信頼と……【後編】



「それで? 実際問題、リュカを追い詰めてどーしたいんだ? そいつら」

「……頭の痛い事ですが、自分たちの息の掛かった者を騎士団長の座に付けようとしているんです」

「は? そんなの無理だろう? リュカが辞めさせられたところで次の団長ってハーレンが……」

「ええ、しかし少なくとも駒は進められる。今の小隊長四人は皆男爵、子爵家の者ばかりなのです。そこに無理矢理爵位の高い者を詰め込み、色々文句を付けて副団長の地位に据えるつもりでしょう。……そうなれば少なくとも今よりよほど奴らはやり易くなります。……リュカはこの国で最も爵位が高い唯一の『公爵家』の者です。彼を団長の座から引きずり下ろすのは簡単ではないですが……」

「…………。…………?」

「?」

「ええと、公爵家は爵位が最も高いんですよ。王家に次ぐ位置とお考えください」

「は? はぁあああぁ!? リュ、リュカって公爵なのか!?」


 真美は爵位の事など分からない、と顔にありありと出ていた。

 悠来の方は、演劇の知識として貴族の爵位には多少の馴染みがある。

 爵位は下から男爵、子爵、伯爵、侯爵……そして、一番偉くて権威があるのが公爵家。

 男爵の爵位は個人に与えられるもので、時に伯爵の爵位で侯爵に匹敵する権威を持つ家も現れるそうだが公爵家とはその揺るがぬ権威を意味する爵位である、と。

 リュカとメイリアが貴族だとは聞いていたが、よもやそれほど偉い人たちだったなんて思うわけがない。


(普段あんななのに~~~~~!?)


 お洗濯をしてお掃除をして。

 書類仕事をして、野菜を収穫してきて。

 そんな二人が、この国で一番偉い公爵家!

 衝撃的すぎて思わず天を仰いだ。


「じゃあ、団長さんは大丈夫なの?」

「え? えーと?」

「そう簡単にはいかない、という認識でいて頂ければ結構ですよ。……もしユウキ様が今回の事で亡くなっていれば……さすがに、とは思いますが……リュカが側にいてそんな事はありえない」

「っ」


 ハーレンの真剣な表情と、そのはっきりとした物言いにどきりとした。

 そうだ、と悠来の心はすぐさまそれに同意をしたのだ。

 倒れる寸前、リュカの姿、その声。

 それだけで、心のどこかに『希望』を抱いた。

 安堵を覚えた。

 あいつが来てくれたからもう大丈夫。

 そんな風に思えた。

 知らぬ間にこれ程の信頼を寄せていたのは悠来自身も意外だったぐらい。


「………………。ん? そういえば、お二人はお部屋から誰を供に付けて来られたのですか?」

「「え?」」

「今日の担当はジインとルカだったはず、ですよね? 二人は……」

「? あれ? そういや、今日騎士を一人も見てないな……?」

「え?」


 ギョッとしたハーレン。

 悠来も思い返してみたが、目を覚ましてから、騎士は一人も見ていない。

 恐る恐る、真美を見る。

 真美が思い切り顔を背けた。


「真美、お前なにかしたか?」

「わたし悪くないもん。ジインがわたしの事へちゃむくれって言うから、ジインの聖霊に反省するまで迷子にさせちゃえって言っただけだし」

「「は、はあ!?」」

「でもルカさんは知らない。アリアナさんと一緒にいるのは見かけたけど、それは野暮だと思ったし」

「「……………………」」


 アリアナとは、悠来たちを世話しているメイドの一人。

 それを言われると察してしまうのが大人というものであるし、まさか真美にまでそれを察されていたとなるとハーレンも頭を抱えるしかないだろう。


「職務を放り出して……」

「…………。ま、まあ、なんにしても、まずはリュカを迎えに行くか……」

「! でしたら今すぐに!」

「え?」

「出来れば、聖女様にもご助力願いたい!」

「わたし? ……うん、別にいいよ。わたしもお父さん助けてくれてありがとうって言いたいし」

「! 真美……」


 頷いたハーレンと一緒に詰め所から出ると、騎士たちがどこか心配そうな表情で悠来たちを眺めていた。

 悠来にはもうみんな顔を見知った同僚のような存在だ。

 朝は一緒に鍛錬をして、夕飯を作りながら帰ってきた彼らを出迎える。

 おやすみを言って一日を労い、また翌朝おはようと言って鍛錬を共にして……。

 そんな彼らに頷いて見せ、城内へと戻る。

 赤い絨毯の続く廊下を進み、一階の端まで来ると左の扉をハーレンがノックした。

 両脇には騎士ではなく兵士。

 見慣れない顔に、悠来は理解する。

 自称『革新派』の私兵だろう。


(……まさか、この私兵から騎士団に人を入れようとしてる、のか?)


