【No.068】あなたに届け、消えない祈り(一ノ瀬隆俊と小日向尚香)

【メインCP:男10. 一ノ瀬いちのせ 隆俊たかとし、女18. 小日向こひなた 尚香なおか

【サブキャラクター:男11. 間田まだ 名威ない、男15. 都築つづき 椿樹つばき、男17. 雨崎あまさき しのぶ

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 小日向尚香がバーで料理に舌鼓を打ちつつ「いやぁ、また太っちゃうなぁ」と呟くと、バーテンである一ノ瀬隆俊が「そんなに気にしなくていいんじゃないか? 俺は君が美味しそうに食べるところ見ると、嬉しいよ」と目を細めながら次の料理を盛り付けている。

 尚香はそんな隆俊をじっと見て――――ため息をついた。






 休みの日の都築椿樹つづきつばきの前に、女性が座っている。例のごとく、霊である。愁いを帯びた表情で、「突然すみません」と口を開いた。

「あなた様が、幽霊わたしたちの依頼で恋愛成就をたすけてくれると聞きまして」

「何もかもが間違ってるぞ。俺の本業はサラリーマンだ。印刷会社のな」

 なぜか横で寝そべっている間田名威まだないという猫が、「本業と言うたからには副業程度には認めておるではないか」と指摘する。


「うちの夫のことなんですが……」

「またそういうパターンかよ。前から思ってたけどな、死んだらもう生きてるやつの世話なんかしなくていいんだぞ。勝手にやらせとけ」

「そうは仰いますけど、やっぱり心配じゃないですか。なので私、あの人の婚活を手伝いたいんです」


 これには名威も「当人が望むのであれば手を貸してやっても良いが」と難色を示す。

「ま、亭主とやらに一度会って決めるほかないだろうよ」

 椿樹はため息をつき「金曜の夜なら空いてるぞ」と仕方なさそうに言った。






 料理の仕込みをしながら隆俊は、ぼんやりと『今夜は来るだろうか、彼女』と考える。

 美味しそうに食べるからな、あの人。


 愛嬌のある尚香の表情が、くるくると変わるさまをカウンター越しに見ていた。あれだけ美味しそうに、楽しそうに食事をしてくれるのは、料理人冥利に尽きるというものだ。

 それだけだ、と何に言い訳するでもないが隆俊は独り言ちた。






 オフィスでノートパソコンとにらめっこしながら、尚香は頬杖をつく。

 もちろん仕事は嫌いではないが、毎日こうでは癒しが欲しくなる。やはりペットを飼うべきだろうか、と思考を巡らせているうち、ふと隆俊の顔が浮かんだ。


「癒し、ねえ……」


 一ノ瀬隆俊が尚香にとっての癒しであった時期もあった。“推し”というのだろうか。彼の料理に胃袋を掴まれていたというのも大いにあるが。


 それが、彼の首もとにリングのついたネックレスが見えた時。あるいは他の客から『一ノ瀬さん、いいひとはいるの?』と訊かれ、彼が曖昧な表情で言葉を濁した時。

 ああ、この人には忘れられない人がいるんだな。

 そうわかってしまって、胸の辺りがちくちくと痛くなった。


 あーあ、私――――いつからかはわからないけれど。

「すっかり本気になっちゃった」と両手で顔を覆った。






 今日に限って残業で遅くなってしまった椿樹は、ネクタイをゆるめながら待ち合わせ場所に急いだ。


「あ、椿樹さん! 奇遇ですね」


 そんな声に振り向くと、近頃妙に縁のある幽霊少女がふわふわと近づいて来る。椿樹は足を止め、頭を掻いた。

「その……この前は助かった。迷惑をかけたな」

「なんのことやら。ところであれ以降、魔法少女さんとはいかがですか?」

「バッ……うるせえよ」

 余計なお世話だ、と椿樹は憮然とした表情を見せる。


「おお、妹御もおったのか」


 振り向くと、そこには灰色の髪を揺らす美しい青年が立っていた。琥珀色の目を細め、「遅いぞ若いの」と椿樹を見る。


「……誰だ?」

「さあ?」


 二人でじっと見つめると、青年はやや驚いた顔をして「吾輩がわからぬのか」と首をかしげた。椿樹はようやく、「猫か?」と眉根を寄せる。

猫のいつもの姿で店に入ってはまずかろう」

 ふっと笑った名威が「しかし吾輩のこの顔貌をさらしては、亭主の婚活どころではなくなるやもしれぬな。全ての娘さんを虜にしてしまうに違いない」と自分の顎に手を当てた。椿樹は一度だけ瞬きして、「俺たちは今からバーに行くから、この辺で」と幽霊少女に別れを告げる。

