第11話1-11 嫌われ者の聖痕《スティグマ》
視界に広がる宇宙世界。
重力をまったく感じない。上も下も、左右もわからない。けど、不思議な事に呼吸に違和感は無い。
……これは夢だ。
今、見ている世界が夢だと自覚するまで、そう時間はかからなかった。
特に警戒する事なく、受け入れられるのは、これが夢だとわかっているからなのか、気配に悪気が微塵も感じられないからなのか。
近づいてくる、ひときわ輝く星に触れる。
***
大きな雨粒に打たれ、道端で打ちひしがれているネイトが見える。……ネイトの心の声も聞こえてくる。
(自分がこんなにも無力だったなんて! 一人でなんでも出来ると信じて疑いもしてこなかった! なのにッ──あの魔女達! クソッ! ……ボク一人じゃどうにも出来ない! オリィを助けられない!)
ずぶ濡れで、顔にまとわりつく髪を
カフェのカウベルが軽快に鳴り響く。
ネイトが店内に一歩入ると、賑わう店内がシンと静まりかえった。
暖かいカフェで談笑していた客全員、店員までもがピタリと動きを止め、
しかも今回は全身びしょ濡れで、いかにも暗く沈んだ面持ち。まさに悩める魅惑の美少年。出くわしたら、そりゃ手を差し伸べたくもなる。
だけどもまあ、こうしてネイトを観察していると、不憫にも思えてくるよなぁ。いちいち目立って注目を浴びるなんて、面倒くさくないかぁ? とくに、今みたく腹を立ててる状況だと。
「(……
目を丸くしてるウエイトレスが口をパクつかせた後、ぎこちなく、なんとか頷く。
「──ええ、あ、はい。どうぞ使って下さい。えっと、アップルティーですね……隠し味つきの。七.五ポンドです」
ネイトは胸ポケットからスマホをまさぐり出すと、バーコードリーダーで会計をすませた。踵を返し、無言で窓際の席へ向かい、椅子を手際よくスラリと引くと、自重にまかせてうなだれるように座った。
両肘をテーブルにつき、両手を握り込み
(テルーが来てから、どこから話そう? どうしたら助けてくれる? テルーは嫌がるけど、もうよそ者の手を借りるしか方法が残ってない……!)
へ~。かなり切羽詰まってたんだな。──ふん、よそ者だって。
まあ、確かに俺は留学生のよそ者だよな。留学期間が終わってしまえば、そのままグッバイ。次ここに訪れる時は、ビジネスとして立ち寄る事になるだろう。
(テルーなら、魔女達の裏を抜けれる……! 今は注視されてるけど、あの御守りさえはずしてくれたら、魔女達もテルーから目を離すはず。あとはボクにだけ敵意を向けるよう動けば、テルーがオリィを奪還できるチャンスが巡ってくるはず……!)
……なんだよ、随分と希望的おそまつ計画だったんだな。そんな都合よく物事が動くと、本気で信じているのかあ? だとしたら、ネイトはマジでバカだ。──もしくは考えがまとまらないほど追いつめられているか。
「アップルティーです」ウエイトレスがトレーごとテーブルにティーセットをそっと置いた。記憶を覗いてるだけの、俺の鼻にも届く香ばしく甘い匂い。
「あの……」頬を真っ赤に染めるウエイトレスが、もじもじとエプロンを揉みながら控えめに声をかけた。「連絡先、交換しない?」
──はあッ? 逆ナンかよッ! ネイトの奴……まじでモテるな……。
ネイトはキョトンとしてるし、なんなんだよ、コイツ! お前、どうせ慣れてるだろ、こーいうのにさ!
