第9話 新(シン)【悪役令嬢の掟】

 すべての令嬢の野球と自己紹介が済んだ。

 

「この度バチェラーの司会を務めさせていただきます、ロイドと申します。すでに選抜ははじまっておりまして、言葉やマナー、そういったものも殿下に選ばれるために必要なことになります。重々ご承知おきの上、発言くださるようお願い申し上げます」

 ロイドは私や、暴言を吐いたドラクロアに目配せする。


「バチェラーは本日も含めて3日間で決定します。2、3日目の開催は1週間程度時間が空きます。2~3日目に何人の方が残れるか、殿下のお心次第になるのでわかりかねます」



 場が静まりかえる。



「はい。質問です」

 ハーマイオニーが手を挙げた。同じ劇団ギルドに所属している看板女優だ。


「体力、知力を見ると殿下からお言葉がありましたが、そのほかに審査基準のようなものはあるのでしょうか」

「ございます。殿下はそれを見ていると言ってもいい。それは各々が注意深く観察していればわかってくるものだと思います」


 ロイドは見渡した。

「それでは質問がないようなので、さっそく次の催しを開始させていただます」








◇◇◇◇◇◇

〈ハーマイオニー視点〉





「それではどうぞ、はじめてください」

 ロイドの声を合図に、アニマが悪役令嬢の演技にのがわかった。


 顔が険しくなり、目の奥になにかが宿った気配がする。

 アニマからすこし抜けている雰囲気が、消えた。



 ハーマイオニーの背筋が粟立つ。




 ――ハーマイオニー・キャラハンは、アニマに飲まれそうになった。







「リシェル。あなたが私の子どもではない? 笑わせないで。むしろ、全力で笑いにいかせてもらうわね!」

 アニマが演じているのは【悪役令嬢の掟】という劇の母親役だ。


 母はリシェルを抱きしめ、髪をなでた。

 リシェルは首に力が入り、とっさにあたまをかばった。


 母は慌ててからだを離した。


「ではなぜ、お母さんは悪役令嬢と呼ばれているの?」

 ハーマイオニーは、娘のリシェル役を演じている。


「好きに言わせておけばいいのよ。あなたたちが私の子供であることに変わりはないの。だって、こんなに可愛いのよ」

 母はリシェルの頬に何度もキスをした。リシェルのあたまふたつ分ぐらい母の方が背が高い。リシェルの頬は硬直して、びくり、とからだが動いた。

「ごめんなさい」

 母は謝った。



 リシェルと弟は、母と髪の色が違う。リシェルと弟はオレンジ色。母はピンク色だ。しかし、気の強そうな顔は、母とそっくりだ。リシェルたちは父親に似たのだと言う。父親はリシェルたちがうまれてすぐに亡くなったと聞いた。


 リシェルは母のピンク色の髪を見ると、心臓がドキドキとして逃げ出したくなる。

 

 町の人は母が急に子どもを連れて、旅から帰ってきたと話していた。子どもを自分の妹から誘拐してきたと言われているのをリシェルは知っている。


 リシェルは昔のことをよく覚えていない。霧がかかった町のように、ぼんやりとそこになにかがあるみたいだ。物心つくと、母と一緒にいた記憶しかない。



 

◇◇◇◇◇◇





 ドラクロアが王城にある劇場の客席から言った。

「これは、【悪役令嬢の掟】という有名な劇だな。悪役令嬢の母が妹の子どもを引きとり、自分の子どもではないから虐げる。子どもたちがのちに復讐するって話だ」 

 殿下とバチェラー参加者たちは、ここでアニマとハーマイオニーの合作劇を見ている。



 ヴィヴィアンが答える。

「正直、あまり面白くはなさそうですね。あくびが出そうです」







◇◇◇◇◇◇




 リシェルが屋敷に帰ると、母は屋敷の入り口で母の妹と話していた。

 妹は何度もやってきていたから顔を覚えていた。


「リシェル! ママよ! 大丈夫? ちゃんと食べさせてもらっているの? こんなに痩せて……。背も伸びてないじゃない」

 母の妹はリシェルと弟のほんとうの母だと言った。


 たしかに妹とリシェルは同じオレンジの髪の色をしていたが、妹はおっとりとして見える垂れ目はリシェルと似ていない。すこしつり目で、気が強そうとよく言われる顔は母と似ていた。


「いい加減にしてよ! なぜ、私の大切な子どもたちを誘拐するの? 悪役令嬢! お姉さまは私から大切なものを奪ってきたわよね! ずっと! ずっとぉぉぉぉ!!!」

 母の妹は母の頬を張った。母は、なにも言わず、なにもしなかった。



「返せ、返せ! 私の子どもを返せ!!!!」

 リシェルは母の妹から、強く腕を引っぱられた。リシェルのからだがふるえ、その場にしゃがみこんだ。

「ごめんね! ごめんね。痛かった? こいつになにかされた?」

 母の妹はリシェルのあたまに手を置こうとする。リシェルはとっさにあたまをおさえた。

「ひとまず今日は帰って」

 母はそれだけ言って、リシェルの前に立った。


「今度は領主さまと夫も連れてくるから! 私の子どもを返してもらうわよ」

 大股で母の妹は去って、馬車に乗りこんだ。



 母は妹の後ろ姿を見つめ、リシェルに笑いかけた。

 

「お帰り。リシェル!」

 リシェルを抱きしめた。からだがびくり、と反応してしまう。

「ごめんね」

 母はからだを離し、泣きそうな顔をした。


「私はここにいて、いいのかな」

 リシェルは言った。


「もちろん。リシェルは私の子どもよ。ここに根をはって、花を咲かすのよ」

 母はまっすぐにリシェルを見つめて、笑う。



 母はリシェルたちの実のママではないのだろう。では、リシェルと弟はなぜ、母の子どもとして預けられているのだろうか。


 それを考えようとすると、あたまがぼーとして、急に心臓が激しく動き、苦しくなってしまう。

 母の髪の色を見て、それは強く反応する。

 弟は夜を怖がり、おねしょをする。


 おそらく、これらは、いまの母と一緒にこの屋敷に住みはじめてからだ。


 やはり、リシェルたちは誘拐されたのだろうか。





 リシェルは自分が誘拐されているということにすこし優越感を得た。なんというか、特別感があった。

 他の友だちにはいない境遇が楽しかった。

 

 そして、知りたいと思った。

 本で読んだ、名探偵のように。自分たちで誘拐犯を逆につかまえられたらいいなと考えた。

 それと同時に、すごく深い、心の奥に、なにかがひっかかっている気がして、怖くもなった。



 リシェルはそれから、母のことを観察するようになった。




 母の部屋のドアがすこし開いている。声をかけようとして、あわてて隠れた。


 母は紙のようなものを読んでいた。長い時間そうして、その紙を大事そうに胸元にしまった。


 母は部屋から出てきた。隠れていることをごまかすために、立ちあがって、いまここに来た態度でいた。母はリシェルを抱きしめてきた。

「リシェル。今日もとってもかわいいわ」






◇◇◇◇◇






 客席のリンジーが言った。

「うーん。うんうん? ウーン。あたしが知っている【悪役令嬢の掟】じゃない気がする。ドラクロアちゃん。こんな話だった?」

「いや。違う、な。母は劇が開始してからすぐに子どもたちをいじめる。でも、リシェルや悪役令嬢の母の登場人物は一緒だ。どういうことだろう。というか、リンジー様。私をちゃんづけはやめてくれ」





◇◇◇◇◇◇



 【悪役令嬢の掟】を、アニマは大胆に内容を改変した。


 



 アニマはバチェラーの特技をアピールする催しのトップバッターに選ばれた。ハーマイオニーに共演を依頼し、劇の内容を変更したいと相談してきた。


「あれを……やるのね。どうして内容を変更するのか聞かせて」

 アニマがなぜ内容を変更するのか? アニマの考案したシナリオの方が素晴らしいから。それはわかる。しかし、どうしてシナリオを変更するに至ったかの理由を聞いたことはなかった。


「悪役令嬢の母がこの話はおかしいと言っているからです」

 アニマは断言する。声がふるえていた。

「続けて」

「悪役令嬢の母と話しました。リシェルと弟を愛している母には、この結末はおかしいって本人が言ってるんです」

「どうやって話すのよ」

「話せます。訓練、休憩、湯浴みの時もずっと考え、一緒にいれば。友達になれます。そうしたら私も劇の内容がおかしいことがわかりました」


 


 ハーマイオニーはアニマのデビュー作では出演はなかった。1年前、たしかにアニマはこの解釈で演じ、合わせられなかった男優と監督がアニマが劇を壊したと怒っていた。


「こんな私を殿下はバチェラーに招待くださったのです。それも、自由に演じてよいと仰せ。ならば私は、悪役令嬢の母が思う通りにしてあげたいのです。それが殿下の願いでもあると信じています。ハーマイオニー様でしたら私に合わせることなど雑作もないことと存じます。どうかお願いいたします」

 アニマに頭を下げられた。肩がふるえていた。ハーマイオニーが怖いのだ。いままで、辛くあたってきたから。



 

 はじめてアニマを見たとき、ハーマイオニーは天才だと思った。なぜ、こんな解釈ができる? なぜ、そこでそのような表情をしたのか。最後の最後まで、まったく見たことがないものを披露した。


 見終わった後、閉館を告げる小間使いに声をかけられるまで、その場を動けなかった。



 男性しか主役ができない古いしきたりの演劇ギルドの決まりのなかで、初めての主役令嬢が生まれると思った。



 でも、アニマの演技はデビュー後からずっと酷いままだ。まぐれだったのか。手を抜いているのか。そう思ったほうが楽だった。ほんとうはわかっていた。古くさい演劇ギルドがアニマの才能を活かせない。ハーマイオニーが、アニマを主演にするように言っても、ギルド側はなにも変わらなかった。

