010 雪の精霊
目を閉じて。
集中して、精霊の気配を探る。
……感じる。
この山に住む精霊たちの気配を。
雪、氷、風、大地、光……。
「山の精霊たちよ。対話を望む。どうか、その姿をここへ」
精霊たちのざわめきが聞こえる。
でも、まだ、はっきりとした声にはなってない。
俺に興味があっても、まだ味方とは認識されてないんだ。
「騒ぎを起こしてすまない。でも、凍てついた地に炎をもたらしたかったわけじゃない。助けが必要なんだ。どうか……」
早く、リリーを助けないと。
『魔法使い』
目の前で精霊が顕現する。
『知ってるよ。君が争いを仕掛けたわけじゃないって』
「ありがとう」
良かった。味方だって認識してもらえた。
『雪に埋まった人間は助けてやろう』
『そこをどけ』
『私も手伝ってあげる』
雪の精霊や氷の精霊、闇の精霊が次々と顕現して雪を持ち上げる。そこに風の精霊が息を吹きかけると、雪の中から黒い髪が覗いた。
「リリー!」
走り寄って、雪の中からリリーを助け出す。
冷たい……。
体が凍るように冷たくなってる。
その口元に耳を当てる。
『エル、たすけて』
「イリス?」
イリスの声だ。
リリーの口元からも微かに呼吸の音が聞こえる。
二人とも、まだ生きてる。
『リリーを。ボクの魔力が尽きる前に、リリーを助けて』
「わかった。必ず助ける」
まずは温かくしないと。
「エイダ、顕現してくれ」
『私では、リリーシアを温めてあげることは出来ないわ』
「それでも」
『皆、ごめんなさい』
炎の大精霊の存在は熱源になる。
山の精霊に謝りながら、エイダが顕現した。
『仕方ないね……』
『ちょっとだけだよ』
良かった。マントで守られていた分、どこも濡れてない。剣とマントを外し、荷物の中から出したブランケットでリリーの身体を包む。
『死にかけだ』
『かわいそうに』
長い髪を束ねてマントの内側に仕舞い、ブランケットで包んだリリーを更にマントで完全にくるみ、フードも被せる。
これで、さっきよりは温かくなるはずだ。
『変だな』
『埋まってるの、これだけ?』
『この子しか居ないよ』
『他に人間は居ない』
……本当だ。
さっきの奴は、どこに行ったんだ?
雪の精霊や風の精霊があちこちの雪をひっくり返しているけど、何も出て来ない。
銀髪の女と同じように、謎の魔法陣を使って逃げたのか?
『大丈夫?』
手伝ってくれた雪の精霊が心配そうにこちらの様子を見ている。
「大丈夫だ。皆、リリーを助けてくれてありがとう。……この近くに村があるはずなんだ。近道を知っていたら教えてくれ」
『村?』
『人間が居る所?』
『なら、木こりに聞けば良い』
「木こり?」
『近くに来ているよ』
『耳を澄ませて聞いてごらん』
『すこーん、すこーん』
耳を澄ませると、木に斧が当たる音が聞こえてきた。
『ね。連れてってよ』
「え?」
『助けてあげたんだから、私も連れてって』
『物好きな子』
『僕らは行くよ』
『気を付けてね』
精霊を一人残して、精霊たちが顕現を解く。
雪の精霊だ。
雪の中では黄色みがかって見える白い肌と白い羽。愛らしい姿の雪の精霊は、瞬きをしないヘーゼルの瞳を俺に向ける。
『契約を』
「わかった。エイダ、リリーを頼む」
顕現したエイダがリリーを抱える。
『リリーシア。温めてあげられなくてごめんなさい』
魔法の効かないリリーは、エイダがどれだけ抱きしめても温めることが出来ないんだろう。
「俺の名前は、エルロック」
腰から短剣を抜いて、自分の髪の毛を一房切り取る。精霊との契約には自らの体の一部を捧げなければならない。
『私は、ナターシャ』
「ナターシャ。冷気に祝福された雪の精霊よ。請い願う。我と共に歩み、その力、我のために捧げよ。代償としてこの身の尽きるまで、汝をわが友とし、守り抜くことを誓う」
『エルロック。我は応えよう』
ナターシャが俺の髪をその身に取り込む。
これで契約完了だ。
『よろしくねー。ナターシャ』
『よろしくねぇ』
『賑やかな身体ね。賑やかなのは好きよ』
落ちていたリリーの大剣を背負う。
「重い……」
思ってた以上に重い。こんなのをずっと背負ってたのかよ。
『私が預かりましょうか?』
「頼む」
エイダに剣を預けて、リリーを抱える。
毛皮のマントでくるんでも蒼白な顔に血の気が戻る様子はない。
急ごう。
『木こりはこっちよ、エルロック』
「エルでいいよ」
『エル。良い名前ね。あ、手伝ってあげるわ』
「手伝うって?」
『顕現しても良い?』
「良いよ。何をするつもりだ?」
顕現したナターシャが目の前に雪の塊を作る。
『ほら、乗って』
「乗る?」
どこにどうやって?
