第11話 悠の言葉
楓はそろり、と自室を抜け出してリビングの冷蔵庫へお茶を取りに行った。
一口冷えた麦茶を喉へ流し込むと、気持ちがすっと和らぐ。
もう一口飲もうと口をつけた時に、背後に気配を感じた。
「あ、悠さん」
「まだ起きてるとは思わなかった……眠れない?」
「はい。なんだか、まだ落ち着かなくて。オーディション合格して、本当にすぐにここに連れてこられるとは思わなかったんで」
「まあうちのマネージャーも仕事はできるんだけど、なにごとも強引すぎるところがあるからね」
そういわれ、楓は納得したように頷いた。
爽やかな笑顔を向け、悠は戸棚からコップを取り出すと、蛇口を捻って水を注いだ。
「楓。俺たちの曲で、どの曲が好き? どれがいいと思う?」
「え、ええと――どれもいいから、迷いますね?」
とっさにきかれ、楓は慌てた。
「そんなこといわずにさ。なにか一曲でいいよ」
ごめんなさい、今日までグループ名すら知りませんでした……と、心の中で弁解する。少なくとも、ポップを聞くどころではなかった楓には、聴く機会は全くといっていいほどない、知らないのも無理はなかった。そうでなくとも、両親含め周りが聞かせてくれすらしなかっただろう。
楓が困惑していると、悠は顔を覗き込んできた。
「まさか、と思うけど……俺たちの曲について特に知らないのか?」
「! ……ご、ごめんなさい。これから覚えますから」
「ああ、そうだったのか。そういうことか。何も知らずにオーディションを応募してきた……そう、なんだ」
「すみません」
素直に謝る。そういうしか、楓にはできなかった。嘘をつき続けるのは、なかなか心が苦しいものだ。だが、とても残念そうな表情を浮かべ、悠はため息をつきながら首を振った。
「……それにしても、もう淳史と蒼汰とは打ち解けたんだな」
「打ち解けた、といえるならいいんですけど、二人ともいい人ですし」
「ああ、淳史は人懐っこいし――いや、人たらしかな。蒼汰はなんだかんだでお節介……これも良くいえばお人よしだな。二人ともなんだかんだで優しいタイプだと――俺も思う」
そういいながら、悠は楓にニッコリとやけに明るくほほ笑みかけた。
「……ところで楓、霧崎さんとも、さっき話してたのを見たけど……霧崎さんとも、もう打ち解けた?」
「どうでしょう、あの方はちょっと違うかなと思いましたが」
どちらかというと、手厳しい視線と口調だったような――……楓がそう思うと、悠はスッと冷たく底冷えした視線へと変わる。
不穏な雰囲気の変わりように、楓は少しだけ首を傾げた。ごくり、と息を呑む。
「そうだろうな、あの人は仕事に対して、厳しいから。いや、音楽に対しても、自身に対しても厳しい。だから、中途半端な気持ちでやっている奴には興味がないか、冷たいところがある」
「なるほど」
「でも」
悠は楓に大きく距離を詰めると、コップの水をゆっくりと――楓の頭にかけた。
楓は何が起こったかわからず、ぼうっとしているとポタポタと、水が髪の毛の隙間から伝い流れ落ちていった。思わず、悠へ視線を投げた。
「俺も同じ考えだ」
「え――……? ゆ、悠さん……?」
「新メンバー加入したと思ったら、俺たちの曲を知らない? これから覚えるから? こんな中途半端なやる気のやつだとはな。心底残念だよ。真剣にやっている俺らに、なにより他の応募してきた他のやつらに失礼だと思わないのか?」
降り注ぐ
ぐうの音もでない正論に、楓は思わず言葉に詰まった。
「それは、そうです……」
涙が出そうになり、こらえた。
悪いのは、確かに自分だ。そのあたりの認識が甘かった。自分が受けなければ、代わりに受かった人がいる。この位置に立ちたかった人間がいる。
反論はせず、ぐっと息をこらえた。
「ごめんなさい」
「謝ってもらわなくても結構だ。甘えた根性の、やる気がないヤツは俺はいらない。やめるならさっさとやめてくれ」
悠はそれだけをいうと、踵を返し去っていった。
――悠に叱られ、そして何より嫌われて、いる。自業自得だ。
それはわかっているが、楓はとても息が、心が苦しかった。
リビングで、ただ一人、静かに楓は暗闇の中で考えていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます