「延長枠」作品
10月16日 公開分
【No.084】悪魔と暮らす最初の一日(加賀美智彦・両角紅緒)
【メインCP:男19.
【サブキャラクター:男16.
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加賀美少年には、生まれつき共感能力が欠けていた。
人がどうして喜ぶのか、悲しむのか、怒るのかがわかっていなかった。
それでも器用に生きてきた。見よう見まねで、まるで優しい人間のように。
それだけならよかったのだ。満たされることを知らず虚しさを感じながらでも、無害なまま生きる人生もあったはずだった。
少年にとって、あるいはその周囲にとって本当に悲劇であったのは――――少年は共感能力が欠如しているだけでなく、それでも確かに生き物を愛していたということだった。
「松葉杖はね、こうして使うといいですよ」
看護師が紅緒の腕を取って、支えながら松葉杖を持たせる。「どうも……」と紅緒は言いながら会釈した。
おそらく紅緒と同年代であろう男の看護師が、「早く良くなるといいですね」と笑っている。
ああ、完璧なビジネススマイルだな。
名札には『加賀美』の文字が見え、名前までお綺麗だこと、なんて妙にひねくれた気持ちになった。
「思ってもないことよく言えるなぁ」
看護師が「えっ?」と、目を丸くする。なぜだか紅緒まで驚いて目を丸くしてしまった。
声に出ていた。自分でも信じられないが、考えていたことがそのまま。
もう一度会釈だけして逃げるようにその場を離れた。
病院の外まで歩いてきて、「謝るか……?」とちょっと振り返る。「まあでも不自然だよね、逆に。あーあ、いい歳して反省案件だ」と頭を掻いた。
それから、帰り道のことはよく覚えていない。
目が覚めたとき紅緒は、そこが家でないことはすぐにわかった。病室とも違うように思い、ぼーっとしながら「夢? これ……」と呟く。
「ああ、目が覚めたか。気分はどうかな」
顔を覗きこんでくる男を見て、「看護師……さん?」と眉をひそめた。「こんばんは、両角さん」と男は快活に笑う。
「ここ、どこ……?」
うーん、と顎に手を当てた男が「昼間の様子がおかしかったから何か勘づかれたかと思ったけど、その分じゃあ取り越し苦労だったか」とため息をついた。
「すみません。昼間のことなら謝りますから……」
言いながら紅緒は体を動かそうとするが、どうも手足が固定されていて一切動かせない。紅緒はここに来て初めて、自分が非常に危険な立場にあることを知った。
「……私のことどうするつもり?」
「強いて言えば、治験かな」
「同意してない」
違和感を覚え、紅緒は加賀美の顔をまじまじと見る。
「あなた、あの看護師と違う? 誰?」
「まあ、表の顔と裏の顔ってやつさ。誰にだってあるだろ?」
納得しかねて紅緒はその後も加賀美の顔を見つめた。加賀美は肩をすくめ「君、体は丈夫みたいだから期待してるよ」と立ち上がろうとする。
「私のこと、殺す気?」
「別に君を殺害するつもりはない。結果的に死に至ることはあるかもしれないが」
「はぁ……最悪。人の心なさそうとは思ってたけど、こんなにヤバいやつだとは」
「“人の心なさそう”?」
「ないでしょ、だって。看護師やってる時も透けて見えてたよ。何もかもが他人事なんだもん」
ひとごと、と加賀美はなぜか舌の上で転がすようにそう呟いた。それから首をかしげて、「僕の言動が他人事だって? 他と何が違う?」と眉を顰める。
何を言ってるんだろう、と思いながら紅緒も彼と同じような顔をしてしまった。それから「もしかして」とからかうように笑う。
「あんた、自分が他の人間と同じだと思ってる? 全然違ったよ、看護師やってる時も」
口をぽかんと開けた加賀美に、紅緒は目を細めて「あんた、人間好きじゃないでしょう」と指摘した。加賀美は口を閉じ、眉根を寄せる。
「僕は生き物が好きだ。とりわけ人間が好きだ。知能が高いほど、生物は面白い」
