op.2-4

 メモする手を一旦止めて、ふうと大きく息を吐いて体を仰け反らせた。束の間の休憩時間だ。演奏中は聴くことに集中しているため、メモを取る機会はこの短い小休憩の間くらいである。

 目が乾燥してきている。何度か瞬きをしたが、そろそろ目薬を差した方がいいかもしれない。一人あたりの演奏時間は昭正の想像以上にあり、演奏者だけでなく聴いている側もかなり体力を要する。


 隈羽ピアノコンクール、全国大会。一人あたりの枠は二つの自由曲で構成されていて、自由曲にそのピアニストの個性が特に色濃く出ているように感じられる。選曲からそれの歌い方まで、幾らでも『自分らしさ』の魅せ方があるのだ。演奏者は惜しみなく実力を発揮していく。


 プロコフィエフ ピアノソナタ 第七番 変ロ長調 作品八三 戦争ソナタ 第三楽章

 ベートーヴェン ピアノソナタ 第二三番 へ短調 作品五七 熱情


 バーバー ピアノ・ソナタ 変ホ短調 作品二六 第一楽章 第四楽章

 カプースチン 八つの演奏会用エチュード 第八番 フィナーレ 作品四〇:八


 スクリャービン ピアノソナタ 第三番 嬰へ短調 作品二三

 フォーレ 即興曲 第三番 変イ長調 作品三四


 ブラームス ピアノソナタ 第三番 へ短調 作品五

 サン=サーンス 六つのエチュード 第五協奏曲のフィナーレによるトッカータ 作品一一一:六


 ラヴェル 水の戯れ ホ長調

 ショパン ノクターン 第一三番 ハ短調 作品四八:一


 シューマン クライスレリアーナ 第一曲 ニ短調 作品一六:一 

 シャブリエ ブーレ・ファンタスク


 昭正はぼんやりとしながら体を起こし、自分の筆跡を指で追う。感受性を求められる場にめっぽう弱いということは自覚していた。音の機微や演奏の拘りなどは、本人の解説なしではよく分からない。しかし、知帆が言っていた通り、これは素人にも分かる巧みな演奏である。会場で聴くから、というのもあるのだろう。生の演奏はやはり音が分かり易く立体だ。

 それでも、足りない。「これこそは」とかつて昭正の胸を掴んだ演奏のような存在とは、まだ出会えていない。

 さて、次は誰だったか。

 目を細め、プログラムと睨み合う。一番目の名前から順番に追って、次で七人目。最後のコンテスタントだ。


 七番 樋谷知帆


 確かにそう記されている。また、身震いをした。会場前に殺到している音漏れ狙いの聴衆たち、異様なまでに高騰したチケットの倍率、通路の向こう側で座っている可愛らしく着飾った推し活女子たちが熱を上げている。その先にいるのだ、彼女は。

 このコンクールの大トリにして最もイレギュラーなその存在が、これほどまでの数の人を突き動かしている。

 彼女は本当に『音楽の神の寵児』なのだと、ようやく実感する。昭正には想像もつかない数の人々がその音楽に魅せられた。そして、自分もまたその内の一人にすぎないのだろうと、林檎が地面に落ちるくらい自然に納得した。

 ぶるりと体を震わす。覚束ない手でどうにか目薬を差し、何度か瞬きをした。

 聴衆の一人に過ぎないくせに、柄にもなく緊張していた。



 スターは颯爽と現れる。シンシアは息を呑んでその様子を見つめている。一瞬たりとも見逃したくなかった。

 いつも通りだ。既に自分だけの世界に浸かりきっているようで、お辞儀もおざなりに、ただピアノを求めているだけの、一周回って無垢まであろう音楽への関心。やはり狂気的だ。良くも悪くも冷めている自分は、あのようにはなれないのだろう。ならない方がましだという気までしてきた。

 そのままストンと腰を下ろし、待ちきれないのか大して間も取らず、鍵盤を絡めとるようにして弾き始める。


 ショパン エチュード集 第一番 ハ長調 作品一〇:一


 ショパンのエチュードの中でも難しい方だ。右手の拡張に重点を置いたもので、右手は常に指と指の間を広げていなければならない。そのため、手が小さかったり指が短かったりするピアニストには不向きの曲となっている。ここで重要なのは「脱力」である。手先だけで弾いては駄目なのだ。それでは、この曲は歌えない。


