どんな姿であっても愛しています

rpmカンパニー

本編

「奥様、もうお時間ですよ」



メイド長のアナスタシアの声で目が覚める。

嫌な夢だった。

体がばらばらに引き裂かれる夢。

手足がちぎれていく感覚はものすごく生々しくて、

起きた今でも思い出せる。


「どうされましたか?」

「なんでもないの、アナが起こしに来るなんて珍しいわね」

「ちょっと事情がございまして」


普段ならスフィーナやイリーシャが起こしに来るはず。

わざわざアナが起こす必要なんてない。


「それにどうしてこんなに真っ暗なの?」


あまりの暗さで夜かと思ってしまった。

窓を見ると外側から何かで塞がれているようだ。


「今改築中でして一週間ほどこの状態になります」


そんな話聞いてなかった。

でもリチャードとアナが決めたことなら大丈夫かな。

ただ改装ってかなり大がかりだけど、

一週間で済むのはすごく早い。

もしかして外壁を塗りなおすだけとかなのかな?


「改築は何をする予定になっているの?」

「窓の雨避けの改修と屋敷の外壁塗装ですね」


聞かれるのは想定済みらしくスラスラと答えが出てくる。

うん、大体想像通りの内容。


「そのためメイド含めて大勢駆り出されています」

「ああ、そういうことなのね」


けっこう人手不足みたい。

わざわざ屋敷の人間まで駆り出すなんて。


「え、でもそんな状況で本当に一週間で終わるの?」

「契約魔術が交わされておりますので問題ありません」


え? 契約してるっていうことは、

間に合わなかったらメイドとかも処罰される?

そう思ったのが顔に出ていたようで、

アナがさらに説明を加えてくれた。


「契約は業者との間に交わされたものなので屋敷の人間は関係ありません」

「でもメイドたちのやる気がなかったから間に合わなかったとか言われたらこちらのせいにならない?」

「心の中は証明できないので大丈夫ですが、実際に動きが悪ければなるかもしれません」

「じゃあ……」


お手伝いみたいな仕事で処罰される可能性があるなら、

やらない方がいいんじゃないかな?

どうしてアナは手伝わせたりしたんだろう?


「別に契約違反したからと言っても強制執行しなければ良いのですよ」

「強制執行しない?」

「契約違反してるぞ、いつでも強制執行できるぞ、だからさっさと遅れを取り戻せと言うためです」


なるほど、間に合わないのは仕方ないにしても、

そのままだらだらと長引かれるのは困る。

だから遅れた時は契約違反を盾に催促するということか。

それならそこまで気にしなくていいか。


話をしている間にもアナの手は止まらない。


「奥様のお世話は久しぶりで少し緊張しております」


たしかに昔に比べて動きに迷いを感じる気がする。

何をしたらいいか思い出してるのかな?

慣れない手つきだった新婚のころを思い出す。


「昔はよくアナに化粧してもらったわね」

「あのころの奥様はお化粧嫌がられて大変でしたよ」

「だって今までほとんどしたことなかったし」

「お化粧でさらにお綺麗になりましたね」


たしかにリチャードは、

「リタが綺麗すぎる」とものすごく喜んでいた。

あんなに喜んでくれるから私も化粧が嫌じゃなくなった。


感を取り戻してきたのか手の動きが早くなっていく。

たしかに間近で見てもアナはすごく美人。

短い髪はきっちりセットされてるし、

肌はつやつやしてる。

私より年上なんて信じられない。


「あまり見ないで下さい」

「どうして?」

「化粧で必死に誤魔化しているので」

「全然綺麗よ、私よりずっと」

「!…そんなこと」


あれ? 顔を強張らせているアナなんて初めて見た。

綺麗って言われて何かあるのかな?

もしかして良い人でも出来た?

それなら全力でお祝いするんだけど。


「化粧終わりましたよ」

「ありがとう、鏡をもらえる?」

「すみません、今大掃除中でして鏡がありません」

「あ、そうなの」

「わたくしから見てとてもお綺麗ですよ」

「ありがとう」

「旦那様が起きるのをお待ちされていましたよ」

「まあ、それは大変、すぐ行かないと」


動こうとして気づく。

もう既に着替えてある。


「汗をかかれておりましたので寝ている間に着替えさせて頂きました」

「ありがとう」


そんなに汗かいてたんだ。

嫌な夢だったから仕方ないか。

それにしても少し体が重い気がする。

悪夢でしっかり眠れなかったかも。


少しゆっくりした足取りで食堂に向かう。

屋敷中の窓という窓が塞がれている。

おかげで今が朝だと分からないぐらい。

ここまで全て塞ぐ必要があるのかな?


