第4話 葵の隠された灯火
喫茶店「灯りの向こう側」のドアベルが静かに鳴り、店内には優しいコーヒーの香りと、ジャズの穏やかな旋律が流れていた。日向は、いつもと同じカウンター席に腰を下ろし、ふと感じた疑問を胸に抱えながら、葵がコーヒーを淹れる姿を見つめていた。商店街に新たな活気をもたらし始めたフェスティバルの準備は順調に進んでいたが、日向の心の中には、葵に対する疑念がずっとくすぶっていた。
なぜ、葵はこの喫茶店を週に一度、金曜日の夜にしか開かないのだろうか? 彼女の店「灯りの向こう側」は、まるで葵自身の心の一部を象徴するように、その灯りをそっと商店街に届けている。だが、その背景には何か深い理由があるのではないかと、日向は感じていた。
葵がゆっくりとコーヒー豆を挽き始める。挽かれる豆のリズムに合わせて、日向の心の中で、長い間温めてきた質問が少しずつ形を取り始めた。彼女に聞くべきかどうか、迷いながらも、日向は思い切って口を開いた。
「葵さん、このお店、どうして金曜日の夜だけなんですか?」
その言葉に、葵の手が一瞬止まった。豆を挽く音も途切れ、店内に漂う静寂が二人を包み込んだ。日向は、その沈黙が何か大切なものを守るためのものだと直感した。葵はゆっくりと豆を挽く動作を再開しながら、ふと遠くを見つめるような目をして、静かに答え始めた。
「この店は、ある人との思い出を守るために開いているの。」
葵の言葉には、これまでの日向が感じたことのない重さがあった。それは、誰にも語られることのなかった葵の過去。彼女の持つ優しさと、心の奥底にしまわれた感情の両方が、その一言に凝縮されていた。
日向は息を呑み、葵の話に耳を傾けた。
「その人とは、いつか一緒に自分たちの店を開くって約束していたの。お互いにコーヒーが好きで、誰かの心を癒せる場所を作ろうって。でも、その夢は叶わなかったの。」
葵の声は穏やかだったが、そこに込められた感情の深さに、日向は胸が締め付けられるような思いを感じた。葵がこの店を開く理由、そして金曜日の夜だけという特別な時間に灯りをともす理由が、徐々に明らかになっていく。
「その人と過ごした時間は、金曜日の夜が多かったの。だから、このお店も金曜日だけ開けているの。あの頃の思い出を大切にしたいからね。」
日向は、その言葉に強い感銘を受けた。葵が守っているのは、単なる過去の思い出ではなく、彼女自身の人生の一部。その灯りは、葵が大切にしてきたものを今でも燃やし続けている証だった。
「でもね……最近は少し変わってきたの。」
葵は、少しだけ明るい表情を見せた。
「あなたや商店街の皆さんがいてくれるおかげで、新しい灯りを見つけられた気がするわ。この店も、私にとって新しい場所になりつつあるのかもしれない。」
日向は、その言葉に少し救われた気持ちになった。葵は過去を抱えながらも、今ここで新たな希望を見つけつつある。それは、彼が感じていた温かさそのものだった。
「葵さんの灯りは、これからもっと明るくなりますよ。僕が保証します。」
日向の言葉に、葵は優しく微笑んだ。その微笑みには、日向が今まで見たことのない柔らかさがあった。それは、彼女が新しい未来に向けて少しずつ歩み始めた証でもあった。
外の商店街には、夕暮れが静かに降り始めていた。日向はその光景を眺めながら、自分がこの商店街に吹かせた新しい風と、葵の過去を重ねて見た。この商店街に灯る新しい灯りは、葵が守り続けてきたものと繋がり、彼ら全員の未来を照らし始めているのだと感じた。
その夜、日向は店を出る際に振り返り、もう一度「灯りの向こう側」を見つめた。そこで灯り続ける光は、葵の過去と、これから彼らが作り上げていく未来を静かに照らし続けていた。
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