016:路地裏の喫茶店にて

「おはよう、朱日。昨日の事、大丈夫だった?」


 翌朝、登校時間。朱日が寮から学校に向かう途中、偶然こちらを見つけた太月が、いつも通りの爽やかな笑顔で迎えてくれた。しかも、昨日の件についても心配してくれているようだ。

 朱日はいつも通りすぎる太月に対してポカンと口を開きながら、コクコクと頷いた。


「あ、いや……ああ、大丈夫じゃ。自分でもよく分からん部分で精神がブレたみたいでなぁ」

「そっかそっか。いつも通りの朱日に戻ってくれれば、おれはそれで良いよ」


 と、


「おれ、そっちの事殆ど知らないからさ。変なところで触られたくない所に触っちゃったのかなって思って、心配だったんだよね。多分それは当たってると思うんだけど」


 そう言いながら、太月はニコッと微笑みかける。


「そのうち、朱日の事色々話して欲しいな。おれに触れてほしくない部分があっても朱日なら無意識に避けてくれると思うけど――おれは鈍感だから、そういうの分からなくてさ。だから、そっちの気が向けば、ね」

「太月……」

(陣介が言っておった、気にしてなさそうってのは、当たっておったか)


 その上、言及されたのは怒りとか他の感情ではなく、純粋な心配だった。確かに、いつもの朱日の立ち振る舞いからあの態度になってしまうと、怒りやどうこうよりも心配の方が先に来る事もあるだろう。自分でも様子がおかしくなったのは自覚しているし、身の上についてはしっかり話しておいた方が良いだろう。

 と、同時に、ここまで他人に優しく心配された事が結構久々な気がする為、朱日は思わず太月に質問してしまった。


「なぁ、太月。なんでそんな優しくしてくれるんじゃ。お前ぐらいじゃぞ、そんなにわしの事心配してくれるの」

「えっ……なんでって言われても」


 太月は困ったように目線を泳がせると、再び朱日を見据えて言った。


「そりゃ、おれにとっては唯一無二の友人だからだよ。それに、いつもの朱日にしては妙な空気がそこにあったからさ、気になって」

「……そう、か」

(太月はやっぱり良いやつじゃのう。わしなんかには勿体無いぐらいじゃ)


 朱日は思わずクスッと小さく笑みを浮かべた。太月としてはそれが当たり前だと思っているのだろう。しかし、碌な人間関係に巡り会わなかった朱日にとって、彼の優しさは胸の中にじんわりと染み渡る優しさがあった。

 それから、太月は何か言いづらそう、というよりも、どこか緊張している面持ちで、朱日に質問した。


「あの……その、朱日。今日の午後って予定ある? 今日も午前授業だよね」

「ん? 特に無いけぇ、どうした?」

「じ、じゃあさ、今日学校終わったら――」

「おー、生徒会長だ!」「おはようございます!」「今日もカッコいいですね!」


 ――太月が言い切る前に、こんな感じで周りの声で遮られた。

 太月はその声に気圧されつつ、朱日と共にそちらを振り向いた。英語が殆どわからない朱日は頭上で「?」とクエスチョンマークを浮かべて、向こうに映る光景を見た。


「ぁ……」


 すると、そこには、魔法学科特有のコートを羽織った青年の姿があった。

 顎の付近まで伸びているシルバーブロンドのサラサラとした銀髪に、エメラルドのようにも見える明るい海緑色の切れ長の瞳。そして、顔立ちの方は非常に整っており、まるで精巧な芸術品のようだった。身長も高く、少なくとも180cmは優に超えている。スタイルも非常に良く、コートの下でもわかる長い足はスラリとしていて、非常に格好良かった。

 朱日がそんな青年の姿を見ていると、太月がその肩をポンと叩き、自分の方へ注意を促した。


「アレはこの学校の生徒会長ってやつ。高等部の2年生。見て分かる通り魔法学科の人で、首席候補の一人だよ。入学式の時にもスピーチやってたろ?」

「入学式は寝てて覚えておらんなぁ。英語で何言っとるか全くわからんし」

「そういうところは相変わらずだな〜……」


 太月はいつ通りマイペースな朱日に対して苦笑してしまった。

 それから暫く朱日と太月がその光景を眺めていると、


「!」


 朱日はその生徒会長と目線がちらりと合ったような気がした。あまりにも一瞬だった為、偶然だろうと思っていたものの、それにしてはこちらに向ける視線がやけに冷たいような気がした。魔力もほんのりと感じられ、こちらの身体に突き刺さるようなものだった。それだけでも魔法学科の主席候補というものに対して説得力があった。

