第三章 風景庭園と中庭の謎⑦

「さあ、それでは皆さま、晩餐会まで当家の庭でお寛ぎ下さい。今日は幸い天気もいい。お茶や散歩をされるのもよろしかろう。ローンテニスやヨット、乗馬にシューティング、狐追いの準備もしてあります。存分に我が庭を楽しんで下さい」


 公爵の言葉を合図に、客人たちは思い思いに庭へと出ていく。マイルズ男爵も庭に出るため、アイリの前を通りかかる。小さく手を上げ、そのまま庭へと出て行った。


「あれは絶~対、脈ありですって! どうします、アイリさま?」


「なにもしないよ! いちいちはしゃぐな! それより僕らも庭に行くぞ」


「そうですね。ところでアイリさまは、何をなさるんですか?」


 先程の公爵が説明していた通り、広い広い庭にはいろいろと趣向を凝らした遊戯が用意されているようだ。その中でアイリは選ぶのか、サラも気になるところ。


「いや、遊戯はやめておこう。わざわざ親交を深めたい連中でもない。向こうもそうだろうしね。それより」


 そこで言葉を切ると、わざとらしくサラの顔を見る。その顔には意地の悪い笑みが浮かぶ。何やら気持ちが落ち着かない。


「な、何でしょうか?」


「遊戯より、庭を散策しよう」


 サラにとっては、まさに予想外。予期せぬ言葉に、パッと顔が輝く。犬のように尻尾があったなら、千切れるまで全力で振っていたところだ。


「ほ、本当ですか! あれほど庭に興味のなかったアイリさまが、どうしたんですか?」


「そりゃあねえ、そんな物欲しそうな顔で庭を眺めていられたら、連れて行ってやらないわけにはいかないだろ? 折角来たんだ、公爵自慢の庭を存分に見てやろうじゃないか、サラの解説付きでね」


 アイリはサラに向かった、軽く片眼をつむって見せた。



「今からさかのぼること三百年前、エルウィン王国の庭は拡張の時代を迎えました。丁度、王国が世界に領土を広げ出し、各地の植民地から多様な植物や、各国の庭園様式が流れ込んできたんです。それを貪欲に吸収した結果、庭はどんどん大きくなり、彩る植物も装飾も増えていきました。その結果、統一性のないごちゃ混ぜの庭が出来てしまったんです」


「ありがちな失敗だ」


「はい。その反動から、自然の姿を取り戻そうという流れが起きます。それが百年ほど前のこと。そして辿り着いたのが風景庭園という様式です。文字通り風景の一部を切り取ったような庭、或いは風景に溶け込む庭ですね」


 アイリとサラは、公爵の広大な庭を並んで歩いていた。目の前に広がる景色には境らしき物がなく、庭はどこまでも続いているように見えた。


「風景の一片を切り取ったような庭か。確かにこうして見渡していても、壁や柵もなく、どこまでが庭なのか分からないね」


「壁や柵はあえて作らない。囲わない庭なんです。その代わりに『ハーハー』で、家畜などが敷地内に入らないようにしているのでしょう」


「はーはー? なんだい、それは?」


 耳慣れない言葉に、アイリは首を傾げる。


「『ハーハー』とは、敷地の境界になる空堀からぼりのことです。地面に掘られているため、壁や柵のように視界を遮りません」


 その少し変わった名前は、庭に夢中になった人が空堀に気付かず、転落する際の「はっ、はああ~」という悲鳴に由来するのだとか。そんな話を付け加えると、アイリは声を上げて笑った。


「なるほど。サラなんて、特に気をつけないといけないね。よく考えられているし、まさに風景に溶け込むかのようだ。だが、その割に他の人工物が目につくね」


 アイリの言う通り、庭を歩くと、至るところで建築物に出くわす。エキゾチックな橋や華奢な橋はもちろん、女神の彫像や天使の胸像、古代の神殿風の建物やドーム屋根の円形ヴィラ(ロトンド)まであった。


 これにはサラも、少しだけ顔を曇らせる。


「そうなんです。風景と言っても、それはこのあたりの原風景ではありません。ここでいう風景とは、理想の景色。特に取り上げられるのは、神話にでてくる理想郷です」


「自分の理想とする風景を再現しているわけだ。まるでテーマパークだ。それはそれで凄いが、いささか当初のコンセプトから外れてしまっているね」


 よくあることだが、とアイリは皮肉っぽく笑う。


「ええ、そうなんです。それと風景庭園では、花や花壇は脇に追いやられてしまって。それがあたしとしては、少し残念で」


 その時、笑い声が広大な庭に響く。緑の大地を気持ちよさげに駆けていく馬群が見えた。乗馬を楽しむご婦人方らしい。湖にはボートを浮かべ、釣りに興じる紳士の姿も見えた。


「まあ、こういう庭もいいんじゃないか。訪れた人を驚かせ、楽しませようとする製作者の心意気が感じられて」


 少し大袈裟ではあるがね、とアイリは肩を竦めた。その物言いが可笑しくて、サラは表情を崩す。


「そうですね、いい庭です」


 さすがに広大な庭のすべて見て回ることは難しく、アイリとサラは適当なところで屋敷に引き上げてきた。


「あっちに見えるレンガ造りの建物はなんだろう?」


 館の端にある建物にアイリが目を止める。砂岩色の建物までの道を、刈り揃えたラベンダーとユッカが飾っていた。


「ああ、多分オランジェリーです。オレンジ栽培専用の温室ですね」


「ふ~ん」


 そんな取り留めのない話をしながら大広間に入る。他の客人たちは、まだ戻ってきていたない。


(そういえば、いまは何時頃だろう)


 晩餐会までの時間が気になり、サラは時計を探す。だが、大広間にも時計らしき物は見当たらない。


(こんな大きな屋敷なんだから、時計の一つくらいありそうなのに)


 サラは内心、首を傾げる。とはいえ、ない物は仕方がない。アイリの懐中時計を見せてもらおうとした時、声が掛かった。


「やあ、ガーネット男爵。楽しんでおられるかな?」


 奥からハートフォート公爵が姿を現す。相変わらず喜色満面の笑みで近づいてくる。


「ああ、充分に楽しませて頂いた。いずれは僕も、ここに負けない庭を造ろうと思う」


「本当に素晴らしい庭です。スケールの大きさに圧倒されました」


 アイリとサラが交互に感想を述べると、元に戻らなくなるのではと、心配になるほど公爵は顔をほころばす。


「そうですか、そうですか。それは良かった。主催者として、ほっ、としました。安心したところで、お二人にはもう少し驚いて貰いましょうかね」


 そう言うや、顔を見合わす二人を置いて、さっさと大広間を出ていく。ついて行かないわけにもいかず、その後を追った。

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