ちょっと思ってたのと違う、うちの忍さん達の御話

ぐうたら師匠だと意外に弟子は素敵に育つ(本人の適性込)

甲賀流こうがりゅうしのびだった戸澤白雲斎とざわはくうんさいは真田の一忍として、名を変え顔を変えひっそりと余生を過ごしていた。長と呼ばれるような忍の一番上に立つ積りは無かった。


そもそも他人の面倒を見る事が嫌い。干渉するのも、されるのも嫌い。若手の育成なんてまっぴら御免被りたい。


戸澤白雲斎は実力は伝説級だったが兎に角、面倒臭い事が嫌いだった。


だが実力はあるため、うっかりすると目立つ。仕方がない。此処は目立たず過ごせるような地位まで、と気付けば上忍にまで上り詰めてしまっていた。


ここまで来れば後少し。上忍にも位はある。上忍の下はその下から本気で這い上がりたい者達が多い。駄目だ。


ならば上忍の中の真ん中では如何だろう?下から狙われないギリギリで、上から疎まれないギリギリの位置。白雲斎は巧い事その場所を死守し、まったりと乱世を生きていた。


「峠に出る子供の物の怪だと?」


「ああ。猿や人の子や、いずれにせよ物の怪と」


白雲斎は面倒事は嫌いだったが、好奇心は人よりもあった。賢い彼は「主の領地に物の怪とは」と尤もらしく顔を顰め、成敗という名目を貰うと言われた山へ出向いた。


よし此れで数日間は何もせずにのんびり過ごそう。そう決めると岩穴に寝床を作った。


「そろそろ物の怪のもの字でも拝んで帰るとするかね」


山での一人のんびり生活にも飽きた白雲斎。そろそろ帰るかと伸びをすると大きな欠伸を一つして、物の怪を見たと言う峠へ向かった。


怠け癖は物凄いが優秀な忍。森の気配を探り当て、人の様な気配を追い山へと戻った。


奥に進むに連れ、瘴気が徐々に濃くなる。それに伴い人か獣かはたまた魔物か、判別出来ない骨が眼下に現れ始めた。


「こんな所に童、ねぇ」


ほぼ毒も効かない体にはなっているが、それでも長い間この黒い瘴気に纏わり付かれるのはいい気はしない白雲斎は気配を探る。確かに動く小さな気。


「あらら。本当に人が居るとはね」


年端も行かぬ子供を殺めた罪悪感にでも苛まれて見た幻覚か、殺された童共が化けて出たのか。そう軽く思っていたがと白雲斎は楽しそうに薄く目を開け微笑んだ。


見知った魔物の気配でも無ければ、本当に小さな人間の子の様な。白雲斎はがぜんやる気になり、正体を暴こうと深い森に更に踏み込んだ。


「お前さん、こんな山で何してんのさ?」


「…お前こそ」


ぶっきら棒に答えた幼子はジッと白雲斎を見上げる。警戒している様な目付きと殺気。見えていないと思ってんのか右手には武器も構えていた。


面白そうだったから、ついうっかり話し掛けちゃったとは言えないなぁと白雲斎はヘラリと笑ってみせた。


「お前さぁ猿の物の怪なんて呼ばれてるぞ?」


この近くには猿の様な魔物の巣がある。童はその猿の毛色に似た蒲の穂の様な色をしていた。痩せこけて血色が悪い肌は青白く髪も伸び放題。こりゃ物の怪と言われたって仕方ないかもなぁと頬杖を突く。