 明らかに鍛えているとは思えない細腕。

 安っぽい鎧や武器。

 こんな奴らに真美を任せる事になるとすれば、それは『無理』だ。

 不安でしかない。

 悠来自身もまだまだ鍛え足りないと自覚がある。

 私兵らしき者たちは、自分より細いのだ。

 ここまで頼りないとはありえないだろう。


「失礼します。聖女様と聖女様の父君をお連れしました」

『!?』


 扉の奥から騒付く気配。

 ハーレンは返事を待たずに扉を開く。

 大きな会議室のような場所に、複数の男。

 右側の壁の方に、リュカが一人立たされていた。

 悠来の顔を見ると一瞬驚いたが、すぐに安堵の表情を浮かべる。

 その表情に悠来も安堵し、笑いかけた。


「リュカ!」


 そして堂々と名前を呼び、リュカの方へと歩み寄った。

 手を挙げて、ほんの少し悪戯っぽく微笑む。

 また驚いた顔をしたリュカ。

 しかしすぐにその意図を察して、悠来の挙げた手に手を叩きつけてきた。

 それほど強いわけではなく、パン! と小気味良い音が鳴る程度。

 その手を強く、握り返す。


「助かった。ありがとう。お前は命の恩人だ」

「ユウキ……俺は、お前を危険に晒した。護衛としてあるまじき失態だ」

「だが俺は無事だった。お前のおかげだ。……だからありがとう。また娘に会う事が出来たんだからな」

「…………ユウキ……」


 緑色の瞳が淡い色合いを滲ませる。

 とても穏やかな表情だ。


(イケメンだなぁ)


 とても、とても美しい男だと思った。

 吸い込まれそうな程に美しい緑色の瞳。

 その柔らかな色合い。


「! リュカ……」


 その場でリュカは膝を折る。

 そして、悠来の左手を取ると柔らかな笑顔で見上げてきた。

 自分よりも背が高く、いつも見上げていた男が自分に膝をついている。

 その、生まれて初めての経験に困惑した。


「ユウキ様。そのようなお言葉を頂けるとはありがたき幸せ。このリュカ・ジェーロン……至上の喜びにございます」

「っ」

「……どうかこの先も貴方をお守りする事をこのリュカにお望みください。貴方が望んでくれるなら、私は命続く限り貴方を守ります」

「……へっ? あ……」


 まるでプロポーズではないか。

 顔がどんどん熱くなる。


(なんっ、えっ、これは!?)


 あたふたしているとリュカが小さな声で「話を合わせてくれ」と悠来に囁く。

 それにハッとした。

 今、悠来の後ろにはなにやら偉そうなおじさんたちがずらりと並び、忌ま忌ましそうな顔をしてこちらを見ている。

 恐らくあのおじさんたちが自称『革新派』なのだろう。

 リュカを引きずり降りそうと、詰問していたのだと容易く想像が出来た。


「……ああ、頼りにしてる」


 実に素直に、心からその言葉が出た。

 それにリュカは微笑む。

 今までで一番、嬉しそうな笑顔に見えた。


(……ちっ、男前め……)


 本当に嬉しい時の笑顔だ。

 目を細める。

 悠来の心も高揚していく。

 この世界に来て、この男に出会えた事は僥倖だ。

 初めて会ったのがこの男でなければ、この世界の事を今も警戒し、疑ったままだっただろう。

 リュカのおかげでこの世界の見方がどれほど優しく穏やかになった事だろう?

 たった一人で真美を……娘を守っていくと一人で背負い込み、自分でいられない程に追い詰められていたかもしれない。

 リュカの存在は悠来にとっての、救いだ。


(ああ、本当に……今更ながらこんなにも……)


 リュカを、頼りに思っていたなんて。


「くっ! もうよいわ!」

「!」


 憎々しいとばかりに突然叫び、出て行く茶髪の男。

 それを振り返り、見送ってからリュカが立ち上がる。

 他のおじさんたちも、男に付いて部屋から出て行った。


「助かったよ」

「え? いや、こっちこ、そ……」


 背の高い彼に柔らかな笑顔で見下ろされて、恥ずかしさに目を下に逸らす。

 手は握られたまま。


「!」

「あ、ああ、すまない」

「あ、あ、ああっ、いや!」


 その視線に気が付いたのか、リュカも慌てて手を離す。

 リュカの温もりがまだ、強く残る左手。

 右手を重ねても、その感触がありありと思い出せた。

 心臓の脈動が手に伝わる。

 普段とは違い早鐘のように鳴り響いていた。

 顔も、暑い。


「? ? ?」


 なぜ、これ程の緊張しているのか。

 確かに男に手を握られる経験は少ない。

 舞台などでも、そうある事ではないだろう。

 しかし全くないわけでもなく、尚且つ、これ程顔に熱を感じる意味が分からない。


「…………、……こほん! 団長、いいだろうか?」

「! お、あ、ああ! ハーレン、わざわざすまなかったな」

「いや。ユウキも、協力ありがとう。おかげで団長はもう大丈夫だろう」

「え! あ! あ、あああぁ、そ、そうか!」

「…………」


 にこり、とハーレンに絶妙な笑顔を浮かべていた。

 真美も入口の横で微妙な表情。

 なぜか顔を合わせられない。

 リュカは頭を掻きながら、ハーレンと彼らに言われた言葉などを話している。

 頭を掻く。


(なんだ、これ)





 その夜。

 お風呂に入ったあと、真美がベッドへ入り込んできた。

 干したばかりのシーツの香り。

 あのあと、メイリアにもお礼とお詫びを言いに行き、また「明日手伝いに来てくれる?」と不安げに聞かれた。

 もちろん、と返事をした悠来は、また必要としてもらえる事が心から嬉しいと思う。

 ……また、こんな風に太陽の香りたっぷりのシーツで……皆が眠れるように、明日も、これまで通りに——。


「お父さん」

「ん?」

「……真美とずっと一緒にいてくれる?」

「当たり前だろう? ……まあ、今回はお父さん、何にも出来なかったけどな。弱くて。けど、明日からもっと剣の稽古とか頑張るぞ。絶対強くなって真美の事守れるぐらいになるからな」

「…………。うんっ」



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