第2話 小さなヒビ

 それからも、私は以前と変わらずドノヴァンに尽くし続けた。


 毎日彼の為にお弁当を作り、毎日彼の送り迎えをし、ちょっとした手助けをする。


 彼が生徒会の用事で一緒に帰れない時は、一人で取り残されることも変わらないまま。


 ただ、最近周りの様子が徐々に変わってきているような気はしていた。主にドノヴァンの周辺にいる人達が、私を見てヒソヒソと言葉を交わすようになったのだ。


 私が何かおかしな事をした?


 疑問に思っても、ドノヴァンの私に対する態度は何も変わらないから、彼に聞く事はできなかった。


 でも、日を追う毎に私を見つめる目が増えてきているような気がして、気付けば私はドノヴァンと一緒にいる時以外は、人目を避けて行動するようになっていた。


 そんなある日──。


「ちょっと、あなた」


 私は、ドノヴァンと同じ生徒会に所属する女生徒に声を掛けられたのだ。


「は、はい。私でしょうか?」


 まさかと思いながら周囲を見回し、近辺に自分以外の人がいないのを確認してから返事をする。


「そうよ、あなたよ。ドノヴァンの幼馴染という事しか知らないから、名前どころか家名すら分からなくて、呼びようがなかったあなた」

「そ、そうなんですね。ええと、私は──」


 名前を聞かれているのかと思い、名乗ろうと口を開くと。


「結構よ」


 一言で遮られてしまった。


「今日はあなたに言いたいことがあって声を掛けただけだから。それが済めばもう用はないの。だからあなたの名前を教えてもらう必要はないわ」

「そうですか……」


 こういった強気な人は苦手だ。昔のいじめっ子のことを思い出す。


 ドノヴァンは、いつもこういう人達と仕事をしてるんだな。やっぱり私とは違う……。


 なんだかドノヴァンを遠く感じてしまい、少々落ち込む。


 そんな余計な事を考えていたからだろうか。どうやら私は、彼女の言葉を聞き逃してしまったらしい。


「あなた、聞いてるのっ!?」


 ヒステリックな声を張り上げられて、ビクリと身を竦ませた。


「す、すみませ……」

「い~い? 耳が遠いあなたのためにもう一度言うわよ? 明日からドノヴァンのお弁当をあなたが作る必要はありません。今後はこのわたくしが彼の為にお弁当を作る事りますから。よろしくて?」

「え……」


 思わず、自分の耳を疑った。


 ドノヴァンのお弁当が……明日からいらない? 私以外の人が、彼のお弁当を作る?


「試しに今日わたくしが作ってきたお弁当を彼に食べてもらったら、あなたが作ったものより数倍美味しいって言われたの。だから毎日食べたいんですって。そんな事言われたら、作らないわけにはいかないでしょう?」


 目の前が真っ暗になる。


 ドノヴァンが、私の作るお弁当より、他の人が作ったものを選ぶなんて。


「う、嘘……」

「嘘だと思うなら本人に聞いてご覧なさいな。明日からあなたのお弁当は必要ないって言う筈よ」

「…………」


 あまりのショックに泣きそうになって、私はお辞儀をすると踵を返した。


 彼女に泣くところを見られたくなかったから。


 私のお弁当より彼女のお弁当がドノヴァンに選ばれて、悔しいと思う気持ちを悟られたくなかった。


 彼のお弁当は、ずっとずっと私が作ってきたのに。


 毎日毎日心を込めてオカズを作って、少しでも私の気持ちが伝わりますように、って想いを込めて詰めていたのに。


 校舎から走り出て、既に停まっていた我が家の馬車へと乗り込む。


 今日は生徒会のある日だから、ドノヴァンの帰りは遅い時間になるだろう。だったら少しぐらい泣いてもバレない筈。


 ただ、声をあげると御者さんに心配をかけてしまうと思い、私は懸命に声を押し殺しながら、馬車内で一人泣いた。


 嫌だ、嫌だ。


 ドノヴァン、他の人のお弁当なんて食べないで。私から離れて行かないで。


 嫌だよ、ドノヴァン。他の人のお弁当なんて食べないで。


 ──どのくらい泣いていたんだろう?


 ふと顔を上げれば、外はもう薄暗くなっていて。


 そろそろドノヴァンが生徒会の仕事を終え帰って来る時間だと、背筋を伸ばし、私は出来るだけいつも通りに見えるように取り繕った。けれど。


 外側から馬車の扉をノックされ、開けてみれば帰る前に私を呼び止めた女生徒が、にこやかに微笑んで立っていた。


「あらあら酷い顔。今日もドノヴァンは生徒会でお茶をして帰るから、あなたはもう帰っていいわよ」

「どうして……あなたが?」

「もしかしたらお弁当の件で泣いているんじゃないかと思って、わたくしが気を利かせて来てあげたの。お陰で彼に不細工な顔を見られずに済んだでしょ。感謝しなさいな」


 恩着せがましく言って、彼女が扉を勢い良く閉める。


 そのまま御者にも馬車を出すよう伝えたらしく、私は結局ドノヴァンの顔を見ないまま、家へと帰らされてしまった。


 その後ドノヴァンが、彼女と二人で、彼女の家の馬車で帰宅したことなんて知らされずに──。


「ねえドノヴァン、毎回生徒会のたびに幼馴染ちゃんを待たせるのは可哀想ではなくて? あなたさえ良ければ、明日からはわたくしの家の馬車で毎日送り迎え致しますわよ」

「ああ、そうだな……。一度あいつと相談──」

「では、早速明日の朝お迎えに参りますわね!」

「え、ちょ……」


 言うが早いか扉は閉められ、乗ってきた馬車は走り出してしまう。


 見る間に小さくなっていく場所を茫然と見送りながら、ドノヴァンは小さくため息を吐いた。


「どうすっかな……」


 幼馴染であるラケシスの家を見上げ、明日からの通学のことを伝えに行くべきかと考える。


「でもまぁいいか。どうせ明日、遅ければ家まで迎えに来るだろうし」


 そう結論づけると、彼はそのまま自宅へと入ってしまった。


 その選択が、幼馴染である少女との関係に、亀裂を生むとは知らないままに。


 ラケシスの家には、送ってもらう手前、毎朝早目に顔を出していた。だから、自分が朝いつもの時間に顔を見せなければ、すぐに家まで迎えに来るだろうと思ったのだ。


 若しくは、いつもより早くラケシスの家に行き、今日から別々に行くと伝えれば良い──。


 そう考えて、ドノヴァンはその日、行動を起こさなかった。


 まさか次の日、想定よりかなり早い時間に迎えが訪れ、大慌てで支度して出掛けなければならなくなるなど、予想もしていなかったのだ。


 結果、ドノヴァンはラケシスに何も伝えないまま、学園へ向かう馬車へと乗り込んでしまった。


 自分の支度に焦るあまり、使用人に言伝ることすら忘れてしまったのだ。


 それまで強固だった幼馴染の関係に、小さなヒビが入った瞬間だった。

 


 



 

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