「…そうだから、どうなのか?」


「如何って、如何だろ?…取り敢えずお前は此処で何してんだ?」


変な男は自分を追い駆けて木々の間を縫う様に駆けて来た。大抵は森の入り口で不安そうな気配を洩らしながら引き返すか、黒い霧にやられるか


だがこんな森の奥深くまで追いかけて来た、目が開いているのか分からない糸目の男は、息も乱さず近くの幹に腰を下ろして笑みを向ける。


気持ち悪い。蛇みたいにするりするり近付いて来た男。


捉えて何処かに売る積りか?問い掛ければ変な男は間延びした声で首を傾げて「何してんだ?」と問い掛けて来た。


「…生きてる」


「ふぅん。親は猿か?ってんな訳ないか」


ヘラヘラと笑う変な男。だが決して自分はこの男から逃げられないと感じ、仕方なく答える。


「分かる、しない。見る、した事ない」


親は居ないと答えれば何を食っているのか聞かれ、山にあるものと答えれば、冬は如何すると聞いて来る。


「お前さっきから言葉もちゃんと話せないみたいだし。今のうちはまだ良いが、如何だ小僧。俺と一緒に人の世で暮らしてみるか?」


「やだ。殺されるから」


人の世がどんなもんかも分からない。だが此処に来た人は皆、恨み悲しみそれでも帰れば殺されると言う。


「口減らしで捨てられに来る婆あにでも吹き込まれたか?小僧。そうさな、小僧の走りなら忍位ならなれるんじゃねぇの」


「しのび…?なにそれ?お前もしのび?」


「俺?まぁね。つっても俺は最高に優秀な忍だけどな〜。まぁ良いや、また来るわ」


それから戸澤白雲斎は尤もらしく「物の怪の気配は分からじ。が、魔が猿の群れと奇妙な気配が」等つらつら話し、再び気ままな山生活を手に入れた。


ここで、何故他の忍が来なかったのかという理由だが。此の山は昔から黒い瘴気が漂い、岩肌は黄色く爛れ、鼻を突く異臭がする。強い魔物や得体の知れない物の怪が出るからだった。


瘴気等吸い続ければ気が触れるとも言われていた。人減らしのために捨てに来る山。そんな場所に単独で行きたい等と言うもの好きは居ない。だが好奇心旺盛な白雲斎。出るなら一遍見てみよう位の軽い気持ちで赴いたのだが住めば都。


この山は山腹辺りなら瘴気はまだ薄い。異臭はすれど湯は心地良いし、何よりも誰も来ないサボり放題のパラダイスだった。


だらだらと寝て起きて時には報告がてらと仕方なしに城へ戻り。好き勝手に過ごして居た白雲斎の元に童は時々顔を見せるようになった。


「木の実と芋」


「おぅおぅご苦労。これはアケビだな。んでこっちが山芋」


一度手ぶらで来るなと追い払うと、次から食い物を持って来るようになり、流石に幼子から食い物を巻き上げるのはと思った白雲斎は物の名前や簡単な術を教えてやった。


負けず嫌いなのか几帳面なのか。童は次に会う頃には前に教えた事をこなせるようになっていた。吸収が早い童に術を教える事は暇を持て余していた白雲斎には良い暇潰しだった。


「お前さぁそろそろどっかに雇って貰えば?飯位食わせて貰えるぜ?」


「…飯。時々くれる握り飯?」


「まぁそうだな。もっと旨い物も食えるかもなぁ」


赤子の時に捨てられたのか童には親の記憶がなかった。山に一人。食う為に木に登る事を覚え、逃げる為に木を伝う事を覚えたと童は言った。


やがて寒くなり若干の親心的なものが芽生えたような気がした白雲斎は、懐かれても面倒臭いしと山を下り暖かい布団の元へと帰った。


「ありゃま。まさか此処に入るとはねぇ」


あの山も一応、真田様のご領地。その山に居た童が真田の忍なっても不思議ではない。童の姿を見かけた白雲斎は楽しそうに片眉を上げた。


あれ程の才があれば直ぐに城に与する中忍位には入れるだろう。そう思っていた白雲斎は、三月経っても顔を見る事がない幼子の様子が気になり下忍の集う里へきまぐれに行ってみた。


