万有戦争
ていねさい。
mono
初戦
ネオンだけが生き生きと活性する永遠の夜。黒も塗りつぶされるような黒い空が窮屈そうに佇んでいる。この街に住む、ある男は職を探していた。
自分が解雇された理由も分からずに、街をブラックスーツで徘徊する。歩く度に音を立てるコンクリートが、自分を笑っているようだ。頭上を通り過ぎた自動車も嘲笑っている。もう何度目だろう。どこを当たっても、自分を雇ってくれる場所はない。
まだ体力も若さもある。大きなミスをしたわけでもない。何故、自分はこんなところでふらついてるのだろう。
ブラックスーツの男性とすれ違う。ブラックスーツの女性とすれ違う。そう、この徐々に画一化されていく街では、皆がブラックスーツなのだ。
ただ一部の職を除いて。
人通りの少ない路地に入る。家までの近道だった。
真上から猛烈な風が吹き荒れ、男はポケットにしまっていた手を外へ放り投げる。頭上に降りてくる近代的でいて、前衛的なデザインの飛行型戦闘機を見上げた。驚きに近い恐ろしさを感じる。その戦闘機はどうも、戦場で使われる乗り物に見えた。光るボディに目を奪われる。
風を巻き起こし、ほとんど無音で舞い降りた戦闘機をぼんやりと眺める。見たところ一人乗りのようだ。コックピットの入口が開く。
「クリプトン、ここにいたのか」
いきなり自分の名前を呼ばれ、ハッとして運転手を見る。
「俺の名前を知ってるのか」
「ああ、探したよ。職なし、運なし、一文なしのクリプトン」
クリプトンは、目の前に歩いてくる運転手を観察する。ブラックスーツを着ていない。
ギフテだ。
戦争に参加していないクリプトンでも分かる。なぜなら、この街でブラックスーツを着ないことを許されているのは、戦争に参加している者だけなのだから。ギフテとは、戦争に参加する者の種類の一つだ。ギフテと、シュンス。
クリプトンはもう一度、運転手の頭からつま先まで見てみた。
戦闘機用の赤い格好。今さっき沼から這い出てきましたと言わんばかりのブーツ。大きなゴーグルで、男の目は隠されている。
彼は白い歯を見せた。
「俺はハイドロ。好きに呼んで構わないけど、Hの発音はしっかりしてくれよ」
差し出された手を無視すれば殺されるかもしれない。クリプトンは握手に応じた。
「うん。単刀直入なんだけど、クリプトンも戦争に参加しないか」
「は?」
これだけは頷けるわけがなかった。クリプトンは戦争に参加しなくてもいいように、給料の低い仕事を掛け持ち、さらに身体の一部を金と引き換えたぐらいだ。それほどまでに戦争を回避してきた彼が、恐怖心だけで従うことは無理な話である。
「あんた、悪いけど」
「ハイドロ」
「ハイドロ、俺は戦争には参加しねえって決めてるんだよ」
体つきはいい方だが、何せ、戦場で戦えるほどの力も頭脳もない。両親もそうだった。クリプトンはこれからも、戦争とはほど遠い場所で他人事のように暮らし、少ない給料に文句を壁打ちしながら生きていくつもりだ。
「でも、仕事がないんだろ? どうやって生きていくつもりだよ」
「お前がそれを知ってる理由は知らねえけど、何とかなるさ。今までも、何とか生きてこられたんだから」
「クリプトンが仕事を失くしてから、どんだけ経った?」
「……三年くらい?」
「もう諦めろ。お前を雇ってくれるとこなんてねえよ」
三年とは鯖を読んだが、クリプトンにとっては最近まで仕事をしていた感覚なのだ。理由も知らされずに解雇されてから、不思議とどこからも訳なく断られる。
「お前も分かってんだろ」
クリプトンは答えられない。あまりにも的を得ている。
「参加すると、どれだけ稼げるんだよ」
話だけでも聞いてみようと、クリプトンは考え直した。
「レベルとステージによるが、まあ、お前のこれまでの全給料の倍以上だろ。一か月で、だ」
「そんなに上手い話しがあるか。危険なんだろ」
ハイドロは頷く。
