アフター【男声版】

僕:先日、祖母が亡くなった。

僕:祖母は大正生まれの、もうすぐ百才を迎えようかという高齢で、その年齢のせいもあり病院から出ることはできなかったけれど、でも最後は眠るように、安らかに息を引き取った。

僕:そして、それから四十九日も終わり、なんとか僕の気持ちも落ち着いて、祖母の死から少しだけ立ち直ったある日、僕は祖母の遺品の整理をすることになった。

僕:祖母の家は古い木造建築で、昔は祖父と二人、そして子供たちと暮らしていたらしい。けれど一番年下の子供である僕の親が独り立ちしてからは祖父と二人暮らしで、でもその祖父も僕が小さい頃に亡くなって、それから祖母は十年くらいこの家に一人で暮らしていた。

僕:祖母が入院してから今日まで、この家にはほとんど人の出入りがない。

僕:今にも抜けそうな床の上には薄らと埃が積もっていて、片付けをする前にまずは簡単に掃除をしなくてはいけなかった。

僕:僕は簡単な掃除をして、それから祖母の遺品の整理を始める。

僕:「・・・・・・あれ、これ・・・・・・」

僕:埃臭い押し入れの中を整理していたとき、僕は、一つの箱を見つけた。

僕:その箱にも僅かに埃は積もっているが、明らかに押し入れの中にあった他の荷物とは汚れ方が違っている。そう、まるで、祖母が入院する直前まで手入れをしていたかのように・・・・・・。

僕:僕は気になってその箱を手に取った。明らかに他の物よりも大切にされているその箱。その中身を見てしまうことには抵抗があったが、そもそも僕は祖母の遺品の整理に来ているのだ。ここで中身を確認しなくても、いずれはこの箱を開けることになる。

僕:「ばあちゃん、ごめん。開けるよ」

僕:言って、僕は箱を開けた。

僕:そこには、今にも崩れ落ちそうなほどに年季が入っている一冊のノートがあった。

僕:隠されるように、そして大事そうに仕舞われていた箱。そしてそこに入っていたノート。ただのノートではないことは一目瞭然だった。

僕:僕はそのノートのページをめくる。

僕:「・・・・・・これ、日記? ・・・・・・いや、違う、これ・・・・・・」

僕:ノートに書かれた最後の日付は、2019年9月13日になっている。およそ一年前だ。それから僕はパラパラとノートをめくっていき、そして気づく。

僕:「これ・・・・・・だいたい一年ごとに書き足されてる」

僕:僕が見つけたノートの日付は、どれも9月から10月のどこかの日付が書かれていた。日付は年ごとにバラバラで、そこにどんな意味があるのか僕にはわからない。

僕:でも祖母がそんな無意味なことをするとは思えず、僕は古びたノートを最初から読むことにした。

僕:年期の入ったノートは指で触れるだけで崩れそうで、ページを破かないようにしながら優しく触れる。そして、最初から最後までノートを読んだ僕の瞳からは、涙が一筋流れていた。

僕:このノートに書かれていたのは、祖母の隠してきた気持ちだった。

僕:祖母がこの家に嫁いできた次の年から去年までの間、誰にも告げてこなかった祖母の秘めていた気持ち。それがこのノートには綴られていた。

僕:僕はこのノートを読んで知った。祖父と結婚した理由も、本当はかつて、想っていた人がいたことも。その人のことを忘れることができないことも、そして、その人の名前と、その人のことを年に一度だけ、中秋の名月のときにだけ想っていたことも――。

僕:このノートの日付は、その年の中秋の名月だったのだ。この中秋の名月の日にだけ、祖母は秘めていた想いをこのノートに綴っていた。決して届かない。届いてはいけないと、理解しながら・・・・・・。

0:間

僕:それから僕は、祖母が想っていた人のことを探した。

僕:本当にそんなことをしてもいいのか、正直言うと迷った。親同士が決めた結婚だったとはいえ、祖母と祖父の仲が悪かったわけじゃない。いや、むしろ僕にはとても仲の良い夫婦に見えていた。

僕:祖母も祖父のことを嫌っていたわけではないのだ。ちゃんと祖父のことを愛していたのだろう。でなければ子供を作って、育て、夫の先立った家で生涯を終えたりはしなかったはずだ。

僕:でも祖母の心にはいつまでも消えない想いがあった。それはきっと、簡単に天秤では量れないもので、だから祖母は迷って、苦しんで、年に一度だけ自分の奥底に秘めていた想いをその男性に捧げることにしていたのだ。

僕:そして、このノートが大切に保管されていたということは、祖母の想いは終ぞ(ついぞ)消えることはなかったのだ。

僕:だったらせめて、祖母の全てとはいかなくとも、その男性に向いていた想いだけは、その人の下へ行かせてあげたいと、僕は思った。

僕:僕は祖母の故郷に向かい、祖母の生家や周りの家を片っ端から訪ねて情報を集めた。祖母が嫁いだのはとても昔のことだ。もしかしたらその男性のことは見つからないかもしれない。

僕:しかし偶然にも当時のことを知っていた方と出会い、そして、その男性がまだ存命であることを聞かされた。

僕:僕はその男性の下へ向かう。

僕:向かった先は病院で、着いたころにはすっかり夜になっていた。受付で事情を話すと、特別ということで面会を許された。

僕:どうやらその男性は近隣に身寄りはなく、独身で、ずっと一人で暮らしていたらしい。誰もお見舞いには来ず、そして、これから迎える最後の時を看取る人もいないのだという。

僕:だからせめて最後に、と僕に面会の許可が出されたのだ。

僕:僕は案内された病室に入る。そこには一人の老人が横になっている。担当の看護師が声をかけ、そして僕はその彼と面会した。

僕:すると今にも眠りにつきそうだった彼の目が見開かれ、その瞳が僕を見た。

僕:枯れ木のような腕をゆっくりと僕へ伸ばし、そして震える口でなにかを呟く。

僕:小さく、そして嗄れた声だ。でも彼は何度も何度も同じ言葉を呟く。

僕:そして、僕は気づく。これは――祖母の名前だ。

僕:確かに僕は昔から女顔で、雰囲気が祖母に似ていると言われていた。だから彼は、僕に祖母の面影を見ているのだ。

僕:彼は祖母の名前を呼び、僕の手を握り、それから、眠るように目を閉じた。

僕:2020年10月1日。中秋の名月。

僕:その日彼は、長年の想いを胸に、旅立っていった・・・・・・。

0:間

僕:その後、遠縁の親類の手によって彼の葬儀が行われた。

僕:その際、僕は事情を話し、祖母のノートを一緒に埋葬してもらうように頼んだ。

僕:あのノートは、祖母の気持ちの一部。

僕:祖母が他の誰でもない、彼だけに向けて抱いた気持ち。

僕:だからあのノートは、きっと彼と共にあったほうがいい。

僕:空に浮かぶ月を見上げる。

僕:二人はこの月の下で、再会することができただろうか――。

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