 思わず溜息が零れそうになった。その寸前で抑え込む。憧れた理想の音楽を目前に、どうしたものかと呆れ果ててしまいそうだった。

 譜面が見えない。その場で旋律が生み出されているかのような臨場感あるいは新鮮さが、何度も胸中に去来する。まるで今日出逢ったばかりのように、聴衆の意志の有無を問わず彼らの高揚感を強制的に引き出してくるのだ。なんて強引、しかし不快ではない。

 知識人たちは、少し後になって振り返ってみることでようやく、あの演奏は楽譜とひとつのズレも一切見せなかったと気づける。楽譜の指示通りの演奏だ。

 つまり、どこまでも無個性なのだ。とはいえ、つまらない演奏と対極にいて、それでいて紙一重。没個性の正反対にある。これこそが樋谷知帆の音楽以外の何物でもないのだと本能的に理解せざるを得ない。

 彼女が弾く時点で、その奏でられる音色は彼女だけのものだった。

 今どきよく言う「自分らしさ」なんて彼女は一ミリも気に掛けていない様子だった。ただ楽譜通りに音楽を奏でる、それの後を追うようにして、「自分らしさ」という概念が根付く。

 羨ましいと思った。それと同時に、スポットライトを浴びて目を細めながら周囲のことなどお構いなしに鍵盤と戯れる彼女が、一瞬、何か悍ましいものに見えてしまった。


 演奏解釈者らによって手本のような演奏を求められたという二十世紀の西洋芸術音楽における思想からしたら、喉から手が出るほど欲しい人材だったろう。生まれる時代が違えば、今よりもっととんでもない存在だったかもしれない。『楽譜通りに弾く』と『自己表現』を両立できるのだ。樋谷知帆の演奏を前に、ミルシテインもストラヴィンスキーも論争を止めて押し黙ってしまうのではないか。


 艶やかで、鮮やかで、華やかで、しかし主張が激しいわけではなく、さも最初から定められていた「斯く在るべき」を当然のこととして歌っているようで、耳によく馴染む。

 目が眩む。どう努力しようとも、あの輝きは手に入らないのだろう。

 秀才は天才になれない。欲しいのは『努力の天才』だとかそんな中途半端な名声ではない。そんなもの、慰めにもならない。

 正確に言えば、秀才が天才に勝てることは勿論ある。けれど、シンシア自身が求めているのは、勝利でも名声でもない。なりたいのは、欲しいのは、ひとえにあの輝きなのだ。あの天才が放つ威光、その眩しさだ。

 シンシア・ヴェラ・スタイナーが樋谷知帆を追うのは、母が娘に自己投影して勝利を求めているからであるが、その娘自身もまた樋谷知帆を追い求めていた。

 網膜に焼きついた残像の太陽だった。

 掴もうとして手を伸ばす。しかし残像だ。分かっていて、まだ止められずにいる。


 速さと力強さを兼ね備えたハ長調のアルペジオ、そのさなかで移ろいを見せる和声進行の音色。その美しさを引き出すためには、幅広いアルペジオを正確に奏でなければならない。しかし、樋谷知帆の演奏に寸分の狂いもぎこちなさもなく、しなやかな仕上がりになっている。

 海外では滝と呼ばれる作品である。この演奏は本当に滝そのものだ。法則に従ってありのままに落下していく水が目に浮かぶ。

 ショパンが当時使っていたピアノは、現代のものより鍵盤が細く、つまり当時の方がまだ弾きやすかった可能性が大いにある。しかし、そんなことなどお構いなしに、彼女は作品を我が物のように自由自在に扱う。音を粗雑に扱うことなく、体重のかかった重い音ではなく明るく澄んだ音色で、余裕そうな笑みを浮かべて難なく弾きこなしている。

