第十章―忠誠―#2


 さて、夕飯の支度にとりかかる前に、やっておかなければならないことがある。サヴァルさんに頼まれている魔玄の作製と、ラナ姉さんに手直ししてもらった服を染めることだ。


 私はレド様に許可をもらって、洗濯室で作業することにした。



 洗濯室────ここも、後で【解析アナライズ】したところによると、かなりアレなことになっている。


 まず───白磁器に似たこのスロップシンク。


 取り付けられた真鍮製の蛇口から出るのは水ではなく、“洗浄液”だそうだ。これはどんな汚れも分解し、また洗い流す必要がないとのこと。


 しかも人体には何の影響もなく、環境にも優しいらしい。


 まあ、でも、汚れを分解した後の洗浄液は蒸発してしまうようなので、外に流れ出て環境に影響を及ぼすことはどちらにしろありえないけど。


 次に───隣の洗い場。


 蛇口からは水もお湯も出るが、私の洗い場と同じ【除去クリアランス】の魔導機構が床に施されているので、そこに立つだけで着ている服まで丸ごと洗浄してくれる。


 そして───カウンター上全面に施された格子窓。


 現在は【最新化アップデート】により古代魔術帝国の窓型ライトに替わっており、このライトを洗濯物に照射すれば、乾燥だけでなく、殺菌、皺取り、果ては破れたり解れたりした箇所の再生までしてくれるのだそうだ。…凄すぎない?