「危険だけど、俺が指導してやるよ。俺はレベル318の、ステージ3程度のステータスだ。俺に習えば、効率的にレベルは上げられる」
戦争に参加したことのないクリプトンは、その数字がどれだけの相場なのか全く分からない。それを見越したようにハイドロは説明を付け加えた。
「クリプトンは戦争に参加したことないから知らないだろうけど、俺たちのしている戦争は決められた戦場で行われる。戦場内は三段階のステージに分かれていて、個人のレベルによって配属される」
クリプトンは分かるところだけ頷いて見せる。
「新人はレベル1からのスタートだけど、レベルの高い先輩から習っていれば、一度に得られる点数は1.5倍になるんだよ。だから、俺から教えてもらえるってことは幸運だぞ。この機会を逃すなんて愚か者を、俺は見たことがない」
何とか付いていくクリプトン。
「レベルってもんが個人にあって、点数でレベルが上がっていくのは分かったよ。でも、どうやってレベルを上げるんだ?」
「ホウ岩を見つけるか、戦場で敵を殺すかだ」
ゲームみたいだと思っていたクリプトンの思考は、現実に引き戻された。戦争であるのだから、人の命は奪わなければいけない。
「戦争に参加する奴らの種類は二種類あって、ギフテとシュンスだ。ギフテは俺みたいな、身体じゃなくて、機械操作で戦闘するタイプ。シュンスは身体で戦闘するタイプ。クリプトンは、シュンスかな」
クリプトンが食いついたと思ったハイドロは、次々に説明を追加していく。
「ギフテの方が、機械があるから有利だと思ってるか? 実はそうでもないんだ。シュンスも基礎能力を上げる装置を身に付けるから、結局はどっこいどっこい。ギフテも丸裸で戦場に放り出されれば瞬殺される可能性が……」
「おい、まだ行くって言ってねえよ」
クリプトンの遮りに、ハイドロは口を結ぶ。
「それに、何で俺なんだよ。俺じゃなくてもいいだろ。もっとできる奴がいんだから」
「誰だよ」
今度はクリプトンが黙る番になった。
「人間はいつもそうだ。『誰かがやってくれるから』、『誰かがその内』って……いつ! 誰がやんだよ!」
「く、国が……」
「デカすぎる主語に責任を擦り付けるのも大概にした方がいい。そんなもの、具体的な形がないんだから」
クリプトンは殴られたような気分だった。
「でも、俺じゃ何もできねえよ。何もしてこなかった俺が、一人にでも勝てる気がしねえ。国に貢献もできないだろ! バゲッジだ」
「だからあ!」
ハイドロはクリプトンの頬を横暴に引っ張った。
「お前には素質があるから、俺が来たんだろ! それにな、戦争に参加してる奴らは皆が皆、国とかいう巨大主語のために戦ってるわけじゃねえ! 自分の目的を持ってる奴らもいる! 戦場にいるのは、考えてる人たちだ! お前は自分のために考えたいとは思わないのか!?」
頬に張り付いていたハイドロの手を引き剥がし、クリプトンは反撃する。
「考える!? 今の生活をしてれば、そんな面倒臭いこと考える必要なんてねえだろ!」
「そんなことして、死ぬ間際に何を感じることができるっていうんだ」
「俺はただ、平和に暮らしたいんだ。考える必要がないなら、考えなくてよくね?」
ゴーグルに隠されて見えない目から、刺すような何かを感じる。
「お前は……はあ。そんな風になって……」
ため息交じりにブツブツと、ハイドロが呟く。
「とりあえず乗れ。宝の持ち腐れは時間の無駄だ」
「宝? 俺が?」
「そうだよ。お前は恵まれた体格に、磨けば切れ味鋭い頭脳を持ってる。育った環境が環境だったから知らないで生きてきたんだろ。本当にもったいない」
ハイドロが戦闘機へ戻っていく。
「あーあ。クリプトンは頑張れば未来を変えられる人間なのにな! 変えられた未来は、もっと平和なことだろう! 仕事をしなくても、身体の一部を売り飛ばさなくても、一生遊んで生きていける!」
クリプトンの耳がピクリと動いた。仕事をしなくても、身体の一部を売り飛ばさなくても、一生遊んで……?
