやってみるがいい」


 戦闘体制に入ろうとする親父を制して俺は叫ぶ。


「待て親父!俺は、いく」


 親父は驚きと怒りを滲ませつつ俺を睨みつける。狐の面を被った女はそれを手を組んで眺めていた。楽しんでいるに違いない。でも言うべきことは言わなくちゃならない。感情はもちろん否定しているが、この取引は確かに破格だ。俺一人が奴らの元へ行くだけで良いのだから。それに、奴らに接近できるまたとない機会とも言える。これは逆にチャンスでもあるのだ。仲間になるというのは最悪だが、カンナのことを知るには致し方ない部分もある。

 

「戯けたことを抜かすな。奴らは母さんの仇だぞ?お前の恋人の仇だろうが?」


それも事実だった。母さんは奴らの攻撃に巻き込まれて死んだ。カンナを誘き出すための空爆。暇つぶしや単なる興味本位で戦争をするような、あまりにも人の命を軽く見ている連中だ。それでも、俺はこいつらに接近するためだけに今まで軍人として生きてきた。それに……。


「だけど、俺が行かなくちゃみんな死ぬ。国のために命を張れといつも言っているのは親父だろ!」


「悪魔に魂を売るなど、ルナンの民としてあるまじき外道だ。お前がやろうとしていることは国への裏切り行為に他ならん!」


「このままじゃみんな死ぬんだぞ!俺は、俺にできることだったら、なんだってやってやる。悪魔に魂を売ってでも、救える命は救いたい。それに……」


 続けようとする俺の話を遮って親父は怒鳴った。


「バカが!まだ死ぬと決まったわけではない。ここに居るのは有能な兵士たちだ。奴らのカラクリもわかっている。この女狐を叩き斬り、シナンの猿どもを上回る策を練れば、この状況など打開できる。今までも幾多の窮地を乗り越えてきたのだ。お前の力など借りる必要はない」


 話が平行線になりかけている。この間にもシナンは刻一刻と迫っているのだ。前線にいた兵士も壊滅し、空爆部隊も全滅。今までの敵とは訳が違う。それに、この目の前の女……明らかに道化師や死神よりも格上だ。俺たち2人でも勝てる保証はない。いや、まず間違いなく殺されるだけだ。全てが瓦解するか、俺一人が奴らの元へ行くか。合理性で見れば明らかにも程がある。バカはどっちだ。そう言いたくなる。


「面倒じゃの。ワシを本当に叩き斬れるかどうか、軽く試してみるか?小童」


「そうだ……貴様を切り伏せれば全て済む話ではないか。一騎打ちをしろ」


「やめろ親父!」


 だが親父は話を聞くことなく、土の刀を抜き放って斬りかかった。とんでもない集中力から放たれる無駄のない美しい太刀筋だ。仮面の首を刎ね飛ばすようまっすぐに伸びる刀身が超越的スピードで迫る。俺の反応速度をはるかに凌駕している一閃だ。初めてみる親父の技。磨き抜かれた一撃。しかし、それは狐の面が生み出していた赤い扇によって容易く受け止められていた。魔法無力化すら使う必要がないとでも言うかのように。

 

「凡な者の剣にしてはなかなか良いの。じゃが……ワシには届かぬな」


 親父は声を張り上げながら第2、第3の太刀を見舞う。型通りではあるが、本当に美しく洗練された動きだ。威力も速度も凄まじいことは間近で見ていればわかる。型を知っている俺であっても決して受けきれない親父の本気。それでも、蝶のように舞う扇によって、それらの凄まじい剣技はことごとく弾かれていた。軽くあしらわれているようにしか見えない。それほどまでに実力差は歴然としていた。


「こんなところかの。少しは身の程を知れ」

 

 たったの一振りだった。俺には動きを目で追うことすら叶わなかった。凄まじい剣戟の間の刹那。弾かれた直後のほんのわずかな綻び。その1秒にも満たない時間で、親父の両手は切り取られ、魔力によって集められていた魔素たちが宙を舞っていた。親父は驚きに目を見張ったあと、すぐに顔をこわばらせ、蹴りを放つ。両手を失ってなお失わない闘志に脱帽せざるを得ない。しかし、それはあっけなく止められ、扇から生まれた風魔法によって投げ飛ばされた。親父はそれでも立ちあがろうとしている。


「もういい!やめろ!俺は行くと言っているだろ!ここで親父が死んだら何にもならない」


 俺は親父の前に走りでると、ツクヨミに向かって告げる。


「俺をさっさと連れて行ってくれ。俺はお前らに加わる」


「トバリ……恥を知れ……!」


「まあ、それ以外の選択肢はないじゃろ。行くぞ。ついて来い」


 ツクヨミがそう言うと黒い裂け目のようなものが出現した。これを潜れば、もう戻ることはできないだろう。でも、行くしかなかった。奴の言うとおり、選択肢などないのだ。親父もみんなも、ルナンだって俺が救ってみせる。どんな犠牲を払ってでも。

 

「待て!トバリ!」


「さよなら、親父」


 俺は呟いてゲートを潜った。その時、どうしようもない恐怖を感じて身がすくむ。自分の体が一度溶けてなくなった後に、もう一度生まれ直したような感覚だ。そして、その後に待っていたのは、奴らの住まう塔だった。

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