第5話 兄弟弟子

 累は先日と同じく天流剣術道場でも奥座敷に案内されていた。

「お父上、中沢殿には誠に残念なことで御座いましたな」

 道場主でもあり師範でもある斎藤伝次郎は累に向かってそう言った。


「父とは緒方道場を出た後も交流があったのでしょうか?」

「中沢殿が住まわれる古賀藩とでは、近いとはいってもそれなりに距離はある。そうそう簡単に行き来も適いませんからな、書面でやり取りする程度でした。立派に娘さんが成長されて拙者も感無量です……まだあなたが子供の頃、うちには娘だけなので、二人もいるならお前の所から一人婿によこしてくれないかと、嘘か本気か分からない様なやり取りもありました」

 そう言って斉藤は笑った。


「それで斎藤殿は何とご返信を」

 累は真面目な顔で食い気味に問いかける。

「いや、まぁそういう事あるかもしれないなと返したら中沢殿から、但しうちの娘を超える剣技の持ち主でないといけないので、よく鍛錬しておいてくれとも言われました。下の子はなかなか熱心に稽古に励んでおりますが、上の息子の方は才はあるものの遊び惚けております。二人とも武術では、とてもあなたの相手にはならないでしょう」


「まだ何もしていないのに、私の力がお分かりになるのですか?」

「手合わせなどせずとも、歳を重ねれば相対した人物の所作を見ただけで、どれほどの実力を持っているのかは伺い知ることができます。あなたは私を前にして、いつでも動けるように体全体で筋肉の緊張は解いておりませんな。もっと楽にして頂いて結構ですよ」

 斉藤はそう言ってからまた笑った。

「そういう斎藤殿も先ほどから何度切りかかっても避けられるところしか想像できませんね。一切の警戒を解いていないように見える。私の様な年頃の娘を前にしていささか失礼ではありませんか」

 そう言って累も笑った。


 その時だった、突然障子を開けて道場の方から来たであろう若者が入ってきた。

「父上、道場破りです!!」

「おお、新之助か、累殿先ほど話した我が家の次男坊です」

 斎藤がそう言うと新之助は累に軽くお辞儀をしてから、また言葉を続けた。

「とにかく道場破りです。最近噂の宇都宮藩元指南役、堀内鉄舟でしょう。私では相手になりそうもないです」


「おお、堀内殿がいらっしゃっているのですか、それは是非ともお手合わせを願いたいものだ」

 累の目が輝く。彼女の出身である古河藩から宇都宮藩は目と鼻の先だ。堀内の評判は累も聞き及んでいた。

「累殿、堀内殿は我が天流剣術に道場破りに参られたのですぞ。まずは私が手合わせをするというのが筋で御座ろう」

 そう言って斎藤はニヤリと笑う。


「これは失礼いたしました」

 累がそう答えると、三人は座敷を出て道場の方へと向かった。道場の中央には薄汚れた着物を着た男が仁王立ちしていた。斎藤の姿を見ると男は話しかけてきた。

「我が名は堀内鉄舟と申す。天流剣術師範、斎藤伝次郎殿とお見受けいたします。いざ尋常に勝負されたし!」

「うむ、良い目をしていらっしゃいますな。少々お待ち下され」


 そういうと斎藤は羽織を脱いで新之助に預けると、木刀を持って道場の中央に進み、堀内の眼前に立った。両者は共に晴眼に構える。

 道場の門下生に並んで、累と新之助はその様子を正座して見ていた。道場の中央で両者は構えたまま動かない。しかしその足先は細かく前後に摺り足を繰り返している。

 にらみ合い派が続く中、堀内の額には汗が浮かんできた。そうして一筋の汗が額から右目の横を通って頬の方へ流れ落ちた。対する斎藤の方は汗ひとつかいてはいない。眼光は鋭いが涼しい顔をしている。

 静寂を先に破ったのは堀内の方だった。素早く振りかぶると気合一閃斎藤の面を狙って木刀を振り下ろした。しかしその剣は宙を斬る。斎藤は軽く後ろに下がるとその剣筋をギリギリのところで躱していた。体勢は全く動くことなく後ろに下がったので、多くの門下生には堀内の木刀が斎藤の体をすり抜けたように見えた。


「凄い!!」

 累は思わずそう口に出していた。

「一の太刀を躱されて堀内は二の太刀三の太刀と連続して繰り出した。しかし斎藤はそれを自分の木刀で受けることなく、体捌きのみで次々と躱して行った。時には後ろに下がって躱すので、いつしか斎藤は道場の壁際まで移動していた。斎藤の背中が道場の壁に着いたところで、堀内は突き技を斎藤の喉元を狙って放った。もう後ろに下がってそれを躱すことはできない。横に動いて躱すかと思えば、斎藤の持つ木刀が上に動いて堀内の木刀を擦り上げた。その勢いで木刀は堀内の手を離れ宙を舞った。それを目で追いかけた堀内をしり目に斎藤は彼の背中の方へと体を移動させた。


 宙を舞っていた木刀は道場の床に音を立てて落ちた。堀内は斎藤の方を振り返ると

「参りました!!」

 と、大声で叫んで頭を下げた。


「一振りもせずに勝負がついてしまいましたね」

新之助の隣でそう言った累の声は震えていた。それは恐怖によるものではない。素晴らしい剣技を見た後の高揚感によるものだった。

 まだ経験の浅い新之助にも、父の強さがどれ程のもの中は分かった。そうして彼はその父親を嬉々とした目で見つめる累に寒気を覚えた。

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