 カウンターの隅に置かれたままのアイロン───これも、古代魔術帝国の技術の粋が凝らされている。


 このアイロンを当てれば、皺が取れるだけでなく、服に魔力をコーティングすることが出来るらしい。


 魔力がコーティングされた服は汚れが付きにくくなるだけでなく、抗菌、防虫、さらに解れたり破れたりしなくなるようだ。


 しかも、アイロンを使用した者の魔力によってはかなり丈夫になって、物理攻撃や魔術まで防げるとのことだ。


 ただ、ある程度時間が経つとコーティングは消えてしまうので、定期的に施さないといけないみたいだけど。


 これに関しては、後で、血で染めることの出来ない白いシャツやタイなどに試してみようと考えている。


 それから───洗濯物を絞るためのローラーは、単に新品同様になっているだけのようだ。


 この洗濯室の技術を見る限り、洗う際に水で濡らす必要がないので、こういった道具は古代魔術帝国では機能を発展させる必要がなかったのかもしれない。



「それで、まずはどうするんだ?」


 見学を望んだレド様に訊かれる。


「そうですね。通常なら、まず染める鞣革の汚れを落とすところから始めるのですが…」


 狩ってきたばかりのグレイウルフの鞣革を取り寄せたのだけど─────


「汚れていないな…」

「ええ。綺麗なんですよね…」

「リゼの【技能】の効果か?」


 レド様には、【解体】について話してある。


「おそらくは…。それについては後で検証するつもりです。今日はもうあまり時間がないので、とりあえず、先に染めてしまいます」


 私はグレイウルフの血を凝縮した赤黒い色のキューブを取り寄せる。グレイウルフは29頭いたので、キューブも29個ある。


「これが…、リゼが言っていた魔物の血を凝縮したものか。不思議な肌触りだな」


 しみじみ呟くレド様に、私も頷く。


「石鹸などよりは固いけど、石よりは柔らかい感じですよね」


「本当にこれで染めることが出来るのか?」

「それについては、心配いらないと思います」


 【現況確認ステータス】の【技能】欄に記載されている────【媒染】。これ、多分、魔玄作製のことだと思うんだよね。


 それなら、【解体】や【採取】と同じように出来るかもしれない。


 私はグレイウルフの鞣革を一枚床に敷き────その上にキューブを一つ置いた。


「【媒染】」


 すると、予想通りに私の足元と、グレイウルフの鞣革の下に魔術式が展開し、光が迸る。


 光が収まると、赤黒いキューブは消え失せ、グレイウルフの鞣革は漆黒へと変わっていた────


「すごいな。確かに魔玄になっている…」


 レド様は、遠征の時に魔玄の装備を支給されたことがあるそうだ。


「本来なら、染めた後、乾燥させたり、臭みを抜いたりしなければいけないんですが────やる必要はなさそうですね」


 まあ、助かるけれど。


「それでは、残りもやってしまいますね」


 今回、サヴァルさんに渡すのは、グレイウルフで作る分だけにするつもりだ。



 さて、次は────私たちの服だ。


「私のものはすべて染めるつもりですが、レド様のものはどうしますか?染めてもよろしいですか?」

「俺のもやってくれるのか?」

「勿論です」


 私は、ラナ姉さんから預かってきた、私のジャケットとベスト、それからレド様の───街に行く際に着てもらう普段着兼冒険者としての装備にもしてもらうつもりのコートとベスト、スラックスを取り寄せる。


 血は鹿型の魔獣のものを使うことにした。個体の個性にもよるが、やはり魔物よりも魔獣の血の方が、染めた際の性能が良い。


 服を並べ、真ん中の服の上に、魔獣の血が凝縮されたキューブを置く。私は、並べられた服すべてを覆うイメージで【媒染】を発動させた。


「あれ?」


 黒く変わった服の上に、5cm角くらいの赤黒いキューブが載っている。この服の量には、あの魔獣の血の全部は必要なかった───ということなのだろう。




「…どうだ?」


 使用人部屋で、レド様が早速試着してきた。【最適化オプティマイズ】も済まされたようだ。


 装飾があまり施されていないシンプルな少し細身のコートに、揃いのベスト、それとやはり細身のスラックス。


 さすがラナ姉さんだ。すごく型がいい。


 それにしても、レド様は顔もスタイルも良いせいか、何を着ても本当によく似合うな。


「その…、とても似合っています」


 …危ない。思わず、またしても『カッコいいです』とか口走っちゃうところだった…。


「ありがとう。────リゼも…、とてもよく似合っている」


 レド様が嬉しそうに目を細めて言う。私も新しいジャケットとベストを【最適化オプティマイズ】しがてら試着していた。


 お世辞ではなく、レド様が本当にそう思ってくれているのが判って、私の頬が熱くなる。


「ありがとうございます…」


 辛うじて絞り出したようなお礼を言えば────レド様はもっと嬉しそうに微笑んでくれた。



◇◇◇



 今日の夕飯は、オークの肉がたくさん手に入ったので、それを使ったトンカツである。


 カデアさんを呼び戻すことになった以上、レド様が無理に料理を覚える必要はなくなったから、“和食”を作ってみようと思い立ったのだけれど───


「レド様、休んでいてくださっていいんですよ?」

「別に疲れていないから、大丈夫だ」

「ですが、もう料理を覚える必要もないですし…、それに今日作るのは、私の前世の料理なので、覚えても材料が手に入らないものですから────」


「前にも言っただろう?リゼと一緒に料理をするのは楽しいからやりたいだけだと。それに…、今日作るのはリゼの好物なのだろう?だったら、なおのこと覚えたい。材料だって、記憶しておけば俺なら創れる」


