何でもいいから貸しやがれ

 身体の芯から、意思とは関係なくガクガクと震える。寒くもないのに鳥肌が立つ。

 骨折した時は大概こうなる。今まで何度か味わった感覚だ。


「さっきまでの威勢はどうした、人間」


 キシシシといかれた自転車のブレーキみたいな音が、勝ち誇ったジアルガの口から漏れた。それが笑い声なのは、確かめなくても分かる。


「無様なものだな」

「あぁ……全くだ。なにやってんだかな」


 吹っ飛ばされた時に捻ったのか、力を入れてみると足にも激痛が走った。身体のあちこちがいちいち痛む。


 立って銃を構えるどころか、何も出来やしない。


 クソみたいな化け物、不甲斐ない自分、ワケの分からない今。

 色んなことに対して腹だけは立つのに、俺にはそれをどうにかする力がない。


「……アタマにくるな、いちいちよ……」


 舌打ちと独り言が勝手に口を突いた。




なんじ

「うるせぇ……何時かなんて知るかよ……」


 突然聞こえた声にイラついたまま応じてから、ふとおかしなことに気が付いた。


 今の声、カツじゃねぇな。それに……どこから聞こえてんだ?


『……いやあの、何時ですか?じゃなくて、貴方って意味の方の汝ね?……これ、口頭で説明してきちんと伝わるのかなぁー…』


 更にペラペラ続けられる声は、やっぱりカツじゃなければ、リデリンドでもない。子供のようでもあるし、男にも女にも感じる。

 そもそも二人は視界の先で、スナックのドアの隙間から心配そうにこっちを見ていて、かなり離れている。


「誰だ」

『誰……って言われると困るなぁ。私は個であり全。この世界の至るところに存在しているし、呼び名こそあるけれど、自らの名前は持たないから』

「何言ってるのかさっぱり分からねぇな」

『だろうねぇ……君たち、この世界の人間じゃないものね』


 どこからか聞こえる声は、ご丁寧に小さく溜め息まで吐きやがった。すこぶる感じが悪い。


『精霊って知ってる?』

「知らねぇな」

『知らない側の人か……こうなると説明が更に面倒だね』

「グダグダ言ってねぇで要件を話せよ、要件を」


 さっぱり要領を得ない会話に少しイラつきながら応じた時、身体に異変を感じた。

 胸の奥の深い辺りで火が燃えているような……その熱が血と一緒に全身に回ってく感覚だ。テキーラをショットでガンガン飲んだ時に良く似てる。


「なんだ、……これ」

『そう、それ!それこそが私の正体だよ』

「あぁ?」


 ワケが分からない俺を放っといて、謎の声は嬉しそうに話し始める。


『私はね、怒りを司る精霊なんだ。君は生まれつき精霊を、とりわけ私を上手く操れる素養があるみたいだから、こうして話しかけているんだよ』


 なるほど、つまり。


「……どういうこった」

『嘘でしょ?結構噛み砕いたよ?』


 二度目の小さな溜め息に、また身体の中を熱が走った。その度、痛みが少しずつ弱くなっている気がする。


『君は怒りを媒介にして、自分の力を大きく出来るんだよ。少なくとも、この世界ではね』

「ってことは……あれ、どうにか出来るのか」

『いとも容易く』


 短い返答。だが、俺にとっては渡りに船だ。


「分かった。力を貸せ」

『急に飲みこみが良くなったね。きちんと理解できたの?』

「六割程度はな。正直、理屈なんてどうでもいい。今の状況をどうにか出来るんなら充分だ」

『一応、気を付けなきゃならないこともあるけど……聞いておく?』

「聞くように見えるか?」

『……ま、良いか。では……』


 諦めたように一旦静かになった声は、一度大きくゴホンと咳払いした。


『汝、我ら怒りの精霊との契りを願わんとするか』

「願わねぇんじゃなくて、願うんだよ」

『あー、そういう……そこで引っかかるのか。えーっとね、願わんっていうのは願わないっていう意味じゃなくて、』


 ペラペラとまた始まった説明に、どうしても言葉が荒くなる。


「さっきからグダグダ長ぇんだよ。貸すって言ったからには、さっさと黙って力を貸しやがれ」