食堂に入ると予想通りリチャードがそこにいた。


「おはようございます、リチャード」

「っ、あ、ああ、おはよう」


少し驚いた顔をしている彼が私の旦那様だ。

かなりの小柄で丸顔の太った体。

女性と比べてもさらに小さくて子どものような大きさ。

本人はすごく気にしているけど私はかわいいと思っている。


手にはコップを持っている。

リチャードは朝食前に必ずミルクを飲むので、

まだ朝食を済ませていないんだろう。

一緒に食べることが出来ると思い椅子に座ろうとすると、

リチャードが私を抱きしめた。


「リタ……よかった……」


そう言って背伸びして唇を合わせてくる。

なんとなくいつもと唇の感触が違う。

それにベタベタしたがるのはいつものことだけど、

今日は抱きしめる力が強い気がする。


「覚えてないかい? 君は馬車で事故にあったんだよ」

「え?」

「ほら、僕と一緒に買い物に出かけて」


事故?

そういえばリチャードと一緒に買い物に行ったんだ。

いろいろ買ってそこから記憶がない。


「数日間目覚めなかったんだ」


え……?

全然そんな意識がなかった。

普通に寝て起きただけだと思っていた。


「まだ怪我が治りきっていないから安静にしてないといけない」

「そうなのですね」


体が重いのもそれが原因なのかもしれない。

肩を回してみるとちょっと違和感がある。


「あああ、無理しちゃいけない」

「これくらい大丈夫ですよ、心配性ですね」

「だってまだ事故からそんなに経ってないから」


相変わらず心配性な人。

私が熱を出した時はずっと私のそばで手を握っていて、

自分に感染したら「リタから病気を奪えてよかった」というぐらい筋金入り。


「朝食は食べられそう?」

「あまり食欲がわきませんね」

「ならミルク粥にしてもらおうか」


体調を崩した時は必ず作ってもらう私の大好物。

さっそく鈴を鳴らしたけど誰も来ない。

そういえば屋敷の塗装で大勢駆り出されてるって言ってたな。

それなら厨房まで行こうと思い立ち上がろうとしたら、

リチャードが慌てて駆け寄ってきた。


「僕が頼みにいくからいいよ」

「でもそれぐらいは私が」

「体調が戻ってないんだから旦那さんに任せなさい」


普段甘えたがりなのにこういう時は年上っぽく振舞いたがる。

後でいっぱい甘えさせてあげよう。


「ならお願いしますね」

「任せて」


ドンと胸を叩いて良い返事が返ってきた。

だけど胸をはってる姿はカッコよさよりかわいさの方が際立つかな。


・・・


作ってもらったミルク粥は味が薄く感じた。

体調がまだ戻っていないから舌もおかしくなっているのかも。

安静にしたほうがいいかな。


「私は部屋に戻りますね」

「うん、安静にしてるんだよ」


食事を終え部屋に戻る途中でイリーシャを見かけた。

たくさんの小物類を壁に沿って並べているようだ。


「あら、イリーシャ」

「ひっ」


声をかけると驚きと共に後ずさった。

一歩間違えれば小物を蹴飛ばしそうな勢いだった。


「お、お、奥様?」

「驚かせてごめんなさい」


屋敷が暗いのに後ろから声をかけたから驚かせてしまった。

怖がりなのは知ってるのに失敗だったな。


「イリーシャは大掃除を担当しているの?」

「そうですね、いろいろ片づけています」


今は小物類を拭いているらしい。

結婚した時に持ってきた小物が懐かしい。


「改築と大掃除をまとめてなんて大変ね」

「「やるならまとめてがいい」と旦那様が」


面倒なことはまとめてしようというリチャードの性格が出ている。

その結果人手不足になっているのはご愛敬かな。


「廊下にある姿見までないのはびっくりしたわ」

「あ、えーと、「細かな傷が入っていたから研磨しなおす」そうです」


へー、そんなに傷があったんだ。

普段から見てるから気づかなかったのかな?


「そういえば全部の窓が塞がれているのね」

「あ、その、えーと「窓に塗料がつかないようにするため」です」


ん? 何か違和感がある。

普段のイリーシャはもっとはきはきと答える。

でも今はまるで事前に想定された答えを読み上げているような感じがある。


「奥様、ここにいらっしゃいましたか」


遠くから私を見つけたアナが駆け寄ってきた。

何かあったのかな?


「食堂にいらっしゃいませんでしたので」

「部屋に戻る途中でイリーシャと話し込んじゃって」

「イリーシャ?」


アナがイリーシャをにらんでいる。

それは非常に珍しい光景でイリーシャは完全にすくみ上っている。

もしかして仕事をさぼっていると思ったのかな?

それなら否定しておかないと。


「私が話しかけただけでイリーシャは悪くないの」

「そうでしたか」


私の反応を見て少しほっとした顔をするアナ。

でもすぐ真顔に戻る。


「でもイリーシャ、言っておいたはずですね?」

「は、はい」

「ならすみやかに掃除に戻りなさい」

「はい、失礼します!!」


なぜか目の前の小物類を置いてどこかに去っていった。

掃除って小物類の掃除じゃないのかな?


「奥様もお体が万全ではないのですから立ち話は避けてください」

「そうね」


たしかにちょっと体がふらつく感じもする。

安静にしておいた方がよさそうだ。


アナに手を引かれて寝室に向かう。

部屋で休むより寝室のベッドで横になってる方が良いとアナから言われたためだ。

ベッドで横になるとすぐに眠気が襲ってくる。

嫌な夢を見なければいいんだけど……。


・・・


「あれ……、私?」

「もう朝だよ」

「え!?」


目が覚めるとリチャードがベッドの隣の椅子に座っていた。

どうもベッドで横になってそのまま寝入ってしまったらしい。


「久々にリタの寝顔を堪能できたよ」


目じりを下げて満面の笑みを浮かべるリチャード。

普段は私の方がリチャードの寝顔を堪能するのに、

今日は堪能されてしまったらしい。

何か悔しいのでほっぺたをタプタプしておく。


「おおお、やへるんだ(やめるんだ)」

「恥ずかしい思いをしたからお返しです」


昔より贅肉が増えている気がする。

もう少し運動してもらわないと駄目ね。


……そういえばしばらく夜の営みをしてないし、


今日の夜に誘ってみようかな。

十分にほっぺたを堪能した後に離す。


「つらいなら無理して起きてこなくていいからね」

「大丈夫ですよ」


そう言ってベッドから降りて立ち上がる。

その瞬間、頭の血の気が引く感覚があった。

あ、駄目、立ち眩みが……。


「ほら、危ない」


でもリチャードが私を支えてくれた。

まるで私が態勢を崩すのが分かっていたみたいだ。


「今日はずっとここで一緒にいようか」

「お仕事はいいのですか?」

「リタの看病より大事な仕事はないよ」


穏やかに、でも強い意志で答えるリチャードを見て、

結婚が決まった時のことを思い出した。


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「いきなり貴族の嫁になると言うのは大変でしょうが、必ず幸せにします」


リチャードは私の家に来て結婚を申し込んだ。

ただの平民の家にわざわざ貴族様がやってくるなんて普通ありえない。

ましてや"申し込む"なんて考えられない。

ほとんどは貴族の指示でやってきた部下が"金で買っていく"であり、

最悪の場合はお金すら支払われず攫われるだけ。

でもリチャードは自分でやってきて私に選択肢を与えた。


「断っても不利益が生じることはない」

「受け入れれば家に対する十全な支援と君への幸せを約束する」


普通なら喜んで受ける話だけど、

母や姉は執拗に「断れ」と言ってきた。


その理由は彼の容姿にあるのだと思う。

小柄で丸顔で太った姿は貴族どころか大人にすら見えない。

せめて童顔ならまだしも顔自体は年相応。

母は「小さい大人って感じで気持ち悪い」と言っていたし、

姉に至っては「人間じゃない化け物か何か」とまで言っていた。


でも私はそうは思わなかった。

見た目も顔もまん丸なのはむしろ愛嬌があって良い。

ふっくらぷにぷにで触り心地よさそう。

そう伝えたら母と姉に変な目で見られた。


それに私を見つめる彼のまなざしは、

ただ私に愛されたいと願っているように思えた。

一生懸命私を選んだ理由を説明する彼の言葉は、

一言一言に魂がこもっている気がした。

だから彼を信じて結婚を受け入れた。


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実際、結婚直後は大変だった。

文化の違いや意識の違い、言葉遣い、礼儀作法、その他もろもろ。

覚えること・理解することはたくさんあった。

でもリチャードが助けてくれたおかげでなんとかなった。

その代償としてリチャードが私に求めたのはただ一つ。


「リタ……」

「んっ」


私にキスをしてきた。

相変わらずの甘えん坊さん。

私と目があったことで甘えたくなったのだろう。


「ちゅ、ちゅ、ん」


あれ?

普段は唇を啄むようなキスをしたがるのに、

今日はやけに舌を絡めたがる。


「んっ、ちゅっ、んっ」


私の舌の至る所にリチャードの舌が当たる。

舌の温かさで溶かされそうだ。


「ん、ん、ん」


こうして近くで見るとリチャードも年を取ったなと思う。

昔に比べて小じわが増えてる。

あ、まつ毛に枝毛がある。


「どうしたんだい?」

「ううん、幸せだなと思いまして」

「っ!……僕もだよ」


ちょっと苦しいぐらい力強くギュッと抱きしめられる。

どうしたんだろう?

まるで捕まえているみたいだ。

私はどこにも行かないというのに。


「リタ、もう離さない」

「どこも行きませんよ」


事故のせいで甘えん坊に拍車がかかってるみたい。

まだ朝だけど少し気持ちを落ち着けてあげよう。

そう思って服を脱ごうとしたらまだ普段着だった。

これでは自分で脱げない。


「脱がすの手伝ってもらえますか?」

「いやリタの体調が悪いのにそんなことしないよ」


そう言いながら私をベッドに寝かせる。

でもその後リチャードも私の横に寝て抱きしめてきた。


「しないのではないのですか?」


笑いながらそう言うと、少し拗ねたような表情をする。


「だって寂しいし隣で寝るぐらい良いよね……?」

「仕方ない旦那様ですね」

「愛してるよ」


やけに「愛してる」が多い気がする。

たしかに普段から多いけど今日は輪をかけて多い。

私が死ぬかもしれないと思っていたから不安だったのかな?


「私も愛していますよ」


そう言った瞬間、ベッドに押し倒された。

する気になったのかと思ったけどそのまま抱きついている。

まるで赤ちゃんのようだ。

もう、こういう時は本当に大きい子どもなんだから。

頭をなでていると段々眠くなってきた。

たしかにまだ疲れているのかもしれない。

でももう少しだけなでていたい……。


・・・


「奥様、朝でございますよ」

「ううーん」


隣に手をやるとそこには誰もいなかった。


「あれ? リチャードは?」

「旦那様はもう起きて仕事しておられます」


珍しいこともあるものだ。

私と一緒に寝る時はいつも私に抱き着いたまま起こされるのに。

寝顔を見ながら頭をなでるちょっとした楽しみが出来なくて残念。


「あ、服着替えないと」

「もう着替えは終わっております」


言われて服を見てみるとたしかに寝る前と変わっている。

リチャードが起きた時にアナに伝えてくれたのかな?


「お体の調子はどうですか?」

「まだまだ回復してないわね」


全体的にだるい。

やっぱり事故の影響なんだろうな。

……そういえば事故の傷ってあるのかな?


「ねぇ、アナ、私の体に事故の傷は残っているの?」

「っ!……ええ、多少」

「そうなのね、どのくらいで治るのかしら?」

「きっとすぐですよ」


アナが言葉を濁す時は何か後ろめたいことがある時だ。

どこに傷があるのか聞こうと思った時、

私の手を取って顔を近づけてきた。


「必ず治ります、そうお医者様もおっしゃっていました」

「そ、そうなのね」


鬼気迫るアナの雰囲気にちょっと押される。

あまり人に言えない場所なのかもしれない。

でもリチャードも何も言ってなかったから、

目立つ部分ではないのだと思う。


「食事はどうされますか?」

「ここで食べるので果物だけでいいわ」

「わかりました、すぐに持ってきます」


いまいち食欲がわかない。

食べないと元気が出ないのだけど……。


結局この日から4日たっても、

体調は回復するどころか悪化する一方だった。


・・・


「おはようございます、奥様」

「おはよう、アナ、ねえ、本当に私良くなってるの?」

「ええ、顔色も良くなっておりますよ」

「何も食べてないのに?」

「わたくしが寝ている間に食べさせておりますから」


嘘だ。

それなら口の中に多少なりとも何かが残る。

でも昨日も一昨日も何も口の中になかった。

それにもっとおかしいのはこと。

これだけ食べていないのだからもっとお腹が空くはず。

なのに多少お腹が減っている程度しか感じない。


「ちょっと出歩こうかな」

「体調はよろしいのですか?」


やはりそうだ。

顔色が良くなっていると言っているのに体調を聞いてきた。

本当に顔色が良いなら聞く必要はないはず。


「ええ、大分良くなってきたから」

「……わかりました、お着替えは済んでいます」


そう、これも疑問だ。

毎日目覚める前に着替えが済んでいる。

でもなぜわざわざ寝ている間に着替えをするのか?

……それはつまり私に体を見られたくないということではないか?