忍は通常、集団で忍里等と呼ばれる山等に暮らす。そこで日々鍛錬をしながら寝食を共にし使えるか否かを見定める。最低限の衣食住で環境は良くは無い。


「居ない?」


子を探す白雲斎は城の周辺に居ないのならば、怪我でもして此処に居るのかと思っていたので下忍を管理する男の言葉にこてりと首を傾げた。


「あのような気味の悪い忌み子、此処に置いておく事も憚らるに」


身のこなしも素早い奇妙な髪色の小さな童が大人も難しい様な術を使う。挙げ句親に捨てられた忌み子と分かると薄気味悪さが増し、出て行っても直ぐに戻る事を繰り返していたという。


「そんじゃぁ、今は何処に居んのさ?」


白雲斎は若干、ほんのちょっぴり、童に申し訳なさを感じた。そして目の前の嫌そうな男の顰め面に、忍になってまで他者を蔑む様子に呆れた顔を隠しもせず里を後にした。


「俺のせいかねぇ」


子供の現状を聞いた戸澤白雲斎は、調子に乗って色々教えちゃったからなぁと眉を下げちょっとの罪悪感と共に城へ戻った。子供は暗殺を主とする組へ追いやられていた。


「随分と久しいな」


「そうかい、お互い生きてて何よりだな」


通常忍は情報共有等の目的で上忍でもある程度集団で行動を取る。だが白雲斎は皆が望む武家の地位や褒美の金ではなく、山間の朽ち果てた山の庵を望み、ぽつんと1人住んでいた。なのでたまに顔を出すとこんな嫌みの1つも言われる。


「物珍しいのが居ると聞いたんでね」


同僚の嫌味も本人は全く気にも留めず軽く躱すと幼子を探すべく来た事を何となく告げた。途端に配置係の男は顔を顰める。


「あれか。あれは使えぬぞ?術は出来ても身体が軽く人一人も殺せぬ非力。何の役にも立たぬ」


始めは多彩な術を使うと上忍達は皆期待していた。だが、里から来る報告は他の童共と合い慣れぬ等の使えぬ報告ばかりと男は溜息交じりに話す。しまいには何処に配置しても気味悪がられ返される、男の愚痴は止まらなかった。


うんうんと親身に聞く振りをしながら、白雲斎はこの男って確か戦事はからきし駄目だったよなぁと目の前の偉そうに話す男の数々の失態を思い出しながら頷いていた。


「まぁそう言うな。此処で要らなきゃ俺が貰ってやろう」


結構自分のせいで子供は酷い扱いを受けていた。戸澤白雲斎は忍になれば飯が食えるなんて言って悪かったなぁと庵に戻った。


童は妬まれたのだろう。そして嫌がらせとばかりに足を引っ張られ続けたのかと安易に想像できた白雲斎は、再びほんのちょっぴり、爪の先程だが俺のせいなのかなぁと童を案じた。


「使い物にはならぬぞ」


先程話していた童を、偉そうな確か前の戦では斥候に失敗し、その後も目の前に刃先を向けられ失禁していた先の男が連れて来た。


貰ってやると言ったが直ぐ来るとは思わなかった白雲斎は、囲炉裏の側で寝て居た身を起こすと男を見上げた。


「無駄飯喰らいを増やすとはな」


土間の上に物でも捨てる様に童を放り投げた忍は吐き捨てる様に言うとさっさと帰って行った。土煙の中声も出さずに転がっていた子供は、投げ捨てた忍が居なくなるとゆっくりと体を起こす。


「…アンタが殺すの?それともどっかで死ねばいいの?」


こんな小さな手じゃ大人は殺せない。薬を作る術は誰も教えてくれない。殺し方も教えてくれない。何一つ教えてくれないのに、仕事だけはしろと無茶を言う。


気持ちが悪いと誰も近寄らないから何をどうすれば良いのかも分からない。なのに皆、何も出来ない役立たずと罵る。


「何だ、お前死にたいのか?」


此処以外に行く所等無いと言われた場所だった。最後の居場所だった。急に襟首を引っ張られ、乱暴に連れて来られ死ぬのだと思っていた童は、聞き覚えのある声に霞む目を開けて声の主を見上げると、その見覚えのある男の姿に目を見開いた。