「無視か?」と不満そうにしている名威を連れて、椿樹は一ノ瀬隆俊の店を訪れた。






 店に入ると「どうぞ。お好きな席に」と促され、椿樹と名威はカウンターの席に腰を下ろした。

 すでに夜更けすぎだからか、店内には椿樹たちの他に客は二人しかいない。そのうちの一人が女性で、隆俊と楽しそうに話をしていた。

 その様子を見て、名威がぽつりと呟く。

「……なんだ、おるのではないか。なかなかどうしてが」


 飲み物を頼んだ後で、名威がこほんと空咳をする。

「そこなバーテンよ。何か悩みがあるであろう」

「お、俺ですか」

 グラスをかき混ぜながら、名威は「実を言うと吾輩は占い師である。今日は特別にタダで見てやってもよい」と嘯いた。

「いや……でも、」

「見てもらったらどうだ? 信じるかどうかは別として」

 椿樹の援護もあり、隆俊は「じゃあそうしようかな」と苦笑する。客の申し出を無下に断ることもできないのだろう。


「お前さん、生まれはいつだ」

「10月18日ですよ」

「ほお。星の宿りは天秤か」


 すると先ほどまで隆俊と話していた女性客が、「そうなんだ」と目を丸くする。

「私も天秤座なんだよー。……って、急に話に入ってごめん!」

 名威は腕を組み、「ふーむ」と勿体ぶって二人のことを観察した。


「お前さんら、今日はなかなか良い日であるな。運命を共にする相手との大切な転機を迎える日である」

「今日って……」

「もう、残り10分なんですけど……」


 隆俊と女性客はそれぞれ「運命を共にする相手……」と呟きながらごく自然にお互いを見る。

「ほれほれ、残り9分であるぞ」と名威が煽った。


 沈黙に耐えかねたのか、女性の方が立ち上がって隆俊に何か言おうとする。

 おそらく彼女が何を言うつもりなのかわかった上で――――隆俊が目をそらした。女性はハッとし、「……ごめん」とだけ言って俯く。


 気まずそうな女性はそのまま会計を済ませ、足早に店を出て行った。

「よいのか?」と、グラスを傾けながら名威が訊ねた。隆俊は答えない。


「あら……さっきのお客さん、一人? 不用心ねえ、こんな夜更けに」


 今まで一言も発さなかった男性客が、ぽつりと言う。

「ねえ、お兄さんたち。知ってる? 最近ね、この辺りに吸血鬼が出るらしいわよ」

「吸血鬼?」

「女性を狙ってるんだって。こわいわねえ。さっきのお客さん、大丈夫かしら。誰か送って行ってあげたら?」

 ぽかんとしていた隆俊が、ぐっと拳を握って一言、「少し……外します」と断って店を出た。


 唐突に名威が、「久しいな、しのぶくん」と言葉を発した。男性客が目を細め、「ご無沙汰してます、せんせ」と答える。

「知り合いか? あんた、さっきはなかなか突飛なこと言ってたな」

「そうかしら。でもありえないことじゃないのよ」

 信という男性は悪戯っ子のように片目をつむり、「吸血鬼ならここにいるしね」と言った。椿樹は驚いて言葉を失う。


「しかしあのようなことを言ってよかったのか、信くん。人間が吸血鬼きみらをおそれるようになれば、その分君が生きづらかろう」

「いいのよ。それにあのバーテンさんだって真に受けたわけじゃないでしょう。理由が欲しかっただけで」


 ふう、と息を吐いた信が「もうこんな時間」と呟く。


吸血鬼あたしはそろそろ帰らなきゃ。――――じきに、夜が明けるわ」と、微笑んだ。





 あー、やっちゃった。

 尚香はため息をつきながら、小石を蹴るような真似をした。

 逃げるように店を出てしまった。もうあの店には行きづらい。


 まずいなあ、普通に泣きそう。


「早く帰って、シャワー浴びて寝て……」


 泣かないようにわざわざそんなことを声に出した。

 その時だった。


「尚香ちゃん!」


 振り向くと、走ってきたらしい隆俊がこちらを見ていた。

 尚香は思わず「えー、なんで来たの?」と目をこする。


「やめてよ、まるで私が追いかけてくるの待ってたみたいじゃん。そんなんじゃないから。ほら、帰った帰った」


 言いながら、尚香は踵を返して歩き出した。尚香にも、プライドというものがある。

「尚香ちゃん、話を聞いてくれ」

「いいって。来ないで」

 足早に、ほとんど走るようにしてその場を離れようとした。


「尚香ちゃん」


 腕を掴まれ、彼の顔を見ないように振りほどこうとする。だけど彼の手は存外に力強くて。仕方なく尚香は、「何?」と隆俊の顔を見上げた。


「……わからない」

「わからない!?」


 何とも言えない表情で、隆俊は「ごめん」と謝る。それからそっと尚香の涙を拭った。


「答えを出すのに、きっと時間がかかるんだ。正直に全部話そうと思う。その上で君が決めてくれないか。俺が答えを出すまで、待っていてくれるか」


 どうしてだか、隆俊の方が泣きたそうな顔で尚香を見ている。すっかり涙の引っ込んだ尚香は、困ったように笑った。


「私もね、リハビリが必要だと思ってたとこ。恋なんて、本当に久しぶりだから」


 隆俊の手を両手で包んで、「ゆっくりでいいかもね。お互い、今さら焦ることなんてないでしょう」と尚香は言った。






 頭を掻きながら椿樹は「本当に良かったのか、これで」と問う。幽霊妻は曖昧に笑って、頷いた。

「……何か言いたいことがあれば伝えるぞ。俺にできることはそれだけだからな」

「じゃあ、『あなたのこと、大嫌いだった』って。あの人に伝えてください」

「それは言えない」

 椿樹はきっぱりと言う。どうしてですか、と眉を顰める妻に「そういう嘘は、誰のためにもならねえから」と椿樹は答えた。


「……やっぱり――――」






「“あなたのこと、大好きだった。大好きな人には、死ぬまで幸せでいてほしいから”」

 隆俊は顔を上げる。声のした方を見ると、若い客が「ああ、悪い」と言いながら本を閉じた。

「あんまりいい台詞なもんで、声に出してたみたいだ」

「ああ、そうなんですか」

 客は本を鞄にしまう。


 なぜだか隆俊は胸が苦しくなり、「それ……なんていう本ですか? 俺も、」と言いかけたところで客が「もうこんな時間か。会計を頼む」と言ってくる。それからお代を置いて、そそくさと店を出て行ってしまった。


 隆俊は瞬きをして、「なんだかどこかで聞いたような、懐かしい響きだな」と呟いた。



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【本文の文字数:3,999字】

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