人は向上して神となり、堕落して獣となる。
ハマー
獣の心 前編
人間が世界の頂点に君臨していた時代。
オレは人間未満の獣であり、兵器だった。
全てを色で識別する兵器だった。
部隊最強の殺戮兵器として機能するモノでしかなかった。
上官から命じられるままに敵を殺した。
これは任務だ。
邪魔をするやつは殺すのが正しい。
オレは敵を殺すことを躊躇わない。
敵だから殺す、邪魔だから殺す。
それはシンプルでわかりやすい。
相手もこちらを殺そうとするのだから、先に殺したほうが勝ち。
強い方だけが生き残る、単純なシステム。
敵の中には仲間を売ってまで生き残ろうとするやつ、嘘を並べてオレを騙そうとするやつ、オレの仲間を人質にとるやつと、色んなやつがいた。
そいつらは臭い。
そいつらは醜い。
だから容赦なく殺した。
強ければそのような臭さも醜さもいらない。
純粋な強さこそが生きることの証明なのだ。
シンプルなのは好きだ。
わかりやすいのが好きだ。
考えるのはカロリーを使いすぎる。
考えるのは最低限がいい。
シンプルな考えはオレにも納得できて理解できて実行できる。
楽だ。
考えることが少ないのは楽でいい。
衝動に身を任せて生きるほうが、ずっと楽なのだ。
俺と同じようなやつらはたくさんいた。
それを仲間と呼べるのかは知らないが、偶に会話をしたりもする。
オレはそいつらに興味がない。
たまに本能で動いてしまうことがあるくらいだ。
だからそいつらのことはあまり覚えていない。
いや、忘れるようにしている。
覚えているのも面倒だから。
そいつらは減って増えてを繰り返して、最初からいたやつなんてオレとあとは数えるほどしかいない。
入れ替わりが激しいから、覚えていても仕方がない。
仲間に欠員が出た次の日には、そいつの色の食事が出た。
オレはそれを食らって生きてきた。
色は美味くて、自分が強くなっていく気がした。
殺して食って、強くなる。
オレは獲得した色で敵を殺す。
オレの血肉となった色が敵を殺す。
単純な生き方だった。
オレは単純な毎日をオレなりに楽しく生きていた。
ある日、そんなオレに一人の女が声をかける。
よく通る声だ。
オレは当然無視した。
ふと、その声に引っ掛かりを覚えた。
思えば幾度となく声をかけられていた気がする。
その度に無視していたことも思い出した。
声の主――そいつのことを思い出そうとする。
そいつは同じ部隊の同僚、部隊創設時初期メンバーの一人だった。
確か甘くていい匂いがする女――赤い色の女だ。
オレは声と匂いから女の色を思い出す。
そいつは強かった。
オレと同じくらいに強かった。
だからオレと同じくらい殺せるはずだった。
なのに女は敵を殺そうとしなかった。
部隊内の成績はいつも最下位の女。
オレには理解できなかった。
自分の敵を、自分を殺そうとしているやつを殺さない理由がどこにあるのだろう。
オレには疑問だった。
相手の言葉を無視しておきながら、オレは自分の中に芽生えた疑問を鬱陶しく感じるようになっていた。
自分の本能のまま、楽しいことを考えて生きていたいのに。
この疑問は、モヤモヤは不快だ。
何より自力では解消できない。
だからオレは訊いてしまった。
なぜ殺さないのか、と。
答えは単純だった。
殺す価値がない、そう女は答えた。
その回答にオレは、価値とはなんだろうかと考える。
シンプルに、簡潔なことしか考えない頭で、オレは殺す価値について考える。
いつ間にかオレの頭は、湯気を立ち昇らせるほどに沸騰しそうになっていた。
難しいことを考えすぎるのはよくない。
オレはシンプルなほうが好きだ。
手っ取り早く解答が欲しい。
だから女に訊いてみた。
お前は戦いの中でこんなにも難しいことを考えているのか、と。
女は冷めた表情で答えた。
命令で戦っているだけの思考しない獣に殺す価値はない。
そう、答えた。
女の言葉がオレという存在の芯に突き刺さる。
命令で戦うだけの獣――それはまさしくオレのことだと思ったからだ。
ではオレには殺す価値がないのか、そう訊いたオレに女は答えた。
