13.アリスターの熱
リシャールは気にしていたようだが、アリスターはリシャールとのフランスでのデートはとても楽しかった。祖国ではリシャールがアリスターといるところをスクープされて騒がれないか心配で外でデートなんて考えられなかったのに、二人で出かけられた。
長い黒髪を三つ編みにしてリシャールはサングラスもかけていて、長身と鼻筋の通った美しい顔だちは隠せていなかったが、それでも祖国よりはリシャールに気付くものは少なかった。
普段はできない外食もできたし、外でコーヒーも飲んだ。コーヒーよりもリシャールの入れてくれる紅茶の方が美味しかった気がしたが、それでもフランスでの経験は特別だった。
体を繋げた翌日だというのにリシャールは全然堪えていないようだった。
リシャールの顔を見るたびに夜の艶姿を思い浮かべてしまってアリスターは顔が熱くなるのを隠していたが、リシャールは気付いていないようだった。
リシャールはアリスターを優しいというが、アリスターこそリシャールを優しいと思う。
思いやりのある優しい気のいい男性だ。
ベッドマナーとして「好き」とか「愛してる」とか言って来るが、リシャールが相手に困らない身分であるのはアリスターも理解していた。
一時の遊びでも構わないからリシャールに近付きたいと思ってプレイをしていたのに、いつの間にかアリスターはリシャールにどっぷりと溺れている自分に気が付いていた。
別れを切り出されたら立ち直れない気がする。
リシャールにも話せていないが、アリスターには兄がいて、両親は兄を溺愛していた。
アリスターは何でもそつなくこなす手のかからない子どもだったので、両親はアリスターよりも手のかかる兄にかかりっきりだった。
医学部を出る金までは出してもらえたのだから、両親に文句はないが、愛情があるかと言えば疑問が残る。
小さなころからアリスターは病気になっても両親にはそれを悟らせないようにして、ベッドで布団にくるまって自然に治るのを待っていた。家庭の中にあってもアリスターはいつも自立して一人だった。
テレビで見たリシャール・モンタニエに惹かれたのも、寂しかったからかもしれない。
自分と年の変わらないリシャールが大人たちと並んでも怖じることなく堂々とモデルの仕事をしているのがアリスターの目には眩しかった。
本を買うお金は与えられていたので、リシャールの載っている雑誌を買って、リシャールの載っているページだけを切り抜いて大事にお守り代わりにしていた日々が懐かしい。
アリスターの部屋にはリシャールのポスターが貼られているし、雑誌の切り抜きを集めたスクラップブックもある。
こんなことをリシャールに知られれば嫌われてしまうかもしれない。
ただでさえリシャールは元マネージャーがストーカーになってしまったことでショックを受けているのだ。リシャールに並々ならぬ感情をアリスターが抱いたと分かったら関係を切られてしまうかもしれない。
アリスターにとってリシャールは初めての相手だったが、リシャールはアリスターを導く慣れた様子から初めてではないとはっきりと分かっていた。むしろ、男同士の初めてだなんて悲惨なことになりそうだったので、リシャールが初めてではないことに関してアリスターはリシャールを傷付けることなく抱けたと感謝しなければいけないのかもしれないが、リシャールを過去に抱いた男のことを考えると胸が焦げるような気分になる。
あの艶姿を自分以外に見せたのかと思うと、悔しくて、堪らない気持ちになってくる。
過去に嫉妬しても仕方がないのだと分かっているが、アリスターはリシャールを独占したい気持ちでいっぱいだった。
休日の次の日に体のだるさを覚えて、アリスターは自分が熱を出していることに気付いた。
普段ならば医師の資格を持っているので処方箋を書いて自分で処方するのだが、フランスではそういうわけにもいかない。
何よりもリシャールは大事なコレクションを控えて、体調管理に励んでいる。
うつすわけにはいかないと、アリスターはリシャールとの接触を避けることにした。
スマートフォンのメッセージでリシャールに送る。
『体調が悪いみたいだから、しばらく別の部屋で寝る。ほっとけば治るやつだから気にするな』
『どこが悪いの? 薬は? 熱がある?』
『気にしなくていい』
同じ家の中なのにメッセージで会話をするアリスターにリシャールが強引に部屋に入ってきた。
手には冷えたペットボトルの水と深皿を持っている。
「オートミール、食べられる? これ、水。後、風邪薬とか熱冷ましとか、買えるものは買ってきた」
「早く出て行ってくれ。うつる」
「僕は健康が取り得なの。簡単にはうつらないし、うつってもすぐに治るよ」
「出て行ってくれ!」
