第13話
田之助が最初に挙げたのは、やはり大きな水路の近くにあることだった。源二郎は頷き、「他には」と先を促した。
「そうですね……全部じゃないんですが、播磨屋さん、中屋さんのご隠居と成田屋さんのご主人はかなり厳しいお方だったと思います」
「厳しい?奉公人に厳しかったのか?」
「あ、いや、その、なんていうか……店を大きくするのに熱心で、そのお……」
「吝嗇、ケチということか?」
「はい……金遣いに厳しいのは、商人に珍しいことではありませんが、舟庵先生へのお支払も値切ろうとするのはさほどありませんで……」
「岡﨑屋と伊勢屋はそうではなかったのか?」
「岡﨑屋のことはあまり覚えてないんです。往診のお供をしたのも二回だけで。播磨屋さんとほぼ同じ造りだったので、覚えやすく、描きやすくて……」
「麹町の伊勢屋はどうだったのだ?」
「あの伊勢屋はなんというか、ちぐはぐな感じでした。ご主人の愛想はよかったです。舟庵先生は見栄っ張りなだけだと仰ってました」
舟庵は伊勢屋に金がないことを見抜いていたということである。押し込まれた家人の詳細は舟庵に聞くのが良さそうだった。問題はこちらに割いてもらえる時間があるかどうかだ。
源二郎には押し込まれた家には場所や造りだけでなく、他にも共通している何か、賊が押し込むことを決める何かがあるような気がし始めていた。
――それがはっきりすれば、次の押込み先を数軒に絞りこめるのではないか。
田之助にはまだ尋ねたいことが色々あったが、まもなく日が暮れる。問題は番屋へ連れ込まれたとあっては、このまま長屋へ帰すわけにいかないことだった。下手すると、口封じされかねないと源二郎は思うのだ。
田之助が顔を見たのは声をかけてきた町人姿の男だけだが、みの同様、賊を突き止める足掛かりになるし、賊が捕まったときには証人になる。
この時代の牢屋は刑罰の申渡しまで入っている、後の世の拘置所にあたる施設だが、身分と人別帳に記載されているかどうかで分けているだけで、罪の軽重は関係なく同じ牢に入れられる。環境が悪いため、長く牢屋に入れられると牢死するものが少なくない。牢を仕切る連中によっては、死なないまでも、恐ろしい
田之助の場合、おそらく刑が確定するのは賊を捕まえてからになる。どれくらいかかるか、この時点では全く予想がつかない。長期間牢に入れるのは酷だと源二郎は思った。どこかの預かりにできないかと考えた。
こういう場合の預かり手一番手は住んでいる町の名主である。しかし、盗賊が口封じに来るかもしれないと考えると、一番良いのは奉行所内の仮牢に思える。普段仮牢に丸一日以上入れることはないのだが、事情が事情と、なんとか長期間入れてもらえないだろうか、その手はないものかと源二郎が考えていると、万蔵の声が聞こえた。
「旦那、田中様と舟庵先生がこっちへ歩いてきやす」
万蔵の声に日向野が源二郎以上に驚いていた。
「舟庵先生も?」
田中はこの辺りが受け持ちだから、番屋へ見回りにくるのは当然だが、勝手に源二郎が入り込んでいることに文句を言うかもしれない。舟庵の方は奉公人を勝手に番屋へ引っ張っていったと苦情を言いに来たのかもしれない。源二郎は双方の苦情に身構えた。
上がり框の向こうに顔を見せた舟庵は、番屋の中を見回したところで叫んだ。
「こら、そこの病人!安静にしていろと申していたろうが!」
どう見ても、舟庵は源二郎を見ている。
――病人って、俺のこと?
