つれづれ織り往く
もう日も落ちかかった夕暮れの中を足早に歩いていく。
ギルドに解体の依頼をした後、必要な道具を買いに各店を回っていたら遅い時間になってしまった。
…この町の風景も見慣れてきたと思う。
石造りの街並み。通り過ぎる広場には噴水と花壇。英雄の石像と石畳。
急ぎ足の自分の足音が小さく響く。
生まれた村では靴音が響く場所なんてなかった。全ての道は土がむき出しで。暑い時期には裸足で歩く人だっていた。あぜ道には草が生えて、虫や小動物がいた。
町はずれにある自分の家の扉を開けて中に入る。
暗い部屋の中、リビングまで行きテーブルの上に腕の中の荷物を置く。
リビングの暖炉に火を入れてテーブルの上のろうそくに火をともす。
椅子を引いて座り、天井を見上げた。
母と姉は王都に居る。
前はこの家にいたが、後宮で働き口を見つけてそこに住んでいる。住み込みの下女というやつだ。寂しいがこの家に来た時よりは元気になって働いているのだから良しとしよう。王都に行った時に会っているが顔色もいいし、不自由もしてなさそうだった。
風呂にでも入るか。ポイポイと服を脱いで風呂場に入る。
入り口には大きな鏡があってそこで自分の姿を見た。左胸の心臓がある部分には大きな紋章が刺青のように肌に刻まれている。いつ見ても気味が悪いが仕方が無い。
“ル”の使徒である限り、これは消えないだろう。
湯船に浸かると少しだけ気が抜ける。
毎日の事ではないが命のやり取りをする仕事だから、気は常に張っているのだろう。意識しているか無意識なのか関係なく。
この家の中では多少気を抜いても大丈夫だから。
幾重にも掛けた魔法が、俺をも守ってくれる。元々は母と姉の為に掛けた魔法だが、二人がいなくなってもそのままにしてあるので、こうやって俺も守られているという訳だ。
二人がいつ帰ってきても良いように、とは未練がましいのかな。
ああ、そうだよな。
帰る家とは。故郷とは。
「くそ、まだ引き摺っているか」
俺は湯で顔を洗う。今日の問題ごとが脳裏から消えるように。
ギルドからの帰りに寄っていた店先で、俺のバッグをグイッと引っ張る子供がいた。
「なんの用だ?」
「これはあたしのバッグだ」
「…は?」
思わず素で返してしまった。いや、意味が分からないから。
「これは俺のバッグだが?」
「あたしのだ。返せ」
物取りにしても強引すぎる。
店先で騒ぎを起こすわけにもいかず、俺はその場を離れた。案の定その子供はバッグを離さずに俺に引きずられるようについて来る。歩調を合わせてやる気はなかったが、頑張ってついて来ていた。
一番近い広場でもかなり歩いたと思う。ついて来た子供は息が乱れている。
端のベンチに座り子供も座らせる。俺のバッグを離さないが、無理矢理バッグの口を開けて水筒を取り出し、子供に差し出す。
子供は俺の顔と水筒を交互に見ていたが、両手で水筒を抱えると勢いよく中の果実水を飲みだした。疑わないのは擦れていない証左だろうか。
「これ、おいしい」
プハッと水筒から口を離した子供が俺に言ってくる。
「そうか。パンも食べるか?」
俺が聞くと今度は間髪入れずに大きく頷く。もう一度バッグを開いて肉と野菜を挟んだパンを取り出す。
「どうぞ」
俺が言ってすぐにバクリと噛みつくようにパンを口に入れた。こんなにボロボロの服を着て足には靴の代わりの布を巻いているのだから、ろくに食べてもいないだろう。
「おいしい!これ、おいしい!」
「それは良かったな」
隣で子供を見ているが、俺の目線など気にせず、バッグを手放している事にも気付いてはいない。このまま転移魔法で家まで帰っても良いのだが、その後この子供が大泣きするのが想像できるので、子供が食べ終わるのを待つことにした。
パンも食べ終わり果実水もしっかり飲み干した子供は、気が付いたのか俺のバッグを再び握った。少しは遠慮しているのか先程のように両手で抱え込むわけでは無く、そっと片手で掴んでいるだけだが。
「これは、あたしの」
「…俺のだよ。王都の正規店で買った物だ。俺の物だよ」
「それでも……あたしのもの」
まったく話が進まない。
困って顔を空に向ける。青空は澄み渡って良い天気だ。もうそろそろ家に帰る人がいる時間帯で、この広場にはあまり人がいない。だから少女の容姿も気にしないでいられる。もしも物知りの冒険者がいたら騒がれただろう。
「あたしの村のトクサンヒンだったの。織りもの」
俺が再び子供に顔を向けると、子供は眉を下げて俺以上に困った顔をしていた。
「織りものはゆうめいになって、たくさん、売れたの。村のみんなもよろこんでトクサンヒンにしたいって。お父さんもお母さんもたくさん、作ったの。そうしたらほかの村の人たちがおこったの。おまえたちだけずるいって」
そこまで言って俺の顔をちらりと見る。
話している意味は分かっていると頷くと、子供はまた話し出した。
「織りもののキカイがこわされて。村の人がいっぱい血をながして。うごかなくなったの。お父さんもお母さんも、血がいっぱいながれていたの。それから村がもえたの。だれかが火をつけたの。あたしに逃げろって、いうから、にげたの。お父さんもお母さんもにげろっていうから、あたしはにげたの」
俺のバッグを握っている手がぶるぶると震えている。
そっと手を添えると、子供はまた俺の顔を見た。俺が肯くとまた話し出す。
「ちかくの森の中で、じっとして、よるになって村にかえったの。まっくろな村になっていた。だれもうごかない。織りものもぜんぶ、まっくろいかたまりに、なっていたの」
「…そうか」
「あたしはひとりになって、ずっと村にいられなくて。たくさん歩いてここにきたけど。しっているひとはいなくて。おなかがすいて歩いていたら、あなたがあたしの村の織りものをもっていた。このバッグは、あたしの村の織りもの。だから、あたしのもの」
「…いや」
俺はこの話を知っている。
「このバッグは」
俺はこの話を、同じ冒険者から聞いて知っている。
「あたしの」
俺はこの話を、冒険者の武勇伝として聞いて知っている。
「お父さんとお母さんの織りもの、だから」
だから言わないで欲しかった。
「これは、あたしのもの。かえして、ヒトゾク」
俺はその言葉にどういえばいいのか悩む。自分の親が作ったものだから返せというのは普通に考えれば理不尽だ。売買は成立しているし使ってもう長い。
無碍に扱っている訳でもないし、壊れて捨てるという訳でもない。
けれど。
俺が持っているこれが、最後の一つだとしたら。
「…分かった。バッグは返してやる」
俺が言うと子供はきょとんとした顔をする。
「え、ほんと?」
「ああ」
パッと笑った。あまりにも素直で晴れやかな笑顔。俺はこの先の話を続けるのが心苦しい。けれど、冒険者ならば言わなければならない。
「だけど、君を見過ごすわけにはいかない」
俺を見ている眼が大きく瞬き。そして子供はまた笑った。
「うん。わかってる。だって、村に火をつけたのは、ヒトゾクだもの。あたしたちは、おなじには生きちゃいけないって、お父さんとお母さんがいってた」
人によく似た魔族。
村や町を作り、時には人とも交流をする。
だが同じ町には決して住んではいけない。それは人の死を意味するから。
吸血鬼。人の生き血を糧にするもの。子供の口元からは大きな犬歯が覗いている。
もしも、人の町で見かけたら国の警備隊に連絡をして渡さなければならない。同じように食事は出来ても彼らの本質は変えられない。彼らの本当の主食は人間の血なのだから。
「じゃあ、俺の手を握れ」
素直に、添えていた俺の手をぎゅっと握る。
死を覚悟した顔で。こんな子供が。
「〈指向転移〉」
ベンチに座ったまま単詠唱すると風が辺りを取り巻き、指定した場所に俺達を運んだ。
「うわあ?ここどこ!?」
子供が大きな声をあげる。
俺の手を握ったまま、あたりの風景が変わった事に驚き、声をあげた後も周りをきょろきょろと見回している。
「さっきと、ちがうばしょ。いまのは、まほう?」
「そうだ。これからお前を連れて行く。大人しく着いて来い」
「うん」
覚悟の表情から不思議の表情へと変わった。それでも大人しく俺の手を握ったまま隣を歩いている。何も疑わない、いや覚悟が出来ているのだろうか。
不本意だが仕方ない。
さっきまでいたショロンは王都に近いから発展している町だが、飛んできたこの場所は国境近くの小さな村だ。森の中にあり存在はあまり知られていない。
転移先の村の大通りの端にある、やや大きめの教会に似た建物に入る。小さなカウンターが受付になっていて、そこに座っていた男が顔を上げて俺を見る。それから嬉しそうな声を出した。
「エルムさんじゃないですか?今日はどんなご用事、で」
目線が下がる。俺と手を繋いでいる子供を見て微笑んだ。
「お前さん、良い人に捕まって良かったなあ?」
「スワニ。無駄口は良いから、この子供を頼む」
「はいはい。うちはいつでも受け入れ万全やから、大丈夫ですよ?」
俺の手を掴んでいる子供が、自分を指さして言った。
「あたし、イリウス」
「ん?」
「イリウス」
「その子の名前ですやろ。エルムさんここまで聞いてなかったんです?」
「…ああ」
掴んだ手をぎゅっと握られる。手は痛くはないが、なんだろう。
胸が少し痛い。
俺はイリウスの手を離して、その前に屈み込んだ。イリウスがそっと掴んでいるバッグに指を這わせて魔法を解く。これでマジックバッグではなくなった。普通の丈夫なバッグだ。中身は別のマジックバッグに移したがパンパンだろうな。
「さあ、これでこのかばんはお前の物だ」
「本当に貰っていいの?」
「ああ。約束は違わない。お前の物だよ、イリウス」
イリウスが満面の笑みでカバンを抱きしめた。きっと使うとかでは無くて持っておきたかったのだろう。肩に掛けるでもなくその表面を撫でている。何度もゆっくりと。
そのイリウスに話しかける。
「ここは吸血鬼の村だ。人と契約を交わしているから人に襲われることはない」
「あたしは殺さなくていいの?」
首を傾げたイリウスに、どういう顔をすればいいのか分からない。
「ここで生きればいい。外に出なければ普通に生きられる」
「エルム」
「なんだ?」
イリウスが俺の名を呼ぶから返事をしたが、にこにこと笑われただけで何も言わない。
「エルム」
「…なんだ」
「ありがとう。うれしい」
俺が一瞬驚いた事に気付いたスワニが盛大に吹き出し、睨みつけるにもイリウスはからかってなどいないから、視線の持って行き先がない。
「生きてていいの、うれしい」
「孤児院やからちょっと不自由だろうけど堪忍してな。ご飯はたくさん食べられるから安心して?」
スワニの言葉に肯くイリウスを見て、ほっとした。
俺はショロンの町に吸血鬼がいた事を、ギルドを通して国に報告しなければならないのだが、それが冒険者の義務なのだが。
どうせ今回も報告はしない。そんな事、自分で分かっている。
他の子供たちが奥から覗いている。俺の姿を見て頭を下げるのが何人かいた。
俺は片手を上げてそれに答える。じきにイリウスも大きくなれば、あんな感じに人と距離を取り、生きていけるようになるだろう。
「エルムさん、ほんまお人好しやねえ」
「は?」
「あの子のバッグ、エルムさんのやろ?前持ってるの見たもの」
「…」
「あれ、お高かったんじゃないの?金貨百枚とか」
さすがスワニ。何でも金の話に変えてくる。
「そんなに安くない」
「え、うそやろ?」
「王都の正規店で買ったから、割引は無し」
「ひゃー、金持ってる人は違うなあ。うちはそんなん買わんわ」
イリウスは、もう子供たちに囲まれて何かを話している。同族だけだからか泣き笑いの様な顔をしていた。
「頼んだぞ」
「はい、お任せください。しっかりと守ってみせます」
スワニの言い様に俺は苦笑が出る。まるでどこかの騎士のようだ。
まあ、ここを守るにはそれぐらいの覚悟が必要なのかもしれない。
「〈指向転移〉」
魔法が風景をすべて消し去る一瞬、振り向いて驚いた顔をしているイリウスが見えた。
お湯で目いっぱい顔を擦った後、もう一回湯船の縁に頭を持たせかけて手足を伸ばす。湯の中で身体が不安定に浮くのを感じながら、俺は腹の底から溜め息を吐き出した。
「あれ、けっこう高かったんだよなあ…」
どこで代わりのバッグを買おうか、そんな下らない事を思いながら胸の内をめぐる郷愁に蓋をした。
故郷は新たに作りだせる。時間をかけてゆっくりと、思いを紡げば。
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