第15話 現代的治政(前)
領主ともなると、ひとたび政務を滞らせれば多大な迷惑がかかる。遅延は一個人の都合で許されるようなことではないのだから、とかく滞らせないよう仕事をしよう。駿はそう考えて懸命にジークフリートの仕事へ取り組んだ。が……
『
駿は『輝聖のアルマリア』というゲームのことを十分に覚えていない。娘の杏奈に付き合って1周だけ王道ルートをクリアをした。メインストーリーとその周辺の情報やキャラクターについては記憶していたが、文化的な側面だとか、隣国の名前だとか、やり込まないと気付かないレベルの要素は覚えていない。
結果、山積みになった書類の単語が理解できない。都度、隣に控えているカタリーナに尋ねて概要を理解できる範囲で可否を決めていかねばならなかった。それもあまり相談していると執事に怪訝な目で見られてしまうため、「地走竜は軍用で用いたりできるものだったか」とか、「アルティガルドの別の種族は来訪したりしないのか」とか、「ヴァリスカベリー以外の果物を使ってはどうだろうか」とか、予めカタリーナと打ち合わせたそれっぽく装う手法を用いていた。控えていた執事がうんうんと頷いていたのだから、きっと熟考しているように見えていたのだろう。
「ジークフリート様、そろそろお昼になりますわ」
「そうか。では昼食にしよう」
駿が片手で合図すると執事は一礼して退室する。
「ああ~、ありがとうカティ、助かったよ」
「ふふ、お役に立てているなら僥倖です。ご立派なお仕事ぶりでしたわ」
ふたりになった途端、椅子に崩れ落ちる駿にカタリーナは優しく微笑んだ。カタリーナはこうしてジークフリートが自分に隙のある部分を見せてくれることで、彼と特別な関係になれていると喜びに溢れていた。
「ほらジーク様、あまり待たせては邪推されますから」
そのまま寝てしまいそうな様子の駿を見兼ね、カタリーナはえいっ、と彼の腕をひっぱり上げた。彼女の華奢な身体でジークフリートの隆々な身体を起き上がらせるのだから相当な力がかかる。必然的にカタリーナの身体が腕に密着し、その豊満な胸の柔らかさを否応なく体感させられた駿は眠気を吹き飛ばした。
「っ!? あ、ああ、うん。ありがとう。さ、さぁ、カティ。行こうか」
年甲斐もなく顔に熱を感じた駿は、誤魔化すようにカタリーナから顔を逸らす。その少しだけ朱に染まった頬を見てカタリーナは妖艶な笑みを浮かべた。
疲れた頭を休めながら、ぼうっと昼食を食べる駿。カチャカチャと鳴り響く食器の音色で執務で沸騰した頭を冷やしながら、自分がこの世界で何をしなければならないのかを考えていた。
まずジークフリートの妻子であるイザベラとロザリアの連れ戻し。ロザリアの悪役令嬢化の阻止。そしてフロイエン領の滅亡を防ぐ――南方の軍事国家アイスフィアとの内通を避けて領地を防衛する。ここまではフロイエン一家を守るために必要な事項だ。
さらに輝聖のアルマリアにおけるストーリー本編に沿って、聖女エリスによる闇の浄化を達成する必要もある。やることが多いうえに誰にも頼れない。そしてこの多忙さ。とても達成できるヴィジョンが浮かばず途方に暮れてしまう。
「ご主人様、ご主人様? お口に合いませんでしたか?」
「ん、あ、いや。美味いぞ、うん」
手が止まっているのを見たメイドが心配そうに尋ねてくるので駿は慌てて返事をした。いくら妻子探索の優先度が高いといってもジークフリートの日常、すなわち領地運営を崩壊させるわけにはいかない。この先の領地防衛を考えれば猶更であった。
「カティ、午後の予定はどうなっていたかな」
「こほん。領軍の視察ですわ、ジークフリート様」
口調が崩れているというカタリーナの合図に駿は居住まいを正した。メイドや執事の手前、威厳を損なうわけにはいかない。涼しい顔をしたカタリーナに駿は「うむ、そうだったな」と、さも偉そうに答えた。