 そうして、生徒会長の方はその場からとっとと立ち去り、学院校内へと入っていく。

 朱日はその背中姿を見つめながら、自分が覚えた彼に対する違和感に、思わず警戒してしまった。


(生徒会長、か……。確かに優秀そうじゃが、何かありそうじゃな)


 先程、生徒会長と目を合わせただけでも「これは何かがあるかもしれない」と、朱日は確信を得ていた。しかし、その何かは何なのかは確証は持てなかった。現段階では、いまいち信頼できない人間なのだろうというのが彼としての見解であった。

 それから、朱日は太月の方へと振り返り、質問した。


「そういえば、お前、さっき何か言いかけておらんかったか? 予定どうとかで」

「あ、ああ、そうそう」


 二人は生徒会長が去るなり、会話を再開して、学校の敷地内へと足を運んだ。それから、太月は唾を飲み込んでから、再び緊張した面持ちで朱日に言った。


「その……今日の午後、何も予定が無いならおれとランチして、それから一緒にロンドンの中歩かない? おれ、この周辺詳しいから色々案内出来ると思うし……その時に朱日の話、いっぱい聞きたいって思ってさ。ダメかな?」

「太月……」

「……おれで良ければ、幾らでも話聞くからさ。日本にいた時に色々あったんだよな、多分」


 太月はそう言って、朱日と共に校舎内へと入る。朱日は頷いた。


「……うん。ええよ。学校終わったら一緒に行こか」

「! ありがとな、朱日!」


 太月は嬉しそうにそう笑い、思わず朱日の肩に自分の腕を回した。

 そうして、二人は本日の午後は一緒にいる事になった。


 そして、学校が終わり、太月と朱日は早速一緒にランチが出来る店を探し始めた。太月曰く、この周辺で穴場がある、という事で空いていればそこで朱日と共にランチを迎えたいという。ロンドン周辺に詳しくない朱日は、その辺の細かいところは太月に任せて、その該当の店へ一緒に向かった。

 二人は店の方に早速辿り着くと、席の方はまだ埋まっていなかったようで、店員に案内されるがままに座った。この店、とある路地裏にひっそりと佇む喫茶店であり、学院からは歩いて約2〜3分程度の場所にある。

 朱日は太月に翻訳を手伝ってもらいながらメニュー読み進め、何を食べるか悩んでいた。太月はそんな朱日を微笑ましく見つめながら、会話を切り出した。


「朱日はさ、何でイギリス留学に来たの? 聞く限り、結構金持ちの家の坊ちゃんらしいじゃないか」

「まぁ、そりゃ……こっちにもこっちの目的があるんじゃ」

「どんな?」

「正義の魔法使いになる……って目的が」


 朱日は続けて、


「元来、魔法ってやつは日本だと人から恐れられて然るべきもんじゃったし、わしも周りから怖がられておった。じゃけぇ、それを将来的に打破できる近道として、そして、正しいことに対して大々的に魔法を使うようにする為に、ここに来たんじゃ。ここにくれば、それが出来るって上の人から確認取ったからのう」

「その中に、正義の魔法使いになるって目標があるわけだね。なんか良いなぁ、そういうの」


 そう言って、太月はやってきた店員から先に頼んであった紅茶を二杯分受け取った。その片方は朱日の方へと差し出された。

 太月はテーブル備え付けの砂糖をスプーン一杯分紅茶に入れて、ぐるぐるとかき混ぜる。


「おれはそういうハッキリした目標がないまま、魔法習ってきて、適当に授業受けてるだけだったから。何かそう思うきっかけとかあったの?」

「まぁ、そうじゃなぁ」


 と、朱日はノンシュガーのまま、紅茶に口を付けた。


「わしには昔、父方の叔母夫婦がおってな……」


 そして、朱日は自分の家庭環境や、昔、自分が置かれていた環境、そして、桜花と至が8月15日を迎える前に死んでしまった事など、店員への注文を挟みながら、ひたすら太月に話した。話さないのは隠してるのと同義――そんな陣介の言葉を脳裏に浮かべつつ、話せることはひたすら話した。至が特攻隊に言って死んだ事も含めて、だ。