「なんか、ごめんなぁ飯が食えるとか言っちまって」


カリカリと頬を掻きながら間延びした声を出す目の前の糸の様な細い目の男。ゆっくりと体を起こし座わり、男の様子を探った。


「アンタが殺すの?」


不要な忍は衣が勿体無いから始末されると聞いた事がある。不要になれば捨てられ冷たくなる者を実際山でも見て来た。怯えるでもなく淡々と述べる童に白雲斎は相変わらず細ぇなぁと童を見ていた。


「ふぅん…自分が生きるも死ぬもどうでも良いか。んじゃ暫くお前の命、俺に預けてみるか?」


「…」


命を預ける。それは心の臓を取り出せと言う事なのか?自分で死ねと言う事なのかと思った童は、懐から錆びれた棒手裏剣を取り出すと躊躇する事無く胸めがけて振り下ろそうとした。


「おー。って、ここ俺ん家だからやめろよー。掃除が面倒だろうが」


急に自害しようとする童。一旦止めた白雲斎は死にたいのかともう一度聞くと、子供は困惑顔で見上げて来る。


「まぁそんな今死ななくても、忍なんてやってりゃそのうち死ぬだろうし取り敢えず…これでも食え」


死にたくは無いらしいと分かった白雲斎は、骨と皮じゃ使いもんにならないのは当たり前だろうと、罪滅ぼし代わりにと近くにあった柚餅子を童の手に持たせた。


「命は要らないの?」


柚餅子を両手に包み込むように持った童は困惑の色を深め、怪訝な顔で見上げて来る。命に拘るなぁと白雲斎は今後の事もあるし一回聞いといた方が良いかと童を見た。


「えー?お前それ言われて何で死のうと思ったのか言ってみろよ」


「命。心の臓を渡せって事だろ?だから」


「あー、成程ね。お前の心の臓なんざ要らねぇよ。大体、血が吹き出たら片付けんのが面倒だろ。中々取れないんだぞー?もうすんなよ?」


命を預けろ言われて命を差し出そうとしたのかと童の言葉に納得した白雲斎は、誰かそういうちょっとかっこいい感じの言葉の意味とか教えといてやらなかったのかよ。と心底嫌そうな顔で童を見た。


「取り敢えず、それ食って…食い終わったら適当に片付けて、後はまぁ取り敢えず生きてろ。飯は食わしてやるし、寝床は、まぁ適当にそこら辺で良いだろ?」


白雲斎はやせ細った子供を見ながら、取り敢えず飯食わせないとなぁ面倒臭いなぁ。と思いながら、大事そうに両掌で柚餅子を包んで恐る恐る口をつける童を見ていた。






それが、こんな事になるとは。


白雲斎は大きく溜息を洩らすと開け放たれた襖から入って来る風に小さく身震いした。


「ちょっと!何度言ったら分かんのさ?!脱いだ物位片付けてよ!」


師匠は上忍には珍しく山の小屋に住んでいた。なのに生活能力が無い。其処ら辺にある物で済ませるのが楽だと言っては何も構わない。


「もーなんだよ朝から煩ぇなあ」


「なんだよって、もう昼!寝すぎ!片付けろって言ってんの!」


俺に言葉を教えてくれた師匠。俺が聞けば答えてくれる師匠。俺に生きる為に必要な寝床も飯も与えてくれる師匠。俺に今出来る事は忍の術を試す事じゃなく、師匠がきちんと生きる環境を作る事だった。