『気が短いなぁ……じゃ、早めに済まそっか』


 一瞬、静かになった声は、次に聞こえてきた時には威厳のある老人の……そう、組長オヤジみたいな重みと存在感が滲み出ていた。


『汝の願い、しかと聞き届けた。我が呼び名はフューリー。憤怒を力に換える者なり』


 またすぐ軽々しい口調に戻った声は、どこか得意げに続ける。


『さぁ、思う存分怒りなよ、異世界からの旅人。契約は終わったんだ、大概のことはどうとでもなる』

「そりゃあ良い話だ」


 全身を、例え様のない力が熱く強く流れていく。


 なるほどな。確かに、なら何が相手でも問題なさそうだ。




「往生際が良いな、人間。安心しろ、すぐ楽にしてやる!」


 くわえた煙草に火を点け、ジアルガの大きく開いた口が迫るのを俺は待った。その鼻先に向かって左手を伸ばす。


 ずしんとした重みが手に伝わった。でかいトラックほどあるジアルガの頭が、俺に鼻面を押さえられて身動きが取れない。こらえきれずニヤリとする。


「どうした、すぐ楽にしてくれるんじゃなかったのか」

「……貴様、その力……!精霊を召喚出来るのか……!」


 ジアルガの叫び声に、改めて自分の身体をしげしげと眺める。赤やオレンジの光が、身体中から立ち上っていた。

 声の主が貸してくれた力とやらは、こういう形で目に見えるらしい。細かいことは全く分からないが、少しかましておく。


「あぁ、そうだ。これがどういうことか分かるよな」

「舐めた口を……たかだかこの程度の力で、俺が倒せるとでも思っているのか!」


 スーツの裾がバサバサとなびいた。土埃と木の葉、色褪せた駐輪禁止の張り紙や、アスファルトの破片まで。

 ジアルガは裂けた口を大きく開き、息を吸いこんでいる。


「カガリ様、お気を付け下さい!」


 おかしな呼び名に面食らって振り向くと、スナックからリデリンドとカツが半身を乗り出してる。


「炎です!ジアルガは炎を自在に吐きます!」

「炎だぁ……?」


 舌打ちと共に、苛立ちがグッと増した。鼻面を掴んでいる左手に、自然と力が入る。


「おい手前てめぇ……店潰すだけじゃ飽き足らず、全部燃やそうって算段ハラかよ」


 息を吸い込んでいるジアルガは、当然答えない。ただ、その赤い眼がいやらしく三日月型に笑った。


 それが返事なんだな。良く分かった。


「あんまり……調子乗るんじゃねぇぞコラァ!!」


 左手で鼻面を押さえたまま、勢いをつけた右足で、ジアルガの下顎を大きく上まで蹴り上げる。

 辺りを震わすほどの大きな衝撃と、ブグゥというおかしな声が、ジアルガの口元から漏れ出した。黒い煙が裂けた口の端からモクモクとあがる。


 だが当然、この程度じゃ怒りは収まらない。

 握った右の拳を大きく引くと、身体を覆っていた光が右手に集中していくのが分かる。


 ……これは痛ぇだろうな。


「良く覚えとけ、ジアルガさんよ。この辺り一帯は卦樽井組ウチ縄張りシマだ……好き勝手したらこういう目に遭うんだってな!!」


 渾身の右ストレートで、ジアルガの左頬を打ち抜いた。


「ぐっほおおぉぉぉ!」


 素手で殴ったとは思えない大きな破裂音がすると、長い首をズルズル伸ばしながら、ジアルガの頭は二回バウンドした後、アスファルトの上を滑っていく。


「うっわ、威力エグ……」

「お前が引くんじゃねぇ。……さて」


 口を押さえるカツを放っておいて、俺は力なく伸びたジアルガの頭まで歩いていく。ゼエゼエと荒く息をするその瞼を、かかとで乱暴にこじ開けた。


「金輪際、この辺りには近づくな。次、近付いたらどうなるか、もう分かるよな。で……なんか言うことあんだろ?」

「……わ、分かった……誓う、二度と近付かない……」

「おぉ、やりゃ出来るじゃねぇか。お利口さんだ」


 俺はニンマリ笑うと、デカい眼球に煙草の灰を落としてやった。

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