 だから…、そういう────嬉しくなってしまうようなことを、そんなさらっと言わないでください…。



 サンルーム産の程よく張りのあるレタスに、千切りにしたシャキシャキのキャベツと瑞々しいトマトの櫛切り。

 そして────カリっと揚がった色鮮やかな狐色のトンカツ。

 光を撥ね返す、艶々の白いご飯。

 それから、太った“シメジ”のようなミグレ茸とお豆腐を入れ、細く切った葱をまぶしたお味噌汁。


 この“前世の記憶”というものは、本当に不思議なものだ。今世では初めてのはずなのに────そのかぐわしい匂いを懐かしく感じてしまう。


「美味しそうだな。だが────どうして4人分なんだ?」

「せっかくですから、ジグとレナスにもご馳走しようかなと思ったので…。駄目ですか?」

「………駄目ではないが」


 レド様は言葉とは裏腹に、舌打ちでもしそうな────何だかやさぐれた表情だ…。


「ジグ、レナス───聞いていたんだろう?リゼがご馳走してくれるそうだ」


 レド様が天井に向かって呼びかけると、ジグが現れる。


「よろしいのですか?」


 喜色を隠せない声音で、ジグが訊く。


「…リゼの善意だ。────レナスは?」

「食堂の方へ夕飯を摂りに行っております」

「そうなんですか。先に声をかけておくべきでしたね。では、これはしまっておいて、レナスには明日の夕飯にでも出しましょう」


 私はレナスの分をアイテムボックスにしまう。アイテムボックスに入れておけば時間が止まるので、出来立てのまま保存しておける。


「それでは、いただきましょうか」




「リゼが食べるのに使っているそれは何だ?」

「ああ、これは“お箸”といって、前世の私の故郷で使われていたものです。こうやって掴んで食べるんです」


 今世では初めてなので使えるか不安だったが────持った瞬間から、使い熟せている。


 ちなみに、皆のご飯はお皿に、お味噌汁はスープボウルに盛っているが、私の分は記憶から創り出した陶器のお茶碗と木のお椀だ。


「この…、“トンカツ”でしたか、本当に美味しいですね」


 ジグはそう言いながら、すごい勢いで食べている。


「この“ご飯”と“お味噌汁”というのも、本当に美味しいです」

「ふふ、それなら良かったです」


 言葉通り本当に美味しそうに食べているジグに口元を緩めて、私は初めて味わう懐かしい味を堪能する。


 トンカツにかけた“ソース”も再現したものだから、余計に懐かしい。


 甘めのソースで、これをかけるときは下拵えの段階で塩を多めにして、トンカツの塩を利かせるようにしていた。


 塩を控えめにして、醤油をかけて食べるのも好きだったな、と思い出す。


「レド様?もしかして、お口に合いませんでしたか…?」


 隣に座るレド様が手を止めて憮然としているのに気づいて、声をかける。


「……そんなことはない。すごく美味しい、が…」


 レド様の歯切れが悪くて、心配になったそのとき────怒りを露にしたレナスが現れた。


「ジグ…、てめぇ…」


 え、何?何で───そんなに怒ってるの?


「オレがあのクソマズい食堂の飯を食っていたってのに、てめぇ、自分だけそんな美味そうな飯、食いやがって…!お前も腹空かしてるだろうと思って急いで戻ったってのに…!」

「仕方ないだろ。お前が食べに行った後でお誘いいただいたんだから」


 剣呑なレナスに、ジグは涼しい表情でしれっと返す。まあ、悪いのは声をかけるのが遅かった私だから、ジグではないものね…。


 それにしても、普段の二人ってこんな感じなのか。畏まった姿しか見たことがないから、何か新鮮────なんて、考えている場合じゃなかった。


「ごめんなさい、レナス。私が声をかけるのが遅かったから、レナスはもう食堂に行ってしまった後だったんです。でも、レナスの分もちゃんとありますから、明日にでも食べてください」


「…オレの分、あるんですか?」

「勿論、ありますよ」

「それなら、今、いただきます」

「え、でも…、食堂で食べたんでしょう?」

「大丈夫です、入ります」


 まあ、本人がそこまで言うのなら…。

 私は、レナスの分をアイテムボックスから取り寄せる。


「うわぁ、すっげぇ美味そう…!久々のまともな食事…!」


 レナスの言葉に合点がいく。


 そうか────この二人も、8年近く、ずっと下級使用人用食堂のあの不味い食事しか食べていなかったんだ。


 そもそも、私はこの二人の雇用主なんだから、食事もきちんと用意すべきだったんじゃない?


 今更ながらに思い当たって────私はジグとレナスに申し訳なく思った。

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