(三)
放課後。図書室へ向かうアイの足を止めたのは、ほかでもないレクサスだった。彼は真っ赤な頭に、ふさふさの毛耳が特徴の獣人族で、アイとは孤児院からのつきあいになる。いつもやたら元気で明るい彼は、孤児院時代からその印象をほとんど変えない。誰に対しても分け隔てなく、すなおな気性。関わる人の笑顔を自然とひきだしてしまうような人懐っこさがある。この数年で多少変わったといえば、背丈がちょっと高くなったとか、声変わりがあったとか、そういう部分だ。
「おれまたフラれたよぉぉぉ」
「フラれたって、お前も懲りないね」
親友レクサスは、端的に言えば、いま恋をしていた。それも、一ヶ月半ほど前に学園の御神木の前で出会ったのだという。それからというもの、レクサスはその想い人とやらへ会うたびに愛を伝えては、こうして玉砕して戻ってくるということをくりかえしている。人類みなトモダチと言わんばかりの彼が、たった一人についてここまで熱心になることは、今までにないことだ。アイはそれをめずらしいと感心するいっぽうで、現実的に、親友の行く末を案じていた。
「お前さ、前も言ったけど、望み薄だと思うぜ?」
「だって好きなんだもんあぁぁぁぁ」
「それより、筆記。試験結果は?」
「ぜんぶムリぃぃぃい」
「お前さぁ」
「勉強きらいだもん。センセ、なに言ってるかわかんない」
「ま、一律の授業体制に問題があるのはわかるけどな」
アイはかるく肩をすくめた。
「言ったろ? 勉強教えてやるって。お前が〈氷の帝王〉サマにお熱なのは知ってるし、それを無理に止めたりはしねぇけどさ。相手は上流階級でしかも同性。他人なんて
「アイだって女の子とっかえひっかえじゃん」
「
「えと、なんか、ごめん?」
レクサスはなんとも要領を得ないようすで、謝った。
けっきょく、おたがいにうだうだと恋が実らない話をし、来月の野外訓練で班員がもう一人足りないのをどうしようだとかそういった話をしながら、アイはレクサスとともに図書館まで足を運んだ。
重厚な扉をくぐると、紙と、紙に染みついたインクを束ねた香りに包まれる。音は壁面を覆う本の群れに吸いこまれて、それまで耳に届いていた雑音が、しん、と聞こえなくなる。
アイがまず向かったのは、入口すぐの魔導検索機だった。探したい本はまずこのパネルを操作すれば、どのあたりに何があるか見当がつく。
流れでついてきただけのレクサスは暇そうに、うろうろとしはじめた。それを横目に指先でパネルを叩く。あの調子なら追試は確定。であれば、その追試に焦点を当てておけば進級はどうにかなるはずだ。レクサスの学力は、ひかえめに言っても褒められたものではないものの、野外訓練や実技試験における成績は上位に匹敵する。それは彼が獣人族であるがゆえに、といってもいい。純人族とは比べものにならないほど発達した五感が備わっていることにくわえ、さらにレクサスは、そういった感覚――直感的な器用さ、とでも言うべきか――にとりわけ優れていた。ちゃんと勉強こそすれば、それこそ総合順位だって上位に躍り出るだろうが、どうにもレクサスはそのことに、てんで興味がないらしかった。
アイはさらにパネルを操作した。
次の試験にも備えて、
所要三分。検索を終えたアイは、検索機から離れ、すっかり暇をもて余しているレクサスへ声をかけようとした。そのおりに、レクサスの表情は、一転した。
「サファイア!」
まず、彼の横顔が、ぱっと明るくなった。毛耳がピンと立ちあがり、赤い尻尾が振りきれんばかりに大きく揺れた。次の瞬間にはもうレクサスはとびだしていて、まっすぐに想い人へ向かっていた。彼は迷わず、サファイアに抱きついた。
わたしは、それをじつに羨ましく思い、また、ひどく憧れてもいた。
さて、レクサスが迷わずとびこんだ相手こそ、この学園でもっとも恐れられる生徒――イルフォール学園高等部二年。〈氷の帝王〉こと、サファイア=クォンフィート・フォン・コランダム。その人だ。
彼は学園に
サファイアは切れ長の瞳をレクサスの赤色へ向けた。冷ややかな
アイは正直なところ、あの〈氷の帝王〉のどこにレクサスが惹かれたのかが、不思議でならなかった。彼が視線を動かすたびに。彼のその
案の定、サファイアはとびついてきたレクサスに対して、「帰りなさい。迷惑です」とレクサスを押し返した。だがレクサスは「せっかく会えたんだから、いーじゃん。ね?」と笑いかける。このまばゆい笑みを見て、彼がさきほどまでフラれたとさんざん泣いていたなんて誰が信じるだろう。親友はどうやら想い人にまた会えたことがよほど嬉しかったらしい。それこそ、フラれたショックを忘れて、よろこびがあふれてしまうほどには。
レクサスの横顔を見つめながら、アイは内心、苦悩していた。それは、レクサスの恋について自分が親友としてどのような態度をとるべきか、ということだ。
親友としてゆいいつの良き理解者となるか。あるいは、いばらの道へとびこまんとする彼を止めるか――。第一に、身分がちがう。
「サファイアさん」
スフィネリア魔導教諭の声が聞こえて、アイは図書館の入り口を見やった。彼女は、サファイアの姿を見ると、
「放課後すぐ進路指導室に来なさいと言ったでしょう」
「
「わかっているなら、よろしい」
教諭は目じりをゆるめサファイアに近寄ると、抱えていた書類をいくらか彼へ手渡そうとした。
「父様の書簡は蹴っておいてください」
「またそういう」
「
「それは……ともかく、そういう物言いは、おやめなさい」
スフィネリア教諭は、言葉を濁しながら、サファイアを叱責した。
「失礼。少々気が立っておりました」
「そんな、いいのよ」教諭はサファイアの肩に手を置いて微笑んだ。「それじゃあすぐ来てくださいね」
教諭は、ほかの生徒たちへ視線を向けると、やわらかく腰を折った。お騒がせしました、と言わんばかりの表情で、まるで子どもの世話を焼く母親か、あるいは弟の不遜を詫びる姉のようでもあった。ただ一度、彼女が顔をあげたとき。レクサスを見つめる
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