第6話 天女の娘(二)

 一旦閉じた引き戸が、ガラッと勢いよく開いた。


「ねーねー、今ちょうど上がった所なんだよ。もう着替えるのと髪を乾かすのだけで終わりだから、遠慮せずに入っていいよ」

「いいよも何も、俺専用の風呂だ」

「そーなんだ。旅館みたいなお風呂、っていうか温泉だよね?お金持ちはやること違うなあ」

 

 直人と同じ年頃だろうか。今度はバスタオルを体に巻いているので肝心な所は見えないが、魅惑的な曲線美だという事はさっきの事故で既に知っている。


 直人を見つめる少女の目は、黒目がちでありながら涼しげな目尻で、泣きぼくろが色香を添えて、振袖が似合いそうな顔立ちだ。


 それ以上に、『天女のような』という、人間離れした形容が頭をよぎる。

 湯上がりの白い肌は内側から桃色の血色を透かしていて、淡く紅を差したような唇と言い、生きて動く芸術なんじゃないか。


「着替えて髪を乾かすまで待つから、さっさと終わらせろ」

「んー。僕ねえ、うんと髪が長いからさ、ドライヤーも40分かかっちゃうんだよ」


 天女のような見かけに、ボクっ娘のギャップ。


「だからね、髪の毛を拭くのにもう一枚バスタオル借りるね。ドライヤーも持って出ていい?ちゃんと返すよ」

「使い終わったら侍女の誰かを呼んで、俺の部屋に持って来るように言え」

「僕が君のお部屋に持っていってもいいんだよ?」

「お前は新しい侍女か?」

「違うよ」

「じゃあ余計な事はするな。侍女で済むことは侍女にやらせろ」


「ふぅん…?珍しいなあ」

 清楚と色香を矛盾なく香らせる美少女は、不思議にあどけない表情で瞬きした。


「お色気な僕を見ても全然平気な男って、ゲイくらいだと思ってたよ」

「俺は、リアルにボクっ娘がいるとは思ってなかった」

「あはは、そっち?」


 可笑しそうに、少女は笑い出した。

「うん、僕っていう《設定》なんだよ。僕の名前は、くれない。口紅の紅っていう字ね。君のお父さんが言うには、一応君の腹違いの妹だよ。ついこの間、3月30日にピチピチの15歳になったから、君と同じ学年だね。入学式には間に合わなかったけど、同じ学校に通うことになったからよろしくね」


 紅と名乗った少女は、目を細めて悪戯っぽく笑った。

「――高天原の番目、おとくん」


 何故、ひと目で判った?特に直人を気に懸けている訳でもない父が、わざわざ顔と名前を教えたとも思えない。…が、直人はその問いを口にはしなかった。


れない、と言うのならお前は番目か?」

「うん。そういう設定みたい。でも、直人くんは『べに』って呼んでね」

「何でだよ」

「その方が、僕が嬉しいから」

「了解」


 直人は、それ以上問わずに答えた。

 

 設定、君のお父さんが言うには、一応、という謎かけのような言い方。直人の称号である《高天原の漆》も知っていると開示して、直人の反応を見ようとした。そして、何よりも、


 ――――直人が、たかが木戸1枚隔てただけの少女の気配、微かであっても物音を見逃した。


 ふわ、と幻のように少女は直人の脇をすり抜けて、振り向きざまに言った。

 裸にバスタオル一枚という、からかっているのか、煽っているのか、無邪気なのかわからない悩ましい格好で。


「返り血でベタベタでしょ?すぐに落とした方がいいよ。血って直接触ると危ないから気を付けてね」


 今は黒い手袋をしているが、玄冬継承の決闘の場では素手だった。三年経っても、師の血肉の温度を忘れたことは、一度も無い。


「お前、…」

――――何者だ、と言いかけて、やめた。


「なぁに?直くん」


 勝手にニックネームを付けられた。人懐こいタイプのようだ。だが、


「俺の血じゃなくて、返り血だって見抜いたことは、褒めてやるよ」


 直人は、脱衣場からすぐに浴室に入った。ロングコートを着たまま、頭からざぁっとシャワーで水を被った。

 体を温めるお湯では、血が固まり落ちにくくなる。

 

 そして、人を殺した直後の自分には、この冷たさが相応しい。


 



「……で、何でお前がここにいるんだ?」

「ちゃんと廊下を通って襖から入って来たよ」

「そうじゃない」

「ドライヤーを返しに来て待ってたんだけど、直くんが案外長風呂だから、ここでゴロゴロしてたんだよ」

「すんな」

「うん」


 ゴロゴロしていたとの言葉どおり、客用の浴衣を着た美少女は、裾がはだけて太ももまで見えて、長い黒髪が纏わり付いていたのが何とも悩ましい格好だったのだが、裾を整えてちょこんと布団の上に正座した。


 そこを退け、という意味だったのだが、わざとなのか天然なのか、初夜の新妻風味だ。


「侍女にやらせろと言ったはずだ」

「こんな夜遅くに起こしちゃ可哀想だよ。えへへ、僕、直くんの奥さんみたいだね!」


 直人は、この少女の反応をいちいち考慮に入れるのはやめることにした。

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