「あのなぁ。俺はお師匠様、お前弟子。俺様は偉い。お前偉くない」


「何訳わかんない事言ってんだよ!ほら退いてっ!何でこんな所に米粒が落ちてんだよっ!もうっ!」


コイツに言葉なんて教えなければ良かったなぁ。 戸澤白雲斎 は口煩い子供に顔を顰めつつも敷いて居たしとねを手に持つと言われるがまま部屋の隅に寄った。


「お前に術なんて教えなけりゃぁ、お店かどっかで奉公でも出来たんじゃない?」


せっせと床を掃き、その上を布で綺麗に拭き上げて行く子供。以前のやせ細った棒きれの様な腕や足は家事全般のお陰か綺麗に筋肉が乗っている。


日々上達しているような手際の良さを感心しながら見ていた白雲斎は、食わせてやるうちに器量もそこそこ良く育った子供を見て食い扶持の紹介間違えたなぁと眉を下げた。


「毎日毎日、飽きもせずによくもまぁ。なぁ…どうせすぐ汚れるんだ、それ位で良いぞ?」


子供を引き取ってから、この傾きかけた庵は見違えるように綺麗になって行った。だがそんな事はどうでも良い。もうそろそろ寝たいと白雲斎は持っていた茵を適当な場所に降ろす。


「…師匠が何もしないからだろ?!きのこが生えても苔が生えても埃が積もってもっ!!」


自分だってしたくてしている訳ではない。そう思いながらも師匠には恩があると言い聞かせ今日もせっせと掃除を済ませ、次は洗濯。其れが終われば水を汲みに行き、飯を炊く。


朝から晩まで忍の仕事とはかけ離れた家事をこなす子供。それでも此処の暮しは以前居た所とは比べ物にならなかった。


「ここは飯が食えて、安全な寝場所もある」


何もしないぐうたら師匠でも実力者なようで。師匠についてから飯はきちんと食わせて貰えた。山に居た頃は食えない日も多かった。山に置き去りにされた年寄りや子供は皆食えず冷たくなるか、魔物や獣に食われるか。


「俺は何で生きてるのかな」


生きる事に必死だった時には気にならなかった事が気になりだした。此処に居る人には皆仕事という物があった。ただ食われるのに怯えたり、殴られるのに怯えて生きているのとは違った。


もう一つ、俺位の背丈の物には父親と母親という男と女の物がいた。師匠に聞けば「動物には皆親ってもんが居んの」と言われた。


あの時は何故俺は持っていない物があるのか、皆は持っているのか気になった。気になって師匠に聞くと師匠は「さあなぁ?まぁ居なくても困らねぇから問題ないだろ」と言った。


それから師匠と一緒に里や城に行き、親は物では無く人で、俺は親に捨てられたって知った。髪色も目玉の色も異質な忌み子だから、捨てられた。


奇怪な忌み子。


此処に来てからずっと言われていた俺の呼び名。悪意がある呼び名だって事は分かる。俺を見てそれを言う体の大きな忍達は皆歪んだ顔をしていたから。


だけど師匠はそう呼ばない。だからと言って名があるわけでも無く、おい、とかおーいとか、わっぱとか。お前もたまに呼ばれる。


一度俺の名はおいなのか?と聞いた事があったが、師匠は笑って「違えーだろ」とだけ言った。名も無く、親もいない。仕事も無い。何で俺は生きてるんだろう?


「何でって、そんなのお偉いお師匠様のお世話をするからだろ?飯おかわり」


違うと思う。子供は子供ながらに師匠の言葉は嘘だと思った。此処に慣れたと思ったら、随分としょうもない事を考えんなぁと白雲斎は子供から器を受け取った。


「何だお前、俺の世話の他にも仕事が欲しいのか」


「...だって皆してるだろ」


生きる事は食われる事に、体に痛みが走る事に怯える事じゃない。そして多分、師匠の世話をする事でも無い。そもそも師匠の世話は多分仕事でもない。


最近一段と口煩くなって来た子供。肉も着いたし背も伸び、術も実戦で使える程度に成長した。大変だったがそろそろ俺の親代わりもお役御免かなーと子供が聞いたら反撃しそうな事を考えていた。