もしそうなら見ただけで分かる何かが体にある。

ただ昨日は寝たふりをしてみたけどアナに気づかれていたので、

着替えを見るのは難しいだろう。


部屋の外に出て食堂に向かう。

3日ぶりに歩くせいか大分体が重い。

体がなまっているみたい。

いつもよりかなりスローペースで移動する。


食堂付近でコック長のジェフを見かけた。

丁度いいので朝食を頼んでおこう。


「ジェフ、ミルク粥を頂けるかしら?」

「あ、奥さm、ひっ!?」


振り向いたジェフの顔が恐怖に染まった。

イリーシャと同じ反応のように見えるけど、

タイミングがおかしい、

ジェフの場合は明らかに私と分かった上で驚いている。


「す、すみません、すぐお作りしますね」

「やっぱりいらないかも」

「そんな」

「忙しそうなのに無理させちゃいけないよね」


そうそうに話を打ち切ってその場を離れる。

ジェフとイリーシャの反応は異常だった。

でもリチャードとアナの反応はいつも通り。

その差は何なのだろう。


私がここにいることが不自然だとか?

使用人の間では死んだことになっているならあり得る。

でもそれならイリーシャはともかくジェフが驚く理由はない。

少なくても一度は私のために料理を作っているし、

私が声をかけた時点では驚いてなかったから。

まだ足りない、何かが違うんだ。


廊下を歩きながら考えごとをしていたためか、

普段来ない使用人たちの部屋の近くまで来てしまった。

こんなに遠くまで来てしまったら帰るのが大変だ。

そう思いながら振り返って帰ろうとした時のこと。


「め、目と鼻のない化け物!?」


使用人の子どもと思われる二人が、

私の方を見て逃げ出していった。

後ろを振り返っても誰もいない。

暗いから何かと見間違えたのかな?

それにしても化け物だけならともかくやけに具体的な内容だ。

目と鼻……か。


何の気なしに鼻を触ろうとして気づく。

鼻が……ない。

代わりに穴が空いているのが分かる。

それはつまり……。


あわてて目を軽く触ろうとしてみる。


事故後に初めて食堂に行った時、

リチャードが「事故にあった」「よかった」と言っていた。

あの時のリチャードには驚きと喜びがあった。

私の顔の変化に対する驚きと私が生きていた喜びと考えれば辻褄が合う。

でもこれだけの怪我をしているのに、

私に痛みはないのはなぜだろうか?


体を見せない、突然の改築、全身のだるさ、食欲のなさ。

軽く手をつねってみる。

総合的に考えて導き出される結論は……。


そうか、私は事故で死んだのか。

そして何らかの方法で生き返らされた。

……死者蘇生。

魔術師と呼ばれる存在が使うことが出来る秘術。

死んだものを生き返らせて使

そうやって研究を進める召使いとする。

伝説上の話だと思っていたけど、

もし私が死んで死者蘇生を受けたのだとしたら……。


「リタ、こんな所にいたのかい!?」

「奥様!!」


焦った顔をしたリチャードとアナが駆け寄ろうとしてくる。


「近寄らないで!!」


顔を隠してしゃがみ込む。

こんな醜い姿を見られたくない。

それに誰かに操られているかもしれない。

もしそれでリチャードを傷つけることになったら、

後悔してもしきれない。


「もう私は昔の私じゃない、あなたに愛される資格なんてない」


あなたの好きだった私はもういない。

このまま誰の目にも触れずに消えてしまいたい。


「私はもう死んだと思って諦めて」


そう言った瞬間だった。


「はい、その通りーーー」


突然目の前から声がした。

目を開けてそちらを見ると男が立っている。

通路から来た気配も窓から入った気配もなかった。

まるで無から現れたような……。


「魔術師殿!?」

「やあやあ、一週間ぶりかな、リチャードくん」


リチャードの知り合いのようだ。

でも魔術師?