「──え? ボクの連絡先? アハハ……どうだろう(このタイミングで逆ナンか……困ったな……)」苦く笑い、後頭部の濡れた髪を撫でつける。「そうだ、チャンネル登録してよ。ボク、動画活動してるから。ピアノ演奏の。──コメント欄で待ってる(これでいいだろう? 今はそっとしておいてほしいんだ──)」
ネイトはスマホ画面にQRコードを表示させた。たぶん招待用コードだろう。ウエイトレスの肩が落ちた。
「(スパチャ目当てにされちゃった……ガッカリ。でも、コメントのやりとりしてれば、そのうち仲良くなれるかも! またお店に来てもらえば、こうして面と向かって話せるし!)……わかった。バイト終わったらあなたのYouTube見てみる」
ウエイトレスがスカートのポケットからスマホを出し、QRコードを読みとった。
「──ナサニエル・ロックハートって、本名?」
「うん、本名で活動してる」
「そう……(動画一覧、全部この人の写真集みたいになってるじゃん! カッコイイーッ)じゃあ、配信楽しみにしてるね! あ、おかわりが欲しくなったら言って。サービスするから!」
スマホを胸に握ったウエイトレスが足どり軽くカウンターに戻っていく。ネイトは重い溜息を吐いた。
(はあ~ よかった、あれで引いてくれて。……でも、これが普通だったんだよな……早くいつもどおりの日常に戻りたい。オリィ……)
ネイトは握ってるスマホを額にコツコツ当てだした。
来店客を告げるカウベルが、店内に響き渡った。ネイトがハタリと顔を上げ、身を捻って入り口を振り返り見る──店に俺が来たと思ったんだ。
けど、来店客は俺じゃない。ネイトの妹、オリィだ。
あどけない笑みを浮かべるオリィが、扉越しにクスクスやってる。
「お兄ちゃん、こんな所で寄り道? ダメじゃない、可愛い妹をシッターにあずけっぱなしなんて。オリィ、待ちくたびれちゃった」
悲壮するネイトがガタリと立ちあがった。
(なんでこんな所にまで! ずぶ濡れじゃないか! シッターは⁉ シッターは無事なのか⁉)ないまぜの感情を抱きながらオリィに駆け寄る。
「こんな天気の時に外を一人でうろつくなんて! なにかあったらどうする⁉ 風邪も引いたら大変だぞ! ……一体、オリィに何をさせるつもりなんだよ⁉」
オリィの両肩を抱き寄せようとする手は優しいが、ネイトの目つきはオリィを睨み抜いている。──ネイトの怒っている顔を見るのは始めてだ。
オリィは笑顔のまま軽く身を
奥歯を噛みしめるネイトがオリィに続き、テーブルにつく。対面するオリィからまるで目を離そうとしない。まったく周りが見えてないな、これは。店内では客のコソコソ話が広まってる。もとより目立つ兄妹だ。ただならぬ雰囲気だと、なお悪目立ちしちまうよな。
身構えるネイトに、オリィが優しく話をふった。
「せっかくの紅茶が冷めてしまうでしょう? 頂かないの?」
ネイトが一瞬、身体を硬直させた。ほんとの刹那だ。まばたき一回分だけ。それでも俺は見逃さなかった。……オリィは気づいていない。
「(隠し味がバレたら、とんでもない事になる。さっさと紅茶を飲み干してしまおう)オリィも暖かい物を頼むといいよ」ネイトは、画面にバーコードが表示されたスマホを、テーブルの上に置き、オリィに差し伸ばした。
その手で流れるようにポットに手を伸ばし、紅茶をティーカップに注ぐ。……なるべく不自然にならないよう、動作に細心の注意をはらってるのがバレバレだ。俺がネイトの直前の硬直に気づいてしまったからか、余計に胡散臭く見える。
オリィが顔をしかめた。「なんだろう、この紅茶、イヤな匂いがする」
ネイトは一気に紅茶を飲み干した。
「大人向けの紅茶だからね。まだ子供のオリィにはココアを」ネイトがスマホを指でトントンと叩いた。
オリィは首を振る。
「わたしはいらない。──ねえ、ネイトはさっき、私に向かって、オリィに何をさせるつもりかと聞いたでしょう? その質問はね、私もしたいのよ。あなた、あの日本人の留学生を使って、なにをするつもり?」