紅緒は言葉を咀嚼するように黙り、加賀美のことをじっと見ていた。それから、「ああ」とどこか切なげに眉を顰める。
「私……今まで人間のこと好きじゃないなって思ってた。でも、好きじゃないだけでよかったな。だってあんた、生きづらそうだもん」
「……どういう意味だ?」
言葉を詰まらせる紅緒に、加賀美は「どういう意味なんだ? 教えてくれ、他と何が違う?」と答えを求める。
紅緒が口を開いたその時、どこかでドアをノックする音がした。
加賀美が空咳をし、どこかへ歩いていく。
「絹傘くんか? こんな時間にどうしたんだい」
「頼まれていた機材の修理が終わったので」
ちらりと紅緒を見た加賀美だったが、すぐに「今開ける」と言ってその人物を招き入れた。絹傘と呼ばれた男は、ベッドに固定された紅緒を一瞥したものの特に何もコメントする様子はない。
「助かるよ。お代は組織経由でいいかな」
「気にしないでください。先生の依頼を受けるのもこれが最後ですし」
一瞬黙った加賀美が、「なぜ」と言いながら振り向く。絹傘は銃を構えており、加賀美が再度、少し笑いながら「なぜ?」と尋ねた。
「組織にとって都合のいい外道同士、俺はあなたのこと嫌いじゃなかったですよ。だから……そういうことです」
「ああ、なるほど……。こんな時間まで仕事だなんて、君も大変だね」
三発。絹傘は加賀美を撃つ。血飛沫が飛んで、呻きながら加賀美はふらついた。そのまま壁にもたれかかり、沈んでいく。
それから絹傘は紅緒の手足を固定していたベルトを切って「ここは地下だから、階段を上れば地上に出られます」とだけ言った。
「……その人、死んだの?」
「今日のことは誰にも言わない方がいいでしょうね。あなたのためにならないので」
そう言って、絹傘は紅緒に背を向ける。階段を上がっていく音が聞こえた。
心の整理がつかないまま、紅緒は言われた通りに階段を上り、外に出た。足を引きずりながら歩く。
絹傘の静かな脅迫ともとれる言葉に怯え、そのまま家に帰ることとなった。鏡を見ると、自分でも気付かぬうちに涙のあとができている。
恐怖からだろうか。
そう考えて、すぐにそれを否定する。
ああ、自分は────人間を好きになれないのだと漠然と思っていた自分は、
あの人でなしを嫌いになれなかったのだなと思った。
別室で一部始終を見ていた加賀美智彦は、壁にもたれてピクリとも動かない自分と同じ顔の死体を眺めた。
「まったく、ひどいことをするな。クローンだってタダで作れるわけではないんだが」
それからクローンの死体と同じように壁に寄りかかり「そうか、ついに組織から不要とされたか」と呟く。
そうとなれば、加賀美はもう終わりだろう。絹傘相手では分が悪いし、逃げたところで長くはなさそうだ。
死ぬのかと思っても、大した感慨はない。ただ────
「そういえば彼女、言ってたな。“あの看護師と違う”だっけ。何でバレたんだろう」
思案する。彼女もまさかそれがクローンであると考えたわけではないだろうが。
善良な人間の真似をして社会にとけこんでも、あるいは欲望のままに生き物を
逡巡した末に、加賀美は立ち上がった。
結局、あれ以降も紅緒は誰にも相談できないまま日常を送っていた。
仕事からの帰り道、「やあ」と誰かが声をかけてくる。
怪訝に思って振り向くと、男が少しだけキャップを上にずらしてこちらを見ていた。紅緒は仰天し、言葉を失う。それから「なんで……!? あんた、死……」と言いかけた紅緒の口を、近づいてきた加賀美の右手が塞ぐ。
「僕のこと、匿ってくれないかな」
それが奇妙な共同生活の、始まりだった。
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【本文の文字数:3,000字】
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