彼らは深い地下の奥底で研究に勤しんでいることがほとんどで、

地上に姿を現すことは少ないと言われている。

ましてや私たちのような小貴族に会いに来るなんてありえない。


「契約の条件未達ということで回収に来たんだよ」

「待って下さい、まだ」

「もう貴方は気づいているよね、貴方は死んだんですよ」


目の前に鏡が現れる。

そこに映ってたのは。


「ひっ!?」

「それが貴方の姿、周りが隠していた醜い姿」


映る姿が自分だと信じたくなかった。

肌には大きな傷が幾つも走っていた。

鼻は削り取られて残っていない。

唇は引き裂かれてズタズタ。

そしてなにより彼が褒めて愛してくれた目はなかった。


「すごいだろう、そんな状態でも見えるようにしてあげたんだよ」

「な、んで?」

「見えなければ絶望出来ないだろう?」


悪意に満ちた笑みを見てようやく理解した。

リチャードに死者蘇生を持ち掛けたのはこいつだ。


「チャンスを、チャンスを頂けないでしょうか」

「そうだねぇ、彼女とキス出来るかい?」

「もちろん」

「やめて、リチャード」

「やめない」

「もう化け物なのよ!?」

「僕の目にはいつものリタしか見えない」

「あなたが好きだったものは何も残ってないのよ」

「リタが生きていてくれればそれでいい」


優しいキス、それは事故から目覚めた時と同じ。

ああ、そうだ。

事故から目覚めたあの時から顔はこんなだったに違いない。

それでもリチャードはいつもと変わらないキスをしてくれた。

こんなに醜い私を。


「あっはっは、滑稽だねぇ、見ろよ、化け物とキスしてるぞ」

「リタは化け物なんかじゃない」

「彼は目が腐ってるのかな? あ、彼女は目がないからお似合いか、あははー」

「失礼な発言はご遠慮いただけますか?」

「いやぁ、誰が見てもそういうだろう、なぁ?」

「わたくしにも奥様の綺麗なお顔しか見えませんね」


アナの同意を得られなかったのが不愉快だったようだ。


「主従揃って目が腐ってるのか」


吐き捨てるように言うとこちらに向き直った。


「さあてそろそろ回収と行こうか」

「待って下さい!! お金なら差し上げます、家も差し上げます、だから」


膝をついて懇願するリチャード。

こんなになりふり構わない姿を見るのは初めてだった。


「契約は契約だからねぇ」


嫌らしい笑みでそう答える魔術師。

契約……、契約とは一体何だろうか。

さっきの断片的な話から考えると、

死者蘇生で何らかの契約をしたんだろう。

ならその契約内容は?


「ねえ、魔術師さん、契約ってなんだったの?」

「そんなことも理解できなかったのかい? ああ、脳みそ死んでるんだったね」


いらつく喋り方だけど我慢する。

少しでも情報を引き出す方が大事。


「本人が一週間以内に気づかなければ成功、気づいたら失敗だよ」

「気づくって何を?」

「もちろん死者だと気づくかどうかという話だよ」


この姿で気づかないなんてことはあり得ないだろう。

私だってリチャードとアナが努力してくれていなければ、

すぐにでも気づいた。


「成功したらどうなっていたの?」

「ちゃんとした形で蘇生してあげることになっていたね」


つまり成功すれば完全に生き返るということ。

それを餌にされてリチャードは話に乗ってしまったんだ。


ただ悪質なのは成功して完全に生き返れたとしても、

使役されたままであること。

魔術師の手駒となってお金をむしり取られるのが関の山だ。


「契約は"死んだことに気づくかどうか"なのね」

「そう言っただろ、頭悪いな」


なるほど、ならここで一つ問題が出てくる。

私が認識した時?