聞く間もなく背中を押されて目の前の雪の塊に乗る。と同時に、雪の塊が猛スピードで走り出した。
『素敵でしょ?これで木こりのところまでひとっ跳びよ』
『ひゃっほーい』
『楽しいねぇ』
凄まじいスピードだ。ただでさえ冷たい空気が余計に冷えて頬に刺さる。
でも、ナターシャがコントロールしているのか、雪の塊は上手く木々を避けながら進んでいる。
『木こりがいたわ』
「どこに?」
全然見えない。
『あのね』
「ん?」
『これ、止まらないから。上手く飛び降りてね』
「はぁ?」
ナターシャが笑いながら顕現を解く。
舵取りをしていたナターシャが消えたってことは……。
やばい。
ぶつかる!
風のロープを手近な木の枝に伸ばして巻きつけ、リリーと一緒に宙に浮く。残った雪の塊は大木にぶつかると、粉々に砕け散った。
……間に合った。
「お転婆な精霊だな」
『えへへ』
地上に降りて、風のロープを消す。
木こりはどこだ?
『右だ』
右を向くと、俺の二、三倍はありそうな大男が、斧を担いでこちらに来た。
「何の音かと思ったら。君が魔法使いかい?」
こいつが、精霊たちの言っていた木こり?
「そうだよ。頼む。村まで案内してくれ。連れが凍えて死にかけてるんだ」
「さっき聞こえた雪崩に巻き込まれたんだね。案内しよう」
歩き出した木こりの後を追う。
「なんで、俺が魔法使いだってわかったんだ?」
「山の精霊が話していたんだよ。困ってる魔法使いが居るから、助けてやってくれって」
山の精霊。
さっき助けてくれた精霊たちのことだよな。
「精霊の声が聞こえるのか?」
「この山で生まれ、育ち、一生を終えるんだ。精霊は私たちの友達さ」
「……そうだな」
精霊に愛されてるから、こんな山奥でも人間が生きていけるんだ。人と精霊は共存共栄している。
「私の名前はトール。君たちは?」
「俺はエルロック。こっちがリリーシアだ」
「そうか。歓迎するよ。……見えてきたね。あそこが村だ」
煙が立ち上っているのが見える。
あそこが、オクソル村?
こんなにあっさり着くなんて。
「大したもてなしは出来ないが、今日はうちに泊まると良い」
「助かるよ」
「いいんだ。精霊のお客さんは、我々のお客さんだからね」
精霊の導きでここまで来れた。
「ありがとう。ナターシャ」
力を貸してくれて。
『ふふふ。この辺なら、まかせて』
※
オクソル村。
数えるほどの家しか並んでいない雪に覆われた小さな集落だ。この季節でこれだけの雪の量があるなら、真冬は完全に雪に閉ざされてしまうんじゃないのか?
地理的には王都からそんなに離れていないはずなのに、ここは女王の恩恵がない?
「リリー」
『まだ生きてるよ』
良かった。
「私の家はここだよ」
トールと一緒に家に入る。
「シフ、帰ったよ」
「おかえりなさい。早かったのね」
温かい部屋の奥から女性が現れる。
「まぁ、お客様?」
「こんにちは。俺はエルロック。彼女はリリーシアだ」
「はじめまして。私は、トールの妻のシフよ」
「二人とも雪崩に巻き込まれてね。凍えてるんだ。すぐに温めてやってくれ」
「それは大変。すぐに暖炉の前へいらっしゃいな」
「私は、もう少し薪を集めてくるよ」
「わかったわ。気を付けてね」
仕事の途中だったのに俺たちを助けてくれたのか。
「トール、ありがとう」
「どういたしまして。ゆっくり休んでいくと良い」
トールが家を出る。
「さぁ、こちらへ」
シフに案内されて、暖炉へ行く。
「ソファーに座って。濡れたマントは預かるわ。……まぁ。なんて顔してるの。こっちの温かい毛布も使って。体を温めるスープをごちそうするから、待っていて」
言われた通りリリーと自分のマント、それからリリーに巻いていたブランケットも外し、貰った毛足の長い毛布でリリーを包む。
シフはマントをコート掛けにかけると、台所へ行った。
……青白い顔。
「イリス。無事か?」
『無事だよ』
良かった。
イリスは今、自分の魔力をリリーに与えてリリーを生かしてる。リリーを守る契約をしているなら、それも可能だ。
ただ、精霊にとって魔力は命と同じもの。魔力の少ないイリスが無理を続ければ消滅の危険がある。
『エル、お前はどうなんだよ』
「俺の心配なんて必要ない。……わかるだろ」
炎の大精霊と契約しているんだから。
契約によって、エイダは何よりも優先して俺を守る。さっきだって、リリーの傍に居たはずなのに俺を助ける為に戻ってきた。エイダがリリーを助けていれば、こんなことにはなってなかったかもしれないのに……。
違う。
俺に危険が迫っていたから、エイダは俺の救助を優先しただけ。俺が自分の安全を確保していれば、エイダはリリーを助けたかもしれないんだ。
あぁ。
俺のせいだ。
俺が、もっと気を付けていればリリーを危険にさらすことなんてなかったのに。
『エル、リリーにキスして』
「は?」
今、なんて言った?
『そうすれば、リリーを救える』
救える?
意味がわからない。
「そんなこと、」
『お願いだ、エル。リリーを助けて』
氷のように冷たい頬に触れる。
そんなこと、本人の了解を取らずにやって良いことじゃない。
『早く』
リリーの顔に顔を寄せる。
息をしているのかさえ分からないほど、小さな呼吸。
救える?
なんで?
でも、そんな物語を聞いたことがあるような……。
『エル。お願いだ』
ちゃんと理由を聞けば良かったのかもしれない。いや、聞くべきだった。
眠ったままのリリーにキスする前に……。
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