第9話

「ブカブカだけど……ま、楽だからいいか」


 俺の家に到着すると、萌夏は部屋着を要求してきた。


 適当なTシャツとステテコズボンを渡すと、萌夏は風呂場に行って大人しくそれに着替えて戻ってきた。


 ベッドを背もたれに隣に萌夏が膝を立てて座ると、ダボダボのハーフパンツの裾がずり落ちるくらいにはサイズが合っていないようだ。


「部屋着ないの? 女の子用」


「あるわけないだろ」


「ふぅん。ま、これで十分。ありがと。単にカマかけてみただけだから」


「これで『おう、あるぞ』って言いながら出すのも面白そうだな」


「や、それは困るなぁ」


 萌夏は笑いながらリモコンを操作してサブスクの動画アプリを立ち上げる。


「何か飲むか?」


 萌夏はリモコンを持ったままコクコクと頷いて「コーヒー」と言った。


「結局かよ……」


「ミルクたっぷり。砂糖多めのデロデロに甘いやつ」


「デロデロに甘いやつな」


「ん。デロデロね」


 立ち上がってキッチンに向かい、冷蔵庫からボトルコーヒーを取り出すと萌夏が「えっ!?」と驚いた声を上げた。


「なんだ?」


「や、ぼ……ボトルのコーヒーもあるんだって思っただけ」


「そりゃあるだろ……」


「そういうものなんだ」


「萌夏ちゃんだって安物のイヤホンで音楽聴く時もあるだろ?」


「や、ないよ」


「ないか」


 あまり適切な例えじゃなかったらしい。ただ夜も遅いので適当に済ませるためにボトルコーヒーを牛乳で割ってシロップを多めに注ぎかき混ぜる。


 リビングに戻り、萌夏にコップを渡すと「デロデロ?」と聞いてきた。


「飲んでみなよ」


「いただきます」


 萌夏は一口飲むと嬉しそうにはにかんで「デロデロだね」と言った。どうやらお気に召したようだ。


「ね、匠己さん。こんな時間にコーヒー飲んでよかったの?」


 萌夏は自分からオーダーしてきたにも関わらずそんな事を言いだした。


「ま、なんとかなるだろ。萌夏ちゃんもよかったのか?」


「私は耐性ついてるから。カフェ中だし」


 カフェイン中毒と言いたいんだろう。


「アル中みたいに言うなよ……」


 萌夏はニヤリと笑う。右手はまだリモコンを触っていて、ドラマや映画のサムネイルが次々と流ていっていた。


「やめやめ。あ、YoTube見ちゃお」


 萌夏はニシシと笑ってテレビで動画サイトのアプリを立ち上げ、俺のアカウントにログインしたまま、動画の履歴を開いた。


「見ても面白くないぞ」


「絶対面白いよ。あ、ヨネ聞いてるんだー」


「あっ……」


 萌夏が一気に履歴を遡るので、俺が試しにヨネの投稿したMVを観ていたことがバレる。


 別に悪いことはしていないはずなのだが、妙に恥ずかしさが込み上げてきた。


「いいよね、この人の曲」


「自画自賛か?」


「や、私は知らない人なので」


 萌夏はそう言ってニヤけながらすっとぼける。


「匠己さんの感想が聞きたいな」


 萌夏は口元をコップで隠して、ちらっと俺の方を見てから聞いてきた。


「感想なぁ……うーん……デロデロ?」


「デロデロでしたかぁ……」


 満更でもなさそうに萌夏が笑う。


 萌夏はそのまま他のアーティストの曲を流し始めた。


「ミュージシャン、『東京』というタイトルの曲を一曲は持ってる説」


 萌夏が脈絡もなくポツリと呟いた。


「あー……確かに。よく見るな」


「各々の東京像があるんだね」


「萌夏ちゃんはどこ出身なんだ?」


 萌夏は「ゔっ」と言い淀んで誤魔化すようにテレビの音量を少し上げた。


「近所迷惑だ」


 俺はそう言ってリモコンを奪い取り、音量をもとに戻す。


「や、都内ではあるんだけど……こう、カリスマ感がなくなるから言いたくないんだよね」


「カリスマ感ねぇ……」


 男物のダボダボの服を部屋着にしてデロデロに甘いカフェオレを飲んでいる人にカリスマ感も何も無いだろうと言いたくなる。


「ま、元々ないんだけど」


 萌夏はふふっと笑ってコップを口につけてそう言う。


「だよな」


「ちなみに実家は小平」


「確かにそれはカリスマ感ないな」


「でしょ? だから、顔を隠して姿を隠して出身も隠して。全部を隠してやってるわけさ」


 ヨネのプロフィールに小平出身なんて書かれてたら確かにギャグ路線だよな、なんて思ってしまう。


 正体不明、なんて響きが若者には受けるんだろう。


 中身はただのカフェイン中毒で、味覚と性格がちょっと変わっていて、引きこもりがちな小平出身の小柄な女の子。


 それが自信に満ち溢れた人生を送っていそうな爆美女の湖中さんにあれこれ言われたら苦しくもなるか、と妙に納得してしまう節もある。


「カリスマ、映画でも観るか」


 話題を変えようとそんな提案をする。


「カリスマ『さん』だよ」


 萌夏は笑いながら俺からリモコンを受け取るとまたサブスクの動画配信アプリを立ち上げ、ランキング1位にいる洋画を流し始めた。


 ◆


 映画を見終わると午前3時を越えていた。


「そろそろ寝る?」


「そうだな……うぅ……寝るかぁ……って、どうすんだ? 萌夏ちゃん、ベッド使うか?」


「や、それは申し訳ないから私はベランダで寝るよ」


「せめて屋内にしてくれ!? ベランダに追い出すような真似はしないぞ!?」


「じゃ、一緒に寝よっか。ベランダで」


「ベッドは誰も使わねぇのかよ!」


「じゃ、ベッドで一緒に寝る?」


「なんでそうなる……」


「雨宿りだよ」


「あのなぁ……さすがにマズイだろ」


「お客様には手を出さないんだよね?」


「店を出たらァ……なんだっけか」


 萌夏は「おっ、遂に言った」と嬉しそうに笑う。


「『男と女だずェェ』だね」


「ま、そんなつもりは毛頭ないけどな」


「なら問題ないよね」


 萌夏はそう言うとニッコリと笑い、俺をベッドに引っ張りながら寝転んだ。俺も転げるようにベッドに横たわった。


 背中から萌夏が密着してくる。


「匠己さん、今ちょっと力抜いてたよね?」


「べっ、別に期待してるとかじゃないからな! 単に怪我させたら危ないから力を抜いてただけで……」


「ツンデレぇ」


 萌夏は俺の背中を突きながらそう言い、背中に顔を擦り付けてきた。


「ちょ……」


「雨宿り」


「何が――」


 何が雨宿りだ、と言いかけた矢先、背後から鼻をすする音がし始めた。


 背中が濡れていくのは萌夏が泣いてるからだとすぐに分かった。それこそ土砂降りの雨が背中に降り注いでいる。


「……何があったんだ?」


 背中を向けたまま尋ねてみる。


「……わかんない。けど、最近寝る前はいつもこうなんだ」


 鼻声で萌夏が答える。その現象に心当たりがあった。会社を辞めた後のこと、漠然とした不安から動けなくなり、無力感に苛まれて寝るに寝られず、寝落ちする瞬間に何故か涙が出てしまう。


 そんな過去のことを思い出し、萌夏の方を向くように寝返りを打つ。そのまま泣いている萌夏を抱きしめた。


「……今日私に手を出す確率は0.03%と聞いてるよ」


「そんなつもりじゃねぇよ。そんな風になるのに心当たりがあったからさ」


「そっか。その時も誰かにこうしてもらったの?」


「誰も。一人で寝てたよ」


 萌夏は「そっか」と言うと俺の胸に顔を埋めて何度か深呼吸をする。その後「今日はこのまま雨宿り」と言った。


 しばらくそうしていると、萌夏が声に落ち着きを取り戻してきた。


「……コーヒー飲むんじゃなかった。カフェインのせいでドキドキしてる」


 囁くような声でそう言ってくる。


「そうだな」


「同じ?」


「同じ」


「ふぅん……ね、匠己さん。しりとりしようよ」


「いいぞ。じゃ、『しりとり』の『り』で萌夏ちゃんから」


「りんご」


「ゴリラ」


「らっぱ」


「パエリア」


 パンツと言うのは少し憚られたので、パエリア。


「わ、オリジナリティ出してきた」


「いいだろ別に」


「……はいはい。『ヤ』だよねぇ……いま探してるよ……うぅん……や、や……何かなぁ……や……ヤポぉ――ぐぅ……」


 萌夏の声が次第にふにゃふにゃしてきた。まずパエリ『ア』なのに『ヤ』から始まる言葉を探している時点で頭が働いていないのは確実。


 最後には言葉を言い切らずに寝息を立て始めた。


 自分はというとこの状況にドキドキして全く寝られる気がしない。


 もはや何の修行なのかと思わされるくらいの煩悩と戦うこと1時間。正確な時間はわからないが体感時間ではそのくらい。


 やれることといえば『ヤポ』から始まる言葉がなんなのか探すことくらい。そんなわけで気づけば自分も寝落ちしてしまっていた。

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