その数日後、師匠は「仕事貰って来たぞー」と俺の前に紙を差し出して、赤子の護衛になれと訳の分からない事を言って来た。


その日から俺は弁丸様の忍になった。


「そなたの名は何と申す?」


「忍に名等無いです」


弁丸様。俺の仕える主は、勢い余って柱に思い切り体当たりしようとする元気な御子。今話しているのはその兄の御子。


「其れでは呼ぶのに苦労する。そうだ、名をやろう」


お殿様の御子はそう言って紙に墨で何枚も何枚も何かを書いた。名等持っていて何になるのか。けれど「やろう」と言われて「要りません」なんて言えない。


「こら弁、そう這い回っては着物が汚れるぞ?」


「この文字はなんとしゅばらしち」


弁丸付きになったという自分と年の変わらぬ子供の忍。名前を問えば「無い」と言う。ならば名を付けてやろうと書いた半紙の上を弟は這いずり、半紙を手に持ち声を出して楽しそうに笑った。


「猿飛佐助」


「しゃっけ」


「…」


「今日からお前は猿飛佐助と名乗ると良い」


「にゃのぅとよい」


「…有難く」


弁丸が持った複数の半紙。其れを合わせて名を決めた。子供の忍は「有難く」と頭を下げたが、全然有難そうではなかった。何時も無表情の子供の忍。だが術に長けていると父上は仰っていた。


「佐に助か。随分と立派な名前貰ったなー。良かったな。佐助」


庵に戻って名が出来たと告げると師匠は驚いた顔で、それから俺の名を呼んだ。


「…名なんて」


「結構必要だぞ?」


「例えば?」


「えー?そうだなぁ…相手に名を名乗れって言われた時とか?」


何に必要なのか。そんなの自分にも分からないが少なくとも自分の名前が『おい』よりはマシだろ、と白雲斎は佐助を見た。


「そんなの何時言われんの」


「お前がもっと大きくなって、弁丸様がもっと大きくなったらだな」


師匠は面倒臭そうにそう言って「後の事なんて今考えてたって仕方ねぇだろ」と言い捨て寝床に戻って行った。


名なんて使う事は無いと思っていた。けど。


「しゃしゅえーっ」


「はいはい何ですか?」


弁丸様は言葉を覚えてから直ぐに俺の名を呼ぶようになった。全然ちゃんと呼べてないけど。


返事をすると嬉しそうに笑う。猿飛佐助。此れは俺の主が付けてくれた俺の呼び名。


「佐助、此処に」


「はいはい何でしょうか」


「うむ。特に用は無いのだがお前が其処の木に居たのでな。手習いが早うしまいになった故な」


「あっそう。ならお茶でも淹れましょうかね」


「ならば二つ、いつもの様に」


小さな弁丸様。這いずり回っていた小さな幼子はよく食べてよく眠り、今じゃ立派に十文字槍を振るう御子に成長。


「茶は二つと言ったぞ佐助」


「忍と茶飲むなんて変なんだってば」


「変でも構わん。もう二つ持って来て、此処に座るよう」


「はいはい。後二つご用意いたしますよ」


弁丸様は忍の気配に敏感だ。普通の御人方じゃ気付かない様な気配も見抜く。幼い頃から俺等忍と戯れてお育ちになったからかもしれないと海野の親仁は嘆いていた。今も。天井裏の親仁の気配に茶を追加して来たし。


「六郎。居るのであろう。此方へ」


「…忍と茶を飲む等。若君におかれましては」


「此処には他に誰も居らぬぞ。若君等と、弁で良い。それに頭の上に居られては落ち着かん。此処へ」


顔を顰める海野にも動じず笑い飛ばした弁丸様は俺を見付けて「佐助」とまた名を呼んだ。


何度言っても聞かない我が主。今日も俺は主と並んで縁側に座ってお茶を飲む。俺の名を決めた時と同じような屈託ない顔で、主は今日も俺の名を呼ぶ。


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お読みいただきありがとうございました。次回は由利鎌ノ助です。


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