第51話 天使の厄災⑤

 避難所には人が溢れかえっていた。

 当然だろう。外は魔獣が跋扈していて他に行く当てが無い人も多い。傷ついて呻く人の声や少しでも空気を紛らわせようとする励ましの声が入り混じり、さながら混沌を呈していた。


「アーラ!」


 そんな中、人混みと混乱をかき分けて届く、彼女を呼ぶ声に振り返る。

 そこにいたのは白髪に白髭を蓄えた老翁。アーラにとって第二の親のような存在。彼女の祖父だった。


「おじいちゃん!? どうしてここに……」


 普段、祖父は村で働いている。偶にセントラルへ出向く用事もあるから、偶々来ていただけなのだろう。

 というか、そもそもアーラがまだ生きていることを祖父には伝えていない。色々と当惑す彼女を、祖父は思いきり抱きしめた。


「すまんかった……。国の為に、孫を生贄に出すなど間違っておった……。ワシはアーラになんと償えばいいか……」


 泣いているのだろうか。鼻をすする音と嗚咽が聞こえてくる。理由があるとはいえ実の孫を生贄にしてしまった罪悪感。無事だった彼女の姿を見たその安堵。アーラに対してどのように償えばいいのかという迷い。

 様々な感情に圧し潰されながら、それでも謝罪の言葉を吐く祖父に、彼女はそっと抱き返す。


「いいんだよ、おじいちゃん。私も望んでやったことだし。それにクシナと出会えたから。寧ろ感謝してるぐらい」


 思えば生贄に選ばれたのも何かの運命なのかもしれない。あの場にいなければ櫛奈にも出会えていなかっただろう。


「そうか……」


 彼女の想いが伝わったのか、祖父はゆっくりとアーラから離れ、改めて顔を合わせる。


「そうじゃな、うむ。やはりいい顔になっておる」

「そうかな? それよりもごめんね、おじいちゃん。生きてたこと黙ってて」

「気にするでない。何か考えがあってのことじゃろう? ……あの方はやはり神にふさわしき方じゃったか?」

「うん。クシナは私にとっての――、ううん。この国にとっての光になる人だよ」

「ほう、光か」


 神がいないこの国では神に近しい人格を持った人間が必要となる。それがどんな人物かと言えば、ずばり支持されるような人間。尤も、この国でそれが体現されている人は騎士団長ぐらいだろう。

 しかしそれはこの国での一般的な意見であり、アーラにとっては櫛奈が神に相応しい人物なのだ。


「そういえば、クシナは……?」


 周囲を見回すも彼女らしい人影は見られない。探しに行こうと立ち上がるが、それを祖父に止められる。


「行ってはならん」

「……何か知ってるの?」


 祖父は気まずそうに目を伏せるが、アーラからの無言の圧に耐えかねたのか、言い辛そうに口を開いた。


「ワシも直接見たわけじゃないんじゃが……。騎士達の話によると、外で戦っておるらしいんじゃ」

「戦ってるって……! 早く、助けに行かなきゃ!」

「駄目じゃ! そんなボロボロの身体で行ってもどうにもならんじゃろう!」

「でも! 魔獣程度だったら……!」


 身体が例え動かなくても神術の発動ならばその負担は少ない。

 魔獣討伐の手伝いぐらいならばできると踏んだ発言だったが、祖父は首を横に振ってそれを遮る。


「違う、違うんじゃよ……。今彼の方と戦っておられるのは、騎士団長らしいんじゃよ……」


 思わず息を呑む。魔獣が街を襲撃してきている最中、その二人が戦う意味が分からない。聞き間違いでもなさそうで、祖父にその言葉の真意を尋ねる。


「なんで、あの二人が……」

「それはワシにも分からん……。じゃが騎士達がそんな噓を吐くわけもない。間違いはないじゃろう」

「そんな……」


 信じられないが疑ってもいられない。アーラの取る行動はただ一つだった。


「待てアーラ! どこへ行くんじゃ!」

「そんなの、外だよ……」

「聞いておったのか!? お前が行ったところで何もできんじゃろ!」

「――私は、少しでもクシナの力になりたい」


 引きずる足を止めて、彼女は祖父へと振り返った。図らずも、出入り口から避難所を見渡す形になっている。


「行ってもどうにもならないことぐらい、そんなの分かりきってるよ。今の私じゃ足手まといにしかならない。力になるどころか、クシナの邪魔になっちゃうって。それは私が一番知ってる」