 アニマはハーマイオニーが裏でそういう発言をしていたことを知らない。



 しかたがないとはいえ、ギルドのいいなりに酷い演技をするアニマをいつしか、辛くあたるようになってしまった。






 ◇◇◇◇◇






 リシェルは母が留守の間に部屋を探した。なにも出てこなかった。そして母が湯浴みの時、ドレスを探る。あった! 手紙を発見した。



 妹の夫から、母に宛てての手紙だった。あなたに子どもを託したいと書かれていた。


 一部読めない単語もあったが、そこには虐待ぎゃくたいや、仕打ち、嫉妬しっと、狂いと書かれていた。




 リシェルは叫び出したくなるのを、おさえ、手紙をもどして、自室にかけ込んだ。





 ――思いだした。




 リシェルたちはたしかに、母の妹の子どもなのだろう。いまよりももっと小さい頃、母の妹と、一緒にいた。

 優しい時もあった。特に、は。



 にリシェルたちはよく言われた。

「あなたたちが悪いの。お姉さまを思いだしてしまう。どうして? どうしてそんな顔に生まれてしまったの? 悪いのは、あなたたち……。お姉さまがいなかったら、なにもかも、うまくいったのに……」

 そう言ったあと、母の妹の髪はなぜか、オレンジから、ピンク色になった。

「こんなに悪いことをするのは。お姉さま。そうよね? 私はお姉さま。いまから、私がやることはぜーんぶ、お姉さま。わかった?」


 いま思えば、かつらを被って、ピンク色の髪の人、つまり母から虐待を受けていたように思い込まされていたのだ。





 母はこの秘密を守るために、誘拐犯や、悪役令嬢という悪口を受け入れて、リシェルと弟を自分の子どもだと、言ったのだ。




 湯浴みが終わった母を、リシェルは自分から抱きしめた。

「どうしたの。私の愛しすぎるリシェル」

「ひとつ教えて? 妹……姉妹ってどんな感じだったの」

「どんな感じって?」

 母に説明した。ふたりはどんな子ども時代をおくっていたのかを聞いた。


「そうね。私は仲良くしたかったけど、両親――私の父がね、どうしても、長女である私を、結婚、財産などで優遇するものだから。妹は面白くなかったでしょうね。いまはそうね。すごく……険悪な関係になっている。特に妹は結婚したい憧れの方がいたのだけれど。その方と私が結婚の話が勧められ、結局色々あって、私から断ることになってしまった。その時に、まぁ、妹から恨まれてしまってね」


 もし、母の妹にも母からなにか許せないことをされ、そうせざるを得ない理由があったのなら、と考えたが。

 

 ほんとうのことはわからない。

 ただ、母が、リシェルたちに一度も嫌なことをせず、優しい言葉をかけ続けてくれたことだけは、ほんとうだ。



「お母さん。お母さん!」

 リシェルはもういちど、母に抱きついた。

 涙が次から次から出てくる。止めることができなかった。


 母も抱きしめ、一度顔を離して、リシェルを見つめた。その目尻は濡れているように見えた。それをぬぐって、笑顔になった。リシェルも、笑った。

「かわいいわ。私のリシェル!」

 そう言って、おそるおそる、リシェルの髪をなでようとする。リシェルはあたまをかばわなかった。



 弟とふたりで町を歩いていた。 

「姉さん。どうだった?」

 弟は石を蹴っ飛ばした。


「うん。間違いなく、本当の母さんだった。嘘を言っていたのは母さんの妹の方」

「やっぱりそうか。何で母さんは誘拐犯や、悪役令嬢って呼ばれてるんだろう」

「幸せそうに見える母さんに嫉妬してるんでしょ。根も葉もない噂ぐらいしか、お母さんを貶められないの」

 リシェルは自分の屋敷を振りかえった。


「嫉妬ってなに?」

「うーん。私が持っている人形を、持っていない友だちが欲しいって思うことかな」

「ふぅん」

 弟はわかったような、わからないような顔をする。



「これからは、お母さんを誘拐犯や悪役令嬢と言う人たちをやっつけて行こう!」

 リシェルは言った。

「暴力は絶対ダメだって! 母さんが言ってたよ」

「手は出さない。でも口は出す! 私たちでお母さんを守ろう。だって私たちは、悪役令嬢の子どもたちなんだから」

 弟と笑い合った。









 劇が終わり、ハーマイオニーとアニマはお辞儀カーテシーをすると、しん、と静まりかえった。




 見ていたのは観客ではなく、バチェラーを戦うライバル達だ。




 どんなにアニマやハーマイオニーが良い演技をしても、拍手などは起こらないだろう。




 そう思って、舞台を下りようと思ったら。





 遅れて、鼻をすする音や、泣いている声。割れんばかりの拍手が巻きおこった。



 令嬢達はスタンディングオベーションでむかえてくれた。

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