リシャールに迷惑をかけたくなくて声が大きく鋭くなってしまった。
枕元のデスクにオートミールの入った深皿とスプーン、ペットボトルの水と各種薬を置いてリシャールは大人しく部屋を出て行った。
体調が悪かったから両親と兄のことなど思い出したのかとため息をつきつつ、アリスターはオートミールを食べて、ペットボトルの水で熱冷ましを飲んで休んだ。
布団にくるまって目を閉じていたら、そっとドアの開く気配がした。
熱冷ましのせいで半分眠っていて動けなかったが、ドアから入ってきたリシャールは黙ってオートミールの少し残った皿とスプーンを下げて、どの薬が減っているか確かめて、部屋から出て行った。
翌朝起きると、ペットボトルの水が新しいものに変わっていた。表面に水滴がついているので触ってみるとまだ冷たい。リシャールが取り換えてくれたのだろう。ペットボトルの下にはメッセージが置いてあった。
『何時でもいいから、起きたら僕にメッセージを送って。空腹で薬を飲まないこと。君も医者だから分かってると思うけど』
リシャール、という署名に指先でそこを辿って、アリスターはため息をついた。
リシャールはこんなにも優しい。
書かれている通りにメッセージを送ると、少ししてリシャールがオートミールを持ってきてくれた。アリスターはオートミールがあまり好きな方ではないが、リシャールのオートミールはミルクで煮てあって、甘い蜂蜜で味付けされていたので、アリスターはそれを嫌いだとは思わなかった。
「体調はどう?」
「おかげさまで治ってきてる」
「フランスまで来てもらったのに、寝込ませちゃった?」
「え?」
「昨日、連れまわしたから疲れたんじゃない?」
反省している様子のリシャールにアリスターは慌てて否定する。
「違うよ。そういうのじゃなくて、単純に熱が出ただけだと思う。風邪でももらったんじゃないかな」
「本当に?」
小さなころから体調を崩すと一人で布団にくるまって治していたのに、今はリシャールに世話青されている。甲斐甲斐しく世話をするリシャールのおかげで早く治った気がする。
「ありがとう、リシャール」
「お礼のキスが欲しいところだけど、アリスターは気にしそうだから我慢しとく」
「うつったらどうするんだよ!」
「ほら」
肩をすくめるリシャールにアリスターも全身の力が抜ける。
「体調を崩したときに一人ってつらいでしょう? 僕は小さいころから慣れてるけど」
「え? リシャールも?」
「『も』ってことは、アリスターも?」
問い返されて、アリスターは返事に困ってしまったが、黙り込むアリスターにリシャールが頬を撫でて優しく言う。
「教えて?」
「それは
「違うよ。お願いだよ」
君のことが知りたいんだ。
リシャールに請われて、アリスターはぽつぽつと自分のことを話し始めた。
「俺の兄は手のかかる子どもで、俺は兄を見ていたせいか、手のかからない子どもだった。両親は兄にかかりきりで、俺のことは放置していた。とはいっても、食事はくれたし、学費も出してくれたし、勉強の道具も本も十分に買い与えてくれたから、悪い両親じゃなかったんだと思うよ」
ただ、愛情を傾けてくれていたかは分からない。
兄に向かう愛情が大きすぎて、アリスターは家の中で疎外感を覚えていたし、何かあっても両親に頼ろうという気持ちにはならなかった。
「僕は両親がマネージャーに僕を頼んで、僕のそばにはいてくれなかったからね。何かあっても、僕は一人で何とかしなきゃいけなかった」
アリスターは知っている。
リシャールがモデルとしてデビューしたのはオムツのCMなのだから、そのころから両親と引き離されていたとすれば、かなり孤独であったのだろう。
「俺たちは似てるのかな?」
「そうかもしれないね。だからこそ、こんなに惹かれるのかもしれない」
惹かれると言われてアリスターは戸惑ってしまう。今はプレイ中でもないのに、リシャールはアリスターに甘い言葉を投げかける。
「リシャール、そういうの、程々にしといた方がいいぞ。勘違いするからな」
「勘違いって、どういうこと? アリスターを愛してるって言っちゃダメなの?」
「そういうのだよ!」
愛してるなんて言われたらそれを信じてしまう。
リシャールはフランス系で、そういう言葉が挨拶なのかもしれないが、アリスターはそういう言葉に耐性がないのだ。
もうすでにどうしようもないくらいリシャールに溺れている自覚があるのに、これ以上甘やかされては抜け出せなくなる。
リシャールから別れを切り出されたときに、どうすればいいのか。
もう分らないくらいにアリスターはリシャールに溺れていた。
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