 でも、と言葉を繋ぐ。


「この国の為、クシナの為に何かしていたい。ただ助けられるのを待つなんて、できない。何もしなかったらきっと、後悔しちゃうから」


 アーラの身体は傷だらけだ。身体を癒す神術使いはいるものの、他の人の手当を優先してもらった。

 包帯を巻かれている足を引きずって壁に手をつきながら、なんとか施設を出ようとする。

 笑えてくる。

 あれだけ大きな声で力になりたいと言っていたのに、この様だ。まともに外にすら出られないではないか。


「はぁ……、はぁ……」


 息一つ吐くと共に、力を込めて足を一歩前へ進める。

 何が、身体が動かない、だ。

 きっと櫛奈はこれ以上の痛みと闘っているはずだ。自分が先に音を上げるわけにはいかない。

 彼女の想いとは裏腹に、しかし身体が動かない。

 もう、限界だった。

 身体を支える力も無くなり、膝から崩れ落ちる――


「おっと、……あまり無茶をしてくれるな」

「おじい、ちゃん……」


 崩れる彼女を抱きとめたアーラの祖父はそのまま彼女の手を自身の肩に回す。

 すっかり弱々しくなってしまったその手は、けれども彼女を守ろうと力強く支える。


「ごめんね……」

「謝るでない。……ほら、外に行くぞ」


 覚束ない足取りながらも確実に一歩ずつ進んでいく。

 ようやく外に出て見えた景色は、目を覆いたくなるようなものだった。

 家は崩れ、各所から火の手が上がっている。まだ、魔獣と戦っている騎士もいる。

 さらに一歩、足を踏み出そうとしたが、支えてくれていた祖父がそれを引き留めた。


「これ以上は、ワシも止めさせてもらう」


 アーラが今いる場所は避難所。普段は教会として利用される場所で、こういった場所がこの街には幾つかある。

 非常時には魔獣除けの結界が張られ、それが今まさに彼女の目の前に立ちはだかっていた。

 教会の入口から数歩出た先。

 教会を包むように存在するその壁は薄いガラスのように、向こう側をはっきりと見渡せる。

 街の凄惨な状況も、今戦ってくれている騎士達も。

 上空で眩い光と相対している櫛奈の姿も。


「クシナ!」


 力の限り叫ぶ。当然、その声は遥か上空にいる櫛奈には届かない。

 こちらを振り向いて欲しかったわけでも、声を届けたわけでもなかった。ただ、彼女の名前を叫ばないと、胸が張り裂けてしまいそうだった。


「クシナ……」


 彼女の背中。

 綺麗で華奢な櫛奈の背には、異物が突き刺さっていた。発光している人型と同様の輝きを放つ槍状のそれは、彼女と敵対しているモノが生み出したのだと容易に想像できる。

 遠目からでも分かる。

 彼女の身体はもう動くことすら困難なはずだ。

 それだけボロボロになって。痛みや苦しみが絶え間なく襲い掛かる中。

 それでも。

 街を守るように佇む櫛奈の姿を。

 アーラはただ涙を流しながら、見つめることしかできない。


「……っ! 何なのですか貴女は――っ!!」


 声と共に光の存在が揺れ動くと、幾つもの輝く何かが発射される。

 そして一瞬の後、櫛奈の姿が消えたかと思えば、それらの輝きは消えてなくなっていた。

 アーラは知る由もなかったが、この時櫛奈は天使の攻撃を全て発射と同時に弾き飛ばしていた。

 そんなことは知らない。櫛奈が何がどうなってあそこにいるのか、どうして飛んでいるのか。今の一瞬に何が起きたのか、櫛奈が何をしたのか。今の彼女には、理解できなかった。

 けれども確かに分かることがある。

 櫛奈は自分達、そしてこの街、この国を守ってくれているのだ。

 自然と、アーラは手を合わせていた。

 祈り。

 彼女にできることはそれだけだった。


「お願い、クシナ。どうかこの国を救って……」


 それは信心深い彼女だからこそ、自然と行われた動作だった。


「……アーラ、最早これは祈りではどうにもならん。それに、ワシらには祈れる対象もおらんしな」


 悲観。あるいは諦めだろうか。祖父の声は落ち込んでいて、それでも優しくアーラを支えている。

 祖父の気持ちは、痛いほど分かる。こうならない為の神。民を不幸にしないための存在。しかしその神はこの国を見放した。

 いや、そんなことはきっと関係ない。神がいないとか、祈りの対象がどうとか。些末なこと。その考えは単なる自分勝手。傲慢以外の何物でもない。

 神がいないから祈らないのか。

 意味が無いからやらないのか。

 自分たちの住んでいる国の神は、きっと見捨てない。

 アーラはこの国を、神を信じたかった。


「……ねえ、おじいちゃん。祈れる対象なら、いるよ」

「……いや、もうワシらには――」


 苦々しい声。逃げるように、戸惑うように絞り出された祖父の言葉に、アーラは続ける。

 今度は振り返って、しっかりと祖父の顔を、目を見て。


「私たちには、いるじゃない。祈る方が――」


 それは、この国を作った神。

 今はいないけど、それまで民を守ってくれていた存在。


「……シェイド様か――」

「うん」

「じゃが神はもうおらん。それに、今更ワシらが祈ったところで……」

「……ううん。私たちには、必要だったの。神様に頼ることが」


 この国の人達は、神を蔑ろにしていたわけではない。

 この国のことが好きで、この国の神を信じている。だからこそ、迷惑を掛けたくないという思いが強く、民は次第に祈ることをしなくなっていった。

 この国に足りないのは、神ではない。

 民の、祈りだ。

 アーラは目を閉じ、手を合わせる。

 生まれてから何百、何千と行ってきた、祈りの所作。どれだけ身体が痛くても、自然とその姿勢を取った。

 その流れるような美しい所作に、隣にいた祖父も同様に祈りを捧げる。

 次第にそれらは伝播する。避難所であれだけ叫んだアーラと祖父の様子を見ていた街の人達も。それを避難所の中にまで伝えに行った人。そうして、その教会は一時、祈りの空間となった。


「……お願いします。クシナを助けてください。シェイド様――」


 直後だった。

 閃光が瞬き、眩い光線が放たれた。

 真っ直ぐに教会を。

 あるいはアーラの持っているその短剣を狙って。

 それは櫛奈が弾ききれなかった一本の槍。

 破壊と殺意が込められたその悪意が。

 結界ごとアーラを貫く――


「うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」


 光の槍が。

 弾かれる。

 横合いから現れたそれに、光の槍は勢いを俄かに削いで、真横の瓦礫へと吹き飛んだ。

 アーラはその姿に見覚えがあった。

 黒い地肌に禿頭。見上げるような大男の名を、呼び掛ける。


「……グライドさん」

「あ、ああ……。何とか、間に合ったみたいだな……」

「その手……」

「――直撃を受けたわけでも無い、んだがな……」


 グライドの手は指があらぬ方向に曲がっていて、腕や肩からも大量の出血が確認できる。アーラに向かっていた飛翔物を思いきり横から殴ったのだろう。見るのも痛々しい光景だった。


「……あの小娘が、勝てないと終わるかもな」

「――そう、だね」


 改めて、祈る。

 自分は、生かされてばかりだ。櫛奈には生贄になるところを生かされた。もちろん彼女はアーラを殺すつもりなど無かったのだが、元々死ぬ覚悟はできていた身としては櫛奈に助けられた、という感情は確かにあった。

 避難所の人達にも、それから祖父にも。そしてグライドにも。

 仕方ないと思うのは楽だ。それでもアーラ自身がそれを許せない。

 そんなことでは櫛奈の隣に立てない。並ぶ資格もない。

 もう、助けられてばかりの自分は、いやだ。

 彼女が懐から取り出したのは、一本の短剣。

 アーラはそれを櫛奈と敵対しているそれに向ける。


「……我が神。都合のいい話であることは承知しています。まだいらっしゃるのであれば、どうか応じてください」


 彼女は叫ぶ。

 どこへでもなく、ただ自分の信じる神へ。


「――我々の国を救って下さい。シェイド神よ。その力を、クシナを救う為にお使い下さい!」


 その声に応じるように、短剣が輝く。

 あしらわれた蕾の意匠が花開き、電気を帯び始める。


『――届いたよ、皆の祈り』


 声が、聞こえた気がした。

 帯びた電気が消える。

 刹那。

 空気を引き裂く轟音と共に、雷が昇る。

 それは短剣の向ける先――。

 眩く光る人型の元まで伸び――。

 その右翼と右腕を、破壊した。

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