でもアナは言っていた。

「心の中は証明できないので大丈夫」だと。

それに心の中を読めていたなら魔術師の来たタイミングがおかしい。

魔術師が来たのは私がリチャードを拒否した時だった。

明らかにタイミングを測っていたのを考えれば、

あの時が契約を破った時と思っているだろう。



「私は自分が死者だと気づいていなかった」

「は? 何言ってる、彼に「私はもう死んだ」と言っていたじゃないか」

「「私はもう死んだ"と思って"諦めて」としか言っていない」


言い回しの違い、

それは契約においては致命的な違い。

でも魔術師はそれに気づいていない。


「その前にも鼻を触っていただろう? 存在しなくなった鼻を」

「そう、てっきり事故でなくなったんだと思ってた」


実際はそこで蘇生されたと気づいていた。

でもそれは客観的に証明できない。


「死んだ"と思って諦めて"と言っている時点で死んでいるとは言っていない」

「は?」

「あなたが答えを教えたから気づいただけ、あなたの契約違反よ」

「言い訳は聞き苦しいよ」

「でも今なら契約破棄してあげてもいい」

「なるほど、それが目的か」


少し納得した顔をしている魔術師。

契約違反の可能性はある、それは間違いない。

なら私に出来るのは、

可能性の話を広げて契約破棄を迫るしかない。


「あなたの契約違反ならあなたに罰が下るわよ」

「腐った頭で一生懸命考えたようだけど無駄だよ」


強い口調。

魔術師的には確信があるようだ。


「貴方の動きはどう見ても死んだと気づいている動きだった」

「死者が動くのと大怪我で生き延びたと考えるのとどちらが常識的かしら?」

「目がないことに気づいたのに目が見えていることはどう思ったんだ?」

「その二つの関連性にまったく気づいてなかった」


これは本当。

あの時そういう発想はまったくなかった。


「都合の悪いことは聞いてません、知りません、が通るわけ無いだろう?」

「契約は契約よ」

「適当に誤魔化してるだけのくせに」


実際に気づいていたのは確かだから、

変に無理やり理由付けると矛盾が出る。

知らない、分からないで誤魔化すしかない。


魔術師がため息をついてこちらから視線を切る。

あ、駄目だ、会話が打ち切られた。

魔術師の懐から紙を出す。


「強制執行だ!!」


魔術師がそう言った瞬間、私の背後から恐ろしい気配を感じた。

慌てて振り向くと、

そこには鎌を持ち黒装束を着た骸骨が立っていた。


「こいつが出てきたってことは条件を満たしているってことだ」


魔術師が勝ち誇った顔をしている。

ああ、駄目だった……。

せめて契約破棄だけでもと思ったけど無理だった。


リチャードを残して逝くのが心残り。

あの人は私がいなくてもやっていけるだろうか。

一日一回は私に甘えないと気が済まない人なのに。

せめて一週間のうちに相手を探しておけばよかった。

あ、でも屋敷の外にはどうせ出られなかったから無理か。


骸骨が近づいていた。

痛いのかな?

出来れば痛みがないと良いな。


「リタは渡さない!!」

「リチャード!?」


気がついたら私の前にリチャードが立っていた。

とっさにリチャードを押しのけようとしたけど、

力強く踏ん張っていて動かない。

しかもさらに影が重なった。


「アナ!?」

「お二人をお守りするのがわたくしの役目です」


だめ、みんな死んじゃう!!

死ぬのは私だけで十分!!


「……え?」


もう駄目だと思ったその時だった。


え? どういうこと?

骸骨が向かう先は魔術師の方だ。


「ん? 対象はあっちだぞ?」


魔術師は骸骨を手で追い払うような仕草をしている。

けど骸骨はまっすぐ魔術師の方に向かっている。


「は? 何でこっちに?」


骸骨が鎌を振り上げた。

暗闇の中で青白く光る刃は幻想的だった。


「ちょ、ちょ、ちょっと待てよ、俺はちg


骸骨が鎌を横なぎに振るった瞬間、

まるで糸が切れたかのように魔術師の動きが止まった。

骸骨の空いている手には白く光る玉のようなものが握られていた。


骸骨は無言でこちらに振り向いた後、

こちらに鎌を振り上げた。

全員呆気にとられていてまったく反応できない。


そのまま鎌を振り下ろされる。

ああ、さっきみたいに一瞬で死ぬならいいか。

そう思って目をつぶる。

けど一向に痛みが来ない。


もしかして痛みもなしで天国に連れて行ってくれた?

そう思って目を開けてみると、

そこは天国ではなく先ほどと同じ場所だった。

ただ目の前にいた骸骨の姿はない。


「リタ、大丈夫か!?」


リチャードが後ろから声をかけてきた。

やっぱりここは現実の世界……?