そういえば礼も言っていないし、診療の支払もしていない。診療代は年末にまとめて払うとして、礼は言わねばなるまいと、源二郎が立ち上がろうとしたら、舟庵は上がり框にあがり、あっという間に源二郎の目の前へ来た。
今しがたまで板の間の入り口に顔を見せていた日向野はどうしたのかと思ったら、舟庵の勢いに逃げたのか、突き飛ばされたのか、腰高障子に番屋の壁に張り付いているような影が見えた。
舟庵は奥二重の四角い印象の目で源二郎を睨みつけながら言った。
「動くな」
その勢いに気圧され、源二郎は動けなかった。そんな源二郎の額に舟庵は手を置いた。
「ほれみろ、熱があがってきておる。今は身体が怪我を治そうとしておるんじゃ。そんな時は安静にしておらんといかんのだ。家の中で動くくらいはともかく、遠出するとは何事だ」
「はぁ、しかしどうにもやり過ごせないことがありまして……あ、いや、その節は、ありがとうございました」
源二郎はしどろもどろになりながら、ともかくも舟庵に礼を言った。
ふと田之助を見ると、突然の師匠登場に顔色は青ざめ、善六に脅されていた時以上に怯えた顔になっていた。
やはり舟庵の勢いに気圧されていたらしい田中が上がり框に足を置きながら、ようやく口を開いた。
「榊、なんでお前がここにいる?怪我で暫く動けないと聞いていたぞ」
源二郎は田中へ一礼してから答えた。
「もともとは昨日の夕方、それがしが田之助に問い質すつもりだったからです。どうしても尋ねたいことがありましたので……」
「それで、聞きたいことは聞けたのか?」
先程まで日向野が座っていた場所に田中が座って言った。
狭い番屋だから、畳部分に人が座る余裕はもうない。
「すべてではありませんが、一番尋ねたかったことは尋ねました。今、その写しを書いてもらっております」
源二郎の視線に田中も文机に向かっている町役人を見た。
その町役人が筆を置いて、源二郎に言った。
「一部、写しを取りました」
「忝ない」
町役人から田之助が書いたものと写しを受け取った源二郎は、田之助が書いた方を田中へ手渡した。
「これは?」
「田之助が賊の仲間と思われる男に家屋の図面を渡した店の名前です」
「こんなにあるのか」
「そのようです。その中からこれまでに五軒を選んで押し入ったことになります」
「……この近くの店もいくつかあるな。とうに廃業した店もあるが……」
「その廃業した店を教えてください。こちらの写しに印をつけたいと思います」
田中は源二郎の応答の早さに少し驚いていた。
「三枚目にある堀留の小松屋と堀江町の伊豆屋だ」
町役人が手渡してきた筆で源二郎は写しに書かれたその名の横にカタカナの「ハ」を書いた。
他にも何軒かもう無くなっている店があるだろう。それでも二十件近く残りそうである。
「その紙は髙山様にお渡しするつもりです」
源二郎はそう言いながら、写しを丁寧にたたんで懐へ入れた。
田中はさらに暫く三枚の紙を順に眺めていた。
田中は定町廻りになって十年は経つ。今年で確か五十四才である。列記された店の名前に何か気づくことがあるかもしれないと、源二郎は黙って田中を見ていた。
「押し入られた五件は、こうしてみると、場所だけでなく、商売のやり方にも似たところがあったかもしれんな……」
「田之助は播磨屋、成田屋、中屋の主か隠居には吝嗇なところがあったと申しましたが、それが商いにも出ていたのでしょうか?」
「吝嗇か。まぁそれも似ている点といえば、言えないこともないが、この五軒には後ろ楯になっていた高禄の武家がいる。もっともこの五軒だけではない。ここに書かれている店の大半がそうだ。大店となれば、大名や旗本の御得意が複数いるものだ。高禄の武家に取り入って財を成した商家のうちの五軒という言い方が正しい」
「高禄の武家に取り入って……」
源二郎は大きな手懸かりを得た気がした。
いったん懐に入れた紙を取り出し、また広げた。
商家に恨みを持つ浪人。
それぞれの店が大名や高禄の旗本に取り入ったことによって不利益を被り、浪人になったのだとしたら……
賊の人数はおそらく五人前後である。
五軒の押し込みは、賊の五人、それぞれの報復なのだろうか。それならば、これで終わるか、計画しているのはあと一、二件なのか。
「あんたらは田之助をどうするつもりだ?」
舟庵が田中から源二郎に目を移しながら言ってきた。
源二郎は田中の知恵を拝借することにした。
「田中さん、田之助を伝馬町(牢屋)に入れるのは酷だと思います。といって、名主の家では盗賊が口封じにくるかもしれません。御番所内の仮牢へ長く留め置く手はありませんでしょうか?」
田中は顎に手をやった。
「難しい話だな……」