 先日会ったときの彼女を思い出す。手の大きさや指の長さは特段優れたものでもなかったはずだ。

 戦慄が全身を駆る。

 そうだ、これを聴くためにここまで来たのだ。道標となる光であり絶望でもあるこの光景は、まるでシンシアを叱咤激励しているかのような、或いは突き放すかのような。一体いつからだったのだろうか、無意識のうちに唇を噛んでいたようで、口内に淡く血の味が広がった。

 無理だ、やっぱり無理だよ、お母さん。こんなのに、私が成れるはずがない。そもそも、成ろうとして成れるものじゃないんだから。

 そうは思っても、たとえこの感想を母に伝えたとて、彼女が「なら仕方ない」と諦めるわけがない。

 無理ったら無理なのに。

 感動か絶望か分からないが、涙が溢れてくる。



 昭正が隣に視線を移したことに、特に理由があるわけではなかった。何気なくそちらを見て、息を呑んだ。

 泣いている。隣席の少女は静かに泣いていた。頬を伝う雫は舞台の照明の明るさを映して、きらきらと密かに輝いていた。

 やはり、自分には到底分かり得ないものがあるのだろう。

 音楽を聴いて涙した経験がない。樋谷知帆の演奏をもってしても、そういうことは一度もなかった。

 けれど、この少女は泣いている。恐らく、他の観客にも涙を流している人はいるのだろう。

 その、彼らの心を揺さぶる何かが、分からない。芸術的な物事に鈍感すぎるのかもしれない。


 鍵盤を叩いていた知帆の手が一旦止まり、観客たちが拍手する。一曲目が終わった。

 次だ、と身構える。

 余韻が止むことはなく、数瞬の静寂を待ってから、彼女の指は再び鍵盤を弾いた。


 シンプルな前奏のあと、自分の音楽へ聴衆をぐわっと引き摺り込んでいった。

 先程までの荘厳で重厚感のある音色とは異なり、むしろ軽快だ。壮大と言う訳ではないのに、呼吸さえ忘れてしまいそうなほど見入っていた。

 絶え間なく鳴り響く高音の中で、メロディがしっかりと耳に届く。くどすぎず、かと言って浅すぎず、空間に音の粒子をひとつひとつ浮かべていくように、彼女は歌っていた。

 淡い色のトゥシューズが地に着いては浮かび、滑らかな動きと共に衣装の裾が弧を舞い描く。そんなワンシーンを傍観しているかのように錯覚した。飾り気も癖一つすらもない無垢の輝石。生まれ落ちたそのままの姿で、五つの線が音を繋いでいく。

 ああ、これだ。あの日聴いた曲だ。

 昭正はうっとりと目を細めた。彼は、音楽の専門的な話などよく分からない。どの技術が素晴らしいのか等の指摘や解説もできない。だからこそ、だろうか。難しいことを考えるのを止めて、音色の心地良さに身を委ね、聴衆の役割を全うしていた。



 一方、その隣に座る少女は、冷めやらぬ興奮で体が震え始めていた。

 あれは、楽譜が打ち込まれたデータか何かなのだろうか。それほど正確に跳躍のタッチミスひとつさえなく進んでいった。表情は相変わらず余裕があり、時折、無邪気な満面の笑みを浮かべる。

 早すぎず、遅すぎず、指定された速度を遵守している。強弱についても同じく。溜めることもなく、指示通りに淡々と弾きこなしている。きっと指示さえあれば、繊細にも苛烈にも弾くのだろう。譜面に従順なのだ、彼女は。それなのに、「つまらない」ものではない。

 音の粒はいつも通りしっかりとくっきりと見える。だが、彼女の演奏は大河の流水が如く流れていた。なんて滑らかな粒なのだろう。

 悔しいほどに惚れ惚れとしてしまう。どうしようもなく完敗だ。

 万が一、知帆の前でそのようなことを吐露してしまえば、「私よりも十歳も若いんだから」と純粋な善意でシンシアの柔なところを穿ちにくるのだろう。だから、そんなこと口が滑っても言えやしないけれど。

 良くも悪くも、音楽に年齢など関係ない。ここに、燦然と輝く照明の下に、盾などない。

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