ない。
女は一言で済ませた。
それは侮辱に思えた。
オレは戦士として生まれた。
だから戦うために存在している。
それを殺す価値がないと言われたら、自分の全てが否定された気分になる。
オレはむかついて女に突っかかった。
そんなオレを女は軽々と投げてみせた。
急に天地がひっくり返ったオレは混乱する。
やはり女は強い。
これはジュードーとかいうやつだ。
女はオレに手を差し伸べる。
その行為がなんだか恥ずかしく、オレは自力で立ち上がった。
オレは暴力を振るわないことを約束してから再び女に問う。
どうすれば殺す価値がある存在になれるのか、と。
唾のかかる距離まで近づいて、相手の顔をまじまじと見て言った。
女は瞬きもせず、オレの瞳を真っ直ぐ見据えて口を開く。
自分の意思で、意識して殺せばわかる。
女は端正な顔で言った。
周りのことに興味がないオレは、女が端正な顔をしていることに初めて気づいた。
ずっと周りにあったものでも、意識しなければ気づかないものだ。
とにかくオレはわけがわからないまま、次の戦場に向かう。
敵を自分の意思で殺してみる。
目の前にいる敵を殺そうと思って殺してみた。
敵の武器を壊して。
敵の四肢を壊して。
敵がカラーを使えない状態まで追い込む。
そいつは最後まで懇願していた。
見逃してくれ、家族がいる、自分がいないと子供が――そこで言葉は途切れる。
オレが息の根を止めたからだ。
身なりがいい。豪華な軍服姿なことからこいつが指揮官だろう。
そいつはもう、動かない。
動くことはない。
そいつは――死んだ。
目の前にあるのは生命活動を停止させた骸。
こいつはもう、何も感じないただの肉塊だ。
こいつはもう、何も感じられないただの肉塊だ。
命をただの肉塊に変えたのはオレだ。
こいつはもう何も感じない。
こいつはもう家族とやらに会うこともない。
オレは無知ではあったが、子に親が必要なことくらいはわかる。
この親子が再会することはもう――ないのだ。
それを自覚した瞬間に、オレは吐いた。
自分の胸の中に溢れた言葉にできない痛みと生命を停止させる行為への嫌悪感、それを今まで何も考えずに行ってきたことへの罪悪感、それらが俺にもたらしたのは――涙だった。
オレは生まれてから初めて涙を流した。
兵器として生まれた自分にそんな機能があったのかと驚いた。
涙は制御できない。勝手に流れ続ける。
死に体といった様相で帰還したオレを女は笑った。
怪物が泣いてるぞ、と。
それは悲しみという感情だ、と。
オレは自身の胸の内で吹き荒れる感情を整理できていないせいで、そこに何の反応も示せない。
そんなオレを女は抱きしめた。
女はオレなんかの涙で汚れることも厭わずに、オレを自身の膨らみに埋める。
悲しみが女の柔らかさに包まれて溶けていくのがわかった。
その膨らみには柔らかさとぬくもりがあった。
オレが落ち着いたことを見計らって女は言った。
お前は怪物から人間になったんだ、と。
命を殺して感情が溢れるのは、お前が人間である証拠だ、と。
でもオレはわからない。
この感情というものにどう向き合えばいいのかわからない。
オレはこれからどうすればいい、どう生きればいいのだと、気づけばそう女に訊いていた。
本来ならば自分で考えるべきことを、オレを抱きしめる女に委ねてしまっていた。
なぜかはわからなかった。
その溢れる母性がそうさせたのか、親を知らないオレには判断できない。
でもきっと、この女ならば答えをくれると、そんな気がしたからだ。
しかし女は自分で考えろと言ってオレを突き放した。
オレは優しくしてくれるはずの存在に突き放されたことで途方に暮れていた。
自分の中で感情を処理しきれない。
感情とはシンプルなものではない。
オレは今までシンプルに生きてきた。
しかし感情を持つ人間はシンプルではいられない。
感情を持ってしまったら、捨てることはできない。
苦しい。
感情と向き合うのが苦しい。
オレは思考がぐちゃぐちゃのまま、命じられた戦いに身を投じていく。