 朱日が話し終える頃には、双方とも頼んだ食事も食べ終わり、食後の紅茶を嗜んでいる時だった。

 朱日は空になったティーカップを、受け皿にコトンと置いて、一息吐いた。


「まぁ、わしが話せる事はこのぐらいじゃの。話漏れはないようにしたつもりじゃが――それでも気になることがあったら、遠慮なく聞け」

「……いや」


 太月は朱日のその言葉に対して首を横に振り、続けた。


「朱日がそこまで話してくれたら、おれはもう何も質問出来ないよ」

「太月」

「……おれ、思ったより君の事、色眼鏡で見てたかも」


 太月はそう言って、顔を上げた。


「おれはさ、朱日に対して『何も苦労せず生きてきた人』って印象だったんだよね。だって、すごい綺麗な顔だし、金持ちだし、それに、カッコイイ魔法も沢山使えるらしいしさ。寧ろ何でロンドンなんかに留学にしにきたんだって思ってた」

「太月〜……。お前までそう思ってたのか……陣介や午朗にもそう思われとったぞ」

「あはは、そりゃそうだって。表面上の情報だけ掬い取れば、皆そう思うよ。特におれみたいな一般人からしたら、そうもなるって」


 太月は笑いながら続けて、


「でも、実際はそうじゃない事ぐらい、分かるよ。戦時中の日本を過ごしてきたんだ、いくら金持ちでも苦労してる事は沢山あるって、何となく分かる」

「……」

「なんて、戦勝国で暮らしてきた人間からそんな事言われたら、煽り文句でしか無いのかもしれないね。ただ、原爆投下や空襲に関する情報はこっちにも回ってきてたし、国民がその余波を受けないわけがないよ」


 それから、


「あとさ、朱日みたいなカッコいい子でも、強大な力を持てば怖がられるんだな〜って、そこも意外だったな。カッコよくて魔法が使えるって、逆に日本だと崇められたりしない? 向こうって何でもかんでも神様に変換するでしょ?」

「いや、そんなことは一切無かったけぇ。寧ろ、周りからひたすら避けられてきておったし、魔力の制御が効くようになってからも、何となく他人を信用し切れんくてなぁ。なんか、そういうのも嫌でこっちに来たのも数割ぐらいはあるかもしれん」

「そりゃ、心機一転したくもなるよ。おれだって似たような状況で留学の話が飛び込んできたら、期待を込めて引き受けるもん。でも、朱日が広島で友人関係に恵まれてたら、多分こっちには来なかったんだと思うと……それで良かったのかもね」


 と、


「おれは朱日に出会えて良かった。こうやって色々とお話も聞けたし、おれの事をハーフだからって理由で虐めるような事もしないからね。そういう意味だと、陣介くんや午朗くんとも出会えて良かったんだと思うけど」

「そういえば、太月も太月でその辺大変だって常日頃から言っとったが、本当なんじゃのう」

「そうそう。やっぱり敵国との混血だと、周りからの目線もどうしてもね――」


 そうして、話の主題が太月の混血問題へと変わっていき、彼がその事について駄弁り始めたところで、二人の間で電撃に違い戦慄が全身を駆け巡った。


「!」


 二人はそれに反応して、顔を上げて、窓越しに外を見る。

 ただならぬ黒い空気の中で、太月は朱日にチラリと話した。


「朱日……これ、もしかして」

「……そうじゃろうな」


 太月と朱日は互いに顔を見合わせて、昨日、大賀が話していた事を思い出していた。というより、それ以外思い浮かばない。

 二人はとっとと会計を済ませてランチ代を払い、なるべく早く喫茶店の外に出た。そして、オーラを感じる方向へと薄暗い裏路地を抜けて、通りへと出た。

 途端、


「!」


 道の真ん中に置いてあった街灯が、地面に減り込む勢いで大きく倒れ、鈍い音を鳴らした。人々は街灯が倒れる瞬間、すぐに避けたようで、被害者は皆無であった。

 朱日と太月と共に顔を真っ青にしてそれを見ると、ふと、顔を上げて、向かいの建物の屋根を見た。


「……!」

(もしかして――アイツか!)


 朱日の目線の先には、真っ黒いコートを着た青年らしき姿があった。その青年はウェーブが混じった黒髪を靡かせながら、その瞳で朱日達をじっと見据えて、睨み付けていた。

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