第15話 最後
佐吉の住む屋敷の縁側に座り、卜伝は庭に咲いた牡丹の花を見ながら茶を啜っていた。隣には佐吉もいる。
「卜伝様、治五郎が申すには宮本武蔵の愛刀と言えば「無銘金重」か「和泉守藤原兼重」で、それがどこにあるのか、そもそも現存しているのかどうかも分からないという事です。但し宮本武蔵が自ら赤樫の木を削って作ったという木刀であれば、宮本武蔵の剣術を受け継ぐ『兵法二天一流』の後継者が熊本で代々受け継いでいるとの事なんですが、場所が熊本です。到底後一週間かそこらで宮本武蔵を蘇らせることはかないそうもありません」
「うむ、懸命に調べてくれたようだな。礼を申す。しかしそれはもう良い。何とか動けるようにはなったが、この体では勝負にならんだろう。もともと儂はその宮本武蔵とやらは良く分からんし、この五十日あまりはそれなりに楽しかった。ただ最後に一つちょっとお願いしたい事がある」
「手前どもの勝手な行いでご迷惑をかけ、申し訳ありませんでした。何なりとお申し付けください」
「儂の魂が抜けたら、この体は元あった所に戻してやってはくれないか?あとその前に、此奴の生前暮らした町の様子を儂も見てみたいのだ。なぜだか分からぬが、体がそうしたがっているように感じるのだ」
「お安い御用で御座います。ただ顔を出してしまうとややこしい話になりそうですね……少々お待ち下さい」
佐吉はそう言うと、縁側から庭に降り、鍵を開けて蔵の中に入っていった。暫くしてから出てくると、その手には何かしらの黒い布切れのような物を持っている。
「これをお被りください」
それは目の部分だけが空いた、頭からかぶる頭巾だった。
佐吉と卜伝の二人は、江戸の郊外にある小さな町に来ていた。朝に街中を発てば昼前には着いてしまうほどの距離だ。街道沿いにある茶屋で団子とお茶で腹ごしらえをする。
「お武家さんんと商人さんとは珍しい組み合わせですね。江戸の町から観光ですか?」
茶屋の娘が二人に話しかけてきた。本当は卜伝の被る頭巾が気になっているのだろうが、直接は聞き辛いのだろう。
「ここいらには観光の名所でもあるんですか?」
「川近くにニリンソウの群生地があるんですよ。丁度今ぐらいが見頃ですよ」
「ほう、ニリンソウとは風情があっていいのう。花は小さいが品がある」
卜伝が言った。そうしてお茶を飲もうとするが、頭巾が邪魔で口の所を片手で持ち上げる。
「お侍さん頭巾をとらないとお茶が飲みにくくありませんか?」
「ああ、ちょっと流行病で顔に跡が残ってしまってな。お気遣い心いる」
「それは失礼いたしました。お茶のお代りはいつでもおっしゃってくださいね」
そういって娘は店の中へと行ってしまった。
「特に何があるというところではないんですよ。ニリンソウは知りませんでしたが……」
佐吉が卜伝に言った。
「のんびりとしていて良い所では無いか。鹿島の故郷を思い出す」
その時いかにもガラの悪そうな男二人組が街道から茶屋の方へと近づいてきた。店の外にある席に着くと、注文を取りに来るように大声を上げた。先ほどの娘が注文をとりに駆け付ける。そうして何やらもめ始めた。
「またあなた方は嫌がらせですか? 何度来られてもこの店は手放す気が無いっておとっつあんは言ってるでしょう!」
「うるせーな。今は客として来てるんだよ。さっさとお茶くらい出せよ。あと団子二本な……」
それを聞いて娘は一旦店の中に入ると、お茶を二杯持ってきて男たちに差し出した。それを手に持つと一人の男が大声で話し始める。
「なんだこりゃ、お茶の中にハエが入っているぞ。この店じゃハエの入ったお茶を客に出すのかよ」
「なかなか分かりやすい嫌がらせだのう。面白そうだからちょっと行ってくる」
「卜伝様!」
佐吉が止めようとするのには構わず、卜伝は立ち上がると二人組の男の方へと向かった。
「ほう、熱いお茶に自ら飛び込んで命を断つとは面白いハエですな? ここいらではこのような面白いハエも観光名物なんですかな?」
男の湯飲みの中を覗きながら卜伝はそう言った。
「なんですかお侍さん。あなた関係ないでしょう。引っ込んでいてもらえますか」
「ふむ、最初の言葉は良いとして、引っ込めと言うのは切り捨て御免とやらにはなるのかな?」
卜伝はやや離れたところに座っている佐吉にそう問いかけた。この時代武士に失礼無口をきいた、町民や農民はその場で斬り殺してもお咎めは無しだった。もちろんそれはかなりの失礼でなければならない。
「おい、行くぞ」
二人の男はそう言ってそそくさと逃げるようにその場を去って行った。
「お侍さん。ありがとうございました」
娘は卜伝に礼を言う。
「あの手の輩がよく来るんですか?」
「はい、最近何の狙いがあるのかここらの土地を買い漁っているんです。最も農地の売買は禁止されているので、街道沿いの店とかがもっぱらなんですけどね。お客さんがいるのをみかけると、ああやって嫌がらせに寄り付いてくるんです。おかげでこのあたりはすっかりさびれてしまいました」
娘はそう言って卜伝にお辞儀をすると、店の中に戻って団子の注文を取り消すように声をかけていた。
茶屋を出て、卜伝と佐吉は街道から入り込んだ街並みを歩いてみる。郊外なだけあって、民家と農家が混在している感じだ。
「ここいらは桶造りの職人が多いらしいです」
佐吉が説明する。
町を歩き回った後、川に近いところまで行くと一面にニリンソウが咲いていた。
「不思議だのう。儂にはこの体の記憶は関係ないはずなのに酷く懐かしい気持ちになる。この若者はなぜ死んでしまったんだろうな? 健康そうではないが外傷はなかったのでやはり病死なのだろうか? お主はどうやってここで葬式がある事を知ったのだ?」
「いや、ここいらに知り合いの桶問屋がありまして、棺桶の注文を辿ったらまさか桶を作っている町で死人が出たって情報が入ったんです」
佐吉が答える。
「ほう、ではこの男は桶職人だったのかのう?」
「ですかね。又は農家だったんじゃないでしょうか?」
「儂はいつ死んでもおかしくない戦いの中に身を置きながらも83歳まで生きた。この男は日々汗水たらして働いて、この若さで亡くなるとは無念だったろうな。やはりせめてこの身は家族や知人の近くへ戻してやったほうがいいだろう。……墓の方へも行ってみるか。
そこは墓場というには広々としていた。土葬してその上に粗末な墓石を置いた程度のものだ。三週間前に佐吉が掘り起こしたあたりに近づくと、先ほど茶屋で会った娘が墓石の前で両手を合わせていた。
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