ネイトが反射的に手を引っ込めようとしたけど、遅かった。ネイトの人差し指を、オリィの小さな手が握り、強く引っぱる。
「あの日本人が普通じゃないのは知ってるでしょう? あの忌々しい御守りといい」オリィが息をつきながら首をイヤイヤ振った。「なにより気味が悪いのは、あの足音のしない歩き方。普通じゃないわ、異常よ。まるで暗殺者みたい。これで気配まで消されたら、こっちは探しようがない。……とは言っても、今はあの御守りがよい目印になっているけれど……あら、あなた」
オリィが何かに気づいて、パッとネイトの指を離した。
「案ずる事ではなかったようね」オリィがクスクスと冷笑を浮かべた。
不機嫌なネイトの眉間の皺がますます深くなる。
「さっきから一人で、なにをペラペラやってるんだよ?」言いながら、スマホを胸ポケットにしまい込んだ。
「あなた、気づいてないのね、お気の毒さま」
「──だから、なんの話をしてるんだよ⁉」
オリィは満足そうに、確信に満ちた笑顔で背もたれに寄りかかった。
「あなたがひとりぼっちだって事。あなた気づいてないけど、あの日本人から相当嫌われてるわ。だって……」ここでオリィは楽しそうに笑った。「暗殺者っていうのは、合っていたようね。あなた、もうあの日本人の術にかかってる。首に綱をまわされて、死刑台に立っているのと同じ状態よ? ……
顔をゾッとさせたネイトが、自分の喉元をおさえた。(そんな──ウソだろう、テルー! いつの間に⁉)
……罪悪感なんて、俺は受け取らないぞ。命のやり取りだ。生半可な覚悟で生き死の舞台に誰があがるかよっ!
オリィは身を乗りだし、両手でネイトの頬をくるんだ。
「嫌われ者の
──は⁉
身を乗りだしたオリィの肘が、ティーポットにあたった。グラついたポットが倒れる。紅茶がオリィの腕にかかり、焼いた。
「──アッ!」オリィが素早く
焼かれた腕からは、灰色の湯気が昇っている。──紅茶で火傷。ただの火傷じゃない。はっきりと、火に
オリィは憎々しげに紅茶を睨みつけてから、視線をネイトに移した。
「シルフィウム……! このハーブはとっくに絶滅したはずなのに!」
ネイトがすまなさそうに、ゆっくりオリィに近づく。
「ごめん、オリィに傷をつけるつもりはなかったんだ」
オリィが
「──ハッ! オリィを傷つけるつもりが無い⁉ きっちり魔女に効く毒を仕込んでおきながら? これだから背中の聖痕持ちは信用できない! あなたに掛けられた術を解いてあげようと思ったけど、やめた! ──そもそも、シルフィウムを飲んでる時点で私達の術は効かないしね! ネイト、あなた、あの日本人に殺されればいい! 安心してちょうだい、オリィは私達が大切に育てあげるから!」
吐き捨てると、オリィは足早に店を出ようと入り口に向かった。
「待て……ッ! 今はダメだッ!」追いかけるネイトが慌ててテーブルを横倒しにした。陶器製のティーセットは全滅だ。派手な音を立てて床に散らばる。
「
その時、落雷が堕ちた。昼よりも明るく、白く発光する世界が広がる。
ネイトが、弱々しく声をあげた。
「……頼むから、オリィを解放してくれ」
「それは脅し?」オリィが静かに聞き返した。「あなたに妹は殺せない」
「……そうだね」ネイトはあっさり認めた。「帰ろう、ボク達の家に。……あの日本人には、もう近づかないから」
オリィの口元が
「約束よ?」
「約束だ」
ネイトはオリィを抱き上げ、店の外へ出た。
残された店内は、落雷に
……ネイトの記憶を見て、収穫はあった。オリィが口にした〝背中の
なんせ俺の背中にも聖痕はあるからな。
これは神々の血族である
一体どこの家系の神に属しているのやら……。
そして魔女達。あれはオリィに憑依している。オリィの意識を沈めて、身体を完全に乗っ取ってる状態だ。
ふ~ん。……どうしたものかな。
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