第4章 夏に胸を鳴らすもの
第23話 夏休み開始
夏休み前の期末試験は、僕にとってさして嫌なものでもない。
勉強自体はさほど嫌いじゃないし、日頃の勉強結果が数字として出るからだ。
俗に言う普通の男子高校生とはちょっと違う感性かもしれないけど。
月曜日からテスト期間が始まり、海の日の休みを一日挟んで、金曜日にテストは終わった。
休みの間にも軽く勉強した甲斐があって……かどうかは分からないが、その五日後に返却された期末テストで八十点を切っているものは一枚もなかった。
ちなみに綾乃部長の方は、凄いことに一年の頃からほぼ満点しかとらない。
だから僕は友達とテストの点を競うなんてイベントもせず、長期休暇前の大掃除を済ませて。翌日の終業式を恙なく終えると、何事もなく休みに入った。
とはいえ──今年の僕は、期末試験以上に夏休みが楽しみじゃなかった。
文藝部の活動は家でもできるため、授業がない日にわざわざ学校に通ったりはしない。バイトを詰めて入れている僕にとって夏休みとは、綾乃部長に会えないだけの日々だ。
七月も終わりの猛暑で、外に出て遊ぶ元気もあるはずもなく。課題も最初の五日ほどでまとめて終わらせた僕は、今日もだらだらと貴重な休みを消費していた。
自室のベッド上でスマホをいじり、バイトに向かう十二時半くらいまで時間を潰す。
アナログ時計が指し示す時間は十一時前。それまですこぶる暇だ。
動画でも見るかゲームでもするか、綾乃部長にでも連絡を取ってみるか──いや、無理か。昼ご飯も食べないといけないし、連絡を取るためには用事がいる。
……用事がなくても連絡はしてみたいけど、その権限や勇気は今の僕にはないし。
なんて考えていると、唐突に部屋のドアががちゃりと開けられた。
僕がそちらに視線をやると、入ってきたのは白シャツ一枚だけを着た美少女だった。
僕とは似ても似つかない整った顔。色素薄めのふわっとした髪が肩のあたりで揺れている。シャツの下からはすらっとした健康的な美脚が伸びていた。
──
しかし僕と違って莉恋は友達も多いし、俗な言い方をすれば陽キャラというやつだ。目の前にいるだけでなんかキラキラして見えるのはそのせいだろうか。
でも今の風貌からは、いつも外で猫被っている姿は欠片も想像できない。
「……兄の部屋でもノックはしろよ。というかそのシャツ僕のだし、ちゃんと服着ろよ」
溜め息を吐いて、僕は呆れ声で妹に指摘する。
「一度に色々指示しないでよー」
莉恋は唇を尖らせ、わざとらしく耳を塞ぐポーズを取る。
いつもこんな調子で、莉恋は僕の話を聞かない。僕に兄としての威厳は全くない。だから、何かを決めるときも、基本は僕よりも妹の選択が優先される。
というかこの家では妹がカースト最上位にいる。嘆かわしいことに。
まあ、それで僕が不利益を被ったこともないため、特に不満はないのだが。せいぜい家族での外食の行き先や、クリスマスケーキの種類が選べないくらいだ。
「それで、何の用?」
僕が素っ気なく返すと、莉恋は頭を上げて壁掛け時計を一瞥した。
「せっかく呼びに来たのに冷たいなぁ。お兄ちゃん、バイト前にご飯食べないの?」
「食べるけど、もうちょい後で」
「冷凍パスタ食べるんだけど、カルボナーラもたらこスパゲッティも食べたくって」
「なら両方食べればいいだろ」
「でもそしたらお兄ちゃんの分、パスタソース以外なくなっちゃうよ?」
「全部食べる気なのかよ……。というか、ソースは残すその気遣いなんなんだよ」
「だから一緒に食べよ、って誘ってるじゃん」
「……もうちょい後で食べるんだって。あんま早く食べてもバイト中腹減るし」
僕が話しているのを聞いているのか聞いていないのか、莉恋は物珍しいものでも見るように、僕の部屋をきょろきょろと眺め回している。
僕の部屋は最近、勝手に模様替えをしたばかりだし珍しいのは珍しいんだろう。
ただ、僕が同じことをしたら気持ち悪がられるんだろうな、とも思う。
……いやしないし、したいとも思わないけど。妹の部屋なんかに興味はない。
「お兄ちゃん、あんまり物置かないよね。ミニマリスト?」
莉恋はそう言いながら部屋の床に直に座る。掃除機はかけてあるけど、いいのか。
僕としては生足のままべたっと座るのはやめてほしい。
「僕がミニマリストを名乗ったりしたら本物に怒られると思うけど」
流石にミニマリストと呼べるほどではない。とはいえ物が少ないのは事実だ。
僕の部屋は、折り畳みベッドと本棚が一つ、洋服タンスに、L字デスクとデスクトップパソコン、オフィスチェア。大きなもので言えばそれくらいしか物を置いていない。
あとはベッドの上に大きめの抱き枕があるくらいか。
たくさん物があっても散らかすだけだし、ちゃんと管理もできないからだ。
だから小説なんかは本屋で立ち読みするか、買ったとしても、よほど気に入ったもの以外は数度読んだら古本屋に売ることにしている。そのため僕の本棚は意外とスカスカだ。
「にしても殺風景だよねぇ。カーテンは藍色だし、布団も灰色だし。……暗くない?」
「その方が落ち着くんだよ……いいだろ別に、僕の部屋なんだし」
僕は莉恋から視線を外してスマホの画面に向ける。
「そりゃそうだけどさー……あれ、何これ。何が入ってるの?」
「んー……?」
タワーディフェンスのソシャゲをプレイしながら僕は空返事をする。
「この段ボール。ベッドの下の」
莉恋が僕のベッドの下に腕を突っ込み、ズズ、と引き出そうとする音が聞こえる。
その行動に、僕はばっと起き上がり──気付けば大声で叫んでいた。
「──っ……触んな!」
びくっと妹の肩が跳ねて、僕の部屋に静寂が訪れる。
ぱちくり、と擬音で表現したくなるくらいに、莉恋が見開いた目を瞬かせる。
怒られたからというよりは、びっくりしている様子だった。
「…………うん、ごめん」
僕は自らの失敗を悟りながら、頭を掻いてベッドから降り立つ。別にここまで声を張り上げることもなかった。親が仕事じゃなければ部屋に様子を見に来ていたことだろう。
僕も怒ったわけじゃない。ただ、咄嗟のことだったからだ。
「あー…………いや、こっちこそごめん。……パスタ食べるんだろ? 行くよ」
僕がさりげなく段ボールを足で蹴ってベッド下に戻すと、莉恋は「うん、わかった」と僕から顔を背けたまま頷いた。そのまま二人で一列になってダイニングへと向かった。
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