それからのオレは敵が殺せなくなった。
オレを殺そうとする敵でさえ殺せなくなっていた。
いまのオレはシンプルに考えることが出来なくなっている。
だから最近は、ドローンなどの無人兵器を壊す役目に徹していた。
今の戦争の部隊編成では無人兵器の割合が高いため完全なお荷物になることはないが、そもそもオレたちが造られたのは、相手の生物兵器を殺すため、もしくはその指揮をしている人間を殺すためだった。
オレと同じような生物兵器を相手にすることも、指揮をしているだけの人間すら殺せない。
いま生きている敵を殺そうとすれば、かつて自分の意思で殺した敵の顔が浮かび上がってきて、怨嗟の表情でオレを呪ってくる。
まるでそいつの色が俺の魂に染みついたかのように、殺したときの感触、絶命時の金切り声、瞳から光が消えるまでの命が失われていく様子が蘇ってくる。
それが脳裏に浮かぶたび、オレの心は悲鳴を上げて勝手に叫び出す。
明らかに敵と戦える状況ではなかった。
その状態に陥ったオレはクソの役にも立たない存在へと成り下がる。
オレは生命を停止させる行為――殺すという行動ができない欠陥品になっていた。
オレの評価は部隊最強の怪物から、部隊最低のお荷物に変わっていった。
悩み苦しむ日々が続いた。
そんな時、女が声をかけてきた。
今まで放置しておいて何を言うかと思えば、女は一緒に部隊を抜けようと提案する。
一緒に逃げて、戦いから身を置き、平和に暮らそうと女は言った。
オレは困惑した。
オレは戦う以外のことを何も知らない。
そんなやつが、戦いを捨てて生きることなどできるのだろうか。
確かに殺したくて殺していたわけではない。
任務だから殺していた。
だから軍隊から離れられれば殺さない生活を送ることはできる。
それにいまのオレは殺すことができなくなった。
役立たずは部隊を去るべきだろう。
それでもオレは迷っていた。
オレは戦いのこと以外は何も知らない。
それは必要がなかったから。
考えなくてもよかったから。
戦わないオレは、この戦争まみれの世界で何をすればいい。
オレという存在から戦いをとったら何が残るのか、全くわからない。
そこで女はオレに言った。
私がハッピーエンドにしてみせる。
ずっと一緒にいよう。
二人でどこまでも、世界の果てまで。
何の根拠もない、屈託のない笑みでそう言った。
その表情は幸せを確信していて、嘘の臭いが欠片も感じられない。
オレを騙そうとするやつ特有の下劣さが感じられない。
何の根拠もない言葉なのに、信じてみたいと思う自分がいる。
これは誰に命じられたわけでもないオレの意思で選択だった。
結局、オレは女に連れられて敵国へと渡ることを決めた。
女の勢いに根負けしたという言い訳を自分にするオレは、その実、女の言うハッピーエンドが見たくなっていたのかもしれない。
しかし、話は言うほど簡単ではなかった。
この科学が発展した世界の中に平和が約束された理想郷などあるはずもない。
よって自然と逃げる場所は自国が干渉できない敵国となる。
オレと女は敵国との境まで辿り着く。
敵国まで逃げることができれば、追手も自由には行動できない。
このように敵国に逃げることを亡命というらしい。
オレたちのような造られた兵器、実験動物はその体自体が機密情報の塊らしく、当然ながら今まで味方だったやつらに追われた。
その中にはオレたちと同じ部隊の仲間もいたが、その仲間たちは平気で俺たちのことを殺そうとしてきた。
それはそうだ。
殺せと命令されたから殺す、当たり前のことだ。
シンプルな命令で動く怪物たちの殺戮集団、それがオレたちなのだ。
それでもオレたちは部隊内で最強の二人だった。
直近の成績は最低でも、その能力は最強といっていい。
――オレたちは追手を振り切って逃げることに成功した。
そしてそのような状況にあっても女が仲間を殺す選択をしなかったことで、オレは女への信頼を厚くするのだった。
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