【No.036】スカウト、時々、恋の香り

【メインCP:男20. 鳳凰寺ほうおうじ れん、女21. 紅谷ベニヤ 萌歌モカ

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「たのもーーーッ!」

 ピシャーン! と、大げさな音と共に教室の扉が開け放たれた。今の今まで読書に没頭していた部員一同はびくりと肩を震わせる。けれど次の瞬間、僕の目はその人物の姿に釘付けになってしまった。

 小柄な体躯を感じさせない圧倒的なまでの芸能人オーラ。艶のあるしなやかなツインテール。まるでブリリアントカットの宝石のように光り輝く瞳。まさに芸能人。と言うか、これは。

「あ……アイドルだ」

 思わず漏れた呟きに、彼女がこちらを振り返る。

「そう。私こそが今をときめくアイドルの中のアイドル、紅谷 萌歌です! ヨロシクねっ!」

 キラッ☆ と効果音までが聴こえたようで頭がくらくらする。ま、まぶしい。僕は思わず目を逸らした。



 ここは、とある高校の、とある教室。放課後の喧騒もやや遠巻き気味に届くこの場所は、校舎の外れと呼んで差し支えがない。

 受験シーズン真っただ中に盛大な風邪をひいてしまった僕は何とか受験できる高校を探し出して滑り込んだものの、慌てて入学した高校は、いわゆる芸能人御用達の学校だった。運悪く紛れ込んでしまった僕のような生徒たちは小規模にまとまって群れを作る。それぞれの群れは「化学部」だの「物理部」だのと言った、おおよそ芸能人が興味を示さなそうな名称を冠し、身を寄せ合って卒業までの三年間を越冬することになる。

 探していた囲碁部が存在せず、やや強引な勧誘で足を踏み入れた「文芸部」は意外にも居心地の良い場所ではあった。放課後に集まってひたすら本を読み、学園祭には文集を出して体裁を取り繕い、また再び本を読む。大好きなミステリ小説をたらふく読み、時にはこっそりと詰碁を愉しみ、そうやって半ば冬眠のように穏やかな時間で僕の高校生活は埋まっていく……はずだった。その日、静寂が打ち破られるまでは。


「なんだ、紅谷先輩か」

「大丈夫だよ、おうじくん。この人は怖くないから」

「でも先輩、今年は女子入りませんでしたよ~」

 文芸部の先輩方がにわかに平常心を取り戻し始め、紅谷先輩と呼ばれた先輩は、ゆっくりと教室を見回してから僕に照準を定めた。

「君が今年の新入部員かぁ」

 まるで検分でもするかのように僕の周りをぐるぐると歩く。先輩の起こすわずかな空気の流れが鼻先を掠めるたびに、花ともケーキともつかない、何だかわからない甘い香りが少しずつ僕を打ちのめす。頭が、くらくらする。そう思い始めた頃に、先輩が足を止めて、ひとつ大きく頷いた。

「君には素質がある」

 素質とは? そう尋ねるより早く大きな瞳が僕を覗き込む。この上目遣い、殺傷能力が高すぎないか。

「何って、そりゃあアイドルのだよ」

「はぁ……」

「君なら私をも超えるアイドルになれるわ! 私の目に狂いはないのよ!」

 先輩は、人差し指をピシリと僕の鼻先に突き付けた。爪の先には妹がファッション誌で眺めていたラインストーンとやらが光っていて、けれど、そんな石ころよりも紅谷先輩の瞳の方がよっぽど光に満ちていて、なんと言うか、すごく、すごく……。

 もう何も考えられなくなった僕を差し置いて、そこからは、嵐のような時間が始まった。


 洗面所で顔を洗って戻ると机の前に座らされる。コットンを使って化粧水を叩きこまれ、冗談みたいな顔パックを施され、その間に髪をブローし、ヘアアイロンを使い、その後はあれやこれやとよくわからないペーストや粉を塗りたくられていく。

 自分が今どういう状況になっているのかさっぱり分からない。たまに先輩の息が僕の頬を撫でる。僕は余計なことを考えてしまわないように、頭の中で円周率を唱える。3.14159265359……

 言われるがまま過ごして数十分後、頭の上で声がした。

「でーきた! ほら、目を開けて!」

「…………誰、これ」

 鏡に映っているのはどこからどう見ても女の子だった。それも飛びっきり可愛らしくて、思わずぼうっとしてしまう程の。

「鳳凰寺 連くん、私と一緒にアイドルやりませんか?」

「……先輩、本気で言ってます?」

「もっちろん! だって見てご覧よ。おうじくんてばこーんなに可愛い! 間違いなく世間を虜にできるわ!」

「……あの、僕は男です」

 紅谷先輩の華奢な手が僕の肩に触れ、熱を帯びた瞳が再び覗き込む。

「関係ないわ。時代はジェンダーフリー! 私にはわかるの。君は、夢中になれる何かを探してるってこと。だったら私と一緒にステージに立ってみない? もう一度言うわ。君になら、出来る」

 吸い込まれそうな瞳。真っ直ぐな口調はひとつも嘘をついていないのだと分かる。

 後方を振り返れば文芸部の先輩方はそろって頷くけれど、その目が静かに物語る。諦めなさい、紅谷先輩のスカウトは絶対なのだから、と。

「ぼ、僕を巻き込まないで下さい!」

 思わずそう叫んだのと、

「いっけない! もうこんな時間!」

 紅谷先輩が立ち上がったのはほぼ同じタイミングだった。先輩は僕の動揺なんかまったく気にしていない様子でバタバタと荷物を集めては鞄に詰め込んでいく。

「今日の所は退散するね、これから打合せあるの忘れてた! じゃ、また来るね、おうじくん!」

 バチン☆ とこれもまた音の鳴りそうなウインクを残して、紅谷先輩は颯爽と教室を後にする。残された僕の手にはさっき握らされた名刺があって、そこには紅谷 萌歌の名がアイドル兼アイドルプロデューサーという肩書と共に躍っていた。



 そんなことがあってからしばらく、予想に反して紅谷先輩は姿を現さなかった。液晶パネルの広告で見かけることはあっても実物は多忙ということだ。おかげで平穏を取り戻した文芸部の部室では読書が殊のほか捗る。……はずなのに、どうしてだろう、さっきから同じ行ばかりを目が追っているみたいだ。

 廊下を歩く誰かの足音に必要以上に耳を澄ませてしまう。窓を横切る影に、渡り廊下ですれ違う人混みに、誰かの姿を探してしまう。


 ――君は、夢中になれる何かを探してるってこと。

 ――だったら私と一緒にステージに立ってみない?


 耳の中にあの日の先輩の声が蘇って、それは僕の胸を確実にざわつかせる。先輩の言葉を信じてみたい。なんて思っている自分がいるみたいで、僕は今、とても困っている。



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【本文の文字数:2,476字】

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