「ハイドロ! 俺も乗せろ!」
「こっちはそのつもりで来てんだよ!」
初めて乗った戦闘機は、クリプトンの勇みとは真逆に、静かに浮上した。
クリプトンが連れていかれた場所は、黒一色摩天楼のようなビルの中だった。戦闘機をビルの口に滑り込ませ、降りる。ハイドロに促されるまま、クリプトンはエレベーターに乗り込んだ。
「これからどこ行くんだ? 契約とかすんの?」
「いや? 戦場に行くんだよ」
クリプトンは上昇するエレベーターの壁に飛び付く。
「は!? 死にに行くんですか!?」
ハイドロはケラケラと笑う。
「俺が付いてれば大丈夫だって」
「お前がどれだけ凄いレベルなのかが、俺には未知なんだって!」
「そのうち分かるよ。俺の言う通りにしてれば、死ぬことは絶対にない」
なはは、と笑っている内にエレベーターのドアは開かれた。
「クリプトンは、これから立派な戦闘員になる。そのダサいスーツは着崩していい」
先にエレベーターを降りたハイドロに続く道のりで、クリプトンはネクタイを緩めた。
二人の足音だけが響く暗い道を進むと、少し明るい廊下に出た。その両壁には、見たことのない人々が写ったポートレートが電子上に並んでいる。一人一人が凛々しい顔つきでこちらを睨む。
「写真に写ってる人たちは凄い先輩だったりすんの?」
前を進むハイドロの背に尋ねる。
「ここに写ってる者は皆、様々な敵国に所属するステージ3の戦闘員だ」
「敵ってこと?」
「そう。ステージ3の戦闘員は、のっぴきならないほど強い。その中でも最も強い五人が、この先で見られる」
クリプトンは生唾を飲んだ。
少し歩くと、ハイドロの足が止まった。
「この五人だよ。よく目に焼き付けておけ」
クリプトンは息を呑む思いで、並ぶ五人のポートレートを見つめた。
「うわあ、強そうだな、ムキムキオジじゃん。あれ、でも端の二人はそんなにデカくないな」
左端に写っている二人を指差す。そこには、痩せている男と、周りよりも一回り二回り以上小さな男が写っていた。前者は不健康そうなおじいさんで、後者は顔に幼さを残した青年だ。
「こいつらを見て、何か感じるか?」
「うん。強そう。特に、このゴリゴリの三人」
「そうか……この、若い男には何も?」
周りよりも二回り三回り小さい、あどけない顔をした青年。
「んー、強いっていう割には、可愛い顔してるなってぐらいしか……」
無表情の顔を崩せば、愛嬌のある顔になりそうだ、と思う。
「油断大敵だからな。細い方はギフテだ。若い方は小さいけど、小回りが利く。それで何人も殺されてきた」
クリプトンの喉が、またゴクリと鳴る。
「でも、クリプトンがこの五人と見えるのはだいぶ先だ。ステージ3に行くには、それなりのレベルがいる」
廊下の先へ靴先を向けたハイドロ。その足取りは軽い。
「ハイドロもステージ3相当なんだろ? アイツらと戦ったことある?」
急いでハイドロの後に付くクリプトン。
「ない。俺のレベルが高すぎて、誰も俺には手を出さない。どんなに無謀で、血に飢えている奴でもな」
「お前のレベルは何だっけ」
「318」
「それって高いのか」
「手前味噌になるが、俺の一つ下の奴は118だ」
「……は?」
クリプトンは318から118を引いてみる。200の差が算出された。
「お、お前、人間じゃねえ!」
それを聞いたハイドロは、フッと笑う。
「人間は、俺みたいに突破してる奴には手を出さないのに、勝てそうな相手には戦いを仕掛けるんだ。だから戦争は終わらない」
ゴーグルでハイドロの目は見えないが、声に皮肉を含んでいるように、クリプトンには聞こえた。
「着いた。ここから戦場に行くんだ」
そこは広いだけの、何もない部屋だった。
「え? 戦争って部屋の中でやるの?」
「違う。ここから戦場に転送されるんだ。これを着て」
差し出されたのは、動きやすそうな服と、不思議なベルト。
「戦場でブラックスーツを着てる奴なんていない。ある程度の自由が与えられているから、皆、動きやすいのを選ぶ。それは俺のだけど、ほとんど着てないから新品同然」
説明を聞き流しながら、クリプトンは服を着替える。自分より小さいハイドロの服など着られるのか心配だったが、着た途端に大きく形成され、身体に合うサイズに変化した。締め付けのない動きやすさに自由を感じる。
「次にこれ」
ボディーアーマーのようなそれを上半身に付ける。
「これがあれば、クリプトンの基礎能力で一番高い能力から順に底上げされる」
「へえ、何も変わった感じがしねえけど」
腕をグルグル回してみる。
「最後にベルトだ。これを巻いてボタンを押すと、戦場に飛ばされる」
「ひええ」
ボタンを押さないように用心しながらベルトを巻いた。
「よしよし。じゃあ準備が出来たら押すぞ」
「ちょ、待ってくれ!」
ハイドロの腕を掴む。先ほどからクリプトンは、ハイドロの急くような雰囲気に押されていた。
「そんなに急ぐ理由は何だよ。俺まだ、心の準備が出来てない」
クリプトンの言葉を正面で受け止めたハイドロは、一息つく。
「……そうだよな。急いでたかもしれない。すまん」
目を逸らした。
「聞きたいんだけどよ、戦場に足を着いたら急に戦いが始まるのか」
「飛ばされる場所による。クリプトンには俺が付いてるから、いきなり殺されることはない。安心しろ」
「いつ、戻ってこられるんだ」
「タイムリミットがある。十二時間。それを過ぎればオートマティックにここへ戻される。逆に言うと、十二時間を過ぎなければ戦場からは帰れない……何か食うか?」
クリプトンは首を横に振る。たった数分前に、ギリギリ食物と言える物を流し込んできてよかったと思った。
「いい。食う気分じゃない」
「そうか」
だだっ広い室内には、沈黙が浸透してゆく。
「……行こう」
数秒後、クリプトンは決断した。ここで不安がっていても時間だけが進んでしまう。あと一秒動かなければ、永遠に根を張ってしまいそうな気がした。
「いいんだな。押すぞ。せーの」
一瞬後、その部屋には沈黙すらなくなった。
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