「そ、その姿は!?」

「え?」

「奥様!!」


リチャードとアナが私に抱き着いてきた。

アナの抱きしめる力が強すぎて潰れそう。


「戻ってるんだ、君の姿が!!」

「え!?」


とっさに鼻に手を当てる。

……存在する。それに肌に傷もないし弾力も違う。


「奥様が骸骨の鎌に切られた瞬間、一瞬で元のお姿に」

「よかった、よかったよ」


そう言うとリチャードが大泣きし始めた。

あまりの大声で人が集まってきてしまったので、

アナと二人で寝室まで連れ帰る。

しばらくしてようやく落ち着いた後、

リチャードが話し始めた。


「おそらくリタの言った通りだったんだと思う」

「魔術師の契約違反ですか?」

「そう、気づくより先に教えてしまったことで契約違反となったんだ」

「でもどうして強制執行するだけで魔術師は死ぬことになったのでしょうか?」


そこがいまいちわからない。

強制執行なら生き返らせて終わりのはず。

魔術師が死ぬ理由がない。


「おそらく完全な死者蘇生には代償が必要だったのかと」

「代償?」

「人の命、か」

「はい、代償が準備されていなかったので魔術師自身が代償になったのだと思います」


もしそうなら、

たとえ契約を成功させていても、

代償は自分で用意しろと言われたんじゃないだろうか。

……リチャードにそんなことをさせなくて本当によかった。


一通り話し終えた所で、

リチャードがチラチラとこちらを伺っている。

それを見たアナがため息をつく。


「二人とも入浴をお願いします」


リチャードは一人で、私はアナに連れられて入浴させられた。

その時アナが体を見て「よかった……」とつぶやいていたけど、

よっぽどひどい状態だったんだろうな。


寝室に戻るとリチャードが飛びついてきた。

まだアナがいるというのにキスを始める。

それを見たアナがまたため息をついて出ていった。


「リタ、リタ、リタ」


ついばむように何度もキスする合間に私の名前を呼ぶ。


「傷一つない……本当によかった」


泣きながらキスしてくるのは反則ね。

どうすればいいか困ってしまう。


「キスした時に気づかれるかと思って普段しないキスにしてたんだ」

「そんなに気を遣うならしなければよかったのですよ」

「それは嫌だった」


まるで駄々っ子のようなことを言ってキスしてくる。

でもあの時の私は化け物のような顔だった。

そんな私とする方が嫌だったのではないだろうか?


「どうしてあんな姿の私にキスしてくれたのですか?」

「リタだって僕にキスしてくれるじゃないか」

「だってリチャードは変わっていませんから」

「僕を好きだと言ってくれたのはリタだけだったんだよ」

「そんなことありませんよ」


リチャードがキスを止めて私の顔を見る。

優しい目で見つめられると照れてしまう。


「そんなに見つめられると照れますよ」

「最初にあったときのことを覚えているかい?」

「たしか私の家に来た時ですよね」

「その前に一度会っているんだ」


記憶にない。

貴族と知り合いになるような機会はまずないから、

何かあったなら覚えていると思うのだけど。


「店で服を買って出ていく時に君とすれ違ったんだ」

「そんな一瞬のことなのですか?」


たしかにそれぐらいなら可能性はある。

でもそれだけで何が印象に残るんだろう?


「目が合った時に微笑みながら「お似合いですね」と言われたんだ」


言われて思い出した。

偉い人を引き連れて出ていくのを見てそんなことを言った記憶がある。


「それぐらいみんな言うでしょう?」

「媚びるような態度で言われることはあったけど素直な賞賛はなかったよ」


そう語るリチャードの言葉には実感がこもっている。


「その瞬間、恋に落ちた」

「たったそれだけで、ですか?」

「君にとってはそれだけでも僕にとっては全てだったんだ」


そう言って優しく口づけをされた。


「だから君を失いたくなかった、本当によかった……」


泣きそうな顔で私を抱きしめる。

ああ、この人には私以外の支えがいる。

今のままならもし私がいなくなったら死んでしまうだろう。


「私、子どもが欲しいです」

「リタ?」

「旦那様との愛の証が欲しいのです」

「でも僕の見た目が遺伝したら……」

「私はリチャードの姿が大好きですよ」

「リタ……わかった、作ろう!!」


・・・


「リタ……」

「もう、甘えん坊さんですね」


夜の営みの後はいつも胸の谷間に顔を埋める。

いつも窒息しないか心配になるけど断固としてやめない。

頭をなでているとそのまま目を閉じて眠り始めた。

きっと疲れていたんだろう。

たくさん出してもらったし子どもが出来てくれるといいな。


……私に何かある前に。


・・・


6年後。


「レイナはかわいいなぁ」

「そうでしょう」


ふふんと胸を張っているのはリチャードと私の娘のレイナ。

あの後すぐ妊娠して元気な女の子が生まれた。

生まれた時からリチャードはレイナに首ったけで、

ひと時も離れないというぐらい溺愛している。


「レイナ、リチャードはかわいいな以外言いませんよ」

「わたしがかわいいのは事実だから仕方ありませんわね」


この自信家ぶりは誰に似たんだろう。

リチャードだけでなくアナや他のメイドもかわいがっているから、

それで自信をつけたのかもしれないな。


「僕に似なくて本当によかった」

「あら、お父様もかわいいと思いますわよ」

「レイナ……愛してるよ!!」

「もうお父様ったら」


抱きついてきたリチャードの頭をなでているレイナ。

態度だけ見ればどちらが大人か分からない。

あの様子なら親子間の仲が悪くなることはないだろう。


これで私がいなくなったとしても大丈夫。

最近、段々と体が動かなくなってきている。

やっぱり死者蘇生の効果は永続ではなかったのだろう。


「どうしたんだい、リタ?」

「なんでもないですよ、今が幸せだと思っただけです」

「僕も幸せだよ」

「わたしも幸せですわよ」


長くはないだろう。

でもその時が来るまではこの幸せに浸っていたい。

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