第30話 冷たい殺意
閉じていた意識が、一気に戻っていく。
頭を襲っていた痛みが、すっと冷えたように引いていく。
否、全身の痛みすらも、まるで最初から存在していなかったかのように、全てが消えていく。
「…夜空ちゃん。あいつ……佐城とかいうやつはどこ?」
目覚めてから一声。心配そうに自分の方を見る夜空の方に向け、何でもないように疑問を口にする。
「あ、あの……雪穂さん……」
「どしたの」
「いえ、なんでも……ない……です」
歯切れの悪い夜空の答えに少し疑問を持ちながらも、雪穂はゆっくりと立ち上がった。
まず真っ先に目に入ったのは、血まみれで倒れている伊織の姿だった。
「伊織くんまでやられてんじゃん……」
あの状態なら意識はないだろうが、どちらにせよ負けたであろうということは明らかだ。
不思議と、そうなっている伊織に対して特にこれといった感情は、湧かなかった。
「夜空ちゃん、伊織くん倒れてるから、様子見といて」
「…えっ……、は、はい……!」
なおも困惑する夜空をよそに、雪穂は倒すべき「敵」のいる場所を確認する。
「うっわ……キッモ。何これ、あれが佐城?」
対峙すべき悪魔の姿は、雪穂の記憶していたそれとは大きく変わっていた。
蟷螂と蠅と人間を混ぜてパーツを無理やり混ぜたかのような、不気味とも不気味とも言いきれない姿。
「目を覚ましてそうそういきなりそれとは、教育が成ってないんじゃないかい?」
「教育もクソも、敵相手にそういう気遣うほど、あたしは余裕かましてないから」
いつものように、儀式具を構える。不思議と、恐怖心は消えていた。
ただ、目の前の敵であるこの怪物を倒したいという衝動以外の感情が、雪穂からまるで消え去ったように、冷えていく。
敵である佐城のみを、雪穂の目は捉えていた。
「ははっ、やっても無駄だよ。僕の身体はその程度の刃なんて通さない。さっきの小僧だって無理やり狙おうとして……」
佐城はもう、既に負ける気がしていなかった。人間如きに、自分を貫けるはずなどないと、そう考えていた。
「やってみなきゃ…わからないっ!!」
鋭い掛け声と共に、虫のような甲殻に覆われた身体が、切り刻まれていく。
切り刻まれた身体からは、赤黒い血が噴き出し、雪穂の服や身体を汚しているが、それでも彼女は構わず、男に向けて何度も刃を向ける。
「おい……どうしてだ……?何で効いている……?なんで僕の鎧が…切られている……?」
「さあね……でも今あたし、よくわかんないけど絶好調みたいなんだよ…ね!!」
男の顔から、余裕の色が消えていく。そして、慢心はやがて恐怖心へと…その色を変えていく。
「おいおい聞いていないぞ!そいつはまだ全く覚醒してないんじゃなかったか!なのに…何でそんなに強い……っ!!」
「よくわかんないけど、伊織くんやったのアンタなんだよね!?だったらもう、言い訳なんて聞きたくもないんですっ…けどっ!!」
「悪い悪い悪い、僕が悪かった。これ以上君に接触はしない。迷惑もかけないさ、だから僕のことを殺すのはやめよう、君は本来僕と同類のはずなんだ。同類同士で殺し合うなんて、バカバカしいことだろう……!?」
その命乞いは、雪穂にはまるで届かない。いや、むしろ意図的に不快感を掻き立てるようなあの音階では、むしろ雪穂の冷たい殺意の炎を、より灯してしまうだけなのだが、佐城には最早そんなことを考えている余裕すら、存在していなかった。
やがて、雪穂はその男の首元へ、刃を突きつける。
「……ハッ、随分余裕かましてるじゃないか。キミは一体何をしたんだ?あのジジイの仕業か?あのジジイの仕業なら、敵である悪魔をわざわざ利用するなんて、とんだ狸ジジイだな」
何かブツブツと言っているように聞こえるが、雪穂にはそれすらも単なる雑音でしかなかった。
「そのへんで止めとけ!!!」
鋭い叫び声がその場に響く。治療を受けている最中の、伊織の声だ。
「……何」
「……!そいつにはまだ聞きたいことが山ほどある。いったん捕まえて引き出すぞ。殺すのは…その後でも出来る」
振り返った雪穂のあまりの冷たい表情に、伊織ですら少しだけ恐怖を抱く。何せ、雪穂のその目は、反転したかのように黒に染まっていたのだから。
「…わかった。正直、『まだ足りないけど』、このあたりでやめとく」
言葉の一部こそ引っかかったが、納得して引き下がったならと、伊織はその言葉に黙って頷いた。
「なぁ……お前、荷物に手鏡とかある?」
「そりゃあるけど、急にどうしたのよ」
「いいから」
激しい戦闘の後だ。当然、荷物の中はグチャグチャに荒れていたが、それでも手鏡は何とか無事だった。
困惑しながらも、手鏡で自分の顔を見る。そして、それを見た雪穂はようやく己の今の状態を理解する。
「………何これ」
どういうわけなのか、白目にあたる部分が真っ黒に染まっており、その目の下のあたりには何やら不気味な紋様が浮かび始めているのだ。
蜘蛛の巣を思わせるその文様は、黒く染まった瞳を強調するように、縁取るようにして広がっていた。
「俺にもさっぱり。ただこれは正直やべえかもな。さっきちょっと様子おかしかったし、もしかしたら憑いてる悪魔が表に出てきたのかもしれねえ」
「…なんかおかしかった?というかこれ戻るの?」
「だから知らねーってば」
「あの……」
夜空がゆっくりと挙手をする。それに応じてか、伊織も雪穂もいったん口を閉じ、彼女の方に耳を傾けることにした。
「ぼく、噂に聞いたことがあって。悪魔憑きでも悪魔の力を制御できる場合があるって。もしかして、雪穂さんは悪魔の力を制御しようとしてる段階、なのかな…って…思い…ました」
「自分でもあんまり自覚はないんだけどなぁ。でも、この前みたいに意識がぷつっと途切れるみたいな感覚はなかったかも」
「お前呑気だな……なんか、力に呑まれそうになった感覚とかねえか?」
「……それはちょっとよくわかんないな。その、夜空ちゃんが言ってたやつが本当かはわかんないけど、でもそれが本当だとしたら、あたしの立場ってもしかして結構やばい?」
「いや。知らん。そこは黒崎さんがどう判断するかって感じだな。俺じゃわからん。お前自身はどう思う?」
自分自身がどう思うか。雪穂の答えは、一つだけあった。
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