第27話
『その力……神の力だな?』
フェンリルからの問いに笑いを含んだ問いに青嵐は不遜に顎を上げ、答えた。
「そうだ」
風が青く、蒼く光を帯びていき、彼の周囲で渦を巻く。その力はあまりにも圧倒的であり、世界を歪める眼前の妖魔の邪気をも容易く押し退ける。
青嵐は状況を見極めるまでもなく、たったの一瞥で即座に何もかもを理解した。
「……すぐに片付けるから待ってろ」
「ダメ、よ……あれは、フェンリル……! 神の力を持つ、あんたの……天敵……ッ!」
「かもなァー……ま、大丈夫だ。怪我人はそこで休んでろ」
暁音のくぐもった声にも返事を返す。眼前の怪物が只者ではないことには、青嵐も何となく勘づいてはいた。
ただ暁音がいうフェンリルとまでは思い至っていなかったので、彼女の勘にはやはり敵わないと心の中で笑う。
一切自分を恐れない青嵐に対し、フェンリルは咆哮を上げた。
『我を恐れよ、餌! 何故だ、何故我を恐れない!? 貴様は、死ぬのが怖くないのか!!!!』
「死ぬことが怖くないだって? 怖ぇよ、何言ってんだ。死ぬのが怖くない人間なんているわけねぇだろ」
悠然と一歩前へと足を踏み出す青嵐。たった一歩で彼から溢れ出す力の圧に圧され、フェンリルは息を呑むような音を立てる。
それを手に取るように感じ取った彼は五指を上げ、刀印を結ぶ。
その瞬間、風の刃が放たれた。最大限にまで力を高められた精霊が齎す一撃だが、フェンリルは嘲笑う。
『馬鹿が! 我がフェンリルの肉体にそんなものが通用するとでも────』
「ああ、思わんさ。だが、お前のそれが全てフェンリルであるならの話だがな」
神狼の爪が風の刃を捉えた瞬間、切り裂かれた。
風の刃が、ではない。フェンリルの爪が、だ。
予想だにしていなかった出来事にフェンリルは反応できなかったが、すぐに襲いかかってきた爪を一撃でへし折られた痛みに苦悶の声を上げた。
「何悲鳴を上げてんだ? お前、フェンリルなんだろ? だったら俺の風の刃が如何に風神の全てを付与できるとはいえ、届かねぇはずだ」
『ぐ、ぐぅ……!』
「やっぱり思った通りだな。お前、フェンリルの肉体を一部使ってるだけで────フェンリルそのものではねぇな?」
青嵐の確信を持った問いに答えは返ってこない。だが、沈黙こそが彼にとっては欲しい答えそのものだった。
今まであれだけ余裕を持っていたフェンリル────否、何某かが追い詰められている証拠だからだ。
「そもそもおかしいと思ったんだ。神獣でありながら、妖魔の気配を持つ。本来、この二つが両立することは有り得ない。神と魔、これらは相反する存在だからな……だが、可能性はあった」
青嵐の蒼穹の如く青く染まった双眸が空間の中に身を潜めるそれを見据えた。
「方法までは分からんが、おそらく儀式で呼び出したフェンリルの神体の一部を移植することで力を借りていた、ってところだな。フェンリルの肉体に適応できる辺り、お前の正体は犬神か。だから妖魔でもあり、神の力の一部が使える……妖魔自身の手でフェンリルの神体に触れられるとは思えねぇから、協力者がいるな?」
『き、貴様、何故……』
それを、と言い出そうとした言葉を先回りして青嵐は答える。
「風神の力は何もただ力が増すだけじゃねぇ。風の全てを委ねられる────風の精霊魔術師の特性は探知探査、つまり……お前の正体を割り出すだけの情報をこの世界から掻き集められる」
『馬鹿、な……! そんなこと、出来るものか……! そもそもそんなことをすれば人間の脳程度で処理できるはずが……ッ!』
「出来なきゃ俺はお前の正体を看破出来てねぇよ。契約者の力を舐めんな。潔く諦めろよ、犬神。お前の敗けだ」
犬神は唸る。威嚇ですらない。負け犬の遠吠えすらできない。
このままでは眼前の
それは犬神という"神"の名を冠した妖魔としての自尊心が許さなかった。
『舐めるなよ、餌風情がァ!!!!』
ついに空間からその正体を表す。とてもじゃないがフェンリルというには瘴気が濃く、神の手から作り出された兵器には程遠い。
妖魔の中の妖魔。その貌には今まで喰らってきたのであろう人間の魂がびっしりとこびりついており、苦悶の表情と怨嗟の声が空間を侵食していく。
澱んだ魂は空気を穢し、精霊達を犯し、堕落させる。
暁音の火の精霊魔術が通じなかったのは、彼女の精霊達が力を万全に発揮できなかったからだ。
しかし、今の青嵐は違う。彼に向かっていく全ての瘴気は掻き消され、青嵐から放たれる風圧によって浄化されていく。
「効かねぇよ。風神と契約した俺は全ての風を与えられている。対妖魔に特化した風も言わずもがな、だ」
『あ、有り得ん……! 我が瘴気が……全て消し去られていく……ッ!』
青嵐の青の風を押し潰そうとしたが、逆に真正面から捻じ伏せられ、塗り潰されていく様に愕然とする犬神。
神と対等に契約を交わした人間と神の名を冠しただけの
力の差は歴然だった。
「当然だ。俺の風は浄化の風、悪しきものを問答無用で祓う絶対的な風だ。受け止めることも、防ぐことも、相殺することもできるかよ」
そんな妖魔の反応を愉しむように青嵐は勝気な笑みを浮かべながら歩を進める。
それは勝利を確信した者の歩みだ。
そして、ついに犬神の目と鼻の先へ立った。爆発的に増幅されていく浄化の風を恐れながらも、空間全てを席巻する青嵐の風から逃れる術がなく、ただ見下ろすしかない状況。
完全に追い詰められ、恐怖に貌を引き攣らせる犬神を見上げ、青嵐は中指を立てた。
「詰みだ────死ね」
次の瞬間、犬神の顔は空間ごと真っ二つに裂け、爪からその先にかけて亀裂が走っていく。
やがて噴き出した血飛沫が青嵐に浴びせられる前に蒸発し、犬神という妖魔がいた痕跡は跡形もなく消し飛んだ。
「終わった、ぜ……」
「ちょ、あんた大丈夫……って、寝てる……?」
へらりと笑った後、青嵐は仰向けに倒れた。漸く復帰した暁音が駆け寄ると、彼は寝息を立てていた。
どうやら風神の力を使ったせいで体力を全て持っていかれたようである。
(あれだけの力を、完全に制御して……私と以前戦った時よりも遥かに強い……! こいつ、一体どれだけ私よりも先を歩いてるのよ……ッ!)
あまりにも常軌を逸した力を前にし、暁音は何も出来なかった不甲斐ない自分の有り様に唇を噛み締めた。
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