第一部 皇都編

序章―除籍と絶縁―#1


「やっと帰って来たのですか。公爵家の息女でありながら、毎日のように遊び歩いているなど────これだから、出来損ないは…」


 2週間ぶりに生家に戻って、何もない粗末な部屋で一息ついていると、ノックもせずに勝手に部屋に入って来たクズ男が何かほざき始めた。


 クズ男は、一応、このイルノラド公爵家の家令だ。


 私を『公爵家の息女』と言いながら、『出来損ない』と平気で罵るあたり、その人間性と仕事に対する意識の低さが伺える。


 私は別に遊び歩いているわけではない。


 このクズ男の言う通り、私───リゼラはイルノラド公爵家の次女ではあるが、食事すら出してもらえないので、外に稼ぎに出ていただけだ。




 このレーウェンエルダ皇国では、王侯貴族に生まれた子供は漏れなく6歳になると教会へ赴き、“神託”を受けなければならない。


 神が、その子の“才能”を神託により教えてくれるのだそうだ。


 私に下された神託は───『ミコ』。


 皇国のみならず周辺数か国で広く使用されるエルディアナ語には、『ミコ』という単語はなく、神託を受けた直後、神官も私の両親も戸惑った。


 ただ、私にはその言葉の意味が解った。『ミコ』とは、おそらく“日本語”で、“巫女”だ。


 そう───私は“転生者”だ。“地球”という星の“日本”という島国で生きた記憶がある。


 私のような前世の記憶を生まれながら持つ者は割といるらしく、“記憶持ち”と呼ばれている。


 当時の私はそのことを知らなかったので、前世の記憶があることは、使用人はおろか家族にも隠していた。


 だから、そのとき私は、『ミコ』の意味を知っていることを話すかどうか迷っていたのだけど────


「武に関するものではないとは、役に立たん」


 実父であるイルノラド公爵がそう呟いて、私の方を見もせずに聖堂を出て行ってしまった。


「この出来損ないが…っ」


 実母のイルノラド公爵夫人が私を睨みながら憎々し気に吐き捨て、夫に続いて出て行く。


 神殿に来る直前まで、普通に娘として可愛がってくれていた両親のあまりの変わり身の早さに、思わず、ぽかん、としちゃいましたよ。



 レーウェンエルダ皇国は、騎士であった始祖王が興したこともあり、武を重んじる。ここ数代は統治に力を注いでいたが、それ以前は他国侵略上等を旨としたガチガチの軍事国家だったらしい。


 イルノラド公爵家は、まさにその軍事国家時代に武功で叙爵し、その後も武勲を立て続け、公爵へと昇り詰めたという経歴がある。


 公爵家門に生まれた者のほとんどが騎士職に就くという武門の一族で、皇家からも公爵家の武に対する信頼は厚い。


 実兄である公爵家長男のファルロに下された神託は───『騎士』。

 実姉である公爵家長女のファミラに下された神託は───『剣姫』。


 イルノラド公爵自身は『剣聖』なので、私以外はみんな武にまつわる才能があるということだ。


 長女のファミラが『剣姫』だったので、次女にも期待していたんだろう。それは解る。解るけれど───あれはない。



 あの後、何とか公爵邸まで連れて帰ってはもらえたものの、すぐさま部屋を使用人棟の屋根裏部屋に移され、その日の晩餐から呼ばれさえもしなくなるという徹底振り。


 前世でそういうストーリーの“ラノベ”があったが、まさか自分の身に降りかかるとは夢にも思わなかった。まあ、異世界に転生するとも思っていなかったけど。


 前世の記憶がなければ、本当に死んでいた。


 何せ、6歳の幼女だ。世話をしてもらえないだけにとどまらず、食事すらさせてもらえなかったら、餓死する他ない。




「聞いているのですか。出来損ないのくせに煩わせないでくださいよ」


 罵声で回想を遮られ、クズ男の存在を思い出す。まだいたのか、コイツ。


「旦那様がお呼びです。至急、執務室に来るように、と仰っています」


 …普通、それを先に言わない?


 主人に言いつけられたことより、罵声を浴びせることを先にするとか、家令失格じゃない?


「何をしているんですか。早くついてきなさい。旦那様を待たせるなど、言語道断ですよ」


 扉を出て行こうとして、私が付いてこないことに気づいたクズ男が振り向いて言う。


 そんなこと───知ったことじゃない。


「準備が出来たら勝手に行くから。早く部屋から出て行って」


 心底うんざりして、冷たく答えると、クズ男は怒りで顔を赤くした。

 私を見下しているあまり、自分の方が立場が上だと本気で思っているのだ。


「何だその口の利き方は…っ。出来損ないがこのわたしにそんな口をきいていいと思っているのか…っ!」


「出来損ない、ね」


 呟いて、私は床を蹴った。クズ男の背後に回り右手を捻り上げて、空いている方の手で腰に括り付けていた短剣を抜き、クズ男の首へと這わせる。


 イルノラド公爵家に仕える身として武芸を身に着けているはずのクズ男は、私の動きに反応出来ず短剣を突きつけられているという現実に、唖然としているのが背後からでも判った。


「な、何で…、出来損ないで何も出来ないはずじゃ───」


 食事すら与えられない私は、当然、武術を習わせてもらっていない。


 だけど、私は戦うすべを持っている。そのおかげで、これまで生き延びて来られたのだから。




 “前世の私”が生まれ生きた時代のあの“日本”という国は、不安は燻っていたものの一応は平穏を保っていた。


 “銃火器”や刀剣類は一般庶民が目にすることすら珍しいほど平和で、実戦さながらの武術は廃れつつあったが、前世の私はそれを修めた。


 前世の私の生家は、父がサラリーマンのよくある一般家庭だったけど───血筋としては、とある“神社”を守る神官の傍系だった。


 その神社には神具がまつられているとのこと(伝聞なのは前世の私も見たことがないからだ)で───神官となる者は、神具を守るために武技を修めるという習いがあった。


 戦国時代に全滅の危機に陥ったことがあるらしく───それ以来、神官となる者だけでなく、一族の血を引く子供すべてに代々伝わる武技の基礎を教え込む習慣ができたそうだ。


 一人でも生き残れば、流派が消えることはないというわけだ。


 正直、流派が残っても神具が奪われれば終わりだし、前世の私が生きていたあの時代でその心配は必要ないと、今でも思うけれど。


 まあ、そんなわけで前世の私は一族に伝わる武術───“刀術”と弓術に、それから馬術を修めた。


 基礎さえ修めれば、鍛練は続けるのも止めるのも自由とされていたので、大半の子はそこで止めてしまう。


 でも、前世の私は何となく鍛練を続けた。といっても、週に2、3度道場に通う程度だったし───この技術がこれからの人生で活かされることはないだろうと考えていたから、完全に習い事のような感覚だったが。


 今世で武術を習ったことがない私が戦えるのは、この記憶を頼りに鍛練したからだ。


 ただ、この世界に“刀”はないらしい。剣と刀では勝手が違い、最初はかなり戸惑ったが、今では単独で“魔獣”と渡り合えるくらいには、剣の扱いにも慣れた。



 

「ねえ、もう、いい加減にしてくれない?貴方たちは私を出来損ないだと言うけれど、何を根拠にしているの?そもそも、私が出来損ないだとしても、貴方が偉くなるわけじゃないでしょう。どうして───そんな態度ができるの?」


「ひ…、ゆ、ゆるして…」


 クズ男は、ガタガタと情けなく震えている。


 私は溜息をくと、短剣を首元から下ろし、クズ男ごと身体を反転させて、クズ男を開いた扉の向こうへ押し遣った。


「公爵にすぐに行くと伝えて。…余計なことを言ったら───承知しない」

「は、はい…っ」


 まだ震えが止まらないらしいクズ男が、ヨタヨタと不格好に走り去る。


 公爵からの呼び出しか…。


 6歳のあの神託の後から10年間、一度も会おうともしなかった公爵からの呼び出し────



 この国では、男は18歳、女は16歳で成人となる。誕生日ではなく数えで換算して、建国記念日に一斉に成人と認められる。


 その建国記念日は1週間後。私も、その日に成人する予定となっている。


 呼び出しは、きっと───成人後の私の処遇についてだろう。


 まあ───でも、丁度良かった。こちらも公爵に会わなければならない事情があるのだ。


「はぁ、憂鬱……」


 私は、開いたままの扉から、廊下へと踏み出した。



◇◇◇



 使用人棟へ閉じ込められ、邸内を自由に行き来することを禁じられていた私だけど、公爵の執務室の位置は知っている。


 行き会う使用人たちが訝し気にこちらを見遣る視線が、本当に鬱陶うっとうしい。


 執務室へと辿り着き、その重厚な扉をノックする。


「入れ」


 偉そうな応えにきびすを返したくなったが、そうもいかないので、渋々、扉を開いた。


「…失礼します」


 礼をするほど敬ってはいないものの、一応、そう言っておく。


「ようやく来たのか。何度も呼び出しているのに、来たくないなどと我が儘を言いおって。お前は何様のつもりだ」

「…公爵が呼んでいると、私は今日初めて聞きましたが?」


 まあ、ここ2週間ほど、仕事で戻ってこなかったので、あのクズ男が閉じこもっているはずの私がいないと言えずに、そう言い逃れしたんだろうと思うけど。


「言い訳はいい。お前の我が儘に付き合っている暇はないんだ。

お前の成人後の進路が決まった。第二皇子であるルガレド殿下の親衛騎士だ」



 第二皇子ルガレド=セス・オ・レーウェンエルダ────


 御年24歳になるにも関わらず、現皇妃ジェミナ=アス・ル・レーウェンエルダの差し金で、未だ成人させてもらえず、皇宮で飼い殺しの憂き目に遭っているという。


 民衆の間では悲劇の皇子と名高いが、権力をほしいままにする皇妃に睨まれているため、貴族の間では蔑視されている。


 ルガレド殿下のご生母セアラ側妃は辺境伯家のご令嬢で、血統は悪くはない。


 しかし、セアラ側妃の生家ファルリエム辺境伯家は、辺境伯が8年前に国を守って命を落とされた後、跡取りが決まっていたはずなのに代替わりを邪魔され、後継不在として解体されてしまった。


 つまり、ルガレド殿下には後ろ盾がいないのだ。


 実母であるセアラ側妃も、殿下が7歳のとき襲撃された際に、殿下を守って亡くなっている。


 さらには、殿下に仕えていた使用人たちもファルリエム辺境伯家が取り潰された際、皇妃により強引に解雇されてしまったらしく、ルガレド殿下は文字通り孤立しているらしい。


 そのルガレド殿下の親衛騎士に────私が?



「ルガレド殿下には権力がない。もう、お前の我が儘は通らない。ルガレド殿下はおそらく辺境に駆り出される。勉強も武術の修行もしなかったお前は苦労することになるだろう。怠ったことを後悔して、自分の我が儘を反省することだな」


 何を言っているんだろう、この男。


 私が、我が儘で────勉強も武術の修行もしなかった?


 腰に提げたこの使い込んだ双剣が目に入らないのだろうか。もしかして、見栄で提げているとでも思ってるとか?


 大体、武術を修めた身なら、相手の足運びや体つきで、武術をたしなむかどうか判るだろうに。


「それと、お前はイルノラド公爵家から籍を外した。イルノラド公爵家の威光に頼れると思うな。公爵家の名を使って何かすることは出来ないし、お前が何かやらかしても、公爵家は一切尻拭いをすることはないと心しておけ」


「!!」


 籍を外した────私はもうイルノラド公爵の息女ではない?

 この公爵家と縁が切れたってこと?


 こちらから持ち掛ける前に外してもらえるとは。しかも────もう手続き済み!


 顔が緩みそうになる。でも駄目───まだ喜色を顔に出してはいけない。


 私はジャケットの内ポケットから、折り畳んだ“ナイロン”に似た素材の袋を取り出した。袋を広げ、中に手を入れて、丸めて紐で括ってある書類を2通取り出す。


「!…その鞄は、まさか」


 公爵と公爵の後ろに控える側近が、何やら呟いているが無視した。


「では、こちらにサインをいただけます?」

「一体何を…、……これは絶縁状?…こっちは除籍届?」

「もう籍は外されたとのことですが、念のため私からも除籍届を出しておきますので。さあ、サインをお願いします」


「…一体何を企んでいる?」

「公爵閣下にとって、喜ばしいことだと思いますが。…早くしていただけません?」


 公爵が後ろの側近に書類を渡し、読ませる。


「別段、おかしな個所はございませんが…」


 そう側近が断言して、やっと公爵がデスクの端に立ててあったペンを手に取った。ペンの脇に置いてあるインク壷にペン先を浸して、2通の書類に立て続けにペンを走らせる。


「ほら、これで満足か」


 何だろう───この態度。

 ただのパフォーマンスだとでも思っているんだろうか。


 まあ、いいや。除籍届の方は元のように丸めて紐で留めて、また袋へとしまう。絶縁状の方は手に取って、“魔力”を流した。


 嬉しいことに、この世界には“魔素”というものがあって、生き物は多かれ少なかれ魔力を持ち、“魔法”や“魔術”を扱える。


 この絶縁状は、紙自体に“契約魔術”が施されていて、魔力を流せば契約魔術が発動し、書面に書かれた誓文の内容を、強制的に守らせることが出来るのだ。



 絶縁状から発せられた魔術による光が、公爵と私を一瞬包んで、身体に吸い込まれるようにして消える。成功したみたいだ。


 これで、お互いではあるが、強引に干渉することは出来ない。


 私は安堵の溜息をき、発動済みの絶縁状を丸めて紐でくくり、袋へと入れる。


「はぁ、やっと解放された」


 思わず本音が漏れてしまったが、気にしない。もう自由なのだから。


 ちらりと公爵を見遣ると、側近共々、呆然としている。私は追い打ちをかけるべく、またふところへと手を伸ばした。


 今度は、もう一つの内ポケットから、懐中時計を取り出す。蓋を開けると、蓋の内側部分に収めてある“魔水晶マナ・クォーツ”を加工して造られたコインを抜く。


「さて、これでイルノラド公爵家と私の縁は切れました。私は平民となりましたが、Sランカー冒険者でもあります。身分を理由に私に何かを強制しようとしても無駄ですので、覚えておいてください」


 Sランカーの証である魔水晶マナ・クォーツのコインを公爵に見せつけながら、宣言する。



 “冒険者”とは、ファンタジー系のラノベやゲームでお馴染みのアレである。仕事内容や立ち位置、冒険者の組合である“冒険者ギルド”も、本当にお馴染みそのまんまだ。


 でも、一つだけ違うところがある。それは、“冒険者ライセンス”だ。ラノベでは“カード”だったが、この世界ではコインなのだ。


 しかも、持ち主の魔力を通すと、他人が使用することは出来なくなるという優れモノだ。



 それから、ランクシステム。これも大体同じ。


 Fランクから始め、依頼の達成度など定められた条件をクリアすると、ランクが上がる。


 Bランクまでは真面目に熟していれば順当に上がれるが、Aランクに上がるには一線を画した実力が必要となる。


 そしてSランク───最上位ランクとなるのだが、これがさらに狭き門となっている。


 Aランクに辿り着ける実力に加え、世間に影響力を持つ人物──大商人や王侯貴族など──からの推薦が必要となる。それも一人ではなく、複数人。


 大陸最大の巨大組織である冒険者ギルドと、複数の大人物による後ろ盾を持つSランカーは、当然、一国の一貴族程度では太刀打ち出来ない。


 だから、私は必死の思いでSランクを目指した。このイルノラド公爵家と縁を切るために。


 万が一、利用されそうになっても────その汚い手を撥ねのけられるように。

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