「田之助が逃げなければ良いのだろう?」
舟庵が源二郎から田中へと目を移して言った。
「まぁ、そういうことです。先生に妙案がおありですか?」
視線を受けて田中が舟庵に返した。
舟庵は大きく頷いた。
「わしの診療所に厄介な患者を閉じ込めておくための座敷牢がある。そこに田之助を入れておくのはどうだ?簡単には抜け出せないようになっておるし、夜はわしと助手の三人が交代で近くに寝泊まりできる」
源二郎は田中がそれならそこが良いと言ってくれることを期待した。
「髙山様に伺いをたててみろ」
田中が源二郎に向いて言ってきた。
源二郎は少々がっかりしながら、承知しましたと首肯した。髙山を説得できる自信がなかった。
「わしも行こう」
舟庵が言った。
源二郎は、舟庵、万蔵と日向野に挟まれた田之助を引き連れて奉行所へ戻った。
安静にしていろという舟庵の指図に逆らった形の源二郎だが、舟庵は奉行所へ行くことに反対しなかった。その代わり、一度診療所に連れて行かれ、再び首と肋から腹にかけて晒巻きにされた。晒を巻かれながら、源二郎は田之助が自白したことを舟庵に話した。
舟庵は、田之助が家の図面を描いて賊に売っていたことに全く気がついていなかった。無理もない。田之助が図面を描いたのは長屋だ。
一方、舟庵の方は源二郎に襲われた時のことを尋ねてきた。源二郎は最初に後ろから首を絞められ、必死の思いでそれを振りほどいた詳細を話した。舟庵は感心した風をみせた。
一行は夕刻の集まりに少し遅れたくらいに奉行所にたどり着いた。田之助を日向野、万蔵とともに玄関脇に待たせ、舟庵と源二郎が集まりに顔を出すことにした。
麹町伊勢屋の押込み探索には掛かりといっても大した人数が割り当てられているわけではないが、毎日、詮議部屋の一つで朝に各自のその日の活動の指図や了承を受け、夕刻に進捗を報告することになっていた。
白井に痛めつけられたために、源二郎は昨日の夕刻の集まりにも今朝の集まりにも顔を出していないから、随分久しぶりに感じ、部屋に足を踏み入れるのに緊張した。
一礼して部屋に後方から入ると、上座には髙山と並んで青井静馬がいた。助役の入れ替わりがあったらしい。
静馬は首に晒を巻いて現れた源二郎を心配そうな顔で見てきた。
髙山と静馬の視線に、上座を向いて座っていた掛かりの同心五名が一斉に後ろを向いた。その中に滝田もいた。源二郎にはそっと片手を上げてみせ、舟庵には軽く会釈した。
「医者がなんでここに?」
不躾な髙山である。
「田之助の身柄を舟庵先生が預かりたいと申され、その許可をいただきに参りました」
髙山は怪訝な顔で言った。
「田之助は賊の一味だろう。伝馬町で良いではないか」
「賊の一味ではありません。田之助は盗賊とは知らず、ある人物の小遣い稼ぎの話にのり、舟庵先生のお供で入った商家の造りを紙に描いて渡していただけです。合力(協力)していたことにはなりますが、賊が何者かは全く知りません」
源二郎は田之助が図面を椙杜神社の御神籤に隠して大木に結んでいたこと、そのきっかけの町人姿の男との出会いを手際よく話した。
その後で源二郎は田之助が三枚に書いた、これまでに図面を書いて賊に渡してきた商家の一覧を髙山と静馬が座る文机の上に置いた。
髙山が紙を手に取った。
「次に押し込む商家はこの中にあるということか」
「おそらく」
「田之助を使って奴等を誘き寄せることができるのではないか?」
髙山がどうだと自信ありげに源二郎を見ながら言った。
「それは無理です。……あ、いや、無理だと思います。奴等は田之助が渡した図面の中から押し込む家を選んでいるのです。田之助が次はここに押し込むような指図をすれば、それこそ奴等は警戒します。我々にできることは、その記載の中から奴等が次に押し込む商家を見つけることだと思います」
番屋に連れ込まれた時点で、田之助に町方の手が伸びたことを賊は知っただろうと思う源二郎だったが、それをこの場で言ってしまっては、ここにいる者の大半を敵に回しかねない。榊家が町方の同心としてあり続けるために避けねばならないことだった。
「そこまで頭の回る連中なのか?」
髙山の悪い癖が出た。
「そう思います。舟庵先生の御弟子の面々を下調べし、おそらく一番話にのってくるであろう田之助に目をつけた点といい、話を持ちかけた男も一度しか姿を見せていないことといい、用意周到かつ慎重です。かなり頭の回る連中だと思います」
源二郎は言いきらないよう、気をつけて発言した。髙山が折れてくれることを願っていた。
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