「ま、参りましたぁ!!」
刃を潰した模擬剣を杖代わりにして、激しく呼吸をしながら相対していた騎士が頭を下げた。これで10人目。ようやく目と身体が慣れてきたところで、駿は次の挑戦者が待つべき場所に誰もいないことに気付いた。
「次はいないのか?」
「…………」
いつの間にか沈黙が支配していた。いや、何だよこの空気は――駿は異邦人を見るような騎士たちの畏怖の視線に晒されていた。あまりに気まずい。どうしてこうなった、と駿は困惑した。
午後は訓練視察ということで領内の訓練場を訪れ、騎士たちの訓練の様子を見ていた。平和な日本で剣道もやったことのない駿からすれば、模擬戦とはいえ気迫を交えて切り結ぶ騎士たちの姿はとても迫力があった。
ファンタジーが好きと言っても実際の戦いは怖いと思っていた駿。実際に見てみれば思ったよりも恐怖感はなく、むしろ騎士たちの精悍な動きが見て取れ、ああすれば良い、こうすれば良いといった点が思い浮かんできた。
そして駿は思った。自分もやってみたい、と。どうしてか身体の奥底から動きたいという欲求が湧き出て来たのだ。ストレス解消にテニスをするようなものだろう。
領主自らが乱取りの訓練に参加するなど異例のこと。カタリーナに「危のうございます」と心配されたものの「やってみて駄目そうだったら止めるから」と強引に模擬戦に参加したのである。騎士たちも久しく主君の腕前を見ていないらしく、喜んで参加を受け入れてくれた。
そして模擬戦、駿は自分が信じられなかった。最初は新人騎士と互角を演じていたが、徐々にジークフリートの強靭な身体の使い方を理解し、やがて圧倒した。そして気が付けば5人抜き、勢いづいて10人抜きである。戦えば戦うほど調子が上向きになりハイになっていった。
「
温まった身体で、これからと勢いづいたところに冷や水を浴びせるように、精悍な騎士団長が前に歩み出て申し訳なさそうに膝をついた。見れば、倒して来た騎士たちは結構な重傷なのか包帯を巻くなどして手当を受けている。明らかにやりすぎであった。駿はまずいと冷や汗をかいた。
駿はそこまで強くしたつもりはなかったのだが、ジークフリートの身体能力のポテンシャルは異常に高く、思った以上に騎士たちを叩きのめしていた。騎士団長の言葉に困惑していた駿に、控えていたカタリーナが「潮時ですよ」と囁いた。
「う、む。良い運動になった、ご苦労である。手加減をしたつもりだったが彼らには悪いことをした、すまなかった。これで終わりにしよう」
「いえ! 我らが目指すべき騎士の姿をお示しいただきありがとうございました!」
『ありがとうございました!』
騎士団長が敬礼をすると、騎士たちは一斉に胸に手を当てて敬礼をした。場を乱したはずの自分に恨みの視線ひとつ寄越さないばかりか、その一糸乱れぬ統率された動きに、駿は領軍がジークフリートへ絶対の忠誠を誓っていることを悟りぞっとした。
「とても格好良かったですわ! ジーク様のお力を示されて彼らも気を引き締めなおしたところでしょう」
重い鎧を脱いで屋敷へ戻った駿は、去り際の騎士たちの何とも言えない視線を不安に思いカタリーナに模擬戦の感想を尋ねた。心酔してうっとりとした表情で語る彼女を見て駿は本当にそうなのかと余計に不安になる。騎士たちを畏怖させるほど打ちすえてしまったというのに全肯定されているのは何かが違うと思っていた。
後日、騎士たちの中では「領主様は恐ろしい」「“辺境の鬼神”は健在だった」と、救国の英雄と呼ばれた男が健在であると再認識され、フロイエン領主は騎士団よりさらに畏怖されるようになったのである。
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