第6話 画力を活かす時

「今日こそ、絶対に話すきっかけを作る!」


私はスケッチブックをしっかりと抱え、心の中で誓った。彼に話しかけるための完璧な作戦――それがこのスケッチブック作戦だ。


彼の似顔絵をさりげなく見せて「えっ、これ偶然描いただけです!」って言い訳する作戦。そうすれば、自然な流れで会話が始まるかもしれない。しかも、私は一晩かけて彼の似顔絵を描き込んだ。初めてにしては、かなり良い出来だと思う。これで彼の注意を引くことは間違いない……はずだ。


そう、問題はこの「偶然見せる」という部分だ。どうやって自然に見せるかが難しいところ。でも、私はここ数日で彼に近づく「偶然」の技術を磨いてきた(はず)。電車の中でさりげなくスケッチブックを開いて、タイミングよく彼の視線に合わせる。それだけでいい。簡単なことじゃないか。


私は心の中で何度もシミュレーションを繰り返しながら、彼が乗っているだろう電車を待つ。今日も彼がこの電車に乗っていることを願って――。


ガタン、ゴトン。


電車が駅に滑り込んできた。ドキドキしながらドアが開くのを待つと、すぐに彼の姿を見つけることができた。幸い、今日も彼は座っている。ああ、最高のチャンス!これで私も座れたら、スケッチブックを「偶然」開いて、彼の前に広げられるはず。


そう考えながら、私は電車に乗り込んだ。そして、空いている席を確認して――ラッキー!彼の近くに座れる!私は素早くその席を確保した。


心臓がバクバクしている。もうすぐ、作戦を実行に移すときだ。スケッチブックを取り出し、慎重にページをめくる。似顔絵が描かれているページを探し出し、準備は万端だ。


さて、どうやって彼に見せようか。ここはやっぱり、「自然に」行くべきだよね。ふとスケッチブックを広げて、彼が視線を向けたときに「えっ、あっ、これは違うんです!」と慌てて言う――うん、これで完璧だ。


私はスケッチブックを持ち上げ、彼の方にさりげなく向けるタイミングを見計らう。そして――その瞬間、電車が大きく揺れた。


「えっ、うわっ!」


スケッチブックが手から滑り落ち、バサッと床に落ちた。しまった! 慌てて拾おうと身をかがめたが、運の悪いことに彼ではなく、他の乗客が先にスケッチブックを拾い上げてくれた。


「ありがとうございます!」と礼を言いつつ、スケッチブックを受け取ると、開かれているページに目が行く。そして、その瞬間、私は目を疑った。


「……あっ……」


開かれていたのは、彼の似顔絵ではなく、昨日の授業中に暇つぶしで描いた奇妙な生物の落書きがびっしり詰まったページだった。ウニのようなものに、触手がついた謎の生物――どう見ても人間が描くものじゃないような、異様な生き物たちが描かれている。


「えっ、あっ、違うんです! これは、その、なんでもなくて!」


私は慌ててページを閉じようとしたが、手元が狂ってさらに別のページが開いてしまう。そこにもまた、奇妙な生物がうじゃうじゃと描かれている。


最悪だ。


完全に最悪な状況だ。


彼に見せようと思っていたあの素敵な似顔絵はどこにもなく、代わりに見られてしまったのは、意味不明な怪物たちの群れ。しかも、近くにいた数人の乗客がこちらを見てクスクスと笑い始めているのがわかる。


恥ずかしさで顔が真っ赤になるのが自分でもわかった。私はもう何も言えず、ただスケッチブックをぎゅっと抱きしめるしかなかった。


「……もういやだ……」


そう心の中でつぶやきながら、駅に到着するのを待った。そして電車が停まると、私は逃げるように電車から降りた。


++++++++++


その後、学校に着いた私は、クラスメイトたちからすぐに質問攻めにあった。


「ねえ、凜、今日の電車で何か落としたよね?」


「あれ、何描いてたの? すっごい変な生き物が見えたんだけど!」


どうやら、私がスケッチブックを落とした瞬間を目撃していたクラスメイトがいたらしい。しかも、その奇妙な生物たちの落書きをしっかりと見られてしまっていた。


「え、あれ……見られてたの?」


私は驚いて聞き返す。


「うん、だって落ちたときにページがパッと開いてさ、すごい怪物みたいなやつが見えたんだよ! 何あれ、超ウケたんだけど!」


クラスメイトたちはみんな大笑いしながら、私をからかう。


「いや、あれはその……暇つぶしに描いただけで……」


私は弁解しようとするが、みんなの笑いは止まらない。



++++++++++



昼休み、私は真由と一緒にお弁当を食べながら、ため息をついた。


「……もう、最悪だった……」


真由は苦笑しながら私の話を聞いてくれていたが、やっぱり彼女も笑ってしまう。


「でもさ、凜、ほんとにいろいろ考えるよね。彼に話しかけるために、スケッチブック作戦って!」


昼休み、私は真由と一緒にお弁当を食べながら、今朝のスケッチブック事件の話をしていた。話している最中も、ため息が止まらない。


「うう、やっぱり無理があったかな……」


「うーん、そうかもね。でも、まあ失敗するのは凜らしいし、それにしてもさ、スケッチブックに彼の似顔絵描いてたって本当?」


「うん……」


私は頷きながら、鞄の中から問題のスケッチブックを取り出した。


「これなんだけど……ちょっと見てみてよ。頑張って描いたんだよ」


真由はスケッチブックを手に取り、じっくりとその似顔絵を見つめた。


「……なるほどね。」


「どう? 結構似てると思うんだけど……」


「んー、まあ、特徴は捉えてるかな」


真由のその微妙な反応に、私は少し不安になる。


「え、なんか変? そんなに似てない?」


「いや、そうじゃないんだけどね……」


そう言いながら、真由はスケッチブックを私に返してきた。そして、笑いを堪えながら言った。


「正直、今日あの落書きのページが開いてて、良かったと思うよ」


「えっ、どういうこと?」


「だってさ、この似顔絵を彼が見てたら、逆にもっと微妙な雰囲気になってたかもよ? あんまりに真剣すぎて、ちょっと怖がられたかもしれない」


「ええっ!?」


私はびっくりして思わず声をあげてしまった。


「いや、凜、彼に興味があるのはわかるけど、最初からこんな細かく描きすぎると、ちょっと引かれるかもしれないよ?」


そして真由は笑いながら、続けた。


「むしろ、あのウニみたいな怪物の落書きの方がまだ笑ってもらえたんじゃない?」


「う、うそ……でも確かに……」


真由に言われて、私は改めて似顔絵を見直す。彼の髪の毛の質感まで細かく描き込んでいたことに気づき、少し顔が熱くなる。真由が言う通り、もしこれを彼に見られていたら、私のイメージがもっと悪くなっていたかもしれない。


「……本当に、見せなくて良かったかも……」


私はそう呟いて、またため息をついた。


「まあ、次はもっと軽くいこうよ。焦らなくても、チャンスはこれからいくらでもあるって」


真由の言葉に少し救われた気がした。焦らず、もっと自然に……次の作戦はもう少し控えめにした方がいいかもしれない。私は、スケッチブックをそっと閉じ、心